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17 遠く離れて二人きり
しおりを挟むまあとはいえ、先は、あえて妙なふうに誇張してみただけなのだ。
というのも俺は、今もこの部屋の唯一の出入り口、この扉の前に立ったまま――部屋の中にいるユンファ殿の近くには、少しも近寄らないでいる。
それというのは、俺がジャスル様から直々に、この位置より一歩も動かぬよう言い付けられているからである。
そしてユンファ殿に至っても、この出入り口から離れた部屋の中央、そこらへんにある寝台に腰掛けている。
彼は、女人のように脚を揃えてやや斜めにし、相変わらずの浮かぬ表情で俯いて、腿の上に力なく重ね置いた、その白く男なりの大きさの手の甲を、ぼうっと見下ろしているだけだ。
何より俺たちは――たったひと言たりとも、言葉を交わしてはならない、と。…ジャスル様から、緘口令を敷かれているのだ。いくら俺が狼族の堅物であろうとも、万が一のことがあるやもわからないから、と。
そう…その万が一というのは、この美しい人に、あわや俺が惚れてしまわぬように――あるいはユンファ殿のほうもまた、下男にも近い俺なぞに惚れてしまわぬように――ということだ。
ただ、じゃあなぜわざわざこの部屋の内側に居るよう、ジャスル様は俺へ命じられたのか。…人は不可思議に思うやもしれないが、しかし、俺たちが密室にこうして二人っきりなっている理由は――今もわかりやすく、俺の後ろにあるのだ。
「あの幻の蝶族がいるって? そりゃあ一目見ないと気が済まないよ」
「…少しでいい、なあ蝶の姿を見せてくれよ!」
「とびきりの美形だって言うじゃねえか! おい、ちょっと出てきてくれ、せっかくなんだから!」
「大変お美しい方だそうですわね、ちょっとだけお顔を見せてくださらない?」
「男なんだろ? それでどうやって子を孕むってんだ?」
「見るだけならいいだろうが、見るだけだ、なあソンジュ!」
「…ユンファ様というそうね、きっととびきりお美しい方に違いないわ」
「さっき見そびれちまったんだぁ俺ぁ、なあソンジュ! ちらっとでいいから!」
「………、はぁ…」
俺がいま背にしている扉向こう、多くの人々が押しかけ、物珍しい蝶族の御子を一目見ようと騒いでいる。
この扉には鍵がかかってはいるが、…ドンドン、ガタン、ガタガタと木製の扉を叩き、揺らすこの者どもの勢いでは、扉が打ち破られるのももはや時間の問題か――いや、だからこそ俺が此処にいるのだが。
そして更に、それはこの屋敷の外、この部屋は二階であるからして、窓の外一階…すなわち地上からも、そのようにやいのやいのと騒ぐ声が途切れる気配はなし――此処から見える木々や、この部屋周辺の壁には油が塗られているので、それらを登ることこそできやしないだろうが…まあ万が一のことはあるか――。
つまりジャスル様は、この騒動を見越した上で――俺に、このユンファ殿の護衛を命じられたのだ。
先ほど――このユンファ殿、ジャスル様のお二人は、あのままジャスル様のお部屋へと入っていった。
もちろんまだメオトではない彼らであるため、二人きりにはなれず、その部屋の中には側近や世話役の下女、下男もいたようだが――ちなみに俺はその間、昼の暇をもらって屋敷の中の食堂、そこで飯を食っていた。
そうしてそこで飯も食い終わり、しばらく下女や下男たちとそれとない話をして休んでいると――ジャスル様が早急にお呼びだ、とにわかに下男から伝えられた俺は、ジャスル様のお部屋へと向かった。…まだ俺が与えられていた暇の時間は残っていたのだが、早急に、とのことであったので、足早に。
そして、ジャスル様のお部屋の扉を三度叩き、入れと言われて、部屋の中へ入れば――ジャスル様は、楽な服装…バスローブとやらを着て寝台の上、うつ伏せとなり、下女たちにその肥えた体をぐにゃぐにゃと揉みほぐされていた。
また先ほど、その人と共に部屋に入っていった、一方のユンファ殿は、というと――。
“「…………」”
ジャスル様の寝台の隣にある、椅子に腰掛けていた。
出入り口に立つ俺へ、その白い横顔を向ける向き――隣のジャスル様にも横顔を向けている――、ピンと背筋を伸ばし、女人のように脚を斜めに揃え、腿の上に白い両手を力なく置いて、先ほどと何ら変わりない服装――額から頭を覆う白い頭巾、薄紫色の透ける口布、首にも白い布、薄水色の羽織り、側面に切れ込みの入った薄桃の着物に白い袴、履物は金刺繍の黒――ではあったが、…ユンファ殿は、先よりもずっとぼうっとした生気のない白い横顔を、軽く俯かせていた。
“「んんん…おぉ善い、善いぞ、…もっと強く…」”
隣で心地よさそうに声をもらすジャスル様に対し、ユンファ殿はまるで椅子に座らされた人形のように物憂げで、目線を伏せ――ピクリともしなかった。
“「…ジャスル様、お呼びでしょうか」”
俺は部屋の中を進み、ユンファ殿へ軽く会釈をしたのち…その人の足下あたりへと跪き、片膝を立てて頭を垂れた。――とはいえ、もちろんユンファ殿に対してではなく、寝台の上にいらっしゃるジャスル様へそうした結果、俺はその人の足下に跪いたようになったのだ。…であるからユンファ殿には、俺の体の側面を向けていた。
“「んおぉ…、おぉソンジュ…、お前――ひと晩このユンファに着き、守ってやれ。」”
すると主人直々に、そう命じられた俺は――。
そのまま、ジャスル様から諸々の命を受けた――一晩ユンファ殿の部屋の内側で彼をお守りすること、しかし俺は有事以外、部屋の扉の前から動かないこと、またお互いにひと言たりと言葉を交わしてはならぬこと、を理由付きで命じられた――俺は、そうしてこの部屋の中、一応はユンファ殿と二人っきりになったわけだ。
またいわく彼は、ジャスル様の部屋付きの浴室で、湯浴みをしてからこの部屋へ来ているそうだ。…そのため、ユンファ殿の部屋にも浴室は付いているものの、今晩は湯浴みをさせる必要はないとのこと――いや、しかし。
まさか…まさかとは思うが、ユンファ殿。
いや…あのジャスル様でもさすがに、法を破ってまで婚前のユンファ殿に手を出されるほど、飢えてはいないか。…そもそも、ジャスル様のお部屋には彼らの他に何人もいたようである。…仮に主人が法を犯してまで、ユンファ殿に手を出そうとでもしていたらさすがに、誰かしらは止めに入ったはずか――。
「…………」
「…………」
ちなみに、俺があえて室内にいる本当の理由は。
この、沈み切った様子のユンファ殿があわや逃げ出さぬように…、そして、彼自ら命を絶たぬように…と――つまりこの状況は、ユンファ殿の監視の意味合いも含まれているのだ。
しかし、それが下女などではなく、なぜ俺なのか――。
それは、俺が狼だからだ。
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