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28 お伽噺は、お伽噺
しおりを挟むいや…――ならぬ。
「………、…」
何かの間違い、俺の勘違いに違いないのだ。
たしかにユンファ殿の美貌に対して俺は、この心を突き動かされるようではある。――が、しかし…それは何も、俺ばかりの話ではないのだ。
であるからこそジャスル様はかの人を娶られ、また、ユンファ殿を見た誰もが感嘆の声をあげていた。――何も俺が狼であり、ユンファ殿が蝶であるからこそ俺が、彼を特別に美しい人だ、と感じているわけではない。…いわば、誰しもがそうなのだ。
大体、ユンファ殿が蝶で、俺が狼だから…で、だから一体なんだというのだ。
あんなもの所詮、古びたお伽噺ではないか。――そんな夢みたいな話を、この年齢ともなって真に受ける者があるか。
そもそも、もし仮にも俺がこのユンファ殿に、万に一つでも手を出せば――まず、俺はあっさり犯罪者として捕らえられ、死刑にでもされることだろう。…いわくユンファ殿は、初心なままのお体だそうである。ならまず言い訳もできぬ、破瓜したお体は、何よりも姦淫の証拠となるのだから。
いや、その万が一の末の俺は、あるいはこの屋敷の中、秘めやかに屠られるか。――それはそれで、俺は別に構わぬとは思うが。
しかし…――ユンファ殿を巻き込むわけにはゆかぬ。
いや…いや。
だからといっても俺は別に、このユンファ殿に惚れてしまったというわけではないはずだ。――確かに、思わず俺なんかでも息を呑むほど美しいお方ではあるが、ではその人に恋をしてしまったかといわれると、それに関しては疑問だろう。
なぜなら俺は、別段ユンファ殿を抱きたいとは思っていない。――ユンファ殿の虚ろなお姿を眺めていても、いうなれば俺には、特にムラムラとクるものはないのだ。
先ほどだってそうだったろう。…そりゃあ美しいとは思うが…美しい、と思うだけでは恋ではない。
むしろ俺なぞが触れてしまえば、あっさり壊れてしまいそうでいっそ、恐ろしいくらいである。――無機質な人形、そのようなユンファ殿に、どうして肉欲をいだけよう。…いや、すなわち狼の俺が、彼に肉欲をいだけないということは、恋をしていない、ということでもあるのだ。
たとえるのなら今の俺は、技芸の限りを尽くされた美しい工芸品を、ただ美しいなと眺めているだけであり、しかし別段、その工芸品を欲しいとは思わない、というのに限りなく近い。…あまりにも繊細な造りに、だからこそ美しいにしろ、ならば撫でることさえ恐ろしいとは、誰でもそのように思うものだろう。
そもそも…――此処じゃ下男にも近しい身分の俺が、あのユンファ殿に、恋をしてもらえることからして、まずあり得ないことなのだ。
俺が恋心をいだくことからしても、全くもっておこがましいことだ。
許されぬことだ。…あの方は、身分相応の…ジャスル・ヌン・モンス様のご側室であらせられる。――つまりユンファ殿は…ユンファ殿のお体、髪の毛の一本に至るまでもが、いや…あの方の全てはもう、ジャスル様のものなのだ。
「………、…」
それにしても…――諦めの悪い奴らめ。
「なあ、見るだけ、見るだけだからさあ…」
「おい、なあソンジュ! お前ばかりずるいぞ!」
「まさかソンジュ、お前、その蝶族様とよろしくやってんのかぁ?」
「おいおい、あの犬がまさか、ははは…」
「…今ユンファ様はどうしていらっしゃるの? どうせなら貴方、そこで実況なさってよソンジュさん!」
「おおいいね、そうだぞソンジュ! お前ばっかりユンファ様のことが見えてるなんて、ズルいじゃないか? なあ?」
「そうよ!」
「……はぁ…――チッ、しつこいぞお前たち! いい加減散れ!!」
しかし、俺のこの制止には悲しいかな、ぶーぶーと不満が上がるだけだ。…もう少し気を遣えばよいものを。
犬だと揶揄されているような俺が、この程度怒鳴っただけでは全く、相変わらず耳障りな騒ぎ声は止まないが――しかし、あともう少しすれば警備隊員が駆けつけ、この者どもを追い払うことだろう。
その実、ある程度は騒がせておくしかなかったのだ。
むしろジャスル様は、このくらいの騒ぎがないと面子を保てないとお考えの人だ。――これほどに物珍しく美しい蝶族のユンファ殿に、屋敷の者が全くの無反応…そのほうが恥をかいたと、不機嫌になるのがジャスル・ヌン・モンスという人なのである。…全くくだらないことだが、しかし、もうこれ以上は十分だろう。
とにかく、それでなくともお疲れの上ご不安であろうユンファ殿が、この騒ぎじゃあまりにも哀れだ。
そして、とにかく俺は――このユンファ殿があわや間違った選択などしないように、それだけを一晩、黙って見守ってりゃいい。…思えば、そう骨の折れることでもない。
「…………」
「…………」
むしろよほど、こうしてむっつりと黙り込んでいるこのユンファ殿――いや、そもそも緘口令を敷かれていちゃ、話したくとも話せないのか――、ジャスル様のように無茶な我儘を言わぬだけ、今晩のほうがいつもより楽なくらいである。
俺はもちろんのこと、こうして、ただ大人しく本を読んでいらっしゃるユンファ殿も――間違えるつもりはない。…ということに違いない。
我ながらお伽噺のような、夢のような、馬鹿みたいな、まったく変な思考をしてしまったものである…――。
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