胡蝶の夢に耽溺す【完結】

🫎藤月 こじか 春雷🦌

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47 一目惚れ

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 ユンファ殿を抱き締めていた俺は、しかと彼の目を見て謝罪したい、と離れた。――するとユンファ殿は、俺の涙目を見るなり…先の、俺との接吻を確かめるように…その白い二本の指先で、自分の赤くふくよかな唇に触れた。
 
「…清いままの唇で、ソンジュ様と接吻ができて、本当によかった……」
 
 ユンファ殿は、本気でそう思っているように、その唇の端をわずか上げてそう呟いた。――俺は先ほどのことに頭を下げ、いっそ土下座してでも、ユンファ殿に謝罪したかった。
 しかし俺よりも先に、ユンファ殿は、床に三つ指をつき――俺へ向けて、深く頭を下げてきた。
 
「…ソンジュ様…僕はもう、本当にこれで満足でございます。…もう貴方様を困らせるような我儘、もうこれ以上、もう二度と言いません…。…ですからどうか、どうかご容赦くださいませ、どうか……」
 
「……、…、…」
 
 つまり、俺よりも先に――ユンファ殿は、俺に土下座をし、謝罪をしてきた。…俺は胸が痛くて痛くて、増すばかりの罪悪感に、もはやどうしたらよいのかもわからない。
 
「…ソンジュ様の奥方様にも、向ける顔がありません。…奥方様にも重ね重ね、誠に申し訳ないことをいたしました……」
 
「…、…ユンファ殿……」
 
 俺は、思わず彼の名を呼んでしまった。
 そして俺は、その人の肩をそっと掴み――「どうか頭を、上げてくださいませ」と、ユンファ殿に声をかけた。
 すると、彼はおもむろに頭を上げ、上体を起こしては、俺の目をじっと――たっぷりと涙に潤んだ、その透き通った薄紫色の瞳で、じっと見つめてくるのだ。
 
「…ソンジュ様…、僕はどう謝ればよいか、それすら…」
 
「いえ、…俺も、貴方様に謝りたいことが、……」
 
 俺はその場に正座し、両手を床に着こうとした。
 …しかしユンファ殿は、「え?」とやや驚くと、俺の肩口を押すようにして――俺に、頭を下げさせてはくれなかった。
 
「…ソンジュ様が謝られることなど、何もありません」
 
「…いえ、…っいいえユンファ殿、俺は貴方様に謝らねばなりませぬ、…先ほど貴方を、俺は淫乱などと…」
 
「それは…本当のことでございます、ソンジュ様。…」
 
 ユンファ殿は、あわい微笑みを浮かべている。
 …優しい…あまりにも優しい目をして、彼は俺のことを眺めているのだ。
 
「…奥方様がいるソンジュ様に迫り、僕は身勝手な理由で、今も無理やり口付けてしまいました。…僕は淫乱と呼ばれて当然…、誘っていると思われて当然、淫蕩に相応しいと思われることも、なんら当然のことでございます」
 
「…まさか、当然などと、…その理由だって、貴方は…、…っ」
 
 駄目だ、涙がこらえきれぬ。――俺はあまりのことに、うなだれた。…あまりにも清い理由ではないか。
 
 せめて唇の純潔だけは、慕った者に捧げたかった。
 
 そんな人が、どうして淫蕩といえようか。
 …そんな人を、俺はどうして淫乱などと罵ってしまったのか。
 
「……、せめて初めての接吻は、お慕いしている方と、したかった…――しかしそれは、僕の身勝手な理由に違いありません。ソンジュ様がこのことで、ご自身を責められるようなことは、何もありません」
 
 ユンファ殿は、改めて俺にその理由を告げてきた。…たしかに彼は、もうこれだけでよいと満足しているのだろう、いっそ清々しいまでの凛とした顔をしている。
 
「…、……、…っ」
 
 何が、…何が、何が、――淫蕩だ、淫乱だ。
 俺の口は今にもそう叫びそうに、ガクガクと動くのだ。…俺は激しい後悔と自己嫌悪に、顔が、体が、燃えるように熱くなる。――恥ずかしくて恥ずかしくて、今にも死んでしまいたい。…俺はたとえ本心じゃなくとも、これほど無垢なユンファ殿を、あんなにも貶めてしまった。
 
「…っ、…っ、…は、…」
 
 誠心誠意謝りたいが、こう泣いていては喉が詰まって、言葉を形作るも難だ。…うなだれる俺の目から、涙がボタボタと床に落ちる。――しかしユンファ殿は、そんな俺へ、あまりにも優しく柔らかい声で。
 
「…やっぱりソンジュ様は、お優しい方だ…」
 
「俺は優しくなど、…優しくなどありませぬ…っ」
 
 むしろ俺は、…最低だ。
 ユンファ殿はその場に正座したまま、その腿に白い両手を添えている。――きっともう、彼は俺に触れてくることはない。そう直感している俺は、今とても辛くて苦しい。
 
「…いいえ。とても、とてもお優しい方です、ソンジュ様は。…それに、きっとソンジュ様はもうお忘れでしょうが…、僕は、貴方様と初めてお会いしたとき…――ソンジュ様の、その青い瞳が、とても…とてもお優しそうに見えて、なんて美しい瞳だろうと……」
 
「…っお、覚えております、…」
 
 忘れていない、忘れてなどいないと、俺は顔を顰め、その顔を横に振った。――俺だって、あまりにもユンファ殿の、その美しい薄紫色の瞳が印象的で、…いっそ魅入っていた俺が、彼に見惚れていた俺が、あのときのことを、ユンファ殿のことを、ユンファ殿のその薄紫色の瞳を、俺が忘れていたはずもない。
 
 そういえばあのとき――俺が初めてユンファ殿を見たとき、その人は「お前に縁談が来た」とリベッグヤ殿にいわれ、…俺の目を見つめてきた。
 俺のことを見上げてくるその薄紫色の瞳は、なかば不安げであり――なかばは期待したようであった。
 
 俺たちは、もしや…――あのとき、お互いに一目で惚れあっていた、というのか。
 
「…え、本当に…? 本当に…覚えていて、くださったのですか…?」
 
「…はい、もちろんでございます、…」
 
 意外そうに俺へ尋ねてくるユンファ殿に、俺は泣きながら頷いてみせた。――頭を上げて見れば、俺の涙に滲む視界の中、ユンファ殿は。
 
「…そう…。はは、そうですか…、嬉しいな…」
 
 目を丸くして笑い、あまりにも嬉しそうであった。
 
 
「……ユンファ殿、申し訳ありませんでした、…っ」
 
 
 俺はたまらず――その人の膝先に頭を下げ、床に手を着き、土下座した。…これほど無垢なお人には、もはやこうするしかできなかったのだ。
 
 
 
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