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131 約束の接吻
しおりを挟む一揆の暴動の鎮圧ともあっては、急ぎの徴兵であった。
ただ、この度のことは、ノージェスの威信にも関わる事件なんそうだ。――というのも、これまで王家お墨付きで、わざわざ王族に畑のものを献上していた農家が起こした暴動だそうで、…早いところ鎮めなければ、いよいよに王家の威厳が傷付けられることだろう、とのこと。
しかもその農家が献上していたのは、国が専売特許を許した品――王家が愛飲している妙薬の原料となる薬草――だそうで、…彼らを無闇矢鱈に傷付けて困るのは、むしろノージェス側のようだ。
なんでも、王族に献上していた分の報酬が、王家に近い貴族にちょろまかされていたとか。…まあそれも様子見、何とか折り合いをつけようと話し合いを試みていたにはそうらしいが、直後の対応が悪手であったばかりにか――はじめはそんな事実などない、お前たちの計算違いだ、と言い張った貴族、それを鵜呑みにした王家…しかし蓋を開けてみれば、五年以上にわたる巨額の横領の事実が芋づる式、明るみに――、農民だからといって馬鹿にしやがって、もう辛抱たまらんと立ち上がった農民たち。
その事実に対しての謝罪と賠償を求めた一揆、自らの畑を燃やす暴動、それをおさめようと駆け付けた軍、しかし結局、怒り狂った農家の者たちは武器を構えて――一応は武力抜きでもなんとかならぬかとやってはみたが、…王家が密接に関わっているその農家、ましてや現状、妙薬の薬草を作れるのはその者たちだけ、下手にその者たちを殺すわけにもゆかず。
そういった事情から――この度の戦は、できる限り相手を殺さず、ただ武力を用いて鎮圧し、とりあえず農民たちをまとめて捕らえろ、という戦だそうだ。
いや、今やユンファ様の存在があっては、俺はもう人殺しなどしたくはない。むしろよかったと、気が楽にもなるのだ。――諦めるのは、もうやめた。
そうして孔雀青の首巻きを受け取ってすぐ、俺はユンファ様に徴兵の報告をした。――そしてその首巻きを巻き、これから屋敷の倉庫へ行って鎧を纏う前に――部屋の扉まで見送りに来たユンファ様を、俺は抱き締めた。
「…俺は必ず貴方様の元へ、無事に帰って参りまする。」
「…うん…どうか無事でソンジュ…、武運を……」
俺のことを固く抱き締め返してくださったユンファ様は、俺の腕の中でそう、沈んだ声を出した。
俺はユンファ様をしかと抱き締め、固く誓う。
「…はは、そうかかる戦ではありませぬ。ましてや、この度は人を殺すなと。…思うより容易いことでしょう。俺は必ず、またすぐにユンファ様のお側へ、無事で帰って参りまする。…お待ちいただけますか、俺の無事の帰還を」
「…も、もちろんだ、…むしろ僕はそれを願っているよ、ソンジュ…、君が側にいない間は、ずっとソンジュの無事を祈るから……怪我などしないでおくれ、どうか無事に帰ってきておくれ、ソンジュ……」
俺のことをぎゅうっとして、泣きそうな声を出すユンファ様は、やはり戦と聞けば悲観していらっしゃるらしい。
俺が思うに、本当に今回は、そう過酷な戦にはなりそうもないのだが、――まああれほど平和な五蝶で暮らしていたユンファ様、まして、俺が彼の護衛となってから初めての俺の徴兵なわけであるから、それは無理もないか。
「……ソンジュ…、実は、その首巻き……」
そうしてユンファ様は、あるいはこれが、俺との今生の別れになるやも、とさえ思ったのかもしれない。――俺の背を抱き寄せ、ぎゅう、ぎゅうと俺を抱き締めながら、彼は。
「…っ余命少ない僕が最後に、君に贈れるものかもしれないからと、本当はソンジュのために作ったんだ…。ジャスル様に贈るというのは嘘だった、本当は、はじめからソンジュに贈ろうと思って、心を込めてそれを作ったんだよ……」
「…はは…、それは…そうでしたか。大変嬉しく思います、ユンファ様…ありがとうございます。――貴方様のこの首巻きがあれば、俺はいつもより何倍もの力が出せることでしょう。…これで戦地でも、ユンファ様のことを想えまする……」
そりゃあ知っていたが、…改めてそう言われると俺は、あえて気が付いていなかったふりでユンファ様に、明るく礼を言った。
するとユンファ様は、どこか安堵したような笑みを含ませて「うん」と返し、俺のことを更に抱き寄せた。――俺は彼を抱き締め返し、その人の背を撫でる。
「……この首巻きさえあれば、いつでもユンファ様が、俺の側にいてくださるようなものでございます…、すると俺は、百万馬力も出せることでしょう……」
「……君の力になれるのなら、それは幸いだ…。だが、どうか本当に、怪我などないように…――正直心配でたまらない、ソンジュが帰ってきてくれなかったら、僕はどうしたらいいんだ、? 君は僕の、唯一の光なんだ……」
いっそユンファ様のほうが泣きそうな声でそんなことをおっしゃるので、…俺は思わず面食らうほどだ。――やはり今生の別れだと思うと、こう素直にならねばと思うものなのか。…いや、本当にそう悲観するべき戦でもなさそうであればこそ、これではおそらく俺が得をしているだけ、なのだが。
「……そんな、…ユンファ様のお側に俺が無事で帰らないなど、絶対にあり得ぬことです。…俺にとっても貴方様は、唯一の光…では、我がつがいの胡蝶よ…――かしこまりました。俺は此度の戦、かすり傷一つない無傷の身で、足取り軽く貴方様の元へと帰って参りましょう。」
「……はぁ…っうん…、…ソンジュ、…ソンジュ……」
俺は、俺に縋ってくるようなユンファ様を、より固く抱き締め――正直場違いながら、可愛らしくて、愛おしくてたまらぬ――適当に刀を振るうにしても、これは士気の上がることだと、密かに闘志を燃やした。
「…僕は…君を、ま、待っていても、よいだろうか……」
「…何をおっしゃる。俺の無事の帰還を、どうぞ待っていてくださいませ」
「それは……そうか、うん、わかった…。君の無事の帰りを、僕はいつまでも待っているから…、絶対に、絶対に無事で帰ってきておくれ、ソンジュ……」
「…かしこまりました、ユンファ様…――。」
俺はこのユンファ様を残して、まさか死ぬわけにはゆかぬ。
…いや、本当にかすり傷一つない無傷の身で、またこのユンファ様の元へと必ず帰ろう――俺は自分にそう誓い、…不安げに泣いていたユンファ様の両頬を手のひらで挟み込んでは、彼のふっくらと赤い唇を、一度だけ食んだ。
「………、…」
すると涙に濡れたその薄紫色の瞳が、悲しげに俺の目を見つめてくる。
「…はは…この接吻こそが、先の約束の記し、でございます。」
「……そう…、約束、したからねソンジュ…、生きて帰ってきておくれ……」
あまりにも悲観しているその表情さえ美しいが、…あまりにも哀れだ。――俺はおそらく、あっさり帰ってくるというのに。…ユンファ様の気を少しでもなだめようと、俺は笑みを浮かべる。
「…ところで、ユンファ様。――俺はせっかく遠い土地に行くのですから、…何か土産を買って参りましょう。何が、よろしいですか。」
するとユンファ様は、――まあ、そうだろうなと予想はしていたのだが――悲しげな顔をふるふるとして。
「…何も…土産なんて何もいらないよ…。僕は、ソンジュが無事に帰ってきてくれるだけでいい…。…そうに決まっているだろう、だからどうか、どうか…――どうか君のことを、武神が守ってくださいますように……」
「……、かしこまりました、ユンファ様。…――。」
俺は、ユンファ様の潤んだ薄紫色の瞳を見つめて、勝利を確信した笑みを浮かべた。――いらぬとは言われたが、こうしたユンファ様だからこそ――頭の片隅で、彼への土産は何がよいか、考えながら。
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