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愛する瞳
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しおりを挟む出入り口の前から一歩も動けず、正直どうしたらいいのかもわからないでいる僕の前ヘ、わざわざ歩み寄ってきたソンジュさんは僕を抱き締めていた――しかし。
するりと離れると、その薄い水色の瞳で深く、やさしく僕を見てくる。
「……ユンファさん…、ふふ、気分転換に、ちょっと踊ろうか…」
そう言うと彼は、僕の左手を取って肘を曲げ、そうして肩の位置にお互いの手を上げると、す…と、僕の腰の裏に手をあてがってきた。
「…ユンファさん、俺の胸に片手を置いて」
「…あ、え…」
僕はソンジュさんの顔がまた近いと顔を伏せ、ただ言われたとおりに彼の、ワイシャツを纏う胸板へとそっと、自分の右手を置いた。…さら、とノリの効いた清潔な、僕が着ているワイシャツよりも厚い生地が僕の手のひらの膨らみや、指先に触れている。
その下にある、あたたかいソンジュさんの胸板は、少しだけやわらかい。――一見同じような格好しているわり、僕とソンジュさんの格の違いはこのワイシャツの生地の厚みからも明らかだ。
「…俺に合わせて、ステップを踏んで」
「…、え、――ぁ、いえ、僕踊れませ…」
今更ハッとした、…踊ろうと言われたんだ、僕。
「ユンファさんは、俺に合わせれば、それだけでいいんです。…大丈夫ですから、俺に身をゆだねて……」
そう僕を撫でるようなやさしい声で言い、ソンジュさんはゆっくりと後ろへ一歩、二歩と下がってゆく。――僕は合わせろと言われているので、彼に手を引かれるまま、緊張しつつも着いてゆく。
そうしていくらか下がったソンジュさんは、前方の開けた空間で――この部屋に流れている、ゆったりとしたピアノのクラシックミュージックに合わせ、後ろに一歩、…前に一歩、と、ステップを踏む。
「……、……」
僕はソンジュさんになかば押され、引かれるように、それに合わせて一歩、一歩と…――ふと見ればソンジュさんは、とてもやさしい笑みをその美しい顔に浮かべていた。
「…お上手ですよ。…その調子…」
「………、…」
胸が切なくなる…――涙が目に滲む。
王子様…――王子様みたいだ、彼、本当に。…好きなんて思ったらいけないのに、性奴隷の惨めな男が、彼に愛されるわけがないのに。
「…ふふ…本当に上手いな…」
「…合わせているだけで…」
「…合わせるにしても、ユンファさんはとてもお上手ですよ。――人によってはそれもできずに、足を踏んでくる方もいらっしゃいますからね」
温和なソンジュさんの声は、いつも僕のことを褒める。
――どうしよう。…僕はソンジュさんのやさしい微笑みを見ていられず、また顔を伏せた。
「……、……」
好きになったらいけないのに。
ほだされちゃいけないのに。
どうしてこんなにやさしくて、王子様のように身分の高い、上品で、優雅で、お金持ちで…――ヤマトのなかでも一番というほど家柄の良い九条ヲク家に生まれたソンジュさんが、…性奴隷の僕なんかを、…僕なんか、
「……、…、…」
ありえない、ありえないありえないありえないありえない、…――僕なんかを――。
「………、そうだ…、…お話しておきますね…」
ソンジュさんは僕の手を引き、ゆったりとした音楽に合わせ、相変わらず優雅なステップを踏みながら、ふふ…とやわく、それでいて切ない笑いをこぼした。――今の僕にとっては、それもまた不安になるような、不穏な笑いだった。
「…俺…念のため、例の“契約書”の写しもいただいておきました。…」
「……は、はあ…」
しかし、そうソンジュさんに切り出されると、…ふっとこんがらがった僕の頭が、一瞬にしてぴしゃりと水を打たれたように冷静に纏まった。
…契約書って、…あの“性奴隷契約書”だろうか。――なんのために、とは思うが、別にもうアレを見られたところで、今更といえば今更であるという諦観もある僕は(性奴隷としての経験談を彼に語っている以上、あの契約書を見られたところで今更屈辱も恥辱もない)、…とりあえずステップを合わせながら、ソンジュさんの話を聞く。
「…何か作品の参考になるかと…それでケグリに俺は、こう言ったのです。――“少なくとも一週間、私はあなた方と同様の関係性…つまり、ユンファさんのご主人様の名に連なるわけですから、彼にはその契約書の内容に沿った対応をしていただきたいので”、と。――そうした適当なことを言ったらケグリは、渋々ながらそれをくださったのですよ。」
「…………」
適当、というわりに、けっこうな知能犯ではないか。
そしてソンジュさんは冷静沈着に、やはり神妙な顔つきですらすらと続けてゆく。――足元もまるで淀みがない。
「…まあ、それの内容からしても思うところはありましたけど。…あと…本当にケグリはあのあと、俺に対してユンファさんの、淫らな急所の詳細を聞かせてくださったのです。――あ、ちなみにそれも念のため、全て記憶しています。」
「………、…」
念のため…それはどっちの意味なんだろうか。――作品に活かせるかもしれない、という意味なのか…はたまた僕の性感帯をいずれは責めてみよう、というほうなのか(しかもそれを、単純な好奇心でいろいろやってくるタイプの人のような気もする)。――相手がソンジュさんだと、僕にはいったいどちらの意図なのかはわからない。
しかも、そんな内容を恥ずかしげもなく平然と言えるのだから、本当によくわからない人だ。――現にソンジュさんは、やけに感情のない声、ほぼ無表情でさらに続けてゆくのだから。
「そして俺は、気が付いたのです。――そのときのケグリの声は、なんと…嫉妬と怒りに満ち溢れていました。…」
「…嫉妬と、怒り…」
「ええ。…」
そこでニコッとしたソンジュさんは、とても聞き取りやすく流暢に、淡々とひたすら、こう語った。――しかし僕の目を、その丸い、翳り暗い水色の瞳で、ジッと見つめながら。
「…ケグリはおそらく、このような意図を持ってあのとき俺に、そのことを教えたんだろうと思います。――あたかも自分ばかりが、ユンファの体の隅々までを知り尽くしている…ユンファのことを自由自在にコントロールできるのは自分だけであり、ユンファを身も心も支配しているのは自分だけ…お前はユンファのことを何も知らないだろう、私はユンファのことは何でも知っているのだ、それに、ユンファはその実自分のことを本気で愛しているんだ、アイツはまだそれに気が付いていないだけ、だから私の言いなりになるんだ、自分に依存しているのはユンファだ、自分とのわいせつな関係性に依存し、自分の男性器に依存し、自分とのさまざまな変態プレイにユンファは依存している、ユンファはセックス依存性だ、自分に捨てられたら困るのは自分ではなくユンファである…、これを端的に言えば、すなわち――ユンファは自分だけのものだ……」
「…………」
その長い言葉を、まるでよくできた機械音声が話すかのごとく、淡々とした低い声で言ったソンジュさん。――あるいはナレーションのようでもあったが、…ソンジュさんの目は暗く翳り、危うさすら見えるようだった。
しかし、そこでまた彼は、にこっと微笑む。
「という…ケグリから、俺はそうした、ある意味でのマウントを取られました。…ぷふ、っははは…」
「…………」
まあそれは正直、容易に想像が付くのだが…――今のソンジュさんの最後の笑いは、おかしいおかしいと、さながら失笑というにふさわしいものである。
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