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一章

追走

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『エミリオに頼みたいのは、この調合された物がどういった薬草で、効能は何なのかっていうのと、その原産がスーヴェリア侯爵領で賄われるのかが知りたいんだ』

 フレデリクが……彼が箱の中身の正体を本気で知りたいのは分かった。だが、エミリオには尊敬して大切な祖父母が、何かの悪事に関わってると疑われるのが嫌だった。

 こういう時、彼が王族だと強く認識する。
 エミリオはフレデリクを好ましく思っているが、冷徹な王族のフレデリクは正直どう対峙したらいいのか分からない。
 そんな彼を受け入れる事ができるのか懊悩しながら、エミリオはひとまず頭を冷やそうと公爵家の庭へと出た。
 そろそろ夏になるというのに妙に肌寒い。自分の腕をさすりながら、何か羽織る物を取りに行ったほうがいいかな、と逡巡していると、目の端に茶色の長い髪がふわりと揺れるのを認めた。

「え?」

 別に茶色の髪をした人が屋敷にいない訳ではない。だが、彼らは職務中は髪を纏め、清潔感を前面に押し出した格好をしている。それに、一度挨拶をしたファストス公爵の髪は王妃様と同じ金色の髪で、彼の妻もどちらかといえば淡い金の髪をしている。彼らの子供は王妃様以外には、次期当主の長男がいるだけだ。他に髪を下ろすような若い女性……それも茶色の髪を持つ人は、屋敷にはいない。
 もしかしたら本邸の方に客が来ていて、何かで迷ったか何かでこちらに来てしまったのだろうか。

 エミリオはふらりと人の気配を感じた方へと足を踏み出す。だが、気配がふわりふわりとエミリオから遠ざかる。

「あっ、そっちは」

 フレデリクたちのいる別邸だ、と口からまろびでそうだったが、グッと飲み込んだ。国の第二王子である彼が王妃の生家である公爵家邸にいるのはおかしくないものの、重鎮が気軽に滞在する場所でもない。
 特にフレデリクは王太子と並び優秀な人物である為、彼を次期王にと後押しする貴族がいるのも事実だ。下手にファストス侯爵が第二王子派と勘違いされても困る。エミリオはこれ以上気配が奥へと行かないよう、必死で後を追った。

「ま……待ってっ」

 後ろ姿がやっと見えたかと思えば、すぐに姿が林立した木立に消え、またすると別の場所からちらりと姿を現す。
 どうして自分は見も知らぬ相手を追いかけているのだろう。あんなに酷い事をエミリオに依頼してきたフレデリクの事で。
 それでも不穏な火種は作らないに限ると、エミリオは消えては現れる人影を追い、いつしか裏門の外へと出ていた。

 表門に繋がるメイン通りは人の数は少ないものの、豪奢な馬車が行き交い、 地面を蹴る馬の蹄の音や鞭を振るう音でそれなりに賑やかしい。それよりも裏門は商人が手繰る馬車の車輪が回る音や、通いの使用人達の明るい会話の声、人通りの多さを狙って商売をしている屋台等、表との違いにエミリオは目を瞬かせる。
 さっき門から出た人物らしい茶色の髪の女性がふと振り返る。
 エミリオが知る頃より随分大人の女性らしく化粧が施された横顔に、思わず「あっ」と声を上げてしまう。
 丸みを帯びた女性的な肢体を持つその人は、エミリオからクライドを奪い、レッセン元伯爵夫人だった筈のエミリアだった。

「まって、エミリアっ」

 呼びかける声に、エミリアはちらりとエミリオを見たような気がした。だが、エミリアは軽やかなステップで人の間を泳ぎエミリオから距離を取る。
 レッセン伯爵家が撮り潰され、クライドの妻だったエミリアも平民に落ちた筈だ。服装も膝丈のワンピース姿で、相変わらず水色の石を使用した髪飾りが光に反射してキラリと煌く。
 彼女の軽やかな動きは、とても平民に落ちたとは思えない程、力強くしなやかだった。

 エミリオがエミリアと出会ったのは、学園の図書館だった。
 当時のエミリオの居場所は教室にはなく、逃げるように長い時間を図書館で過ごしていたのだ。

 侯爵子息でありながら親に愛されない不要な存在。それが当時のエミリオに与えられた称号だった。

 両親が兄のルドルフを溺愛し、エミリオをスペアとして適当に教育を与えられた。だが、エミリオが男でありながら子供を孕める機能があると分かると、エミリオから勉強する機会を取り上げ部屋に閉じ込めた。
 そこで起こった出来事は、今もエミリオの心に暗い影を落としている。
 このままスーヴェリア家で『なかった存在』として生涯を終えるのか、と不安に苛まれていた時、昔から可愛がってくれたフレデリクからの提案で学園に入学する事になった。
 両親はエミリオが家の外に出る事についていい顔をしなかったが、命じたのが第二王子であるフレデリクであった為、渋々ながら従った経緯がある。元々学園に行かせるつもりのなかった両親は、最低限の支援しかせず、エミリオは低位貴族と同室になる羽目になった。
 派手ないじめはなかったものの、エミリオは常に居心地の悪い時間を送っていた。
 そんな時に声をかけたのが、子爵令嬢のエミリアだった。

 彼女は懊悩するエミリオの心の隙間にするりと入り、時には叱咤し、時には一緒に励まし合い、時には笑い合った。
 そこには男女というしがらみや家格など関係なく、エミリオとエミリアという人間の付き合いがあった。

 ある日、エミリオはエミリアと一緒に食堂でランチをしていると、見知らぬ男子生徒からエミリオとエミリアは双子のように似ている、名前も「エミリオ」と「エミリア」だし、とからかいのつもりで言ったのだろうが、エミリアは勝ち誇ったかのように胸を張った。
 そうよ、好きな人の好みに合わせてるんだもの、と。私はその人が大嫌いだけど、彼の為に、彼が好きな人の代わりに私を傍に置いてくれるからいいの、と輝くばかりの笑顔で話していたのが、エミリオに強く印象に残った。

 エミリオは誰かの為に自分を変えることも、そこまで自分を捧げる気概もない。愛に生きるエミリアがどこか眩しくて、エミリオはそっと目を細めた。

 だからエミリアがクライドと結婚をし、彼がエミリアと逢瀬をしていた時に、「あぁ、あの時言っていた好きな人はクライドだったのか」と長い時間を経て答えが分かったような気がしたものだ。
 強いエミリアが愛したクライドは亡くなった。彼女はその事実を知っているのだろうか。
 クライドはエミリアがレッセン伯爵家が取り潰しとなったと同時に姿を消したと言っていた。彼は彼女が「逃げた」と。そうぎらつく強い眼差しで、エミリオを射抜くように吐き捨てた。

「待って、エミリア……お願い、止まって!」

 体力のないエミリオは、人ごみを掻い潜り喘ぐように叫ぶ。

「クライドは……クライドが……っ!」

 エミリアはエミリオからクライドを奪ったとはいえ、その後次期伯爵夫人としてクライドと夫婦になっていた筈だ。悲しい事だけど、せめて彼が亡くなった事実を教えなくてはとエミリオが叫ぶと、エミリアはぴたりと立ち止まり「知ってるわ」と、走って乱れた髪を指で梳きながら微笑んでいた。
 その眩しい程の笑みは、夫が死んだというのに清々しく、エミリオは呆然としてエミリアが話す言葉が頭の中に浸透できなかった。

「だって、私が『人狼』をクライドに与えて壊しちゃったからね」

 『人狼』。フレデリクが新種の薬物と言って教えてくれた名前だった。
 人の理性や制御という枷を壊し、本能剥き出しに人を犯し、獣の如く人を損壊する。
 そんな物をエミリアがクライドに?
 にっこり笑うエミリアが、まるで悪魔の微笑に感じて、ぞくりと背筋が冷たくなった。

「ど……して」
「……」

 疑問を口にするものの、エミリアは微笑んだまま何も言わない。

「どうして、そんな酷いことを……! 優しいエミリアが何故!」
「優しい……?」
「エミ……リ、ア?」

 慟哭にエミリアを責めれば、抑揚のない言葉がエミリアから放たれ、エミリオは凍りつく。
 彼女は本当にエミリアなのだろうか。記憶にある彼女と違い過ぎてたじろいでしまう。

「あなた、本当におめでたいわね。私、昔から、あなたの事、大っ嫌いなの。……知ってた?」
「なん、で」
「だって、私が一番愛してる人が、あなたを愛してるって言うんだもの。だから、私、大っ嫌いなあなたの格好を真似してたの」

 知ってた? と首をこてりと倒して艶然と笑う目の前の人は、もう誰か分からなくて、エミリオは足元から崩れ座り込んだ。

「あなたがここまで追いかけてこなかったら、私、あなたを見逃してあげようと思ったのよ? でも、」
「……黙れ、エミリオの偽物」
「ルドルフ様!」

 憎々しげにエミリオを睨んでいたエミリアが、背後から聞こえた声に喜色を浮かべて喜びを溢れさせる。
 ルドルフって……まさか、と次から次へと入ってくる情報が追いつかなくて呆然と見上げていたエミリオの背後から、長い腕が囲い込むように抱きしめ、もう二度と聞く事のなかった声が耳朶を打った。

「おかえり、俺の愛おしいエミリオ。あの日の続きをしようね?」

 ドロリと甘い匂いがエミリオを包み、ふつり、意識が途絶えた。
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