冷甘メイドの怪奇図書

要 九十九

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第一章「最初の一冊」

怪奇図書「ビンタ」

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 ――パチンッ

 平日の昼間、人混みで溢れた歩道の真ん中に、とても似つかわしくない大きな音が響く。
 周りを歩く人たちは何事かと、僕とその目の前にいる、今しがた勢いよく僕にビンタをかましてきた女性に目を向けるが、その理由を聞きたいのはこちらの方だった。
 何故なら、目の前にいる女性を僕は
 彼女がいるにも限らず他の女に手を出したとか、遊ぶ金欲しさに騙してお金を奪ったとか、そういった事は決してない!
 僕は今まで彼女と喋った事も、何なら見たのも今この瞬間が初めてだった。言葉通り
「あんた本当に最低!!」
「いや、ちょっとま……」
 止める間もなく、捨て台詞を残して見知らぬ彼女は去っていった。
追いかけて問い詰めればいい? 内気な僕にそんな勇気はない。というか、今まで生きてきてまともに女性とすら喋った事もないのに、こんな状況で何をどう質問すればいいんだ?
 先ほど殴られた左頬を抑える。若干腫れてる気がするが、気のせいではないだろう。も触って確かめる。うん、こっちは大丈夫そうだ!
 えっ? 何でさっき殴られた頬とは逆も確かめたのかって? 理由は簡単――からだ。
 これだけ聞いたら、やっぱり僕が女性を傷付ける最低最悪のクズ男だと疑いたくなるだろうけど、断じて違う。
 僕はその女性も。頭を抱える。何でだ? 何が原因なんだ?
 正直、見知らぬ女性にビンタされるだけでも稀有な状況だけど、僕の頭をもっと悩ませてるのはこれがの事じゃなかったからだ。
 遡る事三日前、バイト先で店に入ってきた女性のお客さんにいきなり一発。
 次は二日前に大学で、全く関わりのない学部の女の子に一発。
 昨日に至っては、同じマンションに住んでいる、たまーに朝見かけて挨拶する程度のお姉さんに殴られていた。
 その時は流石に、僕が知らない間に何かしてしまったのかと思ったが、彼女がどの階住んでるかすら、どんな人なのかも知らない。それに合わせて、基本大学にいるか、バイト先にいるかで、朝から夜中に帰ってくるまで、殆ど部屋にはいないのにどう迷惑を掛けると言うんだ。
 ただでさえ、そんな事が続いて混乱してるのに、こと今日に至っては朝に一発貰って、今しがた二発目だ。そりゃ、頭を抱えたくなるのも仕方ないだろ。
 ここまで来れば、いつの間にか記憶を失くして自分が……なんて変な事を考えるが、三日前、もっと言えばそれより前も記憶は比較的ハッキリしてるし、お酒すら一滴も飲んでないから、自分側に何かあるとはとても思えない。
 まぁ、人間どこで恨みを買うかは分からないから、覚えはなくても絶対ないとは言いきれないけど。
「はぁ~、いったい何なんだよ」
 僕がもう少しコミュニケーションをとるのが上手かったら、殴られた後に色々聞けるだろうに、何て考えながらぼーっと歩いていると……

 ――トントンと不意に肩を叩かれる。

 ゆっくり振り返ると、そこには知らないおじさんがいた。てっきりまたよく知らない女性に殴られるかと身構えたが、今回は違うみたいだ。良かった!
「おいガキ!」
「はい? 何かよ……」
 ――ドゴッ!と鈍い音がしたと同時、いつの間にか僕は地面に座り込んでいた。
「えっ? あっ……」
「二度と舐めた口聞くなよ糞ガキが」
 唾を吐き捨てながら、唖然とする僕と強烈な痛みをジンジンと訴える頬だけを遺して、おじさんは去っていった。
「……んだよ」
 ゆっくりと体を起こす。今までは状況に振り回されて、ただただ混乱するだけだったが、いい加減腹が立ってきた。
「ふざけるな!」
 立ち上がり叫ぶ。おじさんが曲がっていった角に向けて。ここまで来て直接言えない所が最高にダサいが、見知らぬ人間にいきなり殴られたら、恐怖でこうなっても仕方ないだろ?


「あ~、本当に最悪な休みだ」
 おじさんにいきなり殴られてから数分後、僕は近くの公園の公衆トイレにいた。
 鏡を見ながら、手洗い場で濡らしたハンカチを腫れた頬に当て、痛みがマシになるのを待つ。
 ここ数日ろくな事がなかったから、今日は楽しみにしていたのに。
 休日の息抜き、いつものルーティーンだ。朝から並んで映画を見て、人混みに溢れた歩道をのんびり歩いて、それからお気に入りの喫茶店でご飯を食べて、帰りにスーパーで大好きな揚げたてのコロッケを買って帰る。
 他人から見たら地味すぎる休日の過ごし方かも知れないけど、僕にとってはこの休みの過ごし方が、いつも僕に元気をくれる――筈だったのになぁ……
 いつも同じ過ごし方とはいえ、今日以上に最悪な休日は二度と訪れないと思う。
 こんなに何度も殴られるのは、いったい何が原因なんだ? ここ数日、何度も自問自答してきた事をまた繰り返す。しかし、どんなに考えても答えは出てこない。
 僕にとっては誰もよくだ。
(いや、待てよ? もしかして?)
 手洗い場から二歩、三歩下がり、鏡に自分の全身が映る様にする。
(この格好がダサ過ぎて、目に余るから殴られてる?)
 上は半袖の黒のパーカーに、下は白の短パン、足はオレンジのサンダル。肩から背中に掛けている赤のショルダーバッグはお気に入りの海外メーカーの限定品だ。知り合いの伝手で、日本で出回る前に先に手に入れる事が出来た。
「いや、流石にそれはないか」
 お世辞にもお洒落とは言えないが、自分から見て、変だとはとても思わない。というか、服装がダサいから殴られるってのが、そもそもどこを探してもない事だろう。
「結局何が原因……ん?」
 人の話し声? らしき物が聞こえて来たので耳を澄ます。普段ならそんな事は絶対にしないが、状況が違った。何やら揉めてる様だ。
 声の大きさからして、公衆トイレの裏の歩道辺りだろうか。
「おいブス女! そんな気持ち悪い顔で道を歩いてんじゃねぇよ! 死ね!」
 聞いてるだけで胸糞悪い単語の羅列が聞こえてくる。
「聞いてんのか? それとも、その汚ねぇ顔と同じで、耳にも糞が詰まって聞こえねぇのか?」
 いくら何でも酷すぎる。声が遠ざかっていってる所を見ると、歩いてる女性が男に付きまとわれてる感じか? だれか止める奴はいないのか?
(あそこら辺はこの時間、人通り少ないんだよな)
「……やめてください」
「うわっ!? ブスが喋った! 声まで汚ねぇ!」
 女性が消え入りそうな声で拒否しているが、男は全く気にしていないようだ。聞いているだけでも、男の発言は度を軽く過ぎている事は分かった。
「ハイ! 死ーね! 死ーね!」
 遠ざかっていく罵詈雑言を聞きながら、自分の中で怒りが込み上げてくる。その勢いのまま公衆トイレを飛び出した。
 裏に回ると目の前には歩道があり、その先に道路がある。辺りを見回すが、何処にも見当たらない。
「あっ!」
 視界の上、道路を渡る為の歩道橋の中間くらいの場所に女性と男がいるのが見えた。ここだっていつも通ってる道だ! 直ぐに追い付ける。
 軽快に走りながら、妙に頭は冴えていた。別にこの行為は女性を助ける為の正義感からとかではない。いつもなら、どう見てもヤバいあんな奴に関わろうとは、絶対に思わない。
 ただ、僕も限界だったのだ。理由もよく分からない理不尽に今日まで振り回され、楽しい休日すら邪魔されて、どこに怒りをぶつければいいのかすら分からなかった。
 そこにあんな糞野郎が来たら、誰だってこうなるだろう。そう、ただの八つ当たりだ。
 そんな事を考えながら走っていると、ボサボサの黒髪の女性にぶつかった。ほんの少し突き飛ばすみたいな形になってしまったが、後ろを確認するとよろけただけで済んだようだ。
「すみません!」
 早くしないと追い付けない。聞こえてるかは分からないが、黒髪の女性に謝りながら歩道橋の階段を上っていく。
 遠目に女性と男は今から歩道橋を下りていく所の様だ。ここからでも、男は女性に相変わらず汚い言葉を浴びせているのが聞こえてくる。男の背中に見えた赤いバックにそのまま衝突するかのような勢いのまま、地面を蹴って走る。
 歩道橋の先に、いつも休日の帰りによるスーパーが見えるが、今はそんな事を気にしている場合じゃない。
 歩道橋を渡りきり、上から下を確認すると、女性が走り去っていくのが見えた。やっぱり歩いていた女性に男が付きまとっていたのだろう。絶対に一言いってやる!
 怒りと走った影響で、今まで生きてきた中で一番気が大きくなっている気がした。
 男は階段から下りて直ぐにぼーっと突っ立っている。チャンスだ!
 「おいっ! 糞……」
 野郎――と最後まで叫ぶ前に自ら口を抑え、歩道橋の手すりに自分の姿を隠すようにしゃがみこんだ。
 ドクドクと脈打っていた心臓も、燃えるような怒りも、両方とも氷の張った冷水にいきなり突き落とされたかのように一瞬で冷めていた。
 
 怒りとは別の感情で呼吸が荒くなる。気付かれないように、ゆっくりと慎重に様子を伺う。さっき喫茶店で食べたナポリタンを、緊張で全て吐いてしまいそうだ。
 下を覗くと、まだ男は動かずそこに立っていた。
「なっ……」
 認識した瞬間、血の気が一気に引いた。心臓が今度は恐怖と驚きでドクドクと鳴っている。
 ? もう一度自分に問いかけるが、既に答えは出ていた。

 僕がこの世で一番知っているであろう人間。

 半袖の黒のパーカーに、白の短パン、足元にはオレンジのサンダル。さっきはよく見えていなかったが、肩から背中に掛けている赤のショルダーバッグも全く同じだ。
 それだけならまだ、まだ偶然だと言えたかも知れない。でも、だった。
 身を隠し、目を閉じる。心臓が耳元に直接押し付けられているかと錯覚しそうな程に、ドクドクと高鳴っている。顔も姿も全く同じ。

 

 自分自身への問い掛けは、あれは何なのかに形を変えた。ただでさえ、ここ数日混乱する事ばかりだったのに、もうどうしていいか分からない。
 もう一度だけ、下を覗き込む。男はまだその場に立っていた。どうやら歩道橋の先にあるスーパーを眺めているようだ。今ならこの場から逃げられる!
(どうする? こういう時は警察とかに行けばいいのか? いや、警察じゃ対お……)

 ――その時だった。

 男の様子を伺っていた僕の背中に何かがぶつかった。それと同時に強烈な痛みが背中を襲い前に倒れ込む。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
 今まで一度も出したことのないような声量が、喉を通して絶叫に変わっていく。体をよじって確認すると、背中に刃物らしき物が刺さっていた。
「ぎゃーぎゃー、ぎゃーぎゃーうるさいのよ」
 声の主を確認すると、先ほど歩道橋を上る前にぶつかったボサボサの髪の女性がこちらを見下ろしていた。
「……なん……で?」
 直前の絶叫が自分でも嘘のように、掠れた声で問い掛ける。ぶつかったのがそんなに気に入らなかったのか?
「それを聞きたいのはこっちの方よ」
「……は?」
 この女性は何を言ってるんだ?
「あたしにずっと付きまとって、酷い言葉を浴びせて来たのはあんたでしょ?」
「…………」
 違う! それは僕じゃない! 僕は君にさっき会ったばかりで! そう叫びたいが、餌を欲しがる金魚の様に口をパクパクさせるだけで伝えたい言葉は何一つ出てこなかった。
「いい気味よ。悪口だけに飽きたらず、人を突飛ばしまでして謝りもしない」
 突き飛ばしたのは僕だ……でも謝ったんだ! どうして分かってくれない?
 それだけ言って満足したのか、女はフラフラと歩道橋を戻っていく。
 何でこんな事になったんだ? 混乱しながらスマホを取り出そうとするが、上手く体が動かない。その間にも体を預ける地面には赤い染みがどんどん広がっていく。
「あれ~? 何だか大変そうだねぇ?」
「……あっ」
 いつの間にか、は僕を見下ろしていた。あんな声で叫んだのだから、気付かれるのも無理はない。
 僕と同じ顔、同じ格好、よく聞けば声まで一緒だった。はゆっくりとしゃがんで横向けに倒れている僕の耳元にそっと近付いて、こう囁いて来た。





 失いそうな意識の中、その言葉だけはゆっくりと、そしてハッキリと聞こえた。

 何を言ってる? 代わり? 何の代わりだ?

 本当は理解しているのに、頭が受け入れない。朧気な意識の中で、これ以上にない程に頭が冴え渡っていた。
 ここ数日の異変、全てが欠けたピースを埋めるように繋がっていく。
 バイト先、大学、住んでいるマンション、それ所か、僕の休日の過ごし方まで
 きっとこいつはこの後、あのスーパーによってコロッケを買って帰るのだろう。
 意識を失いそうな僕の背中を押すように、はまたゆっくりと言葉を紡いだ。





「さよなら……」
 そこで僕の意識は完全に途絶えた。





タイトル:ビンタ
年代番号:V
管理番号:23
管理ジャンル:ホ
危険度:黄
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