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2戸籍係
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都庁舎は三階建ての石造りの大きな建物だ。
中に入るとひんやりとした空気がエマを包む。
広すぎて窓からの光りが中まで届かず、所々にランプが灯されている。
役人たちはカウンターの向こう側で机に向かい、黙々と仕事に勤しんでいた。
ここに用事があって訪ねてきた人たちも他人に構うことなく自分の要件をこなしている。
大きな旅行鞄を持って突っ立っているエマのなんて場違いなことか。
もう一度さっきの噴水広場まで駆け戻りたい気持ちをぐっと抑え、カウンターの上にずらりと置かれた案内板に視線を走らせる。
(さ、さっさと済ませて出よう…
そうしよう、それがいいっ!
えーと、戸籍係…戸籍係…
あった!)
いくつもの係の前を足早に通り過ぎ、「戸籍係」と書かれた案内板をもう一度確認すると、一番近くの机にいた役人の横顔に声をかけた。
「あ、あの、すみません」
「はい。どうされました?」
顔を上げすぐに応じてくれたのは、眼鏡を掛けたまだ二十代前半くらいの青年だった。
薄茶色の髪に茶色の瞳の穏やかで優しい雰囲気があった。
エマは少し緊張をゆるめ、鞄から村長にもらった封筒を取り出す。
「あ…あの、戸籍を作りたいのですが。
これは、住んでいる村の村長さんにもらった身元保証の書類です」
それでもまだ言葉に詰まりそうになり、青年の様子をうかがうようにおずおずと封筒を差し出す。
青年は、「見せてもらいますね」と穏やかに言うと、封筒から丁寧に書類を取り出し目を通す。
(とにかく、余計なことはしゃべらず黙っとこ。
挙動不審だと怪しまれるっ。
落ち着け、私!)
途中、青年がふっと顔を上げてエマを見たが、何?!と身構える間も無くまた書類に視線を戻した。
「…確かに。この身元保証の書類はこちらで保管しておきます。
では、手続きをするので少しお待ちください」
青年はデスクに戻ると手慣れた様子で作業を始めたので、エマはその姿を興味半分緊張半分で目で追った。
しばらくして青年がカウンターに二枚の用紙を持って戻り、ここにサインをと言ったので丁寧に名前を書いた。
『エマ・ハースト』
エマの日本姓はもちろんあるのだが、この世界では馴染まないのと、助けてくれた老婆の家族という身元にするために老婆の姓を使っている。
「では、これがあなたの戸籍の写しです。
一部渡しておきます」
そう言いながら青年は、A4サイズほどの紙を差し出した。
「あの…これで終わりですか?」
「はい、以上です」
青年はニッコリと微笑み肯定する。
あっと言う間に戸籍が出来上がった。
あまりの呆気なさに、あんなに身構えたのは何だったのかと脱力して座り込んでしまいそうになる。
ともあれ手には新しく出来た自分の戸籍。
(私の戸籍…とうとうこの世界の人間になっちゃった…。
この世界で『エマ・ハースト』としての人生が始まる…
これからの人生…この世界で…)
そう思うとなんとも言えない心細さが胸に込み上げてきた。
だが、そんなエマをよそに戸籍係の青年が古い旅行鞄を見ながら「王都で職探しですね?居住先はもう決まっていますか?」と尋ねてきた。
戸籍を作った次にやらなければならない二つの大問題を聞かれ、ハッと顔を上げる。
「い、いえ、これからなんです。
今から…探そうかと…」
(まず宿を見つけそこに泊まりながら職を探せばいいと言われたけど…うまくいくかな)
不安になると声も段々小さくなる。
初めて訪れた広い王都。
なんの伝手もなく探さなければならない住まいや職。
村長は、若い娘でも田舎から王都に出て職探しをすることはこの国では珍しいことではないと言っていた。
電気もガスもない中世の時代を彷彿とさせる世界だがヨーロッパの暗黒の中世とは違い、異世界のこの国の治安は比較的いい。
王都へ来るまでの間も盗賊や野党などという物騒な言葉は聞かなかった。
戸籍係の青年は、「そうですか…」と顎に手を添え何か思案したように頷いている。
青年の穏やかな雰囲気はエマにはとても頼り甲斐があるように見えた。
「あの!私さっき王都に着いたばかりで何も分からなくてっ。
こういう場合、どうすればいいんでしょうかっ!」
メンタルは強い方ではないが、人見知りではないエマはこの役人に縋ってしまえとばかりにずいっとカウンター越しに身を乗り出す。
戸籍係の青年はエマの行動に動じない。
切羽詰まった田舎者の対応は慣れっこなのだろう。
「あそこに求人票がありますから見てみて下さい。
ここにある求人はみなきちんとした雇い主ですから安心ですよ」
青年が指差す方に振り向くと学校の黒板くらいの大きさの板があり、そこにたくさんの紙が貼り付けられてあった。
職探しの手がかりが出来き、ホッと息をつく。
「ありがとうございます!早速見てみますっ」
エマは、青年にお礼をいうと足元の古びた旅行鞄を持ち、いそいそと求人板の前まで移動する。
闇雲に足で探さなければと思っていたのでここで見つけられればありがたい。
エマは住み込みの仕事が希望だが、求人は商家でのメイドの仕事ばかりだった。
(メイドか~お店の手伝いとかないのかなあ)
メイドは家の掃除から料理まで全てやらなければならない。
この世界に来て一応身の回りのことはできるようになったが、家事全般を任せられるのはハードルが高かった。
「住み込みを探しているのですか?」
先ほどの戸籍係の青年だ。
「はい…、でもなかなか希望に合うのがなくて…贅沢は言っていられないですが」
言葉にため息が混じる。
すると、青年は一通の封筒と地図が書かれたメモをエマに差し出した。
「これを、西地区のキンセル通りにある『スーラのパン屋』というお店の女将さんに渡して下さい。
住み込みで働かせてもらえるはずです。
お店の手伝いはどうですか?」
思いがけず希望通りの仕事が手元に転がり込み、嬉しいのだが驚きと戸惑いの方が優った。
「あ、ありがとうございます。
でも、どうして…」
「ここは、私の親戚の店なんです。
ちょうど住み込みの店員を探していまして。
あなたの村の村長からの紹介状を拝見して、あなたがいいと思いましたので」
青年は「さあ、どうぞ」と封筒をエマに手渡す。
村長に持たされた書類には封がしてあり、エマは内容を知らないがかなり丁寧な内容だったようだ。
「ありがとうございます!」
エマは心の中で村長に盛大に感謝しながら、勢いよく封筒ごと青年の手をとった。
「どういたしまして。
僕はロイ・ミルドと言います。
店に着いたら女将さんに僕からの紹介だと言ってください」
「ロイ・ミルドさんですねっ。
ホントに助かりました。
ミルドさん、ありがとうございます。
早速お伺いしますね!」
エマは青年に深々と頭を下げると古びた旅行鞄をひっ提げて、「走っては危ないですよ」と言う青年の声を背に受け西区に向かって庁舎を後にした。
中に入るとひんやりとした空気がエマを包む。
広すぎて窓からの光りが中まで届かず、所々にランプが灯されている。
役人たちはカウンターの向こう側で机に向かい、黙々と仕事に勤しんでいた。
ここに用事があって訪ねてきた人たちも他人に構うことなく自分の要件をこなしている。
大きな旅行鞄を持って突っ立っているエマのなんて場違いなことか。
もう一度さっきの噴水広場まで駆け戻りたい気持ちをぐっと抑え、カウンターの上にずらりと置かれた案内板に視線を走らせる。
(さ、さっさと済ませて出よう…
そうしよう、それがいいっ!
えーと、戸籍係…戸籍係…
あった!)
いくつもの係の前を足早に通り過ぎ、「戸籍係」と書かれた案内板をもう一度確認すると、一番近くの机にいた役人の横顔に声をかけた。
「あ、あの、すみません」
「はい。どうされました?」
顔を上げすぐに応じてくれたのは、眼鏡を掛けたまだ二十代前半くらいの青年だった。
薄茶色の髪に茶色の瞳の穏やかで優しい雰囲気があった。
エマは少し緊張をゆるめ、鞄から村長にもらった封筒を取り出す。
「あ…あの、戸籍を作りたいのですが。
これは、住んでいる村の村長さんにもらった身元保証の書類です」
それでもまだ言葉に詰まりそうになり、青年の様子をうかがうようにおずおずと封筒を差し出す。
青年は、「見せてもらいますね」と穏やかに言うと、封筒から丁寧に書類を取り出し目を通す。
(とにかく、余計なことはしゃべらず黙っとこ。
挙動不審だと怪しまれるっ。
落ち着け、私!)
途中、青年がふっと顔を上げてエマを見たが、何?!と身構える間も無くまた書類に視線を戻した。
「…確かに。この身元保証の書類はこちらで保管しておきます。
では、手続きをするので少しお待ちください」
青年はデスクに戻ると手慣れた様子で作業を始めたので、エマはその姿を興味半分緊張半分で目で追った。
しばらくして青年がカウンターに二枚の用紙を持って戻り、ここにサインをと言ったので丁寧に名前を書いた。
『エマ・ハースト』
エマの日本姓はもちろんあるのだが、この世界では馴染まないのと、助けてくれた老婆の家族という身元にするために老婆の姓を使っている。
「では、これがあなたの戸籍の写しです。
一部渡しておきます」
そう言いながら青年は、A4サイズほどの紙を差し出した。
「あの…これで終わりですか?」
「はい、以上です」
青年はニッコリと微笑み肯定する。
あっと言う間に戸籍が出来上がった。
あまりの呆気なさに、あんなに身構えたのは何だったのかと脱力して座り込んでしまいそうになる。
ともあれ手には新しく出来た自分の戸籍。
(私の戸籍…とうとうこの世界の人間になっちゃった…。
この世界で『エマ・ハースト』としての人生が始まる…
これからの人生…この世界で…)
そう思うとなんとも言えない心細さが胸に込み上げてきた。
だが、そんなエマをよそに戸籍係の青年が古い旅行鞄を見ながら「王都で職探しですね?居住先はもう決まっていますか?」と尋ねてきた。
戸籍を作った次にやらなければならない二つの大問題を聞かれ、ハッと顔を上げる。
「い、いえ、これからなんです。
今から…探そうかと…」
(まず宿を見つけそこに泊まりながら職を探せばいいと言われたけど…うまくいくかな)
不安になると声も段々小さくなる。
初めて訪れた広い王都。
なんの伝手もなく探さなければならない住まいや職。
村長は、若い娘でも田舎から王都に出て職探しをすることはこの国では珍しいことではないと言っていた。
電気もガスもない中世の時代を彷彿とさせる世界だがヨーロッパの暗黒の中世とは違い、異世界のこの国の治安は比較的いい。
王都へ来るまでの間も盗賊や野党などという物騒な言葉は聞かなかった。
戸籍係の青年は、「そうですか…」と顎に手を添え何か思案したように頷いている。
青年の穏やかな雰囲気はエマにはとても頼り甲斐があるように見えた。
「あの!私さっき王都に着いたばかりで何も分からなくてっ。
こういう場合、どうすればいいんでしょうかっ!」
メンタルは強い方ではないが、人見知りではないエマはこの役人に縋ってしまえとばかりにずいっとカウンター越しに身を乗り出す。
戸籍係の青年はエマの行動に動じない。
切羽詰まった田舎者の対応は慣れっこなのだろう。
「あそこに求人票がありますから見てみて下さい。
ここにある求人はみなきちんとした雇い主ですから安心ですよ」
青年が指差す方に振り向くと学校の黒板くらいの大きさの板があり、そこにたくさんの紙が貼り付けられてあった。
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「ありがとうございます!早速見てみますっ」
エマは、青年にお礼をいうと足元の古びた旅行鞄を持ち、いそいそと求人板の前まで移動する。
闇雲に足で探さなければと思っていたのでここで見つけられればありがたい。
エマは住み込みの仕事が希望だが、求人は商家でのメイドの仕事ばかりだった。
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「住み込みを探しているのですか?」
先ほどの戸籍係の青年だ。
「はい…、でもなかなか希望に合うのがなくて…贅沢は言っていられないですが」
言葉にため息が混じる。
すると、青年は一通の封筒と地図が書かれたメモをエマに差し出した。
「これを、西地区のキンセル通りにある『スーラのパン屋』というお店の女将さんに渡して下さい。
住み込みで働かせてもらえるはずです。
お店の手伝いはどうですか?」
思いがけず希望通りの仕事が手元に転がり込み、嬉しいのだが驚きと戸惑いの方が優った。
「あ、ありがとうございます。
でも、どうして…」
「ここは、私の親戚の店なんです。
ちょうど住み込みの店員を探していまして。
あなたの村の村長からの紹介状を拝見して、あなたがいいと思いましたので」
青年は「さあ、どうぞ」と封筒をエマに手渡す。
村長に持たされた書類には封がしてあり、エマは内容を知らないがかなり丁寧な内容だったようだ。
「ありがとうございます!」
エマは心の中で村長に盛大に感謝しながら、勢いよく封筒ごと青年の手をとった。
「どういたしまして。
僕はロイ・ミルドと言います。
店に着いたら女将さんに僕からの紹介だと言ってください」
「ロイ・ミルドさんですねっ。
ホントに助かりました。
ミルドさん、ありがとうございます。
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