見知らぬ恋人

葉月零

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秘密

秘密(2)

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 部屋には彼のプリンターとパソコン、スーツが3着、かけてあった。ほんとに一緒に暮らすんだ、私たち。それにしても、荷物少ないわね。
「荷物これだけ?」
「あとは着替えかな。またちょくちょく持ってくるよ」
 そう言って、彼は冷蔵庫からビールを持ってきてくれた。
「おつかれさん」
 あー、美味しい! ずっとひとりだったから、こうやって仕事終わりに飲む相手がいるのもなんだか新鮮。
「お風呂してくる」
 ビール飲んだら眠くなりそう。早くメイク落としてリラックスしたい。

 お風呂からあがると、彼がパソコンをたたいてる。仕事してる時の顔、か、かっこいいじゃない。
「お仕事?」
「うん、明日締め切りの原稿のチェック」
 ふうん、ちゃんと、仕事してるんだ。
「よし、これでパーフェクト。後はメールで、送信と。終わったー」
 彼は残りのビールを飲み干して、シャワーを浴びに行った。私もビールを飲んで、ベッドに横になる。あー、疲れた。ダメ、意識が……

 そのまま、眠ってしまったみたい。部屋の照明は消えていて、隣の彼のスマホの灯りに、ぼんやりと顔が見える。
「ごめん、起こした?」
「ううん……なに、してるの?」
 彼はふと、こちらを向いた。余計なこと、聞いちゃったかな。
「ブログの更新。こういうの見て、執筆依頼がきたりすんだよ」
「そうなんだ、あ、ピアス返さなきゃ。なんか強気になれた」
「だろ? それ、結構効くんだよ。新聞社辞めたときに、なめられないように買ったやつ。なっちゃんにあげるよ、よく似合ってる」
「ダメよ、そんな大切なもの、もらえないわ」
 彼は優しく笑って、ピアスにキスをした。
「慣れるまで、つけてなよ。俺もサラリーマンしてたからわかるけど、いろいろ大変だろ?」
「新聞社、なんで辞めたの?」
「自由にやりたかったのかな。若かったしな、わがままだったんだよ」
「後悔してる?」
「いや、一度もないな。記事が売れなくて、カネない時もあったけど、自分の思うものが書けてるって、それだけでよかったから。まあ、おかげで、嫁さんもダメだったけどな。俺、バツイチなんだよ、新聞社辞めて、逃げられちゃってさ。そりゃ、相手からしたら冗談じゃないよな。一応、大手の新聞社だったから、生活は安定してたはずなのにさ」
「お子さんは?」
「いなかった。いたら、辞めてなかったかもなあ」
 そうなんだ……結婚、してたんだ……
「今はどうしてんのか、あれきり、音信不通だ」
「会いたいと思う?」
「嫁さんと? そうだなあ、幸せかどうかくらいは、聞きたいかもな。ああ、気持ちはないよ、今はなっちゃん一筋だから」
 彼は、布団の中で、私の手を握った。
「疲れただろ? もう寝なよ」
 なんとなく目が覚めて、なんとなく……甘えたい。どうしよう、いいかな、少しだけなら……
 布団の中で、彼の肩に身を寄せてみる。その時、彼の腕が、ぴくって動いて、私は……
「ご、ごめんなさい、なんでもないの! もうしないから、ほんとに、ごめんなさい」
 反射的に飛び起きて、彼から離れていた。
「なっちゃん……」
 暗闇の中、彼が起き上がって、私の腕を掴んだ。
「ごめん、ほんとに、ちがうの、やめて、謝るから!」
 何言ってるの、私、どうしよう、でも、また……殴られたら……
「ずっと考えてたんだけど、なっちゃん……男に殴られてた?」
「そ、そんなわけないわ、違う、殴られてなんかない!」
「隠さなくていい、俺、わかるんだよ。恥ずかしいことじゃない、なあ、なっちゃん、酷いことされてたんだろ?」
 また手が震える、吐き気がする……でも、どうしたらいいの、彼に知られたくないけど、でも、苦しいよ、義人、私……
「わ、私が……悪かったの、ほんとはね、優しい人なの、でも、私がダメだからね……」
「ダメなんかじゃない。なっちゃん、悪いのは殴るやつだよ、優しくなんかない。なっちゃんは悪くないから」
「でも、でもね、愛してくれてるの。優しい時もあるの。怪我をしてもね、ちゃんと治療してくれるし、薬も……」
「医者か、そいつは! 病院、なんで病院行かなかったんだよ、怪我してたんだろ?」
 間違ってることなんてわかってる。でも……
「病院には、行かせてもらえなかった」
「なんてやつだ、下劣なやつだな! 病院には通報義務があるんだ。おかしな怪我をしてたら、通報して保護する義務がある。だから……ふざけんな、絶対許せねえ!」
 彼は、見たこともないあの人に、本気で怒っていた。過去のことなのに、そんなに、私のために……泣いてくれるの?
「つらかったな、なっちゃん、つらかったんだな」
 枕元で、彼のスマホがぼんやり光ってる。顔はよく見えないけど、きっと、きっとね、優しい顔で、私のこと見てくれてる。
「4年……」
「4年? そんなに長い間……くそっ、まじで殺してやりてえ」
「私のこと、嫌いになった?」
「そんなわけないだろ」
「知られたら、嫌われるんじゃないかって、怖くて……ごめんなさい」
「なっちゃんが謝ることじゃない。俺も無神経だった、ごめんな。でも、もう大丈夫だから。何があっても、俺がいるし、俺は殴ったりしない。だからもう安心して」
「さわるとね、怒るの。彼、神経質で……勝手にさわるなってね、とても怒るの。それでね……」
 胸の奥からまた吐き気がして、息が苦しい。でも、言いたいの、義人、私、誰にも言えなかったの。痛いって、辛いって、ずっとひとりでね……
「全部言いなよ。誰にも言えなかったんだろ? つらかったこと、全部言いな」
 息が苦しくて、うまく話せない。こんなに泣いて、思いっきり涙を流して、嗚咽して、子供みたいに泣いて、許されなかったこと。
「ほ、骨がね、折れたの、肋骨がね、痛くて、でもね、彼は……薬をうつの、痛みがなくなったら大丈夫だって……でも痛くて、熱も出て……彼からもらった薬を飲むとね、何もかもなくなるの、でもね、きれたらすごくまた痛いの……いつもスーツで、傷を隠してた、誰にも知られちゃいけないって、痛くても、つらくても、いつも笑顔で、仕事に集中してたら、痛みも忘れられると思ったから……成績は上がったけど、ずっとね、ずっと体が痛くて……つらくて……でも、痛いって言ったらまた殴られるの、蹴られるの、青痣がなくなったらまた別の痣ができるの、鎖骨も、肋骨も何回も折れたの、何回もね、やめてっていっても、やめてくれなくて……義人、助けて欲しかった、私ね、ほんとはもう……逃げたかった……逃げたかったの! だから東京にきたの! 彼から逃げるために、逃げて、もう……痛いのは嫌だから……」
 きっと、信じられないくらいの大声だったと思う。隣の部屋の人が起きたかもしれない。
「大丈夫。大丈夫だから、もうそいつはいないよ、なっちゃんを殴るやつはもういないから」
 そう言って、彼はまた、横になった。
「さっきの、もう一回しなよ」
 涙が止まらないまま、私も隣に横になって、恐る恐る、彼の肩へ身を寄せた。身を固くする私を、まるで子供をあやすみたいに、ゆっくり、抱きしめてくれた。
「怖くない、怖くない」
 耳元で、彼の声が聞こえる。
「怖くないよ、なっちゃん、安心して」
 少しずつ、体の力が抜けて、息が苦しくなくなっていく。
「さわってもいいの?」
「ああ、いつでも、ベタベタさわっていい」
「痣がないか、ずっと気になるの」
「そっか。ごめんな、俺、わかんなくて」
「私ね……もうなくなったの」
「なくなった? 何が?」
 言葉をつまらせた私に、彼は、ああ、と言った。
「殴られたからか、よくわかんないんだけど……ずっと生理もこなくなった」
「ことごとく、そいつを殺してえよ」
「それでも、いい?」
「あたりまえだろ、そんなこと聞かなくていい」
 抱きしめる両手の力が強くなった。私も彼の胸に強く顔を埋めて、キス、って呟いた。
 ゆっくりと唇が重なって、優しい彼を感じる。
「もう、おわり?」
 もっと長くして欲しいのに。
「う、うん……これ以上は、ダメ」
「どうして? 魅力なくなった?」
「ちがうよ、その、逆。我慢できなくなるから」
 太ももに、ああ、そういうこと……
「ああ、やばい、ほんと、ごめん、俺、なっちゃんのこと好きすぎて……」
「いいの」
「ダメだって、無理しなくていい。俺、待つって言ったろ?」
 涙で腫れた目と、ケンカで腫れた目が合って、私は、目を閉じた。
 固くて重い、彼の背中を抱きしめる。いつのまにか服も下着も無くなって、私たちは、ひとつになるの。
「なっちゃん、きれいだよ、すげーかわいい」
 優しいセックス、なんだか、体が溶けていくみたい。彼の髪が鼻にかかってくすぐったい。鎖骨に顎髭がちくちくするの。こんなセックス、初めて。こんな……優しくて……気持ちいい……
「なっちゃん、いくよ」
 半分、意識がなくなってた。彼の少し掠れた声に目を開いて、目が合って、彼は微笑んで、そのまま、私の胸に顔を埋めた。
「ぎゅってして」
「もう怖くない?」
「うん、怖くない」
 そのまま、ふたりで唇を重ねたまま、義人……
「おやすみ、なっちゃん」
「おやすみ……なさい……よ…」


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