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遠くの真実
遠くの真実(1)
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季節は過ぎて、夏が終わろうとしている。相変わらず、彼は家にあまりいないけど、それでも私たちは、穏やかに恋をして、休みの日は一緒に出かけたり、食事をしたり、普通にセックスをしたり。家事が苦手な私に、彼はご飯を作ってくれたりもする。家にいる時は、昼間に原稿を書いてるみたいだけど、私が帰ると、仕事の話は全くしない。世間では、英雄の藤岡義人だけど、二人でいる時は、ただの藤岡義人。時々ケンカもするけど、だいたいは、彼が機嫌をとってくれて、キスして仲直り。年甲斐もなく、ラブラブなの。
もう10月だっていうのに、まだ暑くて、私たちは湘南へ。さすがに海には入れないけど、風が涼しくて気持ちいい。時々チラチラみられてるのは、その出立ちじゃなくて、なのよね。
「来週から沖縄なんだよ。休みとれない?」
「えー、行きたい! でもダメなの。今忙しくて」
「そっか、じゃあまた今度だな」
帰り道に立ち寄ったレストランで、サーバーの女の子が、声をかけてきた。
「派手な車来たと思ったら、やっぱり義人じゃん」
え、何? 知り合い? 結構かわいい子だけど……
「おお、ルカ! へえ、おまえ、なんだ見違えたな、ここで働いてんのか?」
「そうなの、まだバイトだけど、がんばったら正社員になれるの」
「そっか、がんばってんだな。嬉しいよ」
「まあね、うるさいオヤジにまたつきまとわれたらヤダから」
「なんだよ、オヤジって俺のことか? 相変わらず、減らず口たたきやがって」
ふたりは楽しそうに会話して、私はちょっと、やきもち妬いてる。
「ねえ、もしかして、カノジョさん? わぁ、噂通り、めっちゃキレイな人じゃん! 義人にはもったいないわ」
「うるせえ、おまえもこうなれよ。なっちゃん、こいつ、とんでもないワルでさ、俺が説教してやってたんだよ」
「ルカです。なっちゃんさん、バカでつまんないギャグしか言わないけど、義人のことよろしくお願いします」
「おまえ、生意気言うな! ほら仕事しろ、さぼってんな」
彼女は笑って、仕事に戻って行った。
「あいつもさ、男に殴られてたんだよ。今はああやって明るくしてるけど、当時はボロボロでさ。でも、こんないい店で雇ってもらえて、なんか泣きそうだよ」
「かわいい子ね、あんなに若いのに、DV受けてたなんて……つらかったでしょうね」
「結構いるんだよ、そういう子。俺、ほんとゆるせないんだよね、自分より弱い人間に暴力ふるうやつ」
虐待とかDVとか……城戸くんがそんなこと言ってたっけ。私の知らない義人、ルカちゃんは知ってる。なに、この気持ち。胸がチクチクする。私だけの義人は、恋人の義人なのに。英雄の義人は、みんなの義人なのに。
彼は予定通り、沖縄に行ってしまって、またひとりの部屋になってしまった。仕事はうまくいってるけど、なんとなく、集中できない。考えたってなにも変わらないのに、知らない義人のことばかり考えてしまう。
「店長、よろしいですか」
部屋に入ってきたのは、城戸くんった。
「クレームが入ってまして……来ていただけませんか」
「クレーム? どういうこと?」
「会員の家族が、詐欺だと騒いでます」
「詐欺? 穏やかじゃないわね。会員の名前は?」
田邊修蔵……高齢ね、74か……
「入会が詐欺だっていうの?」
「それもあるんですが、どうやら、紹介相手に貢いでたみたいで……結婚詐欺で訴えると言ってます」
「誰の担当?」
「営業は柏田さんで、フォローはチーフです」
また、厄介な……どちらか異動させないとね。
「入会手続きに不備はないでしょ? 家族の同意書、とってるわね?」
「それが……捏造してます」
ね、捏造!
「どういうこと? 説明して」
「マニュアルがあったんです。高齢者の家族から同意がとりにくい場合は、代筆すると。前の店長の時は、僕以外はそうしてました」
「マニュアルって、店ぐるみでやってたってこと? 信じられないわ。とにかく、柏田じゃ手におえないわね、すぐに行きます」
来客スペースでは、私と同じくらいの息子夫婦が、声を荒げている。その前で柏田がふてくされて、イライラと貧乏ゆすり。
「失礼いたします、店長の森宮と申します」
「店長? あんたが責任者か!」
「さようでございます。何か、問題があったとか……」
「どうもこうもない、こいつじゃ話にならない! 店長さん、父さんは、認知がはいってるんですよ。それなのに、こんなところに勝手に入会して、あげくに相手に金をとられたなんて、どうしてくれるんだ!」
「田邊様、その、金をとられた、というのは、ご本人がそうおっしゃってるんですか?」
「いや、そうじゃない。ここのところ、様子がおかしいから、問いただしたんですよ。そしたら、金がどうとかいうから、まさかと思って貯金通帳を見たら……もうほとんどなくなってた。店長さん、うちは特別金持ちってわけじゃない。あの金は、父さんの老後のためにって貯めてたものなんですよ」
「失礼ですが、額はおいくらほどですか」
「500万くらいかな」
500! なかなかの金額ね、ああ、これはちょっと大変かも……
「もし差し支えなければ、お父様も同席いただいて、お話を伺いたいのですが」
「ショックで、心筋梗塞の発作をおこして入院中だよ。もともと心臓が悪かったから……どうしてくれるんだよ、あの金がないと、入院費もままならないんだよ」
「それは大変なことに……ご容態は?」
「今のところは落ち着いてる。今度起こしたら終わりだとは言われてるけどね」
「そうでしたか、少し安心いたしました。とろで田邊様、お相手の方のお名前はわかりますか」
「それがわからないから来てるんだ! さっきも言ったけど、認知も入ってるし、その女を庇ってるのか、名前を言おうとしない。だからここに聞きにきたんだよ。それをなんだ、こいつは関係ないとか、自己責任だとか、本人連れてこいだとか、冗談じゃない」
まったく、どこまでバカなの、このオヤジは。
「店長さん、どうにかしてくれよ、このままじゃ、父さんもつらいままだ。金のこともあるけど、ますます認知も進むって医者から言われてる」
「わかりました。しかし、田邊様、お父様には何人かの方をご紹介させていただいている履歴がございまして、その中のどなたかを特定するのは、すぐには難しく……」
「じゃあ、全員の名前を教えてくれ、こっちで調べるから」
「申し訳ありません。それは、個人情報になりますので、できないんです」
「どうしろっていうんだ! 泣き寝入りか?」
「いいえ、こちらで調べまして、必ずご報告いたします。あいにく、本日は担当のカウンセラーが非番でして、すぐに話をすることができません。明日の18時までには、なんらかのご報告をさせていただきます」
「本当だろうな」
「私が責任をもって、対応いたします」
夫婦は顔を見合わせて、少し、落ち着いたようだ。
「でもね、店長さん。ここに入会したのは去年みたいだけど、父さんは言動も少しおかしかったし、そういう審査はないんですか。うまいこと言われて、わけもわからず入会させられたんじゃないかって思ってるんですよ」
でしょうね。このオヤジならやりかねない。
「柏田さんでしたか、あなたが担当したんですよね。そのあたり、どうなんですか」
柏田、余計なこと言わないでよ。間違っても、同意書のことは……
「ご理解いただいてますよ。ちゃんとこの内容で説明もして、書類も全部揃えてもらいました」
柏田は入会案内を差し出した。ちょっと、それには……
「え? 70歳以上の場合は、20歳以上50歳以下の家族の同意書が必要って書いてあるけど、俺はこんなもの書いてない。おい、おまえは?」
「わ、私も知らないわ。入会してることすら知らなかったんだから」
ああ、ヤバイ。ここでこの話が出るのは避けたかった……
「こんな書類、俺たちは書いてないんだけど?」
「ありますよ、ちゃんと。ちょっとまってください」
柏田、まさか……
「ほら、ちゃんと同意書もあるでしょう」
バカか! しかも、それ、
「こ、これが? ふざけんな、この署名、父さんの字じゃないか!」
吐きそう、こいつ、マジでクビにしたい。
「本人が持ってきたんですよ、知りませんよ。筆跡鑑定まではしませんからね」
署名欄には、クセのある字。小学生でもわかるわ、こんなの。
「無効だ、こんな契約無効だ!」
「田邊様、この件は何か行き違いがあったのかもしれません。この件も合わせて、期限までにご報告いたしますので、なにとぞ……」
なんで私がこいつのために頭下げなきゃいけないのよ!
「柏田さんも、お詫びして」
オヤジは嫌々頭を下げて、ふてくされて舌打ちをした。
「あの、店長さん。確かにこんなことになってショックなんですけど、お義父さん、明るくなってたんです。お義母さんが亡くなってから、3年なんですけど、ずっと塞いでいて、それで認知も進んだと思うんです。でもこちらに入会した頃から、身の回りにも気を使うようになって、女性のお茶飲み友達ができた、なんて嬉しそうにしてたんですよ。だから私たちも安心してたんです」
お嫁さんがそう言って、目頭を押さえた。
「結婚相談所に入会してたとは思いもよりませんでしたが、こんなことがなかったら、会費くらいよかったんです。ねえ、あなた、お義父さん、ほんとに元気になってたのよね」
「そうなんですよ、昔は釣りが好きでね、よく一緒に行ってました。でも、母さんが死んでから、引きこもりがちで……それが、去年また突然、釣りに行きたいなんて言い出しまして、これで認知も改善するんじゃないかって期待してたんですが……」
「そうだったんですね、本当に申し訳ありませんでした。お父様のためにも、全力を尽くします。ご安心ください」
「店長さん、よかった、あなたみたいな人が責任者で本当によかった。こういうのって、知らない関係ないですまされるって聞いてたんで、不安だったんですよ」
「そんなことはしません。もしよろしければ、お車を用意しましょうか」
「いや、電車の方が早いですから」
ドアの外には城戸くんがいて、白い封筒を手渡した。ほんと、気が利くのね。
「田邊様、お車代でございます。どうぞお納めください」
「そ、そう、悪いなあ。じゃ、遠慮なく……」
夫婦を見送って、私は営業3人を店長室へ呼んだ。柏田はずっとふてくされて、激しく貧乏ゆすりをしていた。
「柏田さん、あなた、今回の件で、なにが問題かわかってる?」
「騙されるほうが悪いんだよ。俺は関係ない」
「関係あるでしょ。だいたい、あの同意書はなに? 明らかに本人の字でしょ? まだ代筆の方がマシよ」
「本人が持ってきたんだよ! そもそも、俺はこのマニュアル通りにやっただけだ!」
オヤジは汚いファイルから、ヨレヨレの書類を投げつけた。どうやったらこんなに汚くなるのかしら。
「そこに代筆すると書いてある」
『高齢者入会時に関するマニュアル(新宿店専用)』
そこには書類の不正作成や、説明事項の省略など、ざっくりとにかく入会させたらいい、ということがもっともらしく書かれていた。
「なにこれ、全員が持ってるの?」
気まずい空気の中、城戸くんが口を開いた。
「全員が持ってます。店長が変わるときに、このマニュアルの件は口止めされてました」
「誰が作ったの」
「前の店長と、チーフです」
「クレームがきたらどうしてたの? これじゃあ、ああやって怒鳴り込んで来る人も多いでしょう」
「全額返金です。入会データは削除して、会員数の集計も改竄していました」
ダメ、倒れそう。売上も上がらないはずだわ。
「なるほど、わかりました。とにかく、今日からこのマニュアルは完全に廃止よ。城戸くん、全員から回収して。それから柏田さん、この件は、本部に報告します。あなたもそれなりの処分を覚悟しておいて」
「は? なんで俺が処分を受けるんだ! 俺はマニュアル通りにやっただけだろ!」
「まだわからないの? この件が逆にあなた個人の判断でやったことなら、ノルマ達成のためだとか、言い訳はつけられたけど、これが組織ぐるみの不正だとなれば、訴えられたら絶対的に不利よね? それに、田邊さんは心筋梗塞で入院してる。損害賠償請求を起こされても仕方ないわ。そもそも、処分はあなただけじゃないのよ、管理できなかった私のミスでもある。言っとくけど、私の処分の方が重いんだからね」
はあ、うまく起動に乗り始めてたのになあ。異動か減給か。もう辞めよっかな。
「もうやってらんねえよ! 前の店長のほうが気楽でよかったな、おまえみたいな偉そうな女の下でなんかやってられるか! 今日で辞めてやるよ!」
「好きにすればいいけど、これは解雇ではなく、自己都合だから。それに、辞めても責任は消えないから」
柏田はソファを蹴り飛ばして、部屋を出て行った。
「あなたたちももういいわ、城戸くん、マニュアルの回収、お願いね。もし他にもあるなら、それも」
「わかりました、すぐにやります」
残りの2人が出て行って、スマホを見ると、着信が数件。あの彼からだった。
もう10月だっていうのに、まだ暑くて、私たちは湘南へ。さすがに海には入れないけど、風が涼しくて気持ちいい。時々チラチラみられてるのは、その出立ちじゃなくて、なのよね。
「来週から沖縄なんだよ。休みとれない?」
「えー、行きたい! でもダメなの。今忙しくて」
「そっか、じゃあまた今度だな」
帰り道に立ち寄ったレストランで、サーバーの女の子が、声をかけてきた。
「派手な車来たと思ったら、やっぱり義人じゃん」
え、何? 知り合い? 結構かわいい子だけど……
「おお、ルカ! へえ、おまえ、なんだ見違えたな、ここで働いてんのか?」
「そうなの、まだバイトだけど、がんばったら正社員になれるの」
「そっか、がんばってんだな。嬉しいよ」
「まあね、うるさいオヤジにまたつきまとわれたらヤダから」
「なんだよ、オヤジって俺のことか? 相変わらず、減らず口たたきやがって」
ふたりは楽しそうに会話して、私はちょっと、やきもち妬いてる。
「ねえ、もしかして、カノジョさん? わぁ、噂通り、めっちゃキレイな人じゃん! 義人にはもったいないわ」
「うるせえ、おまえもこうなれよ。なっちゃん、こいつ、とんでもないワルでさ、俺が説教してやってたんだよ」
「ルカです。なっちゃんさん、バカでつまんないギャグしか言わないけど、義人のことよろしくお願いします」
「おまえ、生意気言うな! ほら仕事しろ、さぼってんな」
彼女は笑って、仕事に戻って行った。
「あいつもさ、男に殴られてたんだよ。今はああやって明るくしてるけど、当時はボロボロでさ。でも、こんないい店で雇ってもらえて、なんか泣きそうだよ」
「かわいい子ね、あんなに若いのに、DV受けてたなんて……つらかったでしょうね」
「結構いるんだよ、そういう子。俺、ほんとゆるせないんだよね、自分より弱い人間に暴力ふるうやつ」
虐待とかDVとか……城戸くんがそんなこと言ってたっけ。私の知らない義人、ルカちゃんは知ってる。なに、この気持ち。胸がチクチクする。私だけの義人は、恋人の義人なのに。英雄の義人は、みんなの義人なのに。
彼は予定通り、沖縄に行ってしまって、またひとりの部屋になってしまった。仕事はうまくいってるけど、なんとなく、集中できない。考えたってなにも変わらないのに、知らない義人のことばかり考えてしまう。
「店長、よろしいですか」
部屋に入ってきたのは、城戸くんった。
「クレームが入ってまして……来ていただけませんか」
「クレーム? どういうこと?」
「会員の家族が、詐欺だと騒いでます」
「詐欺? 穏やかじゃないわね。会員の名前は?」
田邊修蔵……高齢ね、74か……
「入会が詐欺だっていうの?」
「それもあるんですが、どうやら、紹介相手に貢いでたみたいで……結婚詐欺で訴えると言ってます」
「誰の担当?」
「営業は柏田さんで、フォローはチーフです」
また、厄介な……どちらか異動させないとね。
「入会手続きに不備はないでしょ? 家族の同意書、とってるわね?」
「それが……捏造してます」
ね、捏造!
「どういうこと? 説明して」
「マニュアルがあったんです。高齢者の家族から同意がとりにくい場合は、代筆すると。前の店長の時は、僕以外はそうしてました」
「マニュアルって、店ぐるみでやってたってこと? 信じられないわ。とにかく、柏田じゃ手におえないわね、すぐに行きます」
来客スペースでは、私と同じくらいの息子夫婦が、声を荒げている。その前で柏田がふてくされて、イライラと貧乏ゆすり。
「失礼いたします、店長の森宮と申します」
「店長? あんたが責任者か!」
「さようでございます。何か、問題があったとか……」
「どうもこうもない、こいつじゃ話にならない! 店長さん、父さんは、認知がはいってるんですよ。それなのに、こんなところに勝手に入会して、あげくに相手に金をとられたなんて、どうしてくれるんだ!」
「田邊様、その、金をとられた、というのは、ご本人がそうおっしゃってるんですか?」
「いや、そうじゃない。ここのところ、様子がおかしいから、問いただしたんですよ。そしたら、金がどうとかいうから、まさかと思って貯金通帳を見たら……もうほとんどなくなってた。店長さん、うちは特別金持ちってわけじゃない。あの金は、父さんの老後のためにって貯めてたものなんですよ」
「失礼ですが、額はおいくらほどですか」
「500万くらいかな」
500! なかなかの金額ね、ああ、これはちょっと大変かも……
「もし差し支えなければ、お父様も同席いただいて、お話を伺いたいのですが」
「ショックで、心筋梗塞の発作をおこして入院中だよ。もともと心臓が悪かったから……どうしてくれるんだよ、あの金がないと、入院費もままならないんだよ」
「それは大変なことに……ご容態は?」
「今のところは落ち着いてる。今度起こしたら終わりだとは言われてるけどね」
「そうでしたか、少し安心いたしました。とろで田邊様、お相手の方のお名前はわかりますか」
「それがわからないから来てるんだ! さっきも言ったけど、認知も入ってるし、その女を庇ってるのか、名前を言おうとしない。だからここに聞きにきたんだよ。それをなんだ、こいつは関係ないとか、自己責任だとか、本人連れてこいだとか、冗談じゃない」
まったく、どこまでバカなの、このオヤジは。
「店長さん、どうにかしてくれよ、このままじゃ、父さんもつらいままだ。金のこともあるけど、ますます認知も進むって医者から言われてる」
「わかりました。しかし、田邊様、お父様には何人かの方をご紹介させていただいている履歴がございまして、その中のどなたかを特定するのは、すぐには難しく……」
「じゃあ、全員の名前を教えてくれ、こっちで調べるから」
「申し訳ありません。それは、個人情報になりますので、できないんです」
「どうしろっていうんだ! 泣き寝入りか?」
「いいえ、こちらで調べまして、必ずご報告いたします。あいにく、本日は担当のカウンセラーが非番でして、すぐに話をすることができません。明日の18時までには、なんらかのご報告をさせていただきます」
「本当だろうな」
「私が責任をもって、対応いたします」
夫婦は顔を見合わせて、少し、落ち着いたようだ。
「でもね、店長さん。ここに入会したのは去年みたいだけど、父さんは言動も少しおかしかったし、そういう審査はないんですか。うまいこと言われて、わけもわからず入会させられたんじゃないかって思ってるんですよ」
でしょうね。このオヤジならやりかねない。
「柏田さんでしたか、あなたが担当したんですよね。そのあたり、どうなんですか」
柏田、余計なこと言わないでよ。間違っても、同意書のことは……
「ご理解いただいてますよ。ちゃんとこの内容で説明もして、書類も全部揃えてもらいました」
柏田は入会案内を差し出した。ちょっと、それには……
「え? 70歳以上の場合は、20歳以上50歳以下の家族の同意書が必要って書いてあるけど、俺はこんなもの書いてない。おい、おまえは?」
「わ、私も知らないわ。入会してることすら知らなかったんだから」
ああ、ヤバイ。ここでこの話が出るのは避けたかった……
「こんな書類、俺たちは書いてないんだけど?」
「ありますよ、ちゃんと。ちょっとまってください」
柏田、まさか……
「ほら、ちゃんと同意書もあるでしょう」
バカか! しかも、それ、
「こ、これが? ふざけんな、この署名、父さんの字じゃないか!」
吐きそう、こいつ、マジでクビにしたい。
「本人が持ってきたんですよ、知りませんよ。筆跡鑑定まではしませんからね」
署名欄には、クセのある字。小学生でもわかるわ、こんなの。
「無効だ、こんな契約無効だ!」
「田邊様、この件は何か行き違いがあったのかもしれません。この件も合わせて、期限までにご報告いたしますので、なにとぞ……」
なんで私がこいつのために頭下げなきゃいけないのよ!
「柏田さんも、お詫びして」
オヤジは嫌々頭を下げて、ふてくされて舌打ちをした。
「あの、店長さん。確かにこんなことになってショックなんですけど、お義父さん、明るくなってたんです。お義母さんが亡くなってから、3年なんですけど、ずっと塞いでいて、それで認知も進んだと思うんです。でもこちらに入会した頃から、身の回りにも気を使うようになって、女性のお茶飲み友達ができた、なんて嬉しそうにしてたんですよ。だから私たちも安心してたんです」
お嫁さんがそう言って、目頭を押さえた。
「結婚相談所に入会してたとは思いもよりませんでしたが、こんなことがなかったら、会費くらいよかったんです。ねえ、あなた、お義父さん、ほんとに元気になってたのよね」
「そうなんですよ、昔は釣りが好きでね、よく一緒に行ってました。でも、母さんが死んでから、引きこもりがちで……それが、去年また突然、釣りに行きたいなんて言い出しまして、これで認知も改善するんじゃないかって期待してたんですが……」
「そうだったんですね、本当に申し訳ありませんでした。お父様のためにも、全力を尽くします。ご安心ください」
「店長さん、よかった、あなたみたいな人が責任者で本当によかった。こういうのって、知らない関係ないですまされるって聞いてたんで、不安だったんですよ」
「そんなことはしません。もしよろしければ、お車を用意しましょうか」
「いや、電車の方が早いですから」
ドアの外には城戸くんがいて、白い封筒を手渡した。ほんと、気が利くのね。
「田邊様、お車代でございます。どうぞお納めください」
「そ、そう、悪いなあ。じゃ、遠慮なく……」
夫婦を見送って、私は営業3人を店長室へ呼んだ。柏田はずっとふてくされて、激しく貧乏ゆすりをしていた。
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「騙されるほうが悪いんだよ。俺は関係ない」
「関係あるでしょ。だいたい、あの同意書はなに? 明らかに本人の字でしょ? まだ代筆の方がマシよ」
「本人が持ってきたんだよ! そもそも、俺はこのマニュアル通りにやっただけだ!」
オヤジは汚いファイルから、ヨレヨレの書類を投げつけた。どうやったらこんなに汚くなるのかしら。
「そこに代筆すると書いてある」
『高齢者入会時に関するマニュアル(新宿店専用)』
そこには書類の不正作成や、説明事項の省略など、ざっくりとにかく入会させたらいい、ということがもっともらしく書かれていた。
「なにこれ、全員が持ってるの?」
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「全員が持ってます。店長が変わるときに、このマニュアルの件は口止めされてました」
「誰が作ったの」
「前の店長と、チーフです」
「クレームがきたらどうしてたの? これじゃあ、ああやって怒鳴り込んで来る人も多いでしょう」
「全額返金です。入会データは削除して、会員数の集計も改竄していました」
ダメ、倒れそう。売上も上がらないはずだわ。
「なるほど、わかりました。とにかく、今日からこのマニュアルは完全に廃止よ。城戸くん、全員から回収して。それから柏田さん、この件は、本部に報告します。あなたもそれなりの処分を覚悟しておいて」
「は? なんで俺が処分を受けるんだ! 俺はマニュアル通りにやっただけだろ!」
「まだわからないの? この件が逆にあなた個人の判断でやったことなら、ノルマ達成のためだとか、言い訳はつけられたけど、これが組織ぐるみの不正だとなれば、訴えられたら絶対的に不利よね? それに、田邊さんは心筋梗塞で入院してる。損害賠償請求を起こされても仕方ないわ。そもそも、処分はあなただけじゃないのよ、管理できなかった私のミスでもある。言っとくけど、私の処分の方が重いんだからね」
はあ、うまく起動に乗り始めてたのになあ。異動か減給か。もう辞めよっかな。
「もうやってらんねえよ! 前の店長のほうが気楽でよかったな、おまえみたいな偉そうな女の下でなんかやってられるか! 今日で辞めてやるよ!」
「好きにすればいいけど、これは解雇ではなく、自己都合だから。それに、辞めても責任は消えないから」
柏田はソファを蹴り飛ばして、部屋を出て行った。
「あなたたちももういいわ、城戸くん、マニュアルの回収、お願いね。もし他にもあるなら、それも」
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残りの2人が出て行って、スマホを見ると、着信が数件。あの彼からだった。
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