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第1話ーミランダ視点ー

③:お嬢様と影

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 私は、仰向けになってベッドに寝転び、きらびやかなお姫様ベッドの天蓋を見上げたまま、近くに侍っているだろう存在に、話しかけた。

「ちょっと、お父様のなさりようは冷たいと思うの。 
 いくらお母様の事を気にされたからって、もう少し環境に慣れるまでの間、一緒に暮らしたって良いじゃない。
 父親なんだから、もう少し…打ち解けられるような態度をとってほしいと思うわ」

 …まるでリアルに独り言でも言っているかのように見えるが、幻覚が見えていたり、寝ぼけているわけでもないので、心配しないでほしい。

 すると、ベッドのすぐ近く。
 私の頭側の天蓋カーテンの外側から、私付きの影の少年――ファントムの低い声が響いてくる。

「…そんなに弟のことが気になるんだったら、夕食時に父親へ訴えればよかったじゃないか」

 少年の低い声は、私の耳にしか入らない絶妙な声量・音程で、部屋の外に立つ護衛の耳には届かない。

 そして、私の囁くような小さな声も、ちゃんと聞き取ってくれるので、私達は普通に会話ができる。

 彼は18歳と若いが見かけは立派な青年と言っても過言なく、クロイツェン家の影を司る一族の跡取り――若長として、そのような技能を磨いてきている隠密育ちなのだ。

「お母様もいらっしゃるあそこで、あの子の話題なんてふれないわ。
 いくら、お母様が理性的に振る舞っていたとしても…やっぱり気遣うべき場面だもの。
 それに、お父様はあそこで話題を終わらせて、その後、あの子について何も言わせないように態度に出していたし…。
 ……ねえ、様子を見に行ってくれたのでしょう? あの子、どうしてた?」

 私は、掛けられたシーツの外に出した両手の指を、忙しなく組み替えながらながら、影の報告を待つ。

「随分優しいんだな、お嬢様。
 自分の敵になる可能性だってあるのに、そんなに弟は可愛かったのか?」

 自分の直属の部下とはいえ、6歳も年が上だと、口調にも言葉にも遠慮がなく、影の存在を知るばあやや家令のエックハルトに、こんな口の聞き方をされていると知られたら、この影は、随分叱られることだろう。

 私の精神年齢は彼より10歳以上も上だから別に気にならないし、言わないけど。

 そういうぶっきらぼうなところ、なんか昔の連れと話してるみたいで懐かしいから嫌いじゃないし、雑な言い方をしていても、案外私には優しかったりもするので。

 ただ、あまりにも淡々と言われると、時々結構失礼なことを言われていても、気づかない時もあるので、注意が必要になるけど。

「…わかりにくいけど、からかってるのよね? …というか、皮肉かしら? 
 相変わらず淡々としていて、感情の起伏がわかりにくいわね。 
 職業病なの? 慣れたから、今更いいけど。
 自分の敵かどうかは…まだ会ったばかりだし、わからないけど…あの子…小動物みたいでかわいいわ。
 素直で優しい良い子だと思う。 そして、案外内面は聡明で大人びているのかもしれない…。
 ……まあ、今の時点での私の感想はもういいでしょ? 
 あれだけのやり取りじゃ、そんなにわからないわよ。
 さっさと質問に答えなさい」

「まあ、そうだな。 久しぶりに会ったお嬢との会話をもう少し楽しみたかったが、これも仕事だ」

「…………」

 ……楽しかったの? あまりに普段どおりでそんな感じに聞こえなかったけど。

 この男は、時々抑揚のない口調でこんな子供相手にそういう戯言を言ってくるので、私はいつも通りスルーして続きを待つ。

 久しぶりと言うが、私専用の諜報員となっているこの男とは、ほぼ毎日…一日一回は会っているのだから。

「弟は、メイドと執事に連れられて、あのボロ…じゃなく、古い別館に案内されていった。
 生活区域は突貫で多少整えられてはいるものの、全体的にまだまだ使えない部分も多い。
 しかし、あの子供が特に持ち込んだ荷物はなかったから、すんなり移動できたようだ。

 食事も――お前たちの豪華な食事よりも庶民的なメニューだったが――メイドに与えられ、少し口にしていた。
 心身ともに疲れていたせいか、食欲はなかったみたいで、パンを一つ囓っただけで、他はあまり手をつけていない。
 メイドは何も言わずに、残った食事を下げていき、命令通りそのまま通常業務に戻っていった。

 執事に館内の使用可能なエリアを案内された後、それらの設備の使い方や注意点などを教えられていたが、理解力があるのか、弟はあまり戸惑った様子はなく、どこか嬉しそうに風呂の使い方を聞いていたようだったが…。 
 魔道具仕様の風呂だと言うのに、やけに使い慣れているような印象だったな。

 しかし、貧しい平民育ちが、いくら古くても貴族の館に住むというのに、ちょっと落ち着きすぎなんじゃないかとも思ったが…。 そのあたりは、本館付きのメイドだった母親などから教わっていたのかもしれない。

 ……そして、執事が去った後、心身ともに疲れたのだろう。亡くした家族を思ってか、すぐにベッドに潜り込んで……シーツに包まっていたのでよく聞こえなかったが、時々妙な嗚咽をもらして震えていた」

 執事とメイドとケインの3名のやり取りを、一体どこから見ていたのか、思ったより主観も交えた細かな報告が入り、内心少し引いてしまっていたが、彼の仕事ぶりは、ちょっとストーカーっぽいが、こういうものだったと思い直して、心の距離を踏みとどめる。

 そして、長い報告の最後の一言を耳に入れ、私はムクリと上体を起こして顔を顰めた。

「ああ…やっぱり」

 多分、そうなんじゃないかと思っていたのだ。
 苦労が続いて、物分りのよい大人しい子供になってしまったかもしれないが、やはり中身はまだ8歳の子供なのだ。
 ただのお泊りでも、離れた母を思って泣く年頃だというのに、ほんの数日前に彼は母を永遠に失ってしまった。
 そして、慣れない環境で一人ぼっちにされては、泣きながら寂しさと悲しみに打ち震えていたところで、不思議ではないだろう。

 こうしてはいられない。

 私は、ベッドから降り、普段から隠してあった外履きを履いて、薄い桜色のネグリジェの上から厚手の外套を羽織った。
 部屋の中は暖かくされているが、夜の庭はさすがに肌寒い。

「お嬢? まさか、今から行くのか? 明日になってからでもいいんじゃないのか?」

 裏手のテラスから出ようと、扉に手をかけると、後ろからついてきているファントムが、焦りながら声を掛けてくる。

 そうやって、時々感情を露わにする可愛げがまだ残っているらしいことに、少し驚いた。

「だめよ。 あの子が、今泣いているのだったら、姉として、今慰めたいの」

 あの大きな藍色の瞳が、涙に濡れていると想像するだけで、胸が締め付けられるのだ。
 あの華奢な体が悲しみに震えていると思ったら、抱きしめて慰めてあげたいと思うのだ。

 私は音を立てずにそっとバルコニーへ出ると全身に魔力を満たし、身体強化を施して着地の衝撃に備える。
 そうして全身を内部から整えると、ベランダを飛び越えてバルコニーの下の茂みの中へ、静かに飛び降りた。

 生身だったら、2階から地上に飛び降りるなんて、死なないまでも骨折か捻挫は必至なのだが…私には幼い頃からのチート技がある。
 12歳の華奢な少女の体であっても、この程度の高低差を無傷で飛び降りることなど造作もない。

 着地の音も全身の関節の柔らかさで吸収し、危なげもなく地上に降り立つと、そのすぐ背後にも微かな着地音が聞こえる。
 もちろん、チートなしの生身のファントムが私の後を追ってきている音である。

 私は、背後にせまる影に振り向くことなく、最大の速度で…そして密やかに別館に向けて走っていったのだった。

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