16 / 28
第二部 信濃統一 ~善光寺と市兵衛~
第十五章 諏訪原城へ
しおりを挟む
天文10年(1541年)
森之助、更科一行は、楽巌寺城を後にし、諏訪原城へ向かった。
※諏訪原城 静岡県島田市金谷町 現城跡は激化する織田・徳川軍との争いで天正元年・武田勝頼の命により再築城されたとされ、武田家滅亡後は、徳川の手によって牧野城として改修されたとされる。
この地は今川領と徳川領との堺にあり東海の要所として位置図けられており、今川と同盟を結んでいた信虎の時代にも築城していたと思われる。諏訪原の名は、勝頼の母諏訪御前から付けられたとされる。
森之助は教来石信房の名代として城をまかされたと伝承されている。
この時、長坂左之助も森之助の家臣として加わった。
「父上に許しを得て参りました。家臣として使えさせて頂きとうございます」
「良いのか、長坂の跡目は左衛門殿が亡き後、お主が継ぐのでは無いか」森之助
「はい。姉上がおります故、婿を迎え入れて頂くようお願いしてまいりました」
「まあ、姉君様の運命も変えてしまいましたね」更科
「あの日、皆さまにお命助けて頂きました。この命、この先、皆さまをお救いする為に使いたいと思います」
「たわけ。嬉しいが、お主の命もわしらの命も一緒じゃ。いや、お主の方が若い故、この先、生き永らえるとしたら、お主の方じゃ。お主の自らの命を守るために戦え。わしらもお主を守るために戦おうぞ」
「……」
「どうした? 何故泣く」森之助
左之助は泣いた。次男としていつも兄が優遇されていた。そしてその実の兄上にでさえ斬られようとした身。この乱世に自分をこのように思ってくれる人がいるのだと嬉しかった。
「改めて今、我は生涯を通じての主君を得たと、嬉し泣きでござる」
「あの日、いつか一緒に戦って見たいものと言った事は誠じゃ。そして、わしも罪人としての護送途中と躑躅が城館にて身を呈してわしを救おうとしてくれた、お主のその恩も生涯忘れはせぬぞ」
更科、結、琴、おまつ、晴介、孝之進、圭二郎、直次郎、明石たちは、手柄ほしさや、保身の為に家臣につくこの乱世にて、決してそうでは無い、真に絆で結ばれた仲間がまた、一人増えたと感じた。
「この城は、徳川方とは目と鼻の先じゃ。いずれ戦う時がくるやも知れぬ」森之助
「武田・今川の同盟が崩れぬ限り、徳川も攻めては来ぬじゃろう」晴介
「織田と徳川が争うておる。徳川が織田、今川のどちらにつくかでこの城の役割も大きく変わってくるであろうな。」明石
「そうじゃな。いずれにせよ、この地で直ぐに戦は始まらぬであろう」森之助
「御屋形様(信虎)も今は、小県を攻める段取りで、こちらは義元様にお任せの様子ですね」更科
「しかし、このところ、武田から今川へ頻繁に使者が訪れているようだ」晴介
「武田と今川に何か、あるのでしょうか?」左之助
「……」森之助
「森之助殿?」更科
こいつ何か隠しておるな。孝之進と圭二郎が気付いた。幼き頃より一緒に過ごした仲だ。
森之助の表情で直ぐにわかる間柄だ。
話をそらした。
「それにしても、森之助。人質の次は楽巌寺城の若殿、その次は罪人、そして諏訪原城の名代か? 浮き沈みもこれ程激しい人生を送る者もそうはおらぬじゃろうな」孝之進
「そうじゃ。でも最悪の状況から、覆す何かを持っておるな。森之助は」圭二郎
「何かを持っておるとすれば、それは、ここにおるお主らじゃ。一緒に戦ってくれる皆のおかげじゃ」森之助
森之助はすぐ傍にいたまだ幼さが残る長坂左之助を片手で抱き寄せ言った。
「森之助殿・・・」
左之助はこの森之助と更科そして、その仲間達を見た。自らの命を顧みず、森之助を助けるべく、僅かな人数で躑躅が城館に乗り込んで来た者たちを。どの様な絆で結ばれているのか?
そして、この先、どの様な歴史を作っていくのか?
それを一緒に見てみたいと思い、森之助について来た。
森之助の言葉、その一挙手一投足が、若き、武士の左之助には心に刺さった。
天文10年(1541年)5月
知らせが来た。
「殿(教来石信房)からじゃ」森之助
「何と書かれておりますか?」更科
「小県への向かうとの事じゃ」森之助
「いよいよか」晴介
「わしらは行かぬで良いのか?」お結
「武田・諏訪・村上の三国同盟軍じゃ。結果は見えておる」森之助
※海野平の戦いである。これにより滋野の一族は総崩れとなり海野(真田)は上杉を頼った。
「幸隆殿が逃げ延びれば良いのだが」森之助
「海野は相木とは同族であったと聞くが」直次郎
「そうじゃ。わしも何度かお会いした事がある」森之助
「市兵衛殿の事じゃ、きっとお考えあっての此度の戦じゃ」圭二郎
「そうであれば良いのじゃが」孝之進
「殿(右馬之助)も出向かれますか?」おまつ
「そうであろうな。怪我をせねば良いが」更科
決着は早期についた。信虎・晴信は早々に引き上げて来た。小県の領地は三国で分けた。
そして、ついにその時が来た。
6月14日 武田信虎が晴信により駿河へ追放され武田の家督を晴信が継いだのである.
これは、晴信初陣の海ノ口の戦いの時より計画されていた。
残虐非道の信虎より古今無双の武士と言われた晴信を武田の当主として、家臣達が担ぎあげたのである。
市兵衛が武田に降りたのも、この事を山本勘助から聞いていたからである。
晴信の元であれば、信濃は一つになれると思ったからである。
しかし、翌年、この武田家の内紛を機に、三国同盟を裏切り諏訪頼重が勝手に上杉と和議を結び小県の領地を奪った。これにより、三国同盟は決裂した。
信濃は以前にまして、上杉、村上、諏訪、武田による勢力争いの中に巻き込まれた。
躑躅が城館
「諏訪頼重が裏切ったと?」晴信
「はっ。上杉と和議を結び、小県の領地を奪っております」勘助
「早くも、動いて来たか?」甘利
「して、村上方はどうじゃ。動きはあるか?」板垣
「今のところ、村上の動きはありませぬが、いずれ我々の出方を見据え動くやもしれませぬ」勘助
「いずれにせよ、同盟を勝手に破棄した頼重を許すわけにはいかぬ」晴信
「そのとおり。御屋形様(晴信)を侮っての事。決してこれを許しては、諸国にもなめられましょう」板垣
「これより、諏訪頼重討伐に向かう。皆、支度をせい」晴信
「お待ち下さい。向こうには禰々様(晴信の妹・頼重の正室)がおられます」勘助
「助けだせばよかろう」甘利
「諏訪御前様(諏訪頼重の娘であり、晴信の側室)には何と申し上げますか?」勘助
※このように、武田信虎と諏訪頼重は互いの娘を嫁がせ、同盟を図っていたが、それでも頼重は同盟を無視した。その真相はわからない。
「致し方あるまい。裏切り行為をしたのは頼重殿のほうじゃ」板垣
「御前にはわしから話をしておく」晴信
「ははっ」勘助
「市兵衛殿は、村上と佐久衆の動きを抑えておいてくれるか?」晴信
「ははっ」市兵衛
晴信は諏訪分家の高遠頼継や諏訪下社の金刺氏を調略し、諏訪頼重を孤立させた。
1542年7月 諏訪頼重は助命を条件に降伏した。
しかし、甲府におくられた頼重は自決させられ、諏訪惣領家はここに滅亡した。
禰々は晴信の元に戻ったが、翌年病死している。わずか18歳であった。
父、諏訪頼重を自害させられた諏訪御前は、悲しみの中、1546年 四郎勝頼を生む。
諏訪と武田の遺恨も、この四郎勝頼が諏訪を継承することでなくなったのである。
そして、1543年 晴信は再び、信濃に侵攻した。
村上と武田が同盟を結んだのは、わずか二年間であった。
更科・森之助は、村上と父・楽巌寺右馬之助とついに戦う事になったのである。
第十五章 完
森之助、更科一行は、楽巌寺城を後にし、諏訪原城へ向かった。
※諏訪原城 静岡県島田市金谷町 現城跡は激化する織田・徳川軍との争いで天正元年・武田勝頼の命により再築城されたとされ、武田家滅亡後は、徳川の手によって牧野城として改修されたとされる。
この地は今川領と徳川領との堺にあり東海の要所として位置図けられており、今川と同盟を結んでいた信虎の時代にも築城していたと思われる。諏訪原の名は、勝頼の母諏訪御前から付けられたとされる。
森之助は教来石信房の名代として城をまかされたと伝承されている。
この時、長坂左之助も森之助の家臣として加わった。
「父上に許しを得て参りました。家臣として使えさせて頂きとうございます」
「良いのか、長坂の跡目は左衛門殿が亡き後、お主が継ぐのでは無いか」森之助
「はい。姉上がおります故、婿を迎え入れて頂くようお願いしてまいりました」
「まあ、姉君様の運命も変えてしまいましたね」更科
「あの日、皆さまにお命助けて頂きました。この命、この先、皆さまをお救いする為に使いたいと思います」
「たわけ。嬉しいが、お主の命もわしらの命も一緒じゃ。いや、お主の方が若い故、この先、生き永らえるとしたら、お主の方じゃ。お主の自らの命を守るために戦え。わしらもお主を守るために戦おうぞ」
「……」
「どうした? 何故泣く」森之助
左之助は泣いた。次男としていつも兄が優遇されていた。そしてその実の兄上にでさえ斬られようとした身。この乱世に自分をこのように思ってくれる人がいるのだと嬉しかった。
「改めて今、我は生涯を通じての主君を得たと、嬉し泣きでござる」
「あの日、いつか一緒に戦って見たいものと言った事は誠じゃ。そして、わしも罪人としての護送途中と躑躅が城館にて身を呈してわしを救おうとしてくれた、お主のその恩も生涯忘れはせぬぞ」
更科、結、琴、おまつ、晴介、孝之進、圭二郎、直次郎、明石たちは、手柄ほしさや、保身の為に家臣につくこの乱世にて、決してそうでは無い、真に絆で結ばれた仲間がまた、一人増えたと感じた。
「この城は、徳川方とは目と鼻の先じゃ。いずれ戦う時がくるやも知れぬ」森之助
「武田・今川の同盟が崩れぬ限り、徳川も攻めては来ぬじゃろう」晴介
「織田と徳川が争うておる。徳川が織田、今川のどちらにつくかでこの城の役割も大きく変わってくるであろうな。」明石
「そうじゃな。いずれにせよ、この地で直ぐに戦は始まらぬであろう」森之助
「御屋形様(信虎)も今は、小県を攻める段取りで、こちらは義元様にお任せの様子ですね」更科
「しかし、このところ、武田から今川へ頻繁に使者が訪れているようだ」晴介
「武田と今川に何か、あるのでしょうか?」左之助
「……」森之助
「森之助殿?」更科
こいつ何か隠しておるな。孝之進と圭二郎が気付いた。幼き頃より一緒に過ごした仲だ。
森之助の表情で直ぐにわかる間柄だ。
話をそらした。
「それにしても、森之助。人質の次は楽巌寺城の若殿、その次は罪人、そして諏訪原城の名代か? 浮き沈みもこれ程激しい人生を送る者もそうはおらぬじゃろうな」孝之進
「そうじゃ。でも最悪の状況から、覆す何かを持っておるな。森之助は」圭二郎
「何かを持っておるとすれば、それは、ここにおるお主らじゃ。一緒に戦ってくれる皆のおかげじゃ」森之助
森之助はすぐ傍にいたまだ幼さが残る長坂左之助を片手で抱き寄せ言った。
「森之助殿・・・」
左之助はこの森之助と更科そして、その仲間達を見た。自らの命を顧みず、森之助を助けるべく、僅かな人数で躑躅が城館に乗り込んで来た者たちを。どの様な絆で結ばれているのか?
そして、この先、どの様な歴史を作っていくのか?
それを一緒に見てみたいと思い、森之助について来た。
森之助の言葉、その一挙手一投足が、若き、武士の左之助には心に刺さった。
天文10年(1541年)5月
知らせが来た。
「殿(教来石信房)からじゃ」森之助
「何と書かれておりますか?」更科
「小県への向かうとの事じゃ」森之助
「いよいよか」晴介
「わしらは行かぬで良いのか?」お結
「武田・諏訪・村上の三国同盟軍じゃ。結果は見えておる」森之助
※海野平の戦いである。これにより滋野の一族は総崩れとなり海野(真田)は上杉を頼った。
「幸隆殿が逃げ延びれば良いのだが」森之助
「海野は相木とは同族であったと聞くが」直次郎
「そうじゃ。わしも何度かお会いした事がある」森之助
「市兵衛殿の事じゃ、きっとお考えあっての此度の戦じゃ」圭二郎
「そうであれば良いのじゃが」孝之進
「殿(右馬之助)も出向かれますか?」おまつ
「そうであろうな。怪我をせねば良いが」更科
決着は早期についた。信虎・晴信は早々に引き上げて来た。小県の領地は三国で分けた。
そして、ついにその時が来た。
6月14日 武田信虎が晴信により駿河へ追放され武田の家督を晴信が継いだのである.
これは、晴信初陣の海ノ口の戦いの時より計画されていた。
残虐非道の信虎より古今無双の武士と言われた晴信を武田の当主として、家臣達が担ぎあげたのである。
市兵衛が武田に降りたのも、この事を山本勘助から聞いていたからである。
晴信の元であれば、信濃は一つになれると思ったからである。
しかし、翌年、この武田家の内紛を機に、三国同盟を裏切り諏訪頼重が勝手に上杉と和議を結び小県の領地を奪った。これにより、三国同盟は決裂した。
信濃は以前にまして、上杉、村上、諏訪、武田による勢力争いの中に巻き込まれた。
躑躅が城館
「諏訪頼重が裏切ったと?」晴信
「はっ。上杉と和議を結び、小県の領地を奪っております」勘助
「早くも、動いて来たか?」甘利
「して、村上方はどうじゃ。動きはあるか?」板垣
「今のところ、村上の動きはありませぬが、いずれ我々の出方を見据え動くやもしれませぬ」勘助
「いずれにせよ、同盟を勝手に破棄した頼重を許すわけにはいかぬ」晴信
「そのとおり。御屋形様(晴信)を侮っての事。決してこれを許しては、諸国にもなめられましょう」板垣
「これより、諏訪頼重討伐に向かう。皆、支度をせい」晴信
「お待ち下さい。向こうには禰々様(晴信の妹・頼重の正室)がおられます」勘助
「助けだせばよかろう」甘利
「諏訪御前様(諏訪頼重の娘であり、晴信の側室)には何と申し上げますか?」勘助
※このように、武田信虎と諏訪頼重は互いの娘を嫁がせ、同盟を図っていたが、それでも頼重は同盟を無視した。その真相はわからない。
「致し方あるまい。裏切り行為をしたのは頼重殿のほうじゃ」板垣
「御前にはわしから話をしておく」晴信
「ははっ」勘助
「市兵衛殿は、村上と佐久衆の動きを抑えておいてくれるか?」晴信
「ははっ」市兵衛
晴信は諏訪分家の高遠頼継や諏訪下社の金刺氏を調略し、諏訪頼重を孤立させた。
1542年7月 諏訪頼重は助命を条件に降伏した。
しかし、甲府におくられた頼重は自決させられ、諏訪惣領家はここに滅亡した。
禰々は晴信の元に戻ったが、翌年病死している。わずか18歳であった。
父、諏訪頼重を自害させられた諏訪御前は、悲しみの中、1546年 四郎勝頼を生む。
諏訪と武田の遺恨も、この四郎勝頼が諏訪を継承することでなくなったのである。
そして、1543年 晴信は再び、信濃に侵攻した。
村上と武田が同盟を結んだのは、わずか二年間であった。
更科・森之助は、村上と父・楽巌寺右馬之助とついに戦う事になったのである。
第十五章 完
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる