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第二部 信濃統一 ~善光寺と市兵衛~
第十六章 真田幸隆と相木市兵衛
しおりを挟む1543年 9月9日 長窪城の戦い
晴信は佐久の長窪城へ5000の兵力で出立した。
諏訪頼重に与えていた長窪城は諏訪家滅亡の後、大井貞隆に奪われていた。これを奪還するため為である。
大井一族は依田一族(相木・芦田・笠原)と共に佐久を守って来た一族であったが、武田に降った市兵衛・芦田とは仲たがいになった。市兵衛にとっては、かつて共に武田と戦った仲間である。戦力の違いは市兵衛が一番知っていた。市兵衛と芦田によって、大井貞隆の説得にあたった。
それにより、貞隆は降伏し、甲府へ護送された。
※通説では、この大井貞隆の敗退時に、相木・芦田が武田に降ったのではないかとされている。
大井貞隆の息子、貞信は内山城にて尚も抵抗したが、晴信はこれも落とした。
貞信は、野沢に逃げた。
そして、晴信はその後、望月一族が抵抗する佐久の望月城を攻め、これも降伏させた。
10月には甲府に帰艦している。
大井貞隆、貞信、望月盛昌いずれも、命を落とすことなく武田に仕えたとされる。
これも、佐久の市兵衛・芦田の功績によるものである。
市兵衛は佐久の武将達に必死で説得にあたったのである。
こうして、武田軍により、佐久を少しずつ制圧し始めたのである。
しかし、大井一族も望月一族も全てが武田に仕えたわけでなく、村上や上杉に頼り武田に抵抗するものも少なくなかった。
晴信は武田の当主となり、諏訪との戦に次いで、この戦にも勝利した。
勝ち続ける晴信が、このころから少しずつ変わって来ていた。
翌1547年 晴信は志賀城を攻めた。
大井一族が武田に落ち、ほぼ佐久は武田に制圧されたが、志賀城・笠原清繁が抵抗を続けていた。笠原は関東官僚の上杉と手を結んでいたのである。
しかし、志賀城を包囲すると、上杉憲政は援軍を派遣するが、武田の重臣・板垣と甘利が率いる部隊にこれを撃破された。※小田井原の戦いである。
そして尚も、志賀城に立て籠もり、武田に抵抗する笠原に対し晴信は家臣に非道な命を指示した。
「今、なんと?」勘助
「小田井原で打ち取った兵の首全てを、志賀城の前に並べろと申したのじゃ」晴信
「それはなりませぬ。御屋形様」板垣
「恐ろしさで直ぐに降伏してくるであろう」晴信
「それでは、降伏を促すどころか、逆効果と思われます」甘利
「降伏したら、そのように首を跳ねられると思われます」教来石
「お待ちください、御屋形様。今一度、清繁殿に説得にあたります故」市兵衛
「何度、説得を試みた? もう待てぬ。その間に上杉に後詰めを許したではないか」晴信
「今一度、お願い申し上げます」市兵衛
「市兵衛殿は笠原とも同族であったな。それ故、市兵衛殿の力でお見方頂けると思うていたが、わしの思い違いじゃった」
「勘助。明日の朝、首を並べろ。それでも降りなければ、総攻めじゃ。城内におる女、子供も許してならぬぞ」
「……なんと」家臣達は晴信の命に従った。
こうして晴信は志賀城の前に小田井原の戦いで討ち取った敵兵の首3,000を並べた。
志賀城内
「何という事を。これが武田のやり方か。晴信も信虎同様、残虐非道な輩であったの」笠原清繁
「あれは?」
志賀城前に、並べられた首の前を、隠すように青備えの騎馬隊が、ゆっくりと馬の腹を見せ並んだ。
相木市兵衛の部隊である。森之助、頼房、善量も晴信の下知に背いた。
「市兵衛殿」清繁
馬の腹を見せることは、戦う意思がないことを示していた。
決して悪いようにはしない。降伏してくれ。と何度も説得に来てくれた市兵衛であった。
「最後まで、こんなわしを思うてくれておるのか?」
「殿、相木市兵衛殿の使いのものが来ております」
「誰じゃ」
「相木美濃守信房が妻・ 更科と申します。逃げ道を用意しております。せめて女、子供達だけでもお命お助けくださりませ」
お結・ お琴も付き添っていた。皆、甲冑姿である。
「相木美濃守信房じゃと? 市兵衛殿のご子息か?」
「はい。」
※笠原が上州と手を組んだことにより、森之助達も援軍として遠州から来ていた。
「すまぬな。少しでも多くの者を助けてやってくれ」
「はは。皆さま方、こちらへ」更科たちは多くの女子供を引き連れて逃がした。
これにより士気を喪失した志賀城は陥落し、笠原清繁は討ち取られた。
生け捕られた兵士達は奴隷労働者に落とされ、逃げ遅れた女子供は売り払われたと伝わる.。これは当時としても過酷な処分だった。
勝ち続ける晴信は人が変わったのである。
「いったいどうしてしまったのじゃ。御屋形様は」勘助
「此度の件では、武田晴信も信虎と同様、残虐非道と名が広まってしまった」板垣
「これでは、佐久をようやく制圧出来たというに、表向きだけになってしまう」甘利
「いかがする。市兵衛殿」勘助
「このままでは村上に寝返るものが多く出てまいりましょう」市兵衛
「やはり、そうなるか」板垣
「今の御屋形様では市兵衛殿を持ってしても、佐久衆をまとめるのは難しいであろうな」甘利
「勘助殿、佐久衆をまとめる為に、お味方に付けたい方がおります」市兵衛
「それは誰じゃ?」板垣
「真田弾正忠幸隆殿でござる]
「おお。真田にとって村上は天敵であったな。でも今は上杉に頼っておるのではないか?」甘利
「先の小県攻めでは、海野棟梁を打ち取っておりますので、真田にとっては武田も同様に宿敵ぞ」教来石民部
「先の、小田井原の戦いで上杉も北条に敗れております。上杉に頼っていても真田の復興は出来ぬと感じておると思われます。御屋形様の状態はさておき武田が今有利なのは事実。今をおいて他にありません」市兵衛
「海野一族が戻れば、佐久の情勢も変わるやもしれません」市兵衛が続けて言った。
「それは良い考えじゃ。市兵衛殿、拙者も一緒に参ろう」勘助
上野国(現在の群馬県)
「殿、殿にお会いしたいと旅のものが参っております。」
「旅の者?誰じゃ」真田幸隆
「それが、名を申しませぬ。二人おりますが、ひとりは片目で片足が不自由な者です」
「片目で片足が不自由じゃと」
直ぐにわかった。
「通せ」
「おお。市兵衛殿であったか。久しゅうござる」
「弾正忠殿も、お元気そうで、何よりでござる」
「こちらは・・・」
「山本勘助殿でござるな?」
「左様でござる」
「して、武田の軍師殿が、此度は何用じゃ。わしは、このように先の北条との戦いにも負けた敗戦の将じゃ いや将では無かったな。居候の身じゃった」
「武田にお味方頂きたい」勘助
「小県攻めが始まる前に何度も、市兵衛殿が説得に来られたものじゃった。それを断り今ではこのありさまじゃ。今のわしに何が出来るというのじゃ」
(回想)
「幸隆殿、今は、村上、武田のどちらかに付かねば生きてはいけませぬ。お考えなおしを」
「市兵衛殿、我が海野一族は何度も村上に攻め込まれ、多くの兵を失っておる。村上に付くことは決して出来ぬ仇じゃ。そして、残虐非道の信虎なんぞにも従うつもりもない」
「その、村上と武田そして諏訪の三国が同盟を結びました」
「なんと。そのような事が?」
「我と同様に武田に組みして下され」
「市兵衛殿はそれが本心なのか? あの信虎を真に御屋形様と思うて命を懸けられるのか?」
「いずれ状況が変わります」
「どう。変わると申すのか」
「今は、言えませぬ」
「では戦うまでじゃ」
「なりませぬ。勝てませぬ」
「では、どうすれば良いというのじゃ」
「ここは一旦、お引きくだされ」市兵衛は言葉を選んだ。
「引く?」
「左様でございます。次の戦で勝つために、一旦引くのも兵法でございます」
「家臣や村人を置いて、城主が逃げるというか?」
「家臣、村人たちは、佐久に残りし我らが必ずお守りします。いずれ幸隆殿が戻られるまで」
「時期を見て、真田を再興なされよ。決して真田を滅ぼしてはなりませぬ。必ず、お迎えにあがります故」
幸隆は市兵衛の言葉に救われた。
いずれ戻られるまで・・・真田を再興せよと。そのような事が出来るとは、あり得ない事であった。
敗戦の将がまたその領地に戻る事など。
でも、その言葉で家臣達は、村人達は希望を持って生きて行ける。
家臣達を置いて、逃げるとは生き恥をさらす事になる。それは武士にとっては死ぬことよりも辛い事だ。
いずれ戻るために、今は引け。
幸隆は、市兵衛に従った。
(回想 終わり)
「先の小県で我が海野一族の海野棟梁が武田に討たれておる。武田に付く事もあり得ぬ」
※真田幸隆の妻の父である。
「幸隆殿は、天下をお望みか?」
「何? そのような事は一度たりとも思うたことなど無い」
「我も同様です。古より守りし、我が領土、領民が、穏やかに暮らせれば良いと願っておるのみ」
「そうじゃ。小県、佐久の衆はそれだけじゃ。それだけが望みなのじゃ」
「であれば、上杉、村上、武田のいずれかに付かなければ、それはかないませぬ」
市兵衛と幸隆の会話に勘助は加わる事が出来なかった。
それ程までに、この二人の関係は深い絆で結ばれていると感じた。
「今の上杉に頼ってそれが、かないましょうか?」
否・ 先の北条との戦いでその力は無いと感じていた。
「旧真田領の全てではござらぬが今、真田の郷は武田方が抑えております」勘助
「…… そこを信虎と義清に取られたのでは無いか。どちらが今、押さえていようが関係ない。いずれ取り戻してみせよう」
「村上との闘いが始まります。その松尾城で皆、幸隆殿をお待ちしております」市兵衛
「松尾城で? 誰が待っておるというのじゃ?」
市兵衛は、旧真田の家臣達の名を挙げた。
「なんと・・・皆が待っているというのか?」
「幸隆殿が戻られると申しましたら、皆村上方から、武田方にお味方頂きました」市兵衛
「松尾城にて、軍配をお取り願いたい」勘助
「……今、なんと申された? 城を、松尾城をお任せいただけると言うのか?」
「はい。御屋形様(晴信)がお望みです」勘助
松尾城は、幸隆が小県を後にした最後の城だ。多くの家臣と村人達を残して来た城だ。
※真田家発祥の地とも言われている。これにより真田家は再興する事が出来た。
「市兵衛殿……」幸隆は震えて泣いた。
「お約束どおり、お迎えにあがりました」市兵衛
第十六章 完
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