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第三部 更科橋 ~涙の森~
第二十一章 信玄の死
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1571年
信濃を平定してから、武田の領土は、甲斐、信濃、駿河、遠江及び三河の一部までに及んでいた。
この時期、織田家は勝頼の側室に信長の姪を差しだして武田と友好関係を結んでいた。
しかし、信長が比叡山の焼き討ちを行った為、信玄はこれを許さなかった。
比叡山の延暦寺を甲斐に移し再興を図った。
そして、将軍足利義明の信長討伐令に従い、信玄は尾張に向かったのである。
まず、三河の三方原にて、徳川家康と対峙。これを撃破、野田城をも落とした。しかし信長との対決の前に、病気の為、命をおとした。
時に1573年であった。
信玄亡き後も、しばらくはその死を隠し通していた為、武田家の勢いは続いていた。
勝頼の命により、森之助は徳川の城、高天神城を落とし、そして諏訪原城からその高天神城へ居を移した。
そして、1575年
三河の長篠城をめぐり、長篠の戦いが始まった。
織田信長・徳川家康の3万5千の連合軍と武田軍一万5千人と言われている。
武田軍の優勢が続いていた。
「うぬう。援軍はまだ来ぬか」奥平貞昌
「援軍を頼みに行ってまいります」鳥居強右衛門
「うむ。頼む。くれぐれも武田軍に見つからぬようにな」
「はは。」
鳥居強右衛門が形勢が不利の為、岡崎城まで援軍を頼みに行った、しかし帰りに武田軍につかまってしまった。
「なんともうされましたか?」森之助
「砦前に、そやつを磔にしろと申した。」勝頼
「なりません。それでは逆に相手方の士気を高めてしまいます。」馬場美濃守
「良い。命欲しさに言うことをきくであろう」
「援軍は来ぬ。直ぐに降伏いたせと申せ。さすれば、お主の命は助けてやろう」
「わかりもうした。」強右衛門
「……」森之助
その目は覚悟をした武士の目であった。
「なんという事をするのじゃ」更科
長篠城砦前に張り付けにされた。
「なんと。強右衛門ではないか。捕まってしまったか」奥平貞昌の家臣である。
しかし、強右衛門は自らの命を顧みず、仲間の為に大声で言った。
「明日には援軍がくる。今しばらく持ちこたえてくれ。」
「おお!」 徳川勢から歓声が上がった。
「うぬう。撃ち殺せ」勝頼
無数の銃弾が武田軍から浴びせられた。
「・・・この戦、我等の負けじゃ」更科
「更科、どこへ行く? よせ」森之助
「更科、あっしも行く」結
磔にされた強右衛門に向かって、更科、結、琴が向かった。
徳川軍と武田軍がにらみ合うど真ん中だ。
「・・・あれは?」徳川軍が撃とうとした時に
「待て。ご婦人たちじゃ」奥平貞昌。
絶命した、強右衛門を磔からほどき、地面におき手をあわせた。
更科は、徳川方へ頭をさげ、武田方へ引き返して来た。その目は怒りに満ちた厳しい目が
武田軍に対し向けられていた。
徳川軍。武田軍ともに、その行いに対し、見守るしかなかった。
「かたじけのうござる。武田軍の中には、武士の情けを知る、命知らずのご婦人たちがいるようじゃの」
これにより、武田兵の勝頼に対する忠義は薄れ、徳川勢が勢い付いた。
翌日には、約束通り援軍が駆け付け、その士気はさらに高くなった。
「御屋形様お引き下さい。ここは我等にて食い止めます」馬場美濃守信房
勝頼は本体を率いて、甲府へ逃げ帰った。
そして、
「森之助殿は高天神城にて体制を整えて下され」馬場美濃守信房
「若輩者の尹松をよろしゅう頼み申す」横田綱松。尹松の父だ。
「いえ。我も殿を務めます」森之助
「森之助。わしの部隊で殿を務める故、お主らは高天神城で迎え撃て」明石だ。
「明石。何を申すか?」
「わしは酒を飲み過ぎたせいか、もう身体が悲鳴をあげておる。ここで皆の為に最後の役に立たてくれ」
「明石・・・・」孝之進
「明石・・・・」圭二郎
「明石・・・・」晴介
「明石・・・・」直次郎
「さあ。皆、早ういけ。御屋形様を頼んだぞ」
徳川勢が攻めてきた。
森之助たちは、長篠を後にした。
信長が用意した大量の鉄砲により、戦国最強と言われた武田騎馬隊は敗れ去った。
この戦により馬場美濃守信房、横田綱松たちの重臣達が命をおとした。
この勝頼の行いにより、一気に勝頼の威信は地におちた。
武田家、衰退の始まりであった。
そして、徳川軍が、高天神城へ迫ってきていた。
第二十一章 完
信濃を平定してから、武田の領土は、甲斐、信濃、駿河、遠江及び三河の一部までに及んでいた。
この時期、織田家は勝頼の側室に信長の姪を差しだして武田と友好関係を結んでいた。
しかし、信長が比叡山の焼き討ちを行った為、信玄はこれを許さなかった。
比叡山の延暦寺を甲斐に移し再興を図った。
そして、将軍足利義明の信長討伐令に従い、信玄は尾張に向かったのである。
まず、三河の三方原にて、徳川家康と対峙。これを撃破、野田城をも落とした。しかし信長との対決の前に、病気の為、命をおとした。
時に1573年であった。
信玄亡き後も、しばらくはその死を隠し通していた為、武田家の勢いは続いていた。
勝頼の命により、森之助は徳川の城、高天神城を落とし、そして諏訪原城からその高天神城へ居を移した。
そして、1575年
三河の長篠城をめぐり、長篠の戦いが始まった。
織田信長・徳川家康の3万5千の連合軍と武田軍一万5千人と言われている。
武田軍の優勢が続いていた。
「うぬう。援軍はまだ来ぬか」奥平貞昌
「援軍を頼みに行ってまいります」鳥居強右衛門
「うむ。頼む。くれぐれも武田軍に見つからぬようにな」
「はは。」
鳥居強右衛門が形勢が不利の為、岡崎城まで援軍を頼みに行った、しかし帰りに武田軍につかまってしまった。
「なんともうされましたか?」森之助
「砦前に、そやつを磔にしろと申した。」勝頼
「なりません。それでは逆に相手方の士気を高めてしまいます。」馬場美濃守
「良い。命欲しさに言うことをきくであろう」
「援軍は来ぬ。直ぐに降伏いたせと申せ。さすれば、お主の命は助けてやろう」
「わかりもうした。」強右衛門
「……」森之助
その目は覚悟をした武士の目であった。
「なんという事をするのじゃ」更科
長篠城砦前に張り付けにされた。
「なんと。強右衛門ではないか。捕まってしまったか」奥平貞昌の家臣である。
しかし、強右衛門は自らの命を顧みず、仲間の為に大声で言った。
「明日には援軍がくる。今しばらく持ちこたえてくれ。」
「おお!」 徳川勢から歓声が上がった。
「うぬう。撃ち殺せ」勝頼
無数の銃弾が武田軍から浴びせられた。
「・・・この戦、我等の負けじゃ」更科
「更科、どこへ行く? よせ」森之助
「更科、あっしも行く」結
磔にされた強右衛門に向かって、更科、結、琴が向かった。
徳川軍と武田軍がにらみ合うど真ん中だ。
「・・・あれは?」徳川軍が撃とうとした時に
「待て。ご婦人たちじゃ」奥平貞昌。
絶命した、強右衛門を磔からほどき、地面におき手をあわせた。
更科は、徳川方へ頭をさげ、武田方へ引き返して来た。その目は怒りに満ちた厳しい目が
武田軍に対し向けられていた。
徳川軍。武田軍ともに、その行いに対し、見守るしかなかった。
「かたじけのうござる。武田軍の中には、武士の情けを知る、命知らずのご婦人たちがいるようじゃの」
これにより、武田兵の勝頼に対する忠義は薄れ、徳川勢が勢い付いた。
翌日には、約束通り援軍が駆け付け、その士気はさらに高くなった。
「御屋形様お引き下さい。ここは我等にて食い止めます」馬場美濃守信房
勝頼は本体を率いて、甲府へ逃げ帰った。
そして、
「森之助殿は高天神城にて体制を整えて下され」馬場美濃守信房
「若輩者の尹松をよろしゅう頼み申す」横田綱松。尹松の父だ。
「いえ。我も殿を務めます」森之助
「森之助。わしの部隊で殿を務める故、お主らは高天神城で迎え撃て」明石だ。
「明石。何を申すか?」
「わしは酒を飲み過ぎたせいか、もう身体が悲鳴をあげておる。ここで皆の為に最後の役に立たてくれ」
「明石・・・・」孝之進
「明石・・・・」圭二郎
「明石・・・・」晴介
「明石・・・・」直次郎
「さあ。皆、早ういけ。御屋形様を頼んだぞ」
徳川勢が攻めてきた。
森之助たちは、長篠を後にした。
信長が用意した大量の鉄砲により、戦国最強と言われた武田騎馬隊は敗れ去った。
この戦により馬場美濃守信房、横田綱松たちの重臣達が命をおとした。
この勝頼の行いにより、一気に勝頼の威信は地におちた。
武田家、衰退の始まりであった。
そして、徳川軍が、高天神城へ迫ってきていた。
第二十一章 完
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