更科と森之助 ~信州一と謳われた女傑と勇者の伝説~

相木鹿之介

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第三部 更科橋  ~涙の森~

あとがき

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韮崎市 上ノ山地区

この村の名は、明治維新になるまで、
 「更科村」と名付けられており、韮崎駅近くを流れる塩川には、更科が村人を連れ帰り、そして森之助を待ち続けたあの橋はいつしか「更科橋」と名付けられ現在も尚、その名で架かっています。
平成17年には
 「更科姫を偲んで」の石碑が南相木村の依田武勝氏と有志によって建てられています。

更科の生誕地とされる長野県埴科郡坂城町では、スーパー少女して語り継がれております。

相木市兵衛氏が晩年長野市の善光寺の守護として携わった功績にちなみ、善光寺近くの通りは「相ノ木通り」として名付けられ現在に至っております。

また、更科と森之助 この二人の子、甚次郎が尼子十勇士の筆頭武士である「山中鹿之助」であると
多くの資料で残されています。生誕の地とされる長野県南佐久郡南相木村には「山中鹿之助資料館」があり、
遠く離れた島根の真山には昭和2年に森之助と更科の墓が有志により建てられております。

更科と森之助 そしてその二人の運命を大きく左右した相木市兵衛

この伝説は、江戸時代に「勇婦全傳・絵本更科草紙」として端を発し明治・昭和へと語り継がれて来た伝説です。
全国での数少ない「相木」の姓を受け継ぐものとして、この伝説を後世に伝えたく、筆を起こしました。
    
 
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