Wild in Blood

まりの

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舞姫の章

帰ってくる場所 3

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「わあ……」
 視界が開けた瞬間、フェイの口から感嘆の声があがった。
 俺達の目の前に広がっていたのは、熱帯のジャングルを思わせる緑の世界。
 高い天井まで繁った木々。むっとするほどの草息れ、花や果実の匂い、あちこちから聞こえてくるのは鳥や動物の鳴き声……。
「地下だよね? ここ」
「ああ。しかも結構深い所のはずだ」
 無機質な人の気配も無い研究房から一転、そこは命に溢れた空間だった。
 エレベーターの中で感じていた緊張や覚悟なんか忘れてしまいそうだ。だが、ここは大事な場所であるはずなのだ……。
「ようこそ。ウォレス博士」
 木々の間から声がした。
「えっ?」
 あの男の声! しかも俺を名指しで?!
 声がした方へ走る。もう傷の痛みなど感じている余裕もない。
「そんなに驚かなくてもいい。君達のことはレディから聞いてる。ドアもちゃんと通れるよう登録もしてあったろう? 君の血でね」
「あ……」
 声の主は上品な微笑を浮かべていた。ジャングルの木の根元にぽつんと置かれたモニターの中で。
 やはり、あの貴賓室にいた男だ。
「実際に会って話をしたいのはやまやまなのだがね。もう私はクーロンにはいないから、こんな形で許して頂こう」
 本当は今すぐにでも叫びだしたい所だ。だが、我慢だ。

 俺は、極力落ち着いた素振りを崩さないように声を絞り出す。
「……あんた何者だ?」
 相手も至極落ち着いた声で返す。
「君達G・A・N・Pの天敵かな?」
「やっぱり闇市場の偉いさんか。へえ、幾らリルケが魅力的だといっても、踊り子一人手に入れるためにわざわざ? ひょっとしたらここって闇市場の重要なアジトだったり?」
「まあそういう事になるかな。だが、残念ながら今は元とつくがね」
「もう逃げた後か……」
「逃げるなどと無粋な言い方はやめてくれたまえ。前から計画していたお引越しだ。中央警察機構やガラパゴス条約機構、そしてG・A・N・Pが一斉に乗り込んでくるという情報はとっくに耳にしている」
「まあ、そうだろうな」
 いくら極秘と言ったって、闇市場が知らないはずが無いか。警察機構あたりに内通者がいるであろう事など、フェイでも知っている。
 フェイは大人しく息を潜めて、俺とモニターの向こうの男との会話を聞いている。こっちの言葉も通じる以上は、確実に監視されている事をちゃんとわかってるみたいだ。
「時間はたっぷりいただきましたしね」
 極東支部が何度か調査に来て失敗している。いくら大規模な引越しでも、余裕で逃げる時間はあったろうからな。
「今はこの街にいないって事は、もうリルケは諦めたんだな?」
「さて。それはどうでしょう?」
 謎めいた微笑だけが返ってきた。
「なあ、元とはいえこんな大事な場所に俺達を入れていいのか?」
 ……無事に帰らせてもらえないって事か?
「ふふ、安心したまえ。別に閉じ込めたり痛い目に遭わせるつもりで通したのではない。本気で殺す気ならいつでも殺せる。今は君と個人的に少し話をしたいだけだよ。君があのウォレス博士だとわかったから」
 何か嫌な予感がして、俺は何も言えなかった。
 画面の向こうで笑う男は、一見優しそうで品が良いが、その目は鷹の様に鋭い。 
「まず、先程は私の可愛いレディ・マンティス嬢を酷い目に遭わせて頂いた文句を言わせてくれたまえ。可哀相に彼女は大怪我だよ」
「あれは俺じゃない。それに俺も痛かったぞ」
「それはそれは。だが彼女は、君に噛みつかれ、両腕を折られて大変ご立腹だ。次に会ったら喰われる事を覚悟しておいたほうがいいですよ」
 はは、メス蟷螂か。俺は男だしな……ま、出来ればもう会いたくはないんだがな。
 男は更に続けた。
「博士には前から一度礼をせねばと思っていたのだよ。現在私の商売が成り立っているのも、貴方のおかげと言っても過言ではない」
 俺は唇を噛んだ。言いたい事がわかったからだ。
 一番突かれたくない弱み。
 くそっ、横にフェイがいるのに……。
 俺はやんわりと皮肉を言ってやった。
「……博士はやめてくれよ。ここじゃ無いが元がつく。あんたらのおかげで学会を追放された身なんでね。今はただのG・A・N・P隊員の一人だよ」
「おや、それは失礼。だが学会も了見の狭い。貴方の開発された、成体への再改造の技術は本当に素晴らしいのに。何でも、自ら最初の被験者になられたそうじゃないですか。その命知らずの勇気と、天才的な頭脳を称えたくてね。どうです? いっそ、私と共に自由に研究を続けてみませんか?」
「黙れ!!」
 俺は思わず叫んでいた。フェイの前だが、もう我慢ができなかったから。
「勝手に人の研究を悪用しておいて! まともに使えば旧人類への希望となるはずだったのに……お前達はそれに泥を塗った! より苦しむA・Hを増やしただけだった、俺の気持ちなんかわからないだろう?!」
 自分でもかなり頭に血が上っていたと思う。だが画面の相手は顔色一つ変えなかった。それが一層頭に来て、俺は思わずモニターに殴りかかった。
「ディーン……」
 フェイが宥める様に俺の背中に手を当ててその感触で少しだけ我に返った。無人の画面にあたったところで仕方が無い。
「……俺はお前達を許さない。絶対に」
「その言葉、覚えておきましょう。だが、もし気が変わったら、いつでも貴方を歓迎します。よくよく考える事ですね。今日のところは無事帰してさし上げますから」
「気が変わったりするものか!」
 ふふ、とモニタの男が小さく笑って、この茶番の終わりを告げようとしたとき。
「待ってよ! 僕にも言わせて」
 フェイが俺の前に出た。
「おや、君は……何かな?」
 男は一瞬、フェイを見てほんの少し驚いた表情を見せた。まあ、フェイは有名だからな。
 そして話も聞くらしい。結構つきあいのいい悪者だ。
「……ディーンは僕の大事な相棒だ。これ以上困らせたりしたら僕が許さないからね。絶対にいつか捕まえてやるんだから!」
「フェイ……」
「ふふふ。博士には頼もしいボディーガードがついておられるようですな。よろしい、胆に命じておきましよう」
 慇懃な会釈を残し、モニタの画像が消えた。
 あっけなくも一方的に闇市場との邂逅の時は終了した。そして、間の悪い沈黙の中に俺とフェイだけが取り残された。
 きいきい。
 ジャングルの鳥の声だけが妙に響く。
「なあ、フェイ……」
 俺が口を開きかけると、フェイが首を振った。
「今は何も言わないで。ちょっと頭が混乱してるから……それより、今は早くコウさん家に戻ろう。ね?」
「ああ」
 フェイだってそんなに馬鹿じゃない。先程の会話の内容はわかったろう。俺がどんな人間か……だが今はフェイの言葉に従って何も言わない事にした。
 その後、皆のいるコウさんの家に辿り着くまで、二人とも黙ったままだった。

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