Wild in Blood

まりの

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哀歌の章

クジラの歌 2

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 ベラドンナの言葉はわかり難かったが、どうやらビッグママという女性……ママというからには女性であろう……は、どこかに閉じ込められていて出られないらしい。
 とにかく一度外に出よう。アリーというもう一人も気になるし、豪州支部のヘリが着いたらベラドンナを先に引き渡したほうがいいだろうか。
 俺はアボットの対応が気になる。パートナーを殺したのはこの少女だ。仇を目の前にして、彼は平静でいられるだろうか。
 G・A・N・Pは、いかに凶悪な犯罪を犯したA・Hでも殺すことは無い。裁きの場に連れ出し、更生・再教育しなおすことが目的だ。ほとんどの場合、犯罪を犯すA・Hはバックにノーマルタイプの人間がいる。だが、考えてみれば、このベラドンナは誰の命令でもなく、自発的に殺人を犯したのだ。たとえ、本人に罪の意識は全く無くとも。
 もし自分がアボットと同じ立場だったら……そう考えかけて、フェイを見てぞっとした。考えるだけでも罪なことのように思える。
 ベラドンナを引き渡すのは待ったほうがいいかもしれない。せめて豪州支部の他の隊員が来るのを待つべきだろう。誰かいれば、アボットも少しは気が楽だろうし、何かあった時引き留めてくれる。それまでは俺達で何とか見張れる。
 ……どうでもいいが酷く息苦しい。地下だからだろうか。外の空気を吸いたいと思った。 
「一度外に出よう。アリーだったかな? 呼んでくれるかな」
「うん。いいよ」
 少し俺達にも慣れて来たのか、ベラドンナは素直に頷いた。こうしていると肌の色を除いては普通の女の子なのに……。
 長い階段を上って、オーナーの部屋まで引き返し、小さなドアを潜る。
 やっと少しは明るい所に出られて気は楽になったが、息苦しさは治まるどころか酷くなった。階段を上がっただけで心臓がバクバクするなんて、どうなんだろう。
 窓から外を見下ろすと、すぐ海なのがわかった。なるほど、階段の角度から考えても、先程の部屋は僅かに海に張り出しているのだろう。崖の下の方という事になる。外側から見るには海からしか無理だな。
 二階から一階に降りた時、また音が聞えた。

 ごうごう……おうおう……。

 クジラの歌。随分近くで聞えるんだな。
「フェイ、なんて言ってるんだ?」
「よくわからなかったけど、悲しいみたい」
 言葉というより、感覚の問題のようだ。
 フェイは音の出所が気になるらしい。
「それにしても音が酷く近いよね。なんだか外の海というより、真下から聞える気がするんだけど」
「真下……」
 今いるのは、位置的には恐らく先程の地下室の真上あたりだろうか。
 下……そういえば、地下室で床に扉らしきものを見つけて、開ける前にベラドンナが出てきたから放置したままになってるな。
 ビッグママ。出られない。大きい……俺はベラドンナの言葉を思い出した。
 ひょっとしなくても、あの下に閉じ込められていたのではないだろうか。そしてその正体はクジラ?
 クジラの大きさのA・Hなど聞いた事が無い。イルカのA・Hが多数いるのだから、考えられなくも無いが、いたとしても人の大きさをしているだろう。ベラドンナは百五十センチあるかないかの小柄だ。彼女が言う大きいというのはどのくらいの事を指すのか。
 人の大きさなのなら、あの地下の扉から連れ出せるのだから、問題は無さそうだ。このベラドンナか、もう一人いるみたいだからその二人で出してやれなかったのか。いくら知能がそう高くないとはいえ、三年もかければ開閉装置くらいは操作出来た様な気がする。
「なあ、ベラドンナ。ビッグママは俺より大きいか?」
「うん。うーんとうーんと大きい。この階段くらい、かな?」
「えっ?」
 本物のクジラなのか? それならあの穴から出すのは無理か。
 だが、A・Hでないのなら、A・Hのコレクターであるオーナーは、何のためにクジラを地下に閉じ込めたのだろう。余計に納得がいかない。
 ――どうでもいいが、考えるのも億劫なほど息が苦しくなってきたぞ。
 これって、ひょっとして……。
「外からなら何とかなるかな? 僕、潜って様子をみてみるけど?」
 フェイにしかできないだろう案を出してくれた。ああ。それしか方法が無さそうだ。
「頼む、フェイ」

 屋敷から外に出ると日差しに目が眩んだ。
 やっと新鮮な空気を吸えてホッとした……と言いたかったが、息苦しさは増すばかりだ。さすがにこのあたりで、自分の体調がやはり普通で無い事は明白になってきた。
「ディーン? 顔色が酷く悪いけど……」
 フェイにも俺の状況がわかったらしい。
「息が苦しい。噛まれていないと思ってたが、やっちまったみたい。回ってきた」
 ああ。俺、ドジ踏んだかも。
 超微量とはいえ、歯にかすった時に毒をもらっていたみたいだ。そう思いはじめると、立っているのも辛くなって来た。
 アボットが俺達の姿を確認して駆け寄ってくるのが見えたが、俺は堪らず地面に膝を着いた。
「ちょっ……! ディーン?」
 心配そうなフェイの声が少し遠い。
「大丈夫だ。致死量は喰らってない。少し休めば……」
 不本意だが、アボットにベラドンナを見張っててもらう事にして、少し休ませてもらう事にした。微量だから恐らく数時間で分解されるだろう。繋ぎにフェイが海難で使う携帯用の簡易濃縮酸素缶を持っていたので拝借する。

 ぶぉん、ぶぉん……おうおう……。

 クジラの歌が聞える。
 この音は癒されると昔の人は言っていた。確かにそうかもしれない。だが、フェイも言っていたように、酷く物悲しく響く音だとも思う。
 遠く、深く。ソナーの出す音のように、何キロも先まで響くというその波長を、生き物が出すなんて不思議だな。海の中で聴けばもっと凄いのだろうな。
 ヤバイ。何か、思考が飛んできた。少し低酸素状態になってきたかも。逆に気持ち良くなってきた。いかんいかん。息しよう息。
 たった掠めただけでこれだからな。凄いんだな、毒って。この、人より脈拍のゆっくりでも酸素を供給できるオオカミの体で良かったとつくづく思う。
「やっ!」
「お前のせいでビーナが……!」
「やめて、アボットさん!」
 ベラドンナとアボットの声、必死になっているフェイの声で、俺はハッと現実に戻った。
 くそっ、やっぱり私怨はそう簡単には抑えられないか。心配していた事が現実になってしまった。
 芝生の庭の端の崖っぷち。下は海だ。
 じりじりと後ずさるベラドンナ。逃すまいと歩を進めるアボット。
 馬鹿、それ以上下がったら……!
 体が重いが、そんな場合ではないので、俺も必死でそちらに向かう。
 アボットを引きとめようとフェイが必死になっているが、体格が違う。怒れる男は止められない。軽いフェイも一緒に引き摺られている。
 もう少し、という所で俺は間に合わなかった。
「きゃあ!」
 ついに追い詰められたベラドンナが、足を滑らせた。慌てて手を伸ばしたフェイ共々、視界から姿が消える。
「フェイ! ベラドンナ!」
 ざばん、と音がした。岩などにぶつかっていなかったら、二人とも大丈夫だが……ベラドンナも水棲のA・Hだ。泳げるだろう。
「アボット! いくらパートナーの仇とはいえ、これは……」
「復讐ですよ。わかるでしょう?」
「ああ、だがフェイは俺のパートナーだ!」
「そうですね。じゃあ一緒に行けばいいのですよ。ウォレスさん」
 アボットがにやりと笑った。
「え?」
 肩口に軽い衝撃を受けたと思った次の瞬間、俺は自分が宙に浮いている事がわかった。 

 俺……今毒回ってんだけど。しかもカナヅチなんだが?
 海面につくまで、なぜかそんな事が頭に浮かんだ。
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