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1巻
1-2
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ああ、よかった。馬を操るなんて、私には無理だし……いやいや、よくないよ? 一緒に乗せてくれるのはいい。でも思いっきり密着してますよ? こう、後ろから手が伸びてきて手綱を持つってことは、軽く抱きしめられてるのと同じだよ? この状態、恥ずかしい……
「エミ、――――?」
何を言われてるのかは、相変わらずわからない。直後に手綱を持つ彼の手が動いたと思うと、馬が勢いよく走り出した。きっとさっきは、しっかり掴まってろとでも言ってくれたのだろうけど!
ひいいぃ! 怖いー! 速いぃー!
もう恥ずかしさどころか、何もかもすっ飛んだ。
しばらくして、少し落ち着いてくると、いろいろな思いが頭を回り始めた。
そろーっと振り返って見上げてみる。すると、驚くほど整った顔立ちなのに、眉間に皺を寄せた難しい顔のアメルさんと目が合う。
こうして連れてきてくれたところをみると、嫌われはしていないようだけど……
どうしてこうなった? ここは本当にどこなんだろう? この後どこに行くのだろう? 私、帰れるのかな?
疑問だらけの中で、わかるのはただ一つ。
私はどうやら、日本――下手したら地球ですらないところに来てしまったということだけ。
だって、ふと見上げた、まだ完全に暮れていない藍色の空には、二つの月。
襲ってきた獣も、角があったりやたらと大きかったり、変わった色をしていたり。乗せてもらっているこの馬だって、耳がとても長くて、額に小さな角が一本ついている。
ここは私が知ってる世界じゃない。まだ現実だと認めたくないけど、夢と言うにはリアルすぎる。それに、自分がここまで想像力豊かな夢を見られるとも思えない。
――『旅のご無事を』。
ドアマンの謎の言葉が蘇る。
私は本当に旅に出てしまったのだろうか。
考えてみたら、あのドアマンはちょっとおかしい気がする。着ていた制服や言葉ははっきりと覚えているのに、どんな顔をしていたかも、若かったのか老人だったのかさえ思い出せない。
彼は神様……なんてことはないよね? もし神様だったとしたら、酷くない? 私が何をしたというの? 私にだって将来の夢があったのに。考えれば考えるほど理不尽だ。
しかし救いもある。アメルさんたちは悪い人――たとえば盗賊とか犯罪集団じゃなさそうだし、彼らと一緒に行けば、帰る方法を探し出せるかもしれない。今はその可能性に賭けるのみ。
前を見ると、憧れの人によく似た男性の後ろ姿。
「……見たかったな、実演会」
心残りがそれという自分にちょっと呆れつつも、ため息を漏らしたのだった。
馬で移動してどのくらい時間が経っただろう。目的地に着いたのは、もうとっぷり日が暮れて完全に夜になってからだった。
我ながら呆れることに、先ほどまで居眠りをしていた。私は乗り物が苦手なのだけど、馬の上は開放的だからか平気みたい。それにしても、ウトウトしちゃうなんて……。昨夜は実演会が楽しみなあまり眠れなかったことも一因かもしれない。
それでも街らしき建物がたくさんある賑やかなところに入ってからは、目が覚めてきた。馬は橋を渡り、大きな門の前で止まる。
「○――※――△□」
アメルさんが私に何か言った。
彼が指さす先を追うと、大きな門の向こうにある建物が目に飛び込んでくる。
「ひゃあぁ……!」
我ながら情けない声を出してしまった。
だって、門の向こうにそびえているのは、どう見てもお城だったのだ!
辺りは暗いので細部までハッキリとは見えない。しかし、二つの月が浮かぶ夜空を背景にしたシルエットだけでも、ものすごく立派な建物だとわかる。
騎士風の人たちの出で立ちで薄々予想はついていたものの、やっぱり見慣れた日本とはまるっきり違う雰囲気だ。かと言って、西洋風というわけでもない。玉ねぎみたいな丸い屋根は、エキゾチックな感じで……お城じゃないけどこういうのによく似た有名な建物がインドにあったな。
門の前には、槍を持って立つ門番らしき人が二人。アメルさんがその人たちに何か言うと、一人が一礼してから建物の中に走っていった。
そんな中、またも抱えられて馬から降ろされる。アメルさん以外の他の騎士の皆さんも馬から降り、剣を地面に置いて跪く。うわー、なんかカッコイイ。映画みたい。
アメルさんは跪いていない。やっぱり他の人より偉いのかな?
そしてトートバッグを肩からかけた私に、身振りで門を潜るよう促すアメルさん。
ついて行くしかないけど……ものすごく緊張するなぁ。
アーチ型の門を潜り松明が照らす石畳を進むと、門の先にあるとても大きな扉が開いた。
ああ、心臓がバクバクいってる。このお城のような建物には誰がいるんだろう? というか、私なんかが入ってもいいのだろうか。
そんなことを思いつつも、アメルさんに肩を押されて扉を潜ると、案外、中はシンプルだった。壁の灯りに照らされて明るく、広い。壁も床も高い天井も全部、石造りかな? あまり飾り気はない。
どうやら電気はないみたい。壁に点々と配置されている灯りはランプで、中に火が燃えてる。
とその時、奥から人が現れた。
ふわっとしたベールを目深に被り、白くて刺繍のたくさんある長いドレスみたいな服。背は高いし、かなりスタイルのいい女性だ。
彼女は軽くお辞儀をしてから、ベールを捲りつつ顔を上げた。
うわー、すっごい美人! 年は私より少し上という感じ。ちょっぴりきつめの顔立ちと真っ赤な唇の、とても色っぽくて美しい人。
その女性は一言二言アメルさんと会話を交わし、私の方を見て微笑んだ。ツンとした顔つきだけど、笑みに嫌な感じは全然なくて、ほっとした。考えてみたら今日、ワケのわからないことになってから初めて見る女性。やはり同性というだけで、なぜか安心感がある。
手招きをされ、アメルさんと一緒に彼女について行くと、部屋に案内された。そこそこ広くて、花柄のタイル張りの壁が素敵だ。お香か何かのいい匂いがして、心が落ち着く気がした。
女性に手振りで促されるまま、椅子に座る。
「――――?」
美人の女性は私に話しかけてきた。もちろん言葉はわからない。
「すみません……わかりません」
アメルさんは黙って私の横に座っている。
すると突然、女性が私の方に手を伸ばした。私は思わずビクッと身を竦める。彼女は私が怯えたのがわかったのか、安心しなさいと言わんばかりに微笑んだ。
そして彼女は目を閉じてみせる。なんとなく、私にもそうしろと言ってるみたい。
真似をして目を閉じると、おでこにふわっと優しく何かが触れた。
呪文や歌のような節がついた、不思議な響きの声が聞こえたと思うと、額に当てられた物がほんのり温かくなった。
温かさは私の全身に広がっていく。なんか気持ちいいな……と思ったら、ぬくもりは離れてしまった。ちょっと名残惜しいような気もする。
そっと目を開けても、別に何か変わった感じはない。何をしたのかな?
「サレ、上手くいったか?」
「ええ。多分」
え? 今、アメルさんと女の人の会話の意味がわかった?
驚いていると、美人のお姉さんが優しく聞いてくれる。
「これで私の言葉がわかりますか?」
「は、はい!」
「よかった、魔法が効きましたね。あなたの言葉は、私たちが聞いたこともない響きだったので、主に人以外……動物などと話ができるようにする双方向の魔法をかけてみました。これでとりあえず不便はないと思いますよ」
え? 今、さらっとすごいことを言わなかった? 魔法?
「お姉さんは魔法が使えるのですか?」
「はい。私はこのバニーユ王家に仕える魔法使いのサレ。主に風の精霊の魔法を使います」
納得。魔法使いだったら、魔法を使うのが仕事だよね。――って、いやいや、そうでなくて。
ここって、魔法が普通にあるところなんだ! 動物などにかける魔法って言われたのは気になるけど、言葉がわかるのはすごく嬉しいから、気にしてはいけないのだろう。
「私の名前はエミ。姓はサトウといいます。サレさん、言葉がわかるようにしてくださってありがとうございます。それに……えっと……」
騎士さんはアメルという名前だと思ってたけど、本当は違ったらどうしよう。そんな心配は、言葉の通じなかった同士、彼も同じだったらしい。
「名前はエミでよかったのだな。俺は王立騎士団イビス隊隊長のアメル・デュラータ。アメルの方が名前だ」
私もアメルが名前で正解だったことにホッとした。そして騎士様の偉い人というのも合ってたみたい。
「アメルさん、獣から助けてくれて、ありがとうございます。あなたは命の恩人です」
ああ、やっとちゃんとお礼を伝えることができた。
じゃあ今度は、この世界のことをいろいろと教えてもらおうかなと思っていると、アメルさんがぶっきらぼうに言う。
「なぜあんな辺境の森の中に、お前のような子供が一人でいた?」
「私にもさっぱり……こちらが聞きたいくらいです。というか私、確かにそう大きい方ではないですが、もう十九歳ですよ?」
「えっ!?」
アメルさんが、一瞬だけものすごく驚いた顔になった。何かな、そのリアクション。
まさか俺の二つ下とか……などと、彼はブツブツ言っている。思いっきり聞こえてるんですけど。
サレさんは横でぽかーんと呆れたように見ている。こちらも驚いてるのかな?
そしてアメルさんが更なる攻撃を仕掛けてくる。
「しかもお前、女なのか?」
「……はぁ……」
なるほど。小脇に抱えられたのは、アメルさんが私を女として認識していなかったからか。失礼しちゃう! あれだけ触ったら、わかるでしょうが、普通!
腹が立つけど……そうか、男の子だと思われてたのか。ごめんね貧乳で。百五十センチないチビで。髪はそこそこ長いし、ワンピースを着てるから、女に見えるものだと思っていた。ま、まあ、ここは日本の常識が通用しないところなのかな。そうとでも思わないとあまりに悲しい。
ってことは、風間さんによく似たあの人も、私を男だと思ってる? ……な、泣かないからね!
すっかり話が逸れてしまった。気を取り直して、帰る方法の手がかりについて聞いてみよう。
「あの、さっそくで悪いのですが、いろいろと教えてもらいたいことが……」
尋ねかけたその時――
ぐうううぅ。
きゅるるぅ。
またもお間抜けな音が響いた。しかも、音源は二つ。
「……すまん」
「いえ、その、私も……失礼しました」
アメルさんと私のお腹が、同時に空腹を訴えたのだ。そういえば、今日は早めにお昼を食べて以来、何も食べてない。アメルさんも森ですでに空腹だったんだものね。
困ったように笑うサレさん。
「いろいろと話をする前に、まずは腹ごしらえをしましょう。何かおいしい物を作るよう、料理人にお願いしますわね」
サレさん、マジ天使! 頼れるお姉さまって大好き!
「そうだわエミさん、待っている間に着替えましょうか。可哀想に、女の子なのにそんな手足がよく見える寝間着のような軽装で……。アメル様も、せめてマントくらいかけてさしあげるとか、配慮があってもよろしいのに」
「すまんな。気が利かなくて」
いいんですよ、アメルさん。男の子と思ってらっしゃったのですもんね。
ううっ、しかし私の一張羅のワンピースは、こちら基準では寝間着程度にしか見えないのですか。
私がへこんでいるのをよそに、サレさんが鈴蘭みたいな形のベルを鳴らすと、すぐに使用人らしき地味な女の人が二人来た。サレさんは、一人に食事の用意を頼み、もう一人には服を用意するように告げた。他の人の態度を見ると、サレさんも偉い人みたいだ。
程なくして、ドレスっぽい服を何着か抱えてきた使用人さんが戻ってきた。するとアメルさんが部屋の入口の方へ身を返す。
「ではサレ、エミを頼む。俺は一旦、団長に報告を済ませて、隊の奴らを宿舎に下がらせてくる。話があるので飯は食堂で一緒に食う」
「あら、アメル様。話があるなら、エミさんの準備ができるまで、ここでお待ちいただいてもよろしいのに。報告など後でもよろしいのでは?」
サレさんはそう言うけど……
「お、女が着替えるところにいてはマズイだろう!」
そう言い残して、アメルさんは行ってしまった。若干耳が赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか。
アメルさんは私を女だと認識を改めてくれたんだな、と地味にホッとした。
用意してもらったドレスに着替えて、髪を整えてもらっている間にも、サレさんにいろいろなことを教えてもらった。
今いるのは、バニーユ王国。この建物は王宮で、アメルさんたちは王様に仕える騎士団。アメルさんはその騎士団にいくつかある隊の内の一つの隊長なのだという。ちなみに最近、情勢が怪しくなってきたお隣のファリーヌ国を警戒しているらしい。そことの国境近くに哨戒に行った帰り道で、アメルさんは私を発見したのだとか。
初めて聞く国の名前。地球では、現代にも過去にもそんな国は存在しない……はず。
私が日本の生まれだと言っても、サレさんはそんな国を聞いたことがないと言った。ということは、やはりここは異世界ということなのだろう。
「異世界ですか……言葉といい先の身なりといい、確かにそれなら納得はいきますわね」
サレさんは困った顔でため息をついた。
「私は元の世界に帰れるのでしょうか? 何かご存知ですか?」
つい元気のない声になってしまう。
着替え終えたドレスは引きずるくらいに裾が長く、刺繍やビーズがあしらわれた綺麗な物だった。やはり異文化なのだなとひしひしと感じる。
「さあ。調べてみないとなんとも言いようがありませんが、なぜこうなったのか原因がわかれば、あるいは。とにかく後で一緒にゆっくり考えるとして、今は疲れを癒やすのが先です。そろそろ食事の用意ができる頃ですわ。まずはお腹の虫を黙らせましょう」
「はい……」
サレさんの言う通りだ。今は深く考えないことにしよう。お腹が満たされれば、少しは頭もまともに回るかもしれない。
でもふと気がついてしまった。
確かにお腹は空いているけど、一体どんな料理がいただけるのだろうか?
地球上でも、国が違えば味覚も変わるのだ。ましてや異世界なら? 色がとんでもなかったり、ものすごく突飛な食材だったりしないだろうか。そもそも味覚が全然違って食べられないものだったりしたら、どうしよう。うーん、なんか心配になってきた。
そこで、専門学校の先生の言葉を思い出す。
『本を読んだり人に聞いたりするより、現地の食で人の生活や文化がよく理解できる』
よし、これはいい機会かもしれない。前向きにチャレンジしよう。
そんなことを考えながらサレさんに案内されて食堂に着いた。テーブルの上の料理を見て、思わずホッとする。見た目も匂いもそんなに違和感はない。普通においしそうな料理だ。
ライ麦か全粒粉なのか、少し黒っぽいパン。グリンピースに似た黄緑の豆らしき物が添えられた焼いたお肉に、シチューかスープみたいな物。具が何かまったくわからないけど、まあ見た目は許容範囲内。ただ、どれも大きくて量がかなりある。
スプーンやフォークも見慣れた形だった。なんだかんだ言っても、同じ用途の道具は似たような形に進化していくのだろう。
「遅い時間ですので、簡単な物しか用意できなかったみたいで、すみませんね」
サレさんが申し訳なさそうに言う。
「いえ! すごくおいしそうです!」
量ががっつりあるし、充分豪華だ。これで簡単な物なのかぁ。そういえばここ王宮なんだよね。簡単じゃない物って一体……
サレさんと椅子にかけると、入り口の方から声がした。
「待たせたか?」
アメルさんだ。彼は鎧を脱いでいて、丈の長いシンプルなシャツに細身のズボンという簡素な恰好である。さっきまでのおカタイ雰囲気とは違って、こう……身近な感じのイケメンになった。相変わらず無愛想だけどね。
そこでサレさんが立ち上がった。
「では、私は部屋に戻っておりますわね」
「え? サレさん、行っちゃうんですか?」
「私はもう夕食は済んでおりますから。お二人でごゆっくり」
そう言うと、サレさんは満面の笑みを残して行ってしまった。
ごゆっくりと言われても、無愛想なイケメンと向かい合って食事するなんて、正直落ち着かない。
「その恰好……」
私を見てアメルさんが口を開いた。
「はい。着替えましたよ」
「なかなか似合う。女だったんだな、やはり」
「……どうも」
それは褒められたのだろうか。ビミョー。まあいいや、それではいただきましょう。
いただきます、と一応手を合わせてから、食べ始めた私。
わぁ! かなりおいしい! この国の人の味覚とそう変わらないとわかってホッとした。
まだ学生の身だし畑が違うとはいえ、やはり食に携わる職人を目指す者としては製法や素材は気になる。
お肉は牛とも豚ともつかない味で、塩とほんの少しの香辛料だけで味付けされてる。かなり硬いけど、火の通りをよくするためか、切り目がたくさん入れられていて食べやすい。ゴロゴロと大きめの野菜が入った料理は、シチューみたいだけどあっさりしてて優しい味。お芋っぽいのは味がかぶに似てる。
素材そのものを活かしたシンプルな調理法の料理。煮るか焼くか。とてもわかりやすい。
気がつくと、かなりのペースで食べていた。
「美味いか?」
そう聞いてきたアメルさんは、もう食べきってしまった模様。余程お腹が空いてたのかな。
「おいしいです。お腹が空いていたので生き返ったような気がします」
私が食事を終えると、先ほどサレさんの部屋に来た使用人の一人が、飲み物とデザートっぽい物を運んできてくれた。
「コーヒー?」
飲んでみると、苦くて香ばしく、コーヒーによく似ている。
「マカラン茶だ。マカランの木の実の種を炒った物を煮だす。食後に飲めば消化にいい」
名前は違うし、かなりさっぱりした味だけど、製法なんかはコーヒーそのものだ。
マカラン茶に添えられていたのは、砂糖漬けなのか粉を吹いた果物。
「わ、甘い!」
一口齧ってびっくりした。じゃりっとするくらいの糖分とカッチカチの食感。酸味はなく、甘いだけか無味の果実なのだろう。しかし極甘っ! マカラン茶が苦いので合うのだけど、これはお菓子やデザートというよりは保存食だね。
こういうのも好き。でも、できたら刻んでケーキに入れたいな。
そんなことを考えつつ果実をチビチビ食べていると、突然アメルさんが言った。
「お前が森でくれたあれは、なんだ?」
「チョコレートのことですか?」
そういえばあの時のリアクションは、どんな意味だったのだろう。
「あんな美味い物は生まれて初めて食べた。美味いだけでなく、力が漲るような気がした。あれは癒やしの薬か何かなのか?」
思い出すように目を細めたアメルさんの口元に、ほんのかすかに笑みが浮かんだ。出会ってから初めて見る顔。
胸がキュッってなった気がする。
どうしよう。ものすごく嬉しい。おいしかったんだ! あ、でも……
「あれは薬でもなんでもありません。お菓子です。おいしいと言ってもらえて嬉しいですけど……ごめんなさい、アレ、実はちょっと失敗作で。形も悪かったし、甘すぎたかもしれません」
やっぱり正直に言っておかないと。
「あれは菓子なのか? しかもお前が作ったのか? あの味で失敗だとは思わなかった。お前は自分の国の王や貴族に仕える料理人か何かか?」
「いえ。私はお菓子職人のタマゴで、まだまだ修業中の身です。あれも偉い人が食べる特別な物じゃなくて……ごく一般的な、子供も食べるお菓子ですよ」
「お前の国の食文化は進んでいるのだな。この国で菓子と言えば、今食った砂糖漬けの果物や、保存の利く硬い焼き菓子だぞ」
「あぁ……」
そうなんだ。私の知っている世界でも、料理は発展していてもお菓子の文化はそれほどでもないという国もある。実際問題、三度の食事がしっかりしていれば、お菓子は栄養の面では必要ない。私が学んでいる西洋菓子などは嗜好品であり、アートでもある。つまり、心の栄養。アメルさんの言ったように、癒やしの薬なのかもしれない――――
結局その日は夜も遅いので、私はお城に泊めてもらうことになり、アメルさんは騎士団の宿舎に帰っていった。
貸してもらったのは、とても豪華な客室だ。どこから来たのかもわからない女が、こんな部屋を使わせてもらっていいのだろうかと思いながら、そこで眠ることになった。
ふかふかなベッドに横になってると、いろいろな出来事や人の顔、音、匂い、味までもが、ぐるぐる頭の中を巡っていく。
学校に行って、お菓子の勉強をして、空いた時間にはバイトに行く。そんな私の日常が、突然終わった。
実演会に行けなかったのが、本当に残念で悔しい。それに私にはパティシエールになるという夢がある。それを叶えられなくなるかもしれないのは、正直痛い。
だけど、こうして全然知らないところに放り出されても、私はそんなに動じていない。泣きわめくほど取り乱したり、帰りたいと叫んだりするほどの強い感情が浮かんでこない。はじめは自分でも不思議だったけど、それはきっと私には待っている人――家族がいないからだ。
だから『旅のご無事を』なんて言われたのだろうか。知らない世界に飛ばされたのだろうか。
あぁ、朝起きたら見慣れた自分の部屋だったらいいのにな。今日あったことは全部夢でした、で終わればいい。
……もう、考えるのも億劫になってきた。眠い。落ち込んだり悩んだりした時は、私はいつもとりあえず眠ることにしている。
「おやすみなさい」
大事な大事な本。それに軽くキスして枕元に置く。そして私は眠りについた。
眠りに落ちる間際、最後に頭に浮かんだのは、なぜかアメルさんの笑顔だった。
二 クレーム・ド・カラメル
翌朝。目を開けたら見慣れない高い天井があった。私が住んでいる部屋のワンルームの低い天井と明らかに違う。白地にブルーの花が描かれたタイル張りの天井。蛍光灯もない。それに、私のベッドはこんなふかふかじゃない。
寝起きでぼーっとした頭が覚醒してくると、昨日のことが思い出される。
「やっぱり夢じゃなかった……」
がっかりしつつも起き上がり、昨夜借りた服に着替えていると、誰かが部屋のドアをノックした。
「はい」
「お目覚めですか」
ドアの向こうから声が聞こえる。この声はサレさんだ。
慌ててドアを開けると、麗しい笑みを湛えたお姉様が立っていた。
「おはようございます」
「朝食、ご一緒にと思いまして」
誘いに来てくれたんだ。嬉しいな。
「よく眠れましたか?」
「はい。ありがとうございます」
枕がかわろうと、どこででもぐっすり眠れるのが、私の少ない取り柄の一つ。なんだかんだでぐっすり寝たものだから、今は気分もスッキリしている。
食堂に向かって歩く途中、サレさんが申し訳なさそうに言った。
「昨夜、あれから書物で異世界について調べてみましたが、よくわかりませんでした」
「すみません……お手間を取らせてしまって」
「いえ。私は好きでやっているのですから、謝らないでくださいな。私は思うの。来られたのだから、帰る方法もあるはず。それを一緒に探しましょう。時間はかかるかもしれないけど、きっと見つかりますわよ」
「エミ、――――?」
何を言われてるのかは、相変わらずわからない。直後に手綱を持つ彼の手が動いたと思うと、馬が勢いよく走り出した。きっとさっきは、しっかり掴まってろとでも言ってくれたのだろうけど!
ひいいぃ! 怖いー! 速いぃー!
もう恥ずかしさどころか、何もかもすっ飛んだ。
しばらくして、少し落ち着いてくると、いろいろな思いが頭を回り始めた。
そろーっと振り返って見上げてみる。すると、驚くほど整った顔立ちなのに、眉間に皺を寄せた難しい顔のアメルさんと目が合う。
こうして連れてきてくれたところをみると、嫌われはしていないようだけど……
どうしてこうなった? ここは本当にどこなんだろう? この後どこに行くのだろう? 私、帰れるのかな?
疑問だらけの中で、わかるのはただ一つ。
私はどうやら、日本――下手したら地球ですらないところに来てしまったということだけ。
だって、ふと見上げた、まだ完全に暮れていない藍色の空には、二つの月。
襲ってきた獣も、角があったりやたらと大きかったり、変わった色をしていたり。乗せてもらっているこの馬だって、耳がとても長くて、額に小さな角が一本ついている。
ここは私が知ってる世界じゃない。まだ現実だと認めたくないけど、夢と言うにはリアルすぎる。それに、自分がここまで想像力豊かな夢を見られるとも思えない。
――『旅のご無事を』。
ドアマンの謎の言葉が蘇る。
私は本当に旅に出てしまったのだろうか。
考えてみたら、あのドアマンはちょっとおかしい気がする。着ていた制服や言葉ははっきりと覚えているのに、どんな顔をしていたかも、若かったのか老人だったのかさえ思い出せない。
彼は神様……なんてことはないよね? もし神様だったとしたら、酷くない? 私が何をしたというの? 私にだって将来の夢があったのに。考えれば考えるほど理不尽だ。
しかし救いもある。アメルさんたちは悪い人――たとえば盗賊とか犯罪集団じゃなさそうだし、彼らと一緒に行けば、帰る方法を探し出せるかもしれない。今はその可能性に賭けるのみ。
前を見ると、憧れの人によく似た男性の後ろ姿。
「……見たかったな、実演会」
心残りがそれという自分にちょっと呆れつつも、ため息を漏らしたのだった。
馬で移動してどのくらい時間が経っただろう。目的地に着いたのは、もうとっぷり日が暮れて完全に夜になってからだった。
我ながら呆れることに、先ほどまで居眠りをしていた。私は乗り物が苦手なのだけど、馬の上は開放的だからか平気みたい。それにしても、ウトウトしちゃうなんて……。昨夜は実演会が楽しみなあまり眠れなかったことも一因かもしれない。
それでも街らしき建物がたくさんある賑やかなところに入ってからは、目が覚めてきた。馬は橋を渡り、大きな門の前で止まる。
「○――※――△□」
アメルさんが私に何か言った。
彼が指さす先を追うと、大きな門の向こうにある建物が目に飛び込んでくる。
「ひゃあぁ……!」
我ながら情けない声を出してしまった。
だって、門の向こうにそびえているのは、どう見てもお城だったのだ!
辺りは暗いので細部までハッキリとは見えない。しかし、二つの月が浮かぶ夜空を背景にしたシルエットだけでも、ものすごく立派な建物だとわかる。
騎士風の人たちの出で立ちで薄々予想はついていたものの、やっぱり見慣れた日本とはまるっきり違う雰囲気だ。かと言って、西洋風というわけでもない。玉ねぎみたいな丸い屋根は、エキゾチックな感じで……お城じゃないけどこういうのによく似た有名な建物がインドにあったな。
門の前には、槍を持って立つ門番らしき人が二人。アメルさんがその人たちに何か言うと、一人が一礼してから建物の中に走っていった。
そんな中、またも抱えられて馬から降ろされる。アメルさん以外の他の騎士の皆さんも馬から降り、剣を地面に置いて跪く。うわー、なんかカッコイイ。映画みたい。
アメルさんは跪いていない。やっぱり他の人より偉いのかな?
そしてトートバッグを肩からかけた私に、身振りで門を潜るよう促すアメルさん。
ついて行くしかないけど……ものすごく緊張するなぁ。
アーチ型の門を潜り松明が照らす石畳を進むと、門の先にあるとても大きな扉が開いた。
ああ、心臓がバクバクいってる。このお城のような建物には誰がいるんだろう? というか、私なんかが入ってもいいのだろうか。
そんなことを思いつつも、アメルさんに肩を押されて扉を潜ると、案外、中はシンプルだった。壁の灯りに照らされて明るく、広い。壁も床も高い天井も全部、石造りかな? あまり飾り気はない。
どうやら電気はないみたい。壁に点々と配置されている灯りはランプで、中に火が燃えてる。
とその時、奥から人が現れた。
ふわっとしたベールを目深に被り、白くて刺繍のたくさんある長いドレスみたいな服。背は高いし、かなりスタイルのいい女性だ。
彼女は軽くお辞儀をしてから、ベールを捲りつつ顔を上げた。
うわー、すっごい美人! 年は私より少し上という感じ。ちょっぴりきつめの顔立ちと真っ赤な唇の、とても色っぽくて美しい人。
その女性は一言二言アメルさんと会話を交わし、私の方を見て微笑んだ。ツンとした顔つきだけど、笑みに嫌な感じは全然なくて、ほっとした。考えてみたら今日、ワケのわからないことになってから初めて見る女性。やはり同性というだけで、なぜか安心感がある。
手招きをされ、アメルさんと一緒に彼女について行くと、部屋に案内された。そこそこ広くて、花柄のタイル張りの壁が素敵だ。お香か何かのいい匂いがして、心が落ち着く気がした。
女性に手振りで促されるまま、椅子に座る。
「――――?」
美人の女性は私に話しかけてきた。もちろん言葉はわからない。
「すみません……わかりません」
アメルさんは黙って私の横に座っている。
すると突然、女性が私の方に手を伸ばした。私は思わずビクッと身を竦める。彼女は私が怯えたのがわかったのか、安心しなさいと言わんばかりに微笑んだ。
そして彼女は目を閉じてみせる。なんとなく、私にもそうしろと言ってるみたい。
真似をして目を閉じると、おでこにふわっと優しく何かが触れた。
呪文や歌のような節がついた、不思議な響きの声が聞こえたと思うと、額に当てられた物がほんのり温かくなった。
温かさは私の全身に広がっていく。なんか気持ちいいな……と思ったら、ぬくもりは離れてしまった。ちょっと名残惜しいような気もする。
そっと目を開けても、別に何か変わった感じはない。何をしたのかな?
「サレ、上手くいったか?」
「ええ。多分」
え? 今、アメルさんと女の人の会話の意味がわかった?
驚いていると、美人のお姉さんが優しく聞いてくれる。
「これで私の言葉がわかりますか?」
「は、はい!」
「よかった、魔法が効きましたね。あなたの言葉は、私たちが聞いたこともない響きだったので、主に人以外……動物などと話ができるようにする双方向の魔法をかけてみました。これでとりあえず不便はないと思いますよ」
え? 今、さらっとすごいことを言わなかった? 魔法?
「お姉さんは魔法が使えるのですか?」
「はい。私はこのバニーユ王家に仕える魔法使いのサレ。主に風の精霊の魔法を使います」
納得。魔法使いだったら、魔法を使うのが仕事だよね。――って、いやいや、そうでなくて。
ここって、魔法が普通にあるところなんだ! 動物などにかける魔法って言われたのは気になるけど、言葉がわかるのはすごく嬉しいから、気にしてはいけないのだろう。
「私の名前はエミ。姓はサトウといいます。サレさん、言葉がわかるようにしてくださってありがとうございます。それに……えっと……」
騎士さんはアメルという名前だと思ってたけど、本当は違ったらどうしよう。そんな心配は、言葉の通じなかった同士、彼も同じだったらしい。
「名前はエミでよかったのだな。俺は王立騎士団イビス隊隊長のアメル・デュラータ。アメルの方が名前だ」
私もアメルが名前で正解だったことにホッとした。そして騎士様の偉い人というのも合ってたみたい。
「アメルさん、獣から助けてくれて、ありがとうございます。あなたは命の恩人です」
ああ、やっとちゃんとお礼を伝えることができた。
じゃあ今度は、この世界のことをいろいろと教えてもらおうかなと思っていると、アメルさんがぶっきらぼうに言う。
「なぜあんな辺境の森の中に、お前のような子供が一人でいた?」
「私にもさっぱり……こちらが聞きたいくらいです。というか私、確かにそう大きい方ではないですが、もう十九歳ですよ?」
「えっ!?」
アメルさんが、一瞬だけものすごく驚いた顔になった。何かな、そのリアクション。
まさか俺の二つ下とか……などと、彼はブツブツ言っている。思いっきり聞こえてるんですけど。
サレさんは横でぽかーんと呆れたように見ている。こちらも驚いてるのかな?
そしてアメルさんが更なる攻撃を仕掛けてくる。
「しかもお前、女なのか?」
「……はぁ……」
なるほど。小脇に抱えられたのは、アメルさんが私を女として認識していなかったからか。失礼しちゃう! あれだけ触ったら、わかるでしょうが、普通!
腹が立つけど……そうか、男の子だと思われてたのか。ごめんね貧乳で。百五十センチないチビで。髪はそこそこ長いし、ワンピースを着てるから、女に見えるものだと思っていた。ま、まあ、ここは日本の常識が通用しないところなのかな。そうとでも思わないとあまりに悲しい。
ってことは、風間さんによく似たあの人も、私を男だと思ってる? ……な、泣かないからね!
すっかり話が逸れてしまった。気を取り直して、帰る方法の手がかりについて聞いてみよう。
「あの、さっそくで悪いのですが、いろいろと教えてもらいたいことが……」
尋ねかけたその時――
ぐうううぅ。
きゅるるぅ。
またもお間抜けな音が響いた。しかも、音源は二つ。
「……すまん」
「いえ、その、私も……失礼しました」
アメルさんと私のお腹が、同時に空腹を訴えたのだ。そういえば、今日は早めにお昼を食べて以来、何も食べてない。アメルさんも森ですでに空腹だったんだものね。
困ったように笑うサレさん。
「いろいろと話をする前に、まずは腹ごしらえをしましょう。何かおいしい物を作るよう、料理人にお願いしますわね」
サレさん、マジ天使! 頼れるお姉さまって大好き!
「そうだわエミさん、待っている間に着替えましょうか。可哀想に、女の子なのにそんな手足がよく見える寝間着のような軽装で……。アメル様も、せめてマントくらいかけてさしあげるとか、配慮があってもよろしいのに」
「すまんな。気が利かなくて」
いいんですよ、アメルさん。男の子と思ってらっしゃったのですもんね。
ううっ、しかし私の一張羅のワンピースは、こちら基準では寝間着程度にしか見えないのですか。
私がへこんでいるのをよそに、サレさんが鈴蘭みたいな形のベルを鳴らすと、すぐに使用人らしき地味な女の人が二人来た。サレさんは、一人に食事の用意を頼み、もう一人には服を用意するように告げた。他の人の態度を見ると、サレさんも偉い人みたいだ。
程なくして、ドレスっぽい服を何着か抱えてきた使用人さんが戻ってきた。するとアメルさんが部屋の入口の方へ身を返す。
「ではサレ、エミを頼む。俺は一旦、団長に報告を済ませて、隊の奴らを宿舎に下がらせてくる。話があるので飯は食堂で一緒に食う」
「あら、アメル様。話があるなら、エミさんの準備ができるまで、ここでお待ちいただいてもよろしいのに。報告など後でもよろしいのでは?」
サレさんはそう言うけど……
「お、女が着替えるところにいてはマズイだろう!」
そう言い残して、アメルさんは行ってしまった。若干耳が赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか。
アメルさんは私を女だと認識を改めてくれたんだな、と地味にホッとした。
用意してもらったドレスに着替えて、髪を整えてもらっている間にも、サレさんにいろいろなことを教えてもらった。
今いるのは、バニーユ王国。この建物は王宮で、アメルさんたちは王様に仕える騎士団。アメルさんはその騎士団にいくつかある隊の内の一つの隊長なのだという。ちなみに最近、情勢が怪しくなってきたお隣のファリーヌ国を警戒しているらしい。そことの国境近くに哨戒に行った帰り道で、アメルさんは私を発見したのだとか。
初めて聞く国の名前。地球では、現代にも過去にもそんな国は存在しない……はず。
私が日本の生まれだと言っても、サレさんはそんな国を聞いたことがないと言った。ということは、やはりここは異世界ということなのだろう。
「異世界ですか……言葉といい先の身なりといい、確かにそれなら納得はいきますわね」
サレさんは困った顔でため息をついた。
「私は元の世界に帰れるのでしょうか? 何かご存知ですか?」
つい元気のない声になってしまう。
着替え終えたドレスは引きずるくらいに裾が長く、刺繍やビーズがあしらわれた綺麗な物だった。やはり異文化なのだなとひしひしと感じる。
「さあ。調べてみないとなんとも言いようがありませんが、なぜこうなったのか原因がわかれば、あるいは。とにかく後で一緒にゆっくり考えるとして、今は疲れを癒やすのが先です。そろそろ食事の用意ができる頃ですわ。まずはお腹の虫を黙らせましょう」
「はい……」
サレさんの言う通りだ。今は深く考えないことにしよう。お腹が満たされれば、少しは頭もまともに回るかもしれない。
でもふと気がついてしまった。
確かにお腹は空いているけど、一体どんな料理がいただけるのだろうか?
地球上でも、国が違えば味覚も変わるのだ。ましてや異世界なら? 色がとんでもなかったり、ものすごく突飛な食材だったりしないだろうか。そもそも味覚が全然違って食べられないものだったりしたら、どうしよう。うーん、なんか心配になってきた。
そこで、専門学校の先生の言葉を思い出す。
『本を読んだり人に聞いたりするより、現地の食で人の生活や文化がよく理解できる』
よし、これはいい機会かもしれない。前向きにチャレンジしよう。
そんなことを考えながらサレさんに案内されて食堂に着いた。テーブルの上の料理を見て、思わずホッとする。見た目も匂いもそんなに違和感はない。普通においしそうな料理だ。
ライ麦か全粒粉なのか、少し黒っぽいパン。グリンピースに似た黄緑の豆らしき物が添えられた焼いたお肉に、シチューかスープみたいな物。具が何かまったくわからないけど、まあ見た目は許容範囲内。ただ、どれも大きくて量がかなりある。
スプーンやフォークも見慣れた形だった。なんだかんだ言っても、同じ用途の道具は似たような形に進化していくのだろう。
「遅い時間ですので、簡単な物しか用意できなかったみたいで、すみませんね」
サレさんが申し訳なさそうに言う。
「いえ! すごくおいしそうです!」
量ががっつりあるし、充分豪華だ。これで簡単な物なのかぁ。そういえばここ王宮なんだよね。簡単じゃない物って一体……
サレさんと椅子にかけると、入り口の方から声がした。
「待たせたか?」
アメルさんだ。彼は鎧を脱いでいて、丈の長いシンプルなシャツに細身のズボンという簡素な恰好である。さっきまでのおカタイ雰囲気とは違って、こう……身近な感じのイケメンになった。相変わらず無愛想だけどね。
そこでサレさんが立ち上がった。
「では、私は部屋に戻っておりますわね」
「え? サレさん、行っちゃうんですか?」
「私はもう夕食は済んでおりますから。お二人でごゆっくり」
そう言うと、サレさんは満面の笑みを残して行ってしまった。
ごゆっくりと言われても、無愛想なイケメンと向かい合って食事するなんて、正直落ち着かない。
「その恰好……」
私を見てアメルさんが口を開いた。
「はい。着替えましたよ」
「なかなか似合う。女だったんだな、やはり」
「……どうも」
それは褒められたのだろうか。ビミョー。まあいいや、それではいただきましょう。
いただきます、と一応手を合わせてから、食べ始めた私。
わぁ! かなりおいしい! この国の人の味覚とそう変わらないとわかってホッとした。
まだ学生の身だし畑が違うとはいえ、やはり食に携わる職人を目指す者としては製法や素材は気になる。
お肉は牛とも豚ともつかない味で、塩とほんの少しの香辛料だけで味付けされてる。かなり硬いけど、火の通りをよくするためか、切り目がたくさん入れられていて食べやすい。ゴロゴロと大きめの野菜が入った料理は、シチューみたいだけどあっさりしてて優しい味。お芋っぽいのは味がかぶに似てる。
素材そのものを活かしたシンプルな調理法の料理。煮るか焼くか。とてもわかりやすい。
気がつくと、かなりのペースで食べていた。
「美味いか?」
そう聞いてきたアメルさんは、もう食べきってしまった模様。余程お腹が空いてたのかな。
「おいしいです。お腹が空いていたので生き返ったような気がします」
私が食事を終えると、先ほどサレさんの部屋に来た使用人の一人が、飲み物とデザートっぽい物を運んできてくれた。
「コーヒー?」
飲んでみると、苦くて香ばしく、コーヒーによく似ている。
「マカラン茶だ。マカランの木の実の種を炒った物を煮だす。食後に飲めば消化にいい」
名前は違うし、かなりさっぱりした味だけど、製法なんかはコーヒーそのものだ。
マカラン茶に添えられていたのは、砂糖漬けなのか粉を吹いた果物。
「わ、甘い!」
一口齧ってびっくりした。じゃりっとするくらいの糖分とカッチカチの食感。酸味はなく、甘いだけか無味の果実なのだろう。しかし極甘っ! マカラン茶が苦いので合うのだけど、これはお菓子やデザートというよりは保存食だね。
こういうのも好き。でも、できたら刻んでケーキに入れたいな。
そんなことを考えつつ果実をチビチビ食べていると、突然アメルさんが言った。
「お前が森でくれたあれは、なんだ?」
「チョコレートのことですか?」
そういえばあの時のリアクションは、どんな意味だったのだろう。
「あんな美味い物は生まれて初めて食べた。美味いだけでなく、力が漲るような気がした。あれは癒やしの薬か何かなのか?」
思い出すように目を細めたアメルさんの口元に、ほんのかすかに笑みが浮かんだ。出会ってから初めて見る顔。
胸がキュッってなった気がする。
どうしよう。ものすごく嬉しい。おいしかったんだ! あ、でも……
「あれは薬でもなんでもありません。お菓子です。おいしいと言ってもらえて嬉しいですけど……ごめんなさい、アレ、実はちょっと失敗作で。形も悪かったし、甘すぎたかもしれません」
やっぱり正直に言っておかないと。
「あれは菓子なのか? しかもお前が作ったのか? あの味で失敗だとは思わなかった。お前は自分の国の王や貴族に仕える料理人か何かか?」
「いえ。私はお菓子職人のタマゴで、まだまだ修業中の身です。あれも偉い人が食べる特別な物じゃなくて……ごく一般的な、子供も食べるお菓子ですよ」
「お前の国の食文化は進んでいるのだな。この国で菓子と言えば、今食った砂糖漬けの果物や、保存の利く硬い焼き菓子だぞ」
「あぁ……」
そうなんだ。私の知っている世界でも、料理は発展していてもお菓子の文化はそれほどでもないという国もある。実際問題、三度の食事がしっかりしていれば、お菓子は栄養の面では必要ない。私が学んでいる西洋菓子などは嗜好品であり、アートでもある。つまり、心の栄養。アメルさんの言ったように、癒やしの薬なのかもしれない――――
結局その日は夜も遅いので、私はお城に泊めてもらうことになり、アメルさんは騎士団の宿舎に帰っていった。
貸してもらったのは、とても豪華な客室だ。どこから来たのかもわからない女が、こんな部屋を使わせてもらっていいのだろうかと思いながら、そこで眠ることになった。
ふかふかなベッドに横になってると、いろいろな出来事や人の顔、音、匂い、味までもが、ぐるぐる頭の中を巡っていく。
学校に行って、お菓子の勉強をして、空いた時間にはバイトに行く。そんな私の日常が、突然終わった。
実演会に行けなかったのが、本当に残念で悔しい。それに私にはパティシエールになるという夢がある。それを叶えられなくなるかもしれないのは、正直痛い。
だけど、こうして全然知らないところに放り出されても、私はそんなに動じていない。泣きわめくほど取り乱したり、帰りたいと叫んだりするほどの強い感情が浮かんでこない。はじめは自分でも不思議だったけど、それはきっと私には待っている人――家族がいないからだ。
だから『旅のご無事を』なんて言われたのだろうか。知らない世界に飛ばされたのだろうか。
あぁ、朝起きたら見慣れた自分の部屋だったらいいのにな。今日あったことは全部夢でした、で終わればいい。
……もう、考えるのも億劫になってきた。眠い。落ち込んだり悩んだりした時は、私はいつもとりあえず眠ることにしている。
「おやすみなさい」
大事な大事な本。それに軽くキスして枕元に置く。そして私は眠りについた。
眠りに落ちる間際、最後に頭に浮かんだのは、なぜかアメルさんの笑顔だった。
二 クレーム・ド・カラメル
翌朝。目を開けたら見慣れない高い天井があった。私が住んでいる部屋のワンルームの低い天井と明らかに違う。白地にブルーの花が描かれたタイル張りの天井。蛍光灯もない。それに、私のベッドはこんなふかふかじゃない。
寝起きでぼーっとした頭が覚醒してくると、昨日のことが思い出される。
「やっぱり夢じゃなかった……」
がっかりしつつも起き上がり、昨夜借りた服に着替えていると、誰かが部屋のドアをノックした。
「はい」
「お目覚めですか」
ドアの向こうから声が聞こえる。この声はサレさんだ。
慌ててドアを開けると、麗しい笑みを湛えたお姉様が立っていた。
「おはようございます」
「朝食、ご一緒にと思いまして」
誘いに来てくれたんだ。嬉しいな。
「よく眠れましたか?」
「はい。ありがとうございます」
枕がかわろうと、どこででもぐっすり眠れるのが、私の少ない取り柄の一つ。なんだかんだでぐっすり寝たものだから、今は気分もスッキリしている。
食堂に向かって歩く途中、サレさんが申し訳なさそうに言った。
「昨夜、あれから書物で異世界について調べてみましたが、よくわかりませんでした」
「すみません……お手間を取らせてしまって」
「いえ。私は好きでやっているのですから、謝らないでくださいな。私は思うの。来られたのだから、帰る方法もあるはず。それを一緒に探しましょう。時間はかかるかもしれないけど、きっと見つかりますわよ」
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