【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る

水月音子

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二章

01

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 マリアーナは馬車に揺られながら、車窓の外を眺め続ける。

 ティフマ城からフィーアンダ国境の城までの間カーテンは閉め切られていたが、今回は必要ないとの判断か初めから開けられていた。
 その為、ゆっくりと外を流れる森の景色を眺めることができた。

 ただ、前回と違うのはそれだけではない。

(ソリヤ……いいえ、ソフィアだったかしら)

 昨日、部屋にやってきたアルベルトに『妻にする』と宣言された後、マリアーナに続いて謁見の間に呼ばれていたソリヤが戻って来た。

 マリアーナの傍まで来た彼女はその場で膝をつき、深々と頭を下げると言った。

『ずっと黙っていて申し訳ございません。わたしソリヤはルーベンソン公爵から命令を受けてティフマ城に潜入しておりました。本名をソフィア・オリーンと申します。この五年間、マリアーナ様を騙していたことを、ここにお詫び申し上げます。申し訳ございません』

 前髪が床につくのではと思うほど深く下げられた後頭部を見つめ、様々な思いが去来するマリアーナは長い沈黙後、『そう』としか返せなかった。

 もっと何か言わなければと思うのに、口を開けば彼女を責める言葉が出てくるのではと不安で声が詰まる。

 戸惑っているうちに変わりの侍女がやってきて、フランが侍女の交代を説明しソリヤは――ソフィアは出て行ってしまった。

(お礼だけでも言えば良かった……)

 間諜だと知って「騙された」という思いは確かにあるが、この五年彼女には助けられたことばかりだった。
 辺境を守るティフマ城という過酷な環境で、これほど長く傍にいてくれた侍女は彼女が初めてだ。

 マリアーナが鈍いだけかも知れないが、彼女は一切の不審な言動もなく忠誠心のある侍女だったから、心の支えとして大事な存在であった。

 だが、だからこそ言葉を失ったのかも知れない。

 新たにあてがわれた侍女との同乗を断って、一人馬車に揺られながらマリアーナはソフィアに思い馳せる。

(彼女が居ないと、こんなに心細いのね)

 侍女が交代されたのは恐らくマリアーナの心情を思ってのことだろう。心の整理がつかないため有難くもあるが、これから一人で見知らぬ環境へ向かわなければならないのだ。

 馬車はアルベルトが治める領地にある本邸へ向かっていた。初めは王都へという話だったが、フィーアンダの習慣や行儀作法を学ぶため、しばらくは公爵邸へ滞在することになるという。

(いきなり王都へ行くよりは心の準備もできて助かるわ。だけど、受け入れてもらえるのかしら……)

 エーリスと父タルヴォの浅慮で行った侵略行為はあっけなく撃退させられたが、それでも国境を侵犯した城主の娘である。それを考慮しなくても、関係の良くない敵国の貴族子女だ。

 “そういった”目で見られることは必至に思えた。
 そして思う――なぜ、そんな娘を『妻に』と彼は言ったのか。

(エーリス殿下への報復……ではないわよね)

 侵略を命じた王子の婚約者であるマリアーナを、自分の妻にすることでエーリスの面目を潰す、あるいは嫌がらせをする――という意味も考えたが、そういう思惑があったとしてもそれだけではないはずだ。

 マリアーナを娶ったことでティペリッシュの辺境領を治める者とアルベルトが縁続きになる。因縁を作ることでエーリスを二度と辺境領に足を踏み入れさせないように――とも考えたが、それも回りくどく感じる。

 このほかにも何か理由があるのでは――そう思索を続けるマリアーナの視界に、森の奥から陽の光が飛び込んできて我に返った。

 何かが陽の光を反射しているらしい。よくよく見ると少し離れたところに湖が見えた。なぜか鼓動が速くなるのを感じる。

(あの時溺れた……いいえ、まさか)

 幼いころ森に迷い、光と戯れ、なぜか湖に落ちたときのことを思い出す。

 だが、もう馬車は随分と遠くまで来ている。国境からここまで幼い子供の足で歩いて来れる距離ではない。

 自分が溺れた湖ではないと思いつつも、それから目が離せずにいた。

「あっ――」

 思わずマリアーナは身を乗り出し声を上げていた。

 遠くに見える湖の上に、いつか見た小さな光が舞っているのが見えた気がした。その瞬間なぜかマリアーナは、あの場へ行きたい衝動に強く駆られる。

 だが、車輪が小石に乗り上げた振動で我に返る。同時に周りを騎兵に囲まれていて、自分に自由がないことを思い出す。

 すると遠くに見えていた小さな光も、湖に射し込む陽の光に溶け込んで消えていった。
 それを寂しく思いながらマリアーナは、湖が木々の合間に隠れて見えなくなるまでずっと見つめ続けた。





 マリアーナを運ぶ一行は三日かけてアルベルトの治める領地に入った。

 道中、夜になれば貴人用の宿に泊まったり、その領地を治める者の邸宅に世話になったりしたが、宿屋で、あるいは邸宅内でアルベルトの姿を見ることはなかった。

 相変わらず馬車での乗り降りの際には彼がエスコートをするのに――。

(必要最低限のことはして頂いてる……わたしとの結婚など公爵閣下も望んでいないことだから、顔も合わせたくないのかも知れないわ)

 しかしそう考えてはみても、アルベルトがマリアーナを見るその目はいつも、騎士を率いるときと違い優しく感じてしまう。

 そして今も、公爵邸の玄関前に止められた馬車から降りる際、手を差し出すアルベルトのマリアーナを見るその眼差しは温かい。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 思わずアルベルトから目が離せないでいると、近くから声がかけられて慌てて視線を外す。目線を前方へ戻せば、傍に執事らしき男性がいることに気づいた。

 六十代の白髪が目立つその男性は、アルベルトに深く頭を下げた後、真っ直ぐにマリアーナを見つめてきた。

「そちらがティペリッシュの――」

 やや低められた声音と鋭い視線に、マリアーナは敏感に相手の心情を察して背筋を伸ばした。だが、不用意に口を開くことはなく黙って待つ。

「――ああ、マリアーナ・ルオッツァライネン、ティフマ城の城主の娘だ。私の妻として迎え入れることになった。そのつもりで対応してくれ」

 男性にそう説明をしたあと、アルベルトは続けてマリアーナにも向き直ると言った。

「マリアーナ嬢、彼はこの公爵邸を任せている執事のテオドルだ。この邸や周辺のことで分からないことがあれば彼を頼るといい」

 そう紹介を受けて、マリアーナは小さく膝を折り頭を下げた。

「マリアーナ・ルオッツァライネンと申します。よろしくお願いいたします」

 頭を上げ、下げていた目線を真っ直ぐに男性へ――テオドルへ戻すと、ずっとこちらを観察していたであろう彼と視線がぶつかる。

 老齢の男性にじっと見つめられて怯みそうになるが、マリアーナは表情を変えることなくテオドルを見返した。

 先に視線を外したのはテオドルだった。わかるか、わからないかの目礼をして、その視線を自分の主へと向ける。

「妻と言いますが、婚約もまだではありませんか」

 淡々とした指摘にアルベルトが目を細めた。眉間にしわも寄っている。彼の勘気を悟ってマリアーナはつい身を硬くしたが――

「すでに書類は取り寄せている。これから署名をし、明日には王都へ私自ら届けにいく」

アルベルトの口から出てきたのもまた淡々とした説明だった。

 ただ、やはり若干口調がとげとげしい。
 表情から怒っているようにも見えたが、どちらかというと“不貞腐れる”に近いようだ。

 それが分かっているからか、テオドルの様子も落ち着いている。

 しかしすぐにアルベルトは表情を改めると、やや硬い声音で続けた。

「――テオドル、これは陛下もすでにご承知のことだ。わかっているな?」

 するとテオドルも姿勢を正し「かしこまりました」と深く頭を下げるのだった。

 親しい間柄だからこその雰囲気が垣間見えた気がするも、出会ったばかりのマリアーナには本当のところどうなのか分からない。

 そのせいでアルベルトの勘気に強張らせていた体を、解いていいのかどうか未だ迷ったままだった。

(わたしにはわからない間合いだわ。当然だけど……)

 これから知っていくことができるのか、それとも、そんな日は永遠に来ないのか。
 それすらも、今のマリアーナにはまったくわかりようの無いことだった。
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