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終章
01
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継母と異母妹ティーナとの対面が終わって、マリアーナは子爵邸に与えられた自室へと戻っていた。
ちなみに継母とティーナは『こんな時間に町を出ても、どこの町にもたどり着けないから』といって、我儘を言って子爵邸の客室で一晩過ごす権利を勝ち取っている。
子爵と夫人にはマリアーナから深く謝罪したが、二人ともマリアーナのせいではない、気にしないでいいと言ってくれた。
それでもマリアーナは申し訳なくて仕方なかったが、それと同じくらい継母の最後の言葉が気になった。
『だけどせめてエーリス殿下を解放してと、あなたからも公爵にお願いしてちょうだい。エーリス殿下を解放してくれたら辺境領に戻ります』
アルベルトは以前、『多額の賠償とそなたの犠牲で償いは果たされた』と言っていた。
てっきりエーリスも解放されているものだと思っていたが、まだ囚われているとは思いもよらなかった。
ただ、アルベルトが締結した条約を反故にするとは考えにくい。きっとこれにも相応の理由はあるのだろう。
しかしそうなると継母の望みを叶えることは難しい。
侵略され、侵略した者を撃退し戦に勝った側の国が、有利な内容で締結した条約で現状が成っている。
それを侵略した側であり敗戦した者が、勝利した者に何かを望むことなどできるわけがない。
(だけど、どうしてまだエーリス殿下を拘束しているのかしら? お継母さまはエーリス殿下と一緒でないと帰らないと言うし……どうしたら解放していただけるのか……)
『マリアーナとアルベルトの婚姻が成立すれば解放する』と条約に書かれていたことなど露とも知らず、マリアーナは頭を悩ませる。
「僭越ながらマリアーナ様――曲がりなりにも親族だった者を悪しざまには言いたくありませんが、あの方々の言うことなど気にする必要はないと思います」
「ソフィア……」
ティフマ城に居たときからソフィアは継母らのことを良く思っていないのだと、事あるごとにひしひしと感じてはいたが、ここに来てから彼女はそれを隠すこともしなくなったらしい。
「城での辺境伯夫人の役目をマリアーナ様に押し付け、自分は邸宅でぬくぬくと贅沢三昧。茶会やら舞踏会やらと忙しく遊びまわって――これで社交に長けているならまだしも一方的に自慢だけして顰蹙を買うばかりの方々ですよ」
つらつらと言葉を並べ立てるソフィアに、ついマリアーナは呆気にとられてしまう。
ソフィアもずっとマリアーナの傍に居て継母やティーナに付き従うことはなかったはずだが、間諜としても働いていたからか情報収集は欠かしていなかったようだ。
「……そうなの?」
「ええ。どれだけ自分が裕福か、どれほど高級なものを身につけているか、自分の娘がどれほど美しかと――そんな話ばかりで社交さえも覚束ない有様だったので、なおさら辺境伯への周囲の当たりは厳しくなっていってました」
「そうだったの……」
ソフィアの話を聞くにつれ、次第にマリアーナは俯いてしまう。
今のは辺境伯夫人として継母がいかに役目を果たせていないかという話だったが、それをつい自分に置き換えてしまっていた。
(社交……わたしは一度もしたことがないわ。公爵邸で家庭教師に行儀作法とともにどう振舞うか教えてもらったけど――)
父親と継母以外、あまり貴族と関わってこなかったマリアーナは、淑女といえば継母が一番身近だった。
その為、継母が上手くできない社交を何も知らない自分が上手くできるとは思えない。
落ち込むマリアーナに気づいていたソフィアだが、何に引っ掛かったのかわからなかったのか黙ってしまう。
代わりに口を開いたのはルイースだった。
「わたしも同感です! ちょっと対応しただけでも、あの方々がとても性格の悪い人たちだってわかります。あの人たちの言うことに悩む必要はないと思います!」
まさかルイースまでがソフィアと同じことを言うなんて――と、マリアーナはまた目を丸くして彼女を見つめた。
公爵邸に居たときより徐々に態度が軟化し、ソフィアが来てからさらに柔らかくなったとはいえ、こんなに強く肩入れするほどに心を寄せてくれているとは思わなかった。
頬を染め、拳を作り鼻息荒くするルイースに、マリアーナは自然と笑みを浮かべていた。
「ありがとうルイース。それと、お継母さまやティーナがあなたに嫌な態度を取ったこと、わたしからお詫びするわ、ごめんなさい」
「えっ、あ……いえ……すみません」
勢い込んでいたルイースが途端に身を小さくして項垂れる。
仕える主に気を遣わせてしまったことを自省しているのだろう。
その隣でソフィアも先輩らしい厳しい表情をしている。
きっとあとで叱られるに違いないと思いつつ、マリアーナはそれを想像して微笑ましい気分になった。
「そうね、ここで悩んでいても仕方がないわ。ルーベンソ――アルベルト様が戻られるのを待って相談しましょう」
二人の助言を受け入れてそう口にすれば、ソフィアはにっこりと微笑んで頷き、ルイースはほっとした様子で何度も首を振った。
(確かに、今悩んでたって仕方がないわ――エーリス殿下のことはわたしの自由にできることではないし、社交だって必要なくなるかもしれないんだし)
そんな心の声を知る由もなく、お茶を入れ替えるため二人が甲斐甲斐しく世話をする。そんな二人をマリアーナは口元を緩めながら眺めていた。
ティフマ城に戻ればもう二人とは会えないのだと思うと名残惜しい。だからこそこの時間を大事にしたい、と思うマリアーナだった。
だが、困難は続けてやってくるものらしい。
翌朝、「やっぱりもう一晩泊めて」「ルーベンソン公爵に会ってから」などと言って子爵邸を出て行くことを拒む継母らに頭を痛めていると、また新たな客人がやってきた。
その人物も子爵や子爵夫人の予定を取りつけず訪問してきたようだが、今回もまた下位貴族である子爵が断るのは難しい相手だった。
「ごめんなさい、あなたに挨拶をするために来たのだと仰って――ダリアン侯爵家のご令嬢、アストリッド様と仰るのだけど……」
侯爵家であれば夫人が戸惑うのも当然だろう。
ただそれよりもマリアーナはその家名に引っ掛かった。
「ダリアン侯爵家のご令嬢……アストリッド様?」
名前は聞いたことがないが『ダリアン』はどこかで耳にしたことがある。
どこだったかと記憶を探るうちに、不機嫌を隠そうともしない家庭教師の声が脳裏によみがえった。
『本当ならルーベンソン公爵にはダリアン家のご令嬢が嫁ぐはずだったのですけどね。あなたよりも当然教養があって家柄も正しく、公爵様と並んでも見劣りしない素晴らしいお方ですよ――』
(思い出した……わたしが現れなければ今ごろはきっとアルベルト様の婚約者となられたお方――)
侯爵家ならば確かに家柄も正しいだろう。教養もあり公爵に嫁ぐに相応しい子女に違いない。
しかし、わざわざ王都から離れた子爵邸に来てまで、一体どんな用件があるのか。
心なしかソフィアもルイースも硬い表情をしたまま、侯爵家の子女に会うに相応しい身支度をしてもらう。
「マリアーナ様、アストリッド様に何を言われても――」
いつになく不安げな表情でソフィアが何かを言いかけるが、最後まで言えず口籠ってしまう。
それでも彼女が何を言いたいのかわかったマリアーナは、安心してもらうために微笑みを向けた。
「大丈夫よ、ソフィア。何を言われようと、わたしはわたしの役目を果たすだけだわ」
だが余計にソフィアの眉尻は下がり表情が陰ってしまう。
自分の言葉のどこに失言があったのかわからず、内心で首を傾げつつ客人が待っているという応接間へ向かうことになった。
緊張の面持ちで応接間の戸が開くのを待ち、室内に足を踏み入れるとすぐに膝を折り頭を下げる。
室内に居た使用人がマリアーナが来たことを告げているはずで、応接間で待っていたアストリッドはこちらの存在に気付いているはずだった。
なのに、なかなか声がかけられない。
紅茶を一口、二口嗜む時間を挟んで、ようやく若い女性の声で言葉が掛けられる。
「あら? あなたがマリアーナ・ルォッツァライネン? とても地味で驚いたわ。侍女が入って来たのかと思って……気づかなくてごめんなさい?」
「……はじめまして、ダリアン侯爵令嬢アストリッド様。お目にかかれて光栄――」
「堅苦しい挨拶はいいわ、座って頂戴」
言葉尻に被せて彼女の向かいのソファを指し示される。
ようやくマリアーナは頭を上げて彼女を見ることができた。
きれいなストレートのブロンドに青い目をした可憐な女性だった。まだ少女と言ってもいい幼さの残る彼女が、本来であればアルベルトの婚約者になるはずだった女性だ。
マリアーナよりもまだアルベルトと年齢が離れてしまうが、貴族間では決して年齢差のある婚姻が少ないわけではない。
それに家庭教師の言う通り、身分もさることながらその容姿もまたアルベルトの隣に居ても見劣りすることのない、女性でも見惚れるほどの美しさだった。
だが、愛らしい口から発せられる言葉は、毒を含んだ棘が見え隠れする。
「まぁ、本当に言い伝え通り“精霊姫”と同じ髪と瞳をしているのね。でもティペリッシュの血が入ったせいかしら……伝承では『美しい女性』とあったはずだけど」
マリアーナがアストリッドを観察していたように、彼女もまたマリアーナを観察していたらしい。
そのような感想を持たれてどう返せばいいのかと、戸惑い言葉が出てこない。
黙っている間にアストリッドの言葉が続く。
「瞳はともかく、髪は色が抜けただけではないの? 心の病で髪の色が抜け落ちるって聞いたことがあるけど」
暗に髪色を誤魔化して精霊姫を騙っているのではないかという指摘に、マリアーナはつい言葉を失ってしまった。
幼いゆえか侯爵家の子女であるはずが、露骨な発言をする彼女に呆気にとられてしまう。
それでも、一応否定しておかなければならないのだろうと、やっとの思いでマリアーナは口を開いた。
「この髪の色は生まれつきです、アストリッド様……」
「そう? でも、ここに居る者は誰も知りようがないことよね?」
そもそも色が抜け落ちた白髪とシルバーブレンドとは似て非なるものだが、それを指摘するべきなのか、わかってて彼女も言っているのか判断が付かず、やはり黙ってしまう。
「まぁ、それはいいわ。今日ここへ来たのは近くを通ったついでに立ち寄ったの。従兄の婚約者に一応挨拶をしておこうと思って」
ニコリと淑女の笑みを向けられて、思わず姿勢を正す。
「わかっていらっしゃるのかわからないけど、アルベルト様はとても義理堅く責任感が強い方なの。だからあなたのことも陛下に頼まれて断れなかったのだと思うの」
彼女の言葉に胸を刺されながらも、マリアーナは必死に表情を取り繕う。だが――
「たとえ一晩ともに過ごしたからと言って勘違いしないようにね?」
「なっ――」
さっとマリアーナの頬に赤みが差す。
公爵家の使用人なら知っていてもおかしくはないが、なぜ従妹だからとはいえアストリッドがそれを知っているのか。
羞恥に顔を赤くするマリアーナを見て、彼女はわずかに目元を引きつらせながら続ける。
「アルベルト様はご自分の責任を果たそうとしたに過ぎないのよ。あなたもそれはわかってるのよね?」
「――え、ええ……それはもちろん」
「良かった! じゃあ、もうあなたとアルベルト様が一緒にいる必要もないわよね?」
それはどういうことかと問おうとして、マリアーナはアストリッドが言わんとすることを察してしまった。
表情を硬くするマリアーナに追い打ちをかける言葉が続く。
「だって、もうアルベルト様の責任は果たしたものね? あとはあなたが子を生めばいいのよ。もし身ごもらなければ、それはあなたのせいだからあなたの責任、でしょう?」
「……」
「これ以上アルベルト様を煩わせるようなことはして欲しくないの。ルーベンソン公爵は筆頭公爵ではないけど、その血筋を受け継いでいるの。その血を絶やすわけにはいかないし、本当なら汚れた血を入れるべきじゃないのよ?」
まるで幼子に言い聞かせるような物言いに、マリアーナはつい視線を落としてしまう。
だが、彼女の言うことはもっともだと思いつつも、なぜか素直に聞き入れる気持ちになれない。
反発心が湧くのは彼女が自分よりも年下だからなのか、自分でもよくわからない。
眉間にしわをよせて難しい顔をしていると――
「でもどうやってアルベルト様をその気にさせたのか知りたいわ。みんなからは堅物って言われてて浮いた話なんてまったく無かったのに――あなたその見た目でどうやってアルベルト様を誘惑なさったの?」
あまりにも慎みのない発言にマリアーナの眉尻が上がる。
自分が侮辱された怒りというよりは、一緒くたにアルベルトをも侮辱していることに気づかないアストリッドに腹が立った。
だがマリアーナが口を開くよりも先に、アストリッドの背後に控えていた彼女の侍女が苦言する。
「お嬢様、淑女らしからぬ慎みのないお言葉は品位を疑われますよ。お控えください」
もしかしたらマリアーナの勘気に気づいたのかもしれない。
侍女の諫言でアストリッドは素直に「あら、ごめんなさい」と謝罪する。
「でも、良かったわ。もうアルベルト様はあなたに構う必要はないんだとわかって。あなたもティペリッシュの人間なら身の程を弁えなさい?」
一方的に言うだけ言って話を終わらせると、マリアーナの返事を聞く必要もないと言わんばかりにアストリッドが立ちあがる。
もうこちらには目もくれず応接間を出て行くが――彼女もまた子爵邸に一晩泊まるらしく客室を所望したのだとあとで知った。
ちなみに継母とティーナは『こんな時間に町を出ても、どこの町にもたどり着けないから』といって、我儘を言って子爵邸の客室で一晩過ごす権利を勝ち取っている。
子爵と夫人にはマリアーナから深く謝罪したが、二人ともマリアーナのせいではない、気にしないでいいと言ってくれた。
それでもマリアーナは申し訳なくて仕方なかったが、それと同じくらい継母の最後の言葉が気になった。
『だけどせめてエーリス殿下を解放してと、あなたからも公爵にお願いしてちょうだい。エーリス殿下を解放してくれたら辺境領に戻ります』
アルベルトは以前、『多額の賠償とそなたの犠牲で償いは果たされた』と言っていた。
てっきりエーリスも解放されているものだと思っていたが、まだ囚われているとは思いもよらなかった。
ただ、アルベルトが締結した条約を反故にするとは考えにくい。きっとこれにも相応の理由はあるのだろう。
しかしそうなると継母の望みを叶えることは難しい。
侵略され、侵略した者を撃退し戦に勝った側の国が、有利な内容で締結した条約で現状が成っている。
それを侵略した側であり敗戦した者が、勝利した者に何かを望むことなどできるわけがない。
(だけど、どうしてまだエーリス殿下を拘束しているのかしら? お継母さまはエーリス殿下と一緒でないと帰らないと言うし……どうしたら解放していただけるのか……)
『マリアーナとアルベルトの婚姻が成立すれば解放する』と条約に書かれていたことなど露とも知らず、マリアーナは頭を悩ませる。
「僭越ながらマリアーナ様――曲がりなりにも親族だった者を悪しざまには言いたくありませんが、あの方々の言うことなど気にする必要はないと思います」
「ソフィア……」
ティフマ城に居たときからソフィアは継母らのことを良く思っていないのだと、事あるごとにひしひしと感じてはいたが、ここに来てから彼女はそれを隠すこともしなくなったらしい。
「城での辺境伯夫人の役目をマリアーナ様に押し付け、自分は邸宅でぬくぬくと贅沢三昧。茶会やら舞踏会やらと忙しく遊びまわって――これで社交に長けているならまだしも一方的に自慢だけして顰蹙を買うばかりの方々ですよ」
つらつらと言葉を並べ立てるソフィアに、ついマリアーナは呆気にとられてしまう。
ソフィアもずっとマリアーナの傍に居て継母やティーナに付き従うことはなかったはずだが、間諜としても働いていたからか情報収集は欠かしていなかったようだ。
「……そうなの?」
「ええ。どれだけ自分が裕福か、どれほど高級なものを身につけているか、自分の娘がどれほど美しかと――そんな話ばかりで社交さえも覚束ない有様だったので、なおさら辺境伯への周囲の当たりは厳しくなっていってました」
「そうだったの……」
ソフィアの話を聞くにつれ、次第にマリアーナは俯いてしまう。
今のは辺境伯夫人として継母がいかに役目を果たせていないかという話だったが、それをつい自分に置き換えてしまっていた。
(社交……わたしは一度もしたことがないわ。公爵邸で家庭教師に行儀作法とともにどう振舞うか教えてもらったけど――)
父親と継母以外、あまり貴族と関わってこなかったマリアーナは、淑女といえば継母が一番身近だった。
その為、継母が上手くできない社交を何も知らない自分が上手くできるとは思えない。
落ち込むマリアーナに気づいていたソフィアだが、何に引っ掛かったのかわからなかったのか黙ってしまう。
代わりに口を開いたのはルイースだった。
「わたしも同感です! ちょっと対応しただけでも、あの方々がとても性格の悪い人たちだってわかります。あの人たちの言うことに悩む必要はないと思います!」
まさかルイースまでがソフィアと同じことを言うなんて――と、マリアーナはまた目を丸くして彼女を見つめた。
公爵邸に居たときより徐々に態度が軟化し、ソフィアが来てからさらに柔らかくなったとはいえ、こんなに強く肩入れするほどに心を寄せてくれているとは思わなかった。
頬を染め、拳を作り鼻息荒くするルイースに、マリアーナは自然と笑みを浮かべていた。
「ありがとうルイース。それと、お継母さまやティーナがあなたに嫌な態度を取ったこと、わたしからお詫びするわ、ごめんなさい」
「えっ、あ……いえ……すみません」
勢い込んでいたルイースが途端に身を小さくして項垂れる。
仕える主に気を遣わせてしまったことを自省しているのだろう。
その隣でソフィアも先輩らしい厳しい表情をしている。
きっとあとで叱られるに違いないと思いつつ、マリアーナはそれを想像して微笑ましい気分になった。
「そうね、ここで悩んでいても仕方がないわ。ルーベンソ――アルベルト様が戻られるのを待って相談しましょう」
二人の助言を受け入れてそう口にすれば、ソフィアはにっこりと微笑んで頷き、ルイースはほっとした様子で何度も首を振った。
(確かに、今悩んでたって仕方がないわ――エーリス殿下のことはわたしの自由にできることではないし、社交だって必要なくなるかもしれないんだし)
そんな心の声を知る由もなく、お茶を入れ替えるため二人が甲斐甲斐しく世話をする。そんな二人をマリアーナは口元を緩めながら眺めていた。
ティフマ城に戻ればもう二人とは会えないのだと思うと名残惜しい。だからこそこの時間を大事にしたい、と思うマリアーナだった。
だが、困難は続けてやってくるものらしい。
翌朝、「やっぱりもう一晩泊めて」「ルーベンソン公爵に会ってから」などと言って子爵邸を出て行くことを拒む継母らに頭を痛めていると、また新たな客人がやってきた。
その人物も子爵や子爵夫人の予定を取りつけず訪問してきたようだが、今回もまた下位貴族である子爵が断るのは難しい相手だった。
「ごめんなさい、あなたに挨拶をするために来たのだと仰って――ダリアン侯爵家のご令嬢、アストリッド様と仰るのだけど……」
侯爵家であれば夫人が戸惑うのも当然だろう。
ただそれよりもマリアーナはその家名に引っ掛かった。
「ダリアン侯爵家のご令嬢……アストリッド様?」
名前は聞いたことがないが『ダリアン』はどこかで耳にしたことがある。
どこだったかと記憶を探るうちに、不機嫌を隠そうともしない家庭教師の声が脳裏によみがえった。
『本当ならルーベンソン公爵にはダリアン家のご令嬢が嫁ぐはずだったのですけどね。あなたよりも当然教養があって家柄も正しく、公爵様と並んでも見劣りしない素晴らしいお方ですよ――』
(思い出した……わたしが現れなければ今ごろはきっとアルベルト様の婚約者となられたお方――)
侯爵家ならば確かに家柄も正しいだろう。教養もあり公爵に嫁ぐに相応しい子女に違いない。
しかし、わざわざ王都から離れた子爵邸に来てまで、一体どんな用件があるのか。
心なしかソフィアもルイースも硬い表情をしたまま、侯爵家の子女に会うに相応しい身支度をしてもらう。
「マリアーナ様、アストリッド様に何を言われても――」
いつになく不安げな表情でソフィアが何かを言いかけるが、最後まで言えず口籠ってしまう。
それでも彼女が何を言いたいのかわかったマリアーナは、安心してもらうために微笑みを向けた。
「大丈夫よ、ソフィア。何を言われようと、わたしはわたしの役目を果たすだけだわ」
だが余計にソフィアの眉尻は下がり表情が陰ってしまう。
自分の言葉のどこに失言があったのかわからず、内心で首を傾げつつ客人が待っているという応接間へ向かうことになった。
緊張の面持ちで応接間の戸が開くのを待ち、室内に足を踏み入れるとすぐに膝を折り頭を下げる。
室内に居た使用人がマリアーナが来たことを告げているはずで、応接間で待っていたアストリッドはこちらの存在に気付いているはずだった。
なのに、なかなか声がかけられない。
紅茶を一口、二口嗜む時間を挟んで、ようやく若い女性の声で言葉が掛けられる。
「あら? あなたがマリアーナ・ルォッツァライネン? とても地味で驚いたわ。侍女が入って来たのかと思って……気づかなくてごめんなさい?」
「……はじめまして、ダリアン侯爵令嬢アストリッド様。お目にかかれて光栄――」
「堅苦しい挨拶はいいわ、座って頂戴」
言葉尻に被せて彼女の向かいのソファを指し示される。
ようやくマリアーナは頭を上げて彼女を見ることができた。
きれいなストレートのブロンドに青い目をした可憐な女性だった。まだ少女と言ってもいい幼さの残る彼女が、本来であればアルベルトの婚約者になるはずだった女性だ。
マリアーナよりもまだアルベルトと年齢が離れてしまうが、貴族間では決して年齢差のある婚姻が少ないわけではない。
それに家庭教師の言う通り、身分もさることながらその容姿もまたアルベルトの隣に居ても見劣りすることのない、女性でも見惚れるほどの美しさだった。
だが、愛らしい口から発せられる言葉は、毒を含んだ棘が見え隠れする。
「まぁ、本当に言い伝え通り“精霊姫”と同じ髪と瞳をしているのね。でもティペリッシュの血が入ったせいかしら……伝承では『美しい女性』とあったはずだけど」
マリアーナがアストリッドを観察していたように、彼女もまたマリアーナを観察していたらしい。
そのような感想を持たれてどう返せばいいのかと、戸惑い言葉が出てこない。
黙っている間にアストリッドの言葉が続く。
「瞳はともかく、髪は色が抜けただけではないの? 心の病で髪の色が抜け落ちるって聞いたことがあるけど」
暗に髪色を誤魔化して精霊姫を騙っているのではないかという指摘に、マリアーナはつい言葉を失ってしまった。
幼いゆえか侯爵家の子女であるはずが、露骨な発言をする彼女に呆気にとられてしまう。
それでも、一応否定しておかなければならないのだろうと、やっとの思いでマリアーナは口を開いた。
「この髪の色は生まれつきです、アストリッド様……」
「そう? でも、ここに居る者は誰も知りようがないことよね?」
そもそも色が抜け落ちた白髪とシルバーブレンドとは似て非なるものだが、それを指摘するべきなのか、わかってて彼女も言っているのか判断が付かず、やはり黙ってしまう。
「まぁ、それはいいわ。今日ここへ来たのは近くを通ったついでに立ち寄ったの。従兄の婚約者に一応挨拶をしておこうと思って」
ニコリと淑女の笑みを向けられて、思わず姿勢を正す。
「わかっていらっしゃるのかわからないけど、アルベルト様はとても義理堅く責任感が強い方なの。だからあなたのことも陛下に頼まれて断れなかったのだと思うの」
彼女の言葉に胸を刺されながらも、マリアーナは必死に表情を取り繕う。だが――
「たとえ一晩ともに過ごしたからと言って勘違いしないようにね?」
「なっ――」
さっとマリアーナの頬に赤みが差す。
公爵家の使用人なら知っていてもおかしくはないが、なぜ従妹だからとはいえアストリッドがそれを知っているのか。
羞恥に顔を赤くするマリアーナを見て、彼女はわずかに目元を引きつらせながら続ける。
「アルベルト様はご自分の責任を果たそうとしたに過ぎないのよ。あなたもそれはわかってるのよね?」
「――え、ええ……それはもちろん」
「良かった! じゃあ、もうあなたとアルベルト様が一緒にいる必要もないわよね?」
それはどういうことかと問おうとして、マリアーナはアストリッドが言わんとすることを察してしまった。
表情を硬くするマリアーナに追い打ちをかける言葉が続く。
「だって、もうアルベルト様の責任は果たしたものね? あとはあなたが子を生めばいいのよ。もし身ごもらなければ、それはあなたのせいだからあなたの責任、でしょう?」
「……」
「これ以上アルベルト様を煩わせるようなことはして欲しくないの。ルーベンソン公爵は筆頭公爵ではないけど、その血筋を受け継いでいるの。その血を絶やすわけにはいかないし、本当なら汚れた血を入れるべきじゃないのよ?」
まるで幼子に言い聞かせるような物言いに、マリアーナはつい視線を落としてしまう。
だが、彼女の言うことはもっともだと思いつつも、なぜか素直に聞き入れる気持ちになれない。
反発心が湧くのは彼女が自分よりも年下だからなのか、自分でもよくわからない。
眉間にしわをよせて難しい顔をしていると――
「でもどうやってアルベルト様をその気にさせたのか知りたいわ。みんなからは堅物って言われてて浮いた話なんてまったく無かったのに――あなたその見た目でどうやってアルベルト様を誘惑なさったの?」
あまりにも慎みのない発言にマリアーナの眉尻が上がる。
自分が侮辱された怒りというよりは、一緒くたにアルベルトをも侮辱していることに気づかないアストリッドに腹が立った。
だがマリアーナが口を開くよりも先に、アストリッドの背後に控えていた彼女の侍女が苦言する。
「お嬢様、淑女らしからぬ慎みのないお言葉は品位を疑われますよ。お控えください」
もしかしたらマリアーナの勘気に気づいたのかもしれない。
侍女の諫言でアストリッドは素直に「あら、ごめんなさい」と謝罪する。
「でも、良かったわ。もうアルベルト様はあなたに構う必要はないんだとわかって。あなたもティペリッシュの人間なら身の程を弁えなさい?」
一方的に言うだけ言って話を終わらせると、マリアーナの返事を聞く必要もないと言わんばかりにアストリッドが立ちあがる。
もうこちらには目もくれず応接間を出て行くが――彼女もまた子爵邸に一晩泊まるらしく客室を所望したのだとあとで知った。
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