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下宿にて
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アミーユは市街地の石畳を歩いていた。丸い月が浮いている。
ダンと会えないまま四回目の満月を迎えようとしている。
もうこのまま会えないのか………。
作為的にヒートをコントロールしなければ、満月の夜にはヒートが来る。
満月が来るたびに、官舎から市街に借りた下宿先に避難している。しかし、ヒートは来なかった。まだ、体が整っていないのだろう。
今回も来なければいいが。
アミーユはヒートが来れば洗面室に自分を閉じ込めるつもりだ。水道管と自分の腕をつなぐための手錠も用意している。
αを漁りにふらふらと出かけるようなことだけはしたくない。しかし、正気を失っては何をしでかすかわからないのだ。
―――けがらわしい! けがらわしい!
伯爵夫人の嫌悪の声。
Ωは所詮、そんな生き物。ダンのおかげでしのいでこれたが、そろそろ特定のαでも探さなければならない。
そうなれば俺はダンを忘れてそのαに溺れるのだろうか。
ダンの痕跡などもうどこにもない。
もうどこにもないのに。
ダンと俺とが愛し合っていたことなど誰も知らない。俺が忘れれば全部なかったことになる。
いっそのこと忘れてしまいたい。俺たちには暗い顛末しかないのだから。
いや、それを避けるためにも軍に戻ったのだ。ダンを守るためにも、俺は。
ここ最近、盗賊団は事件を起こしていない。ダンの消息を掴むためにも、第一師団にはこまめに報告をさせていたが、下っ端すら捕まえられなかった。
ひょっとして、盗賊団は、このまま消えてしまうのだろうか。
それならそうしてくれ。
もう、おとなしくするんだ、ダン。そうして、名もなき人になれ…………。
もう俺はお前に会わない………。
いや、ひとめだけ、ひとめだけでもいい、会いたい………。
ダンを想えば、相反する思いに身を引き裂かれる。
そして、最後にはただ会いたい、それに占められてしまう。
下宿先の建物に入ると、一階の大家にケーキの手土産を渡す。大家は、高齢の未亡人だ。
「おやまあ、リージュさん、おかえりなさい。そうそう、二階にお客様が見えていますよ。上品な紳士です」
アミーユは首を傾げる。アミーユの下宿先を知る者はごく一部だ。
アミーユは未亡人に厳しい顔を向けた。
「前にも言いましたが、一切、客を通さないでください」
「はいはい、わかってますよ、リージュさん。あらまあ、おいしそうなケーキだこと」
いったい誰なのか、誰がこの場所を漏らしたのか。
不機嫌にドアを開けると、窓辺に立った背の高い紳士が振り返った。仕立ての良いスーツに帽子に手袋。
一見して上流階級の人間だとわかる。
どこのどいつだ?
その黒目が微笑んだ。ぐらりと脳が揺れる。認識する。
ああ、まさか。どうして?
「ダン………………!」
アミーユに向かって両手を広げるダンに、アミーユは駆け寄った。
抱きつかれるつもりでいるらしきダンを、ぼこぼこと叩く。
「ちょ、アミ、アミーユ」
「お前、ひどい、ひどいぞ、ひどい」
ダンは何一つ悪いことをしていないが、アミーユはダンを責める。
なじられればダンは謝る。
「ごめん」
「ひどい、ひどいやつだ」
「うん、悪かった」
「ひどい、ひどい、俺がどれだけ」
どれだけ会いたかったことか。どれだけつらく寂しかったことか………。
しかし、ダンの眉尻の下がったしょんぼり顔を見れば、ダンも同じ思いだったことがわかる。ひどいことをしたのは俺のほうだ。レルシュ邸から消えて、そして。
小さな命を守れなかった。
「ダン、お、俺………、謝らなきゃならないことがある」
「言わないでいい。言わないでいいんだ」
ダンはアミーユを慰めるように抱きしめてきた。
「つらい思いをさせたね」
唇が重なれば、軽いヒートが起きてきた。
今夜は満月だ、用心しなければならない。大丈夫、正気を失うほどのヒートではない。
アミーユはダンに触れたくてたまらなくなった。
ダンはアミーユをやはり壊れもののように大切に扱う。
月光のもと、愛を囁き、甘く甘く触れあう。
♰♰♰
アミーユはダンの赤毛をくるくるともてあそびながら尋ねた。
どうせダンはまともに答えないだろう。だが訊かずにはいられない。
「どうして、ここがわかった?」
「えっと………」
アミーユがにらむと、ダンは眉尻を下げてしぶしぶ答える。ダンは意外なことを言い出した。
「アデレート宰相のところにいたのも、官舎に戻ったのも全部知ってた」
「えっ」
「お前には見張りをつけてる」
「なっ………?」
アミーユは呆れ果てて声が出なかった。
「お前が、心配だった。お前に何かあれば俺は」
「もしかしたら、あの通行人も………」
レルシュ邸を追い出されたアミーユがうずくまるやいなや、通行人は声をかけてきた。
ああ、これまでにもダンは何度も見張ってきたではないか。ダン本人だって、使用人に、兵士に、紛れ込んで俺を見張っていた。
ダンはそういうやつだ。やることに抜かりない。
「じゃあ、じゃあ、どうして! どうしてすぐに会いに来なかった!」
「俺にはしなきゃならないことがある」
「俺は……、邪魔、なのか…………?」
アミーユにはわかってしまった。居場所を把握していたにもかかわらず、会いに来なかった。
もう会わないつもりだったということを。
つまりは捨てるつもりだったということを。
「アミーユは俺の足を引っ張る」
ダンはアミーユの目をまっすぐに見てきた。
夢のために俺を捨てるつもりだったのか。もうこのまま俺に会わないままでいるつもりだったのか。
ひどい、ダンは本当にひどい奴だ。
家族だと言ったくせに。
俺の前からいなくならないと言ったくせに。
もともと俺は利用されるために拾われたではないか………。
拾うも捨てるもダンの気の向くままだ。
「じゃあ、どうして会いにきた」
「会いたくてたまらなくなった」
しょんぼりと眉尻を下げて見上げる黒い目。
アミーユにはもう責めようもない。
ダン…………。
それでも、ダンは会いに来た。会いに来てくれた。
アミーユはダンの胸に顔をうずめた。
ダンと会えないまま四回目の満月を迎えようとしている。
もうこのまま会えないのか………。
作為的にヒートをコントロールしなければ、満月の夜にはヒートが来る。
満月が来るたびに、官舎から市街に借りた下宿先に避難している。しかし、ヒートは来なかった。まだ、体が整っていないのだろう。
今回も来なければいいが。
アミーユはヒートが来れば洗面室に自分を閉じ込めるつもりだ。水道管と自分の腕をつなぐための手錠も用意している。
αを漁りにふらふらと出かけるようなことだけはしたくない。しかし、正気を失っては何をしでかすかわからないのだ。
―――けがらわしい! けがらわしい!
伯爵夫人の嫌悪の声。
Ωは所詮、そんな生き物。ダンのおかげでしのいでこれたが、そろそろ特定のαでも探さなければならない。
そうなれば俺はダンを忘れてそのαに溺れるのだろうか。
ダンの痕跡などもうどこにもない。
もうどこにもないのに。
ダンと俺とが愛し合っていたことなど誰も知らない。俺が忘れれば全部なかったことになる。
いっそのこと忘れてしまいたい。俺たちには暗い顛末しかないのだから。
いや、それを避けるためにも軍に戻ったのだ。ダンを守るためにも、俺は。
ここ最近、盗賊団は事件を起こしていない。ダンの消息を掴むためにも、第一師団にはこまめに報告をさせていたが、下っ端すら捕まえられなかった。
ひょっとして、盗賊団は、このまま消えてしまうのだろうか。
それならそうしてくれ。
もう、おとなしくするんだ、ダン。そうして、名もなき人になれ…………。
もう俺はお前に会わない………。
いや、ひとめだけ、ひとめだけでもいい、会いたい………。
ダンを想えば、相反する思いに身を引き裂かれる。
そして、最後にはただ会いたい、それに占められてしまう。
下宿先の建物に入ると、一階の大家にケーキの手土産を渡す。大家は、高齢の未亡人だ。
「おやまあ、リージュさん、おかえりなさい。そうそう、二階にお客様が見えていますよ。上品な紳士です」
アミーユは首を傾げる。アミーユの下宿先を知る者はごく一部だ。
アミーユは未亡人に厳しい顔を向けた。
「前にも言いましたが、一切、客を通さないでください」
「はいはい、わかってますよ、リージュさん。あらまあ、おいしそうなケーキだこと」
いったい誰なのか、誰がこの場所を漏らしたのか。
不機嫌にドアを開けると、窓辺に立った背の高い紳士が振り返った。仕立ての良いスーツに帽子に手袋。
一見して上流階級の人間だとわかる。
どこのどいつだ?
その黒目が微笑んだ。ぐらりと脳が揺れる。認識する。
ああ、まさか。どうして?
「ダン………………!」
アミーユに向かって両手を広げるダンに、アミーユは駆け寄った。
抱きつかれるつもりでいるらしきダンを、ぼこぼこと叩く。
「ちょ、アミ、アミーユ」
「お前、ひどい、ひどいぞ、ひどい」
ダンは何一つ悪いことをしていないが、アミーユはダンを責める。
なじられればダンは謝る。
「ごめん」
「ひどい、ひどいやつだ」
「うん、悪かった」
「ひどい、ひどい、俺がどれだけ」
どれだけ会いたかったことか。どれだけつらく寂しかったことか………。
しかし、ダンの眉尻の下がったしょんぼり顔を見れば、ダンも同じ思いだったことがわかる。ひどいことをしたのは俺のほうだ。レルシュ邸から消えて、そして。
小さな命を守れなかった。
「ダン、お、俺………、謝らなきゃならないことがある」
「言わないでいい。言わないでいいんだ」
ダンはアミーユを慰めるように抱きしめてきた。
「つらい思いをさせたね」
唇が重なれば、軽いヒートが起きてきた。
今夜は満月だ、用心しなければならない。大丈夫、正気を失うほどのヒートではない。
アミーユはダンに触れたくてたまらなくなった。
ダンはアミーユをやはり壊れもののように大切に扱う。
月光のもと、愛を囁き、甘く甘く触れあう。
♰♰♰
アミーユはダンの赤毛をくるくるともてあそびながら尋ねた。
どうせダンはまともに答えないだろう。だが訊かずにはいられない。
「どうして、ここがわかった?」
「えっと………」
アミーユがにらむと、ダンは眉尻を下げてしぶしぶ答える。ダンは意外なことを言い出した。
「アデレート宰相のところにいたのも、官舎に戻ったのも全部知ってた」
「えっ」
「お前には見張りをつけてる」
「なっ………?」
アミーユは呆れ果てて声が出なかった。
「お前が、心配だった。お前に何かあれば俺は」
「もしかしたら、あの通行人も………」
レルシュ邸を追い出されたアミーユがうずくまるやいなや、通行人は声をかけてきた。
ああ、これまでにもダンは何度も見張ってきたではないか。ダン本人だって、使用人に、兵士に、紛れ込んで俺を見張っていた。
ダンはそういうやつだ。やることに抜かりない。
「じゃあ、じゃあ、どうして! どうしてすぐに会いに来なかった!」
「俺にはしなきゃならないことがある」
「俺は……、邪魔、なのか…………?」
アミーユにはわかってしまった。居場所を把握していたにもかかわらず、会いに来なかった。
もう会わないつもりだったということを。
つまりは捨てるつもりだったということを。
「アミーユは俺の足を引っ張る」
ダンはアミーユの目をまっすぐに見てきた。
夢のために俺を捨てるつもりだったのか。もうこのまま俺に会わないままでいるつもりだったのか。
ひどい、ダンは本当にひどい奴だ。
家族だと言ったくせに。
俺の前からいなくならないと言ったくせに。
もともと俺は利用されるために拾われたではないか………。
拾うも捨てるもダンの気の向くままだ。
「じゃあ、どうして会いにきた」
「会いたくてたまらなくなった」
しょんぼりと眉尻を下げて見上げる黒い目。
アミーユにはもう責めようもない。
ダン…………。
それでも、ダンは会いに来た。会いに来てくれた。
アミーユはダンの胸に顔をうずめた。
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