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10 たった一言で
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シリカはヴィルヘルムの部屋へ向かっていた。
廊下を歩いていても、守衛や侍女とすれ違うこともない。
城内とは思えないほどに人気がなかった。
(まずは陛下が普段どういう生活をしているのか、観察するのよ)
王の寝室は王妃の寝室からやや遠い場所にある。
恐らくは、襲撃された場合のことを考えてのことだろう。
まあ、城内には守衛があまりいないので襲撃を防ぎようがないのだが。
小国ゆえに暗躍する人間の存在はない、と考えているのだろうか。
それはそれとして。
廊下の影から寝室の扉を眺めるシリカ。
しばらくすると部屋からヴィルヘルムが現れる。
シリカの恰好と同様に、王族にしては質素な色合いと素材の衣服を身にまとっている。
彼は淀みなく歩き、執務室へと入っていった。
付き人はいないらしい。
王妃であるシリカもほぼ放置されているが、執事や侍女が付き添わないのは、この国の常識となっているのかもしれない。
単純に人がいないせいだろうが。
しばらくすると執事長のクラウスが、紙の束を持って執務室へと入り、数分後に出ていった。
彼も彼で忙しいらしい。
反面、自分は何をしているのかと空しくなるが、強引に邪念を振り切った。
(これは必要なことなのよ、シリカ! 王妃として陛下のことをまず知らなくては!)
やってることは遠くから監視しているだけなのだが。
直接話に行くという案もあるが、王たるヴィルヘルムの執務を邪魔するのも憚られた。
一先ずは様子を探る、これでいいとシリカは自分を納得させる。
それから数時間が経過し、昼食時になると食堂へ移動。
そこでまたしても距離がある食事の時間をヴィルヘルムと過ごし、再び二人とも元の場所へと戻る。
途中で何度もクラウスが、書類を手にしてやって来ては出ていくというのを繰り返した。
さらに数時間。
変化のない執務室の扉を睨み続けるシリカ。
かなり我慢強い性格である。
それも僅かに陰りが見え始めた。
(……私、何してるのかしら)
ただヴィルヘルムが執務に追われている様子を、扉越しに眺めているだけ。
しかも別に彼が仕事をしている姿を見られるわけでもない。
ただ扉を凝視するだけで、時間が過ぎている。
嘆息し、シリカは自分を卑下した。
とにかくヴィルヘルムはずっと仕事をしている、ということはわかった。
その仕事ぶりを見るに、どうやら不遜でも無知蒙昧でもなさそうだ。
初対面の時もそうだったが、話しぶりや気遣いから、噂通りの男には思えなかった。
ほとんど会話をしていないので確証はないのだが。
(そもそも、最初の時も、食事の時も……それに私に公務や勉学を強いないことに関してもそうだけど、どうも陛下は私と距離を取りたいみたいなのよね)
理由は判然としないが、それは間違いない。
余計なことをするなという意味であれば、自分の行動はヴィルヘルムにとっては邪魔でしかないだろう。
だが、何もするなというのはさすがに酷だ。
とりあえず陛下が仕事熱心な王であることはわかった。
執務室での業務を目にしたわけではないが、クラウスが何度も何かの書類を持ち運んでて来ていたし、遊び惚けているということは考えにくい。
一日中執務に追われるほど仕事があるのならば、王妃であるシリカにもできることはありそうだ。
何ができるかはまだわからないのだが。
(それがわかっただけで良しとしましょう)
うんうんと頷き、今日の収穫に満足するシリカ。
さて、と廊下から離れようと振り返った。
ふと視界に入った情景に思わず一人ごちる。
「……汚いわね」
悪態ではなく、純粋な感想だった。
壁際にホコリが溜まっているし、壁や床はところどころ汚れている。
掃除をさぼっているということはないだろう。
その証拠に、廊下の奥の方で一生懸命掃除をしているアリーナの姿が見えた。
ホウキでホコリやゴミを集めているが、かなり大雑把に見えた。
時刻はもうすぐ夕方。急いで終わらせようと焦っている様子だった。
シリカは迷いつつもアリーナに近づく。
「アリーナ、ご苦労様」
「あ! ど、どうも王妃様!」
アリーナは慌てて一礼するとすぐに掃除を再開した。
「一人で掃除をしているのですか?」
「は、はい! 侍女はあたし一人なので!」
「下女は?」
「いません!」
「では掃除や洗濯、私の身の回りの世話もすべてあなた一人で?」
「ええ、あたし一人ですね!」
やはりそうだった。
シリカは難しい顔をして考え込んでしまう。
するとアリーナが慌てて補足した。
「あ、あたし一人で何とかできますので、ご心配なさらないでください!」
明らかにできてはいないのだが、アリーナを責めるのは筋違いというものだ。
「他には誰が城内にいるのですか?」
「えーと、執事長と料理長が一人ずつで、あとは兵士の方々が十人くらい? ですね!」
警護と世話役すべて合わせても十人ほどとは。
これは思ったよりも大変な状況だ。
王や王妃に付きっきりでいられないのも無理はない。
「何をしている?」
いきなり声を掛けられシリカは驚き、肩を揺らした。
声に振り返ると、いつの間にか後ろに立っていたのはヴィルヘルムとクラウスだった。
何の音もしなかったので心臓がきゅっと委縮してしまった。
まさか陛下から関わってくるとは。
食事の時や今までの態度から、接することを敬遠していると思っていたのだが。
シリカは面食らい、僅かに動揺した。
「こ、これは陛下。ご機嫌麗しゅう。少し仕事のことを聞いていました」
「そうか」
それだけで会話は止まった。
仏頂面のままヴィルヘルムはシリカをじっと見つめる。
シリカはシリカでヴィルヘルムの意図がわからず、目を泳がせた。
気まずい空気が流れる中、シリカが慌てて口を開く。
「あ、明日にでも街を見てみたいのですが」
「構わん。クラウス。案内を頼むぞ」
「は! かしこまりました」
クラウスが流れるように礼をすると、ヴィルヘルムは小さく頷いた。
思ったよりもすんなり要望が通ったことに驚くと同時に困った。
会話がすぐに終わってしまう。
聞きたいことは山ほどあるのに、言葉にならなかった。
「他に何かあるか?」
「い、いえ。今のところは」
「そうか。ではな」
言葉を言い放つと同時に、すぐにスタスタと歩いて行ってしまった。
呆気に取られたままだったシリカは、小さく胸を撫で下ろす。
(び、びっくりしたわ。いきなりいらっしゃるんだもの)
ドキドキしている胸を両手で軽く抑えるシリカ。
(陛下から何かあるか、と聞いてきてくれた……)
思わず先ほどのやり取りを思い出し、笑みを浮かべてしまう。
そしてすぐに、なぜかそれがとても恥ずかしく思えて、目をぎゅっとつぶり、感情を抑制した。
「あ、あの王妃様。お顔が赤いですが、大丈夫ですか?」
「え? あ、そ、そう? だ、大丈夫。何もありませんよ」
頬に手を当てると確かに熱を持っていた。
これは一体何なのだろうか。
高揚なのか、それとも単純な気恥ずかしさなのだろうか。
あるいは……懸想? いや、それはない。
だって出会ってまだ数日なのだ。
互いのことも知らないし、会話だってほとんどしていないのに。
シリカは自分の感情がわからず、しどろもどろになりながら答えることしかできなかった。
「で、では私は戻ります」
アリーナに背を向けて、可能な限り動揺を見せないようにゆっくりと歩いた。
ヴィルヘルムの顔を思い出す。
やせ細り、目に力はなく、貧相な姿は気品と活力を薄れさせ、男しての魅力をほとんど失わせていた。
しかしシリカが思い出すのはそんな部分ではない。
彼の放った言葉。
もしかしたら嫌われているかも、厄介者だと思われているかも、気に入られなかったのかも、そんな風に考えもした。
だが彼の気遣いが、たった一つの「何かあるか?」という言葉が。
シリカの心に光芒を注いだ。
我ながら単純だと思いつつも、その感情に今は従おう。
これほどまでに心地がいいのだから。
せめて今だけは彼の心中を推し量らなくてもいいだろう。
少しの間だけ、喜びに浸りたい。
シリカはそう思った。
廊下を歩いていても、守衛や侍女とすれ違うこともない。
城内とは思えないほどに人気がなかった。
(まずは陛下が普段どういう生活をしているのか、観察するのよ)
王の寝室は王妃の寝室からやや遠い場所にある。
恐らくは、襲撃された場合のことを考えてのことだろう。
まあ、城内には守衛があまりいないので襲撃を防ぎようがないのだが。
小国ゆえに暗躍する人間の存在はない、と考えているのだろうか。
それはそれとして。
廊下の影から寝室の扉を眺めるシリカ。
しばらくすると部屋からヴィルヘルムが現れる。
シリカの恰好と同様に、王族にしては質素な色合いと素材の衣服を身にまとっている。
彼は淀みなく歩き、執務室へと入っていった。
付き人はいないらしい。
王妃であるシリカもほぼ放置されているが、執事や侍女が付き添わないのは、この国の常識となっているのかもしれない。
単純に人がいないせいだろうが。
しばらくすると執事長のクラウスが、紙の束を持って執務室へと入り、数分後に出ていった。
彼も彼で忙しいらしい。
反面、自分は何をしているのかと空しくなるが、強引に邪念を振り切った。
(これは必要なことなのよ、シリカ! 王妃として陛下のことをまず知らなくては!)
やってることは遠くから監視しているだけなのだが。
直接話に行くという案もあるが、王たるヴィルヘルムの執務を邪魔するのも憚られた。
一先ずは様子を探る、これでいいとシリカは自分を納得させる。
それから数時間が経過し、昼食時になると食堂へ移動。
そこでまたしても距離がある食事の時間をヴィルヘルムと過ごし、再び二人とも元の場所へと戻る。
途中で何度もクラウスが、書類を手にしてやって来ては出ていくというのを繰り返した。
さらに数時間。
変化のない執務室の扉を睨み続けるシリカ。
かなり我慢強い性格である。
それも僅かに陰りが見え始めた。
(……私、何してるのかしら)
ただヴィルヘルムが執務に追われている様子を、扉越しに眺めているだけ。
しかも別に彼が仕事をしている姿を見られるわけでもない。
ただ扉を凝視するだけで、時間が過ぎている。
嘆息し、シリカは自分を卑下した。
とにかくヴィルヘルムはずっと仕事をしている、ということはわかった。
その仕事ぶりを見るに、どうやら不遜でも無知蒙昧でもなさそうだ。
初対面の時もそうだったが、話しぶりや気遣いから、噂通りの男には思えなかった。
ほとんど会話をしていないので確証はないのだが。
(そもそも、最初の時も、食事の時も……それに私に公務や勉学を強いないことに関してもそうだけど、どうも陛下は私と距離を取りたいみたいなのよね)
理由は判然としないが、それは間違いない。
余計なことをするなという意味であれば、自分の行動はヴィルヘルムにとっては邪魔でしかないだろう。
だが、何もするなというのはさすがに酷だ。
とりあえず陛下が仕事熱心な王であることはわかった。
執務室での業務を目にしたわけではないが、クラウスが何度も何かの書類を持ち運んでて来ていたし、遊び惚けているということは考えにくい。
一日中執務に追われるほど仕事があるのならば、王妃であるシリカにもできることはありそうだ。
何ができるかはまだわからないのだが。
(それがわかっただけで良しとしましょう)
うんうんと頷き、今日の収穫に満足するシリカ。
さて、と廊下から離れようと振り返った。
ふと視界に入った情景に思わず一人ごちる。
「……汚いわね」
悪態ではなく、純粋な感想だった。
壁際にホコリが溜まっているし、壁や床はところどころ汚れている。
掃除をさぼっているということはないだろう。
その証拠に、廊下の奥の方で一生懸命掃除をしているアリーナの姿が見えた。
ホウキでホコリやゴミを集めているが、かなり大雑把に見えた。
時刻はもうすぐ夕方。急いで終わらせようと焦っている様子だった。
シリカは迷いつつもアリーナに近づく。
「アリーナ、ご苦労様」
「あ! ど、どうも王妃様!」
アリーナは慌てて一礼するとすぐに掃除を再開した。
「一人で掃除をしているのですか?」
「は、はい! 侍女はあたし一人なので!」
「下女は?」
「いません!」
「では掃除や洗濯、私の身の回りの世話もすべてあなた一人で?」
「ええ、あたし一人ですね!」
やはりそうだった。
シリカは難しい顔をして考え込んでしまう。
するとアリーナが慌てて補足した。
「あ、あたし一人で何とかできますので、ご心配なさらないでください!」
明らかにできてはいないのだが、アリーナを責めるのは筋違いというものだ。
「他には誰が城内にいるのですか?」
「えーと、執事長と料理長が一人ずつで、あとは兵士の方々が十人くらい? ですね!」
警護と世話役すべて合わせても十人ほどとは。
これは思ったよりも大変な状況だ。
王や王妃に付きっきりでいられないのも無理はない。
「何をしている?」
いきなり声を掛けられシリカは驚き、肩を揺らした。
声に振り返ると、いつの間にか後ろに立っていたのはヴィルヘルムとクラウスだった。
何の音もしなかったので心臓がきゅっと委縮してしまった。
まさか陛下から関わってくるとは。
食事の時や今までの態度から、接することを敬遠していると思っていたのだが。
シリカは面食らい、僅かに動揺した。
「こ、これは陛下。ご機嫌麗しゅう。少し仕事のことを聞いていました」
「そうか」
それだけで会話は止まった。
仏頂面のままヴィルヘルムはシリカをじっと見つめる。
シリカはシリカでヴィルヘルムの意図がわからず、目を泳がせた。
気まずい空気が流れる中、シリカが慌てて口を開く。
「あ、明日にでも街を見てみたいのですが」
「構わん。クラウス。案内を頼むぞ」
「は! かしこまりました」
クラウスが流れるように礼をすると、ヴィルヘルムは小さく頷いた。
思ったよりもすんなり要望が通ったことに驚くと同時に困った。
会話がすぐに終わってしまう。
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「他に何かあるか?」
「い、いえ。今のところは」
「そうか。ではな」
言葉を言い放つと同時に、すぐにスタスタと歩いて行ってしまった。
呆気に取られたままだったシリカは、小さく胸を撫で下ろす。
(び、びっくりしたわ。いきなりいらっしゃるんだもの)
ドキドキしている胸を両手で軽く抑えるシリカ。
(陛下から何かあるか、と聞いてきてくれた……)
思わず先ほどのやり取りを思い出し、笑みを浮かべてしまう。
そしてすぐに、なぜかそれがとても恥ずかしく思えて、目をぎゅっとつぶり、感情を抑制した。
「あ、あの王妃様。お顔が赤いですが、大丈夫ですか?」
「え? あ、そ、そう? だ、大丈夫。何もありませんよ」
頬に手を当てると確かに熱を持っていた。
これは一体何なのだろうか。
高揚なのか、それとも単純な気恥ずかしさなのだろうか。
あるいは……懸想? いや、それはない。
だって出会ってまだ数日なのだ。
互いのことも知らないし、会話だってほとんどしていないのに。
シリカは自分の感情がわからず、しどろもどろになりながら答えることしかできなかった。
「で、では私は戻ります」
アリーナに背を向けて、可能な限り動揺を見せないようにゆっくりと歩いた。
ヴィルヘルムの顔を思い出す。
やせ細り、目に力はなく、貧相な姿は気品と活力を薄れさせ、男しての魅力をほとんど失わせていた。
しかしシリカが思い出すのはそんな部分ではない。
彼の放った言葉。
もしかしたら嫌われているかも、厄介者だと思われているかも、気に入られなかったのかも、そんな風に考えもした。
だが彼の気遣いが、たった一つの「何かあるか?」という言葉が。
シリカの心に光芒を注いだ。
我ながら単純だと思いつつも、その感情に今は従おう。
これほどまでに心地がいいのだから。
せめて今だけは彼の心中を推し量らなくてもいいだろう。
少しの間だけ、喜びに浸りたい。
シリカはそう思った。
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