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アイスクリームショップのショパンさん

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 ふわふわした心地よさにうっかり浸りそうになり、千晶は慌ててかぶりを振った。

(いやいやいや、違うから!)

 アンジェロ・潤・デルツィーノは家族どころか友だちでもなければ、知人でさえない。確かにずっと憧れていたものの、縁もゆかりもなく、たまたま仕事で数時間関わっただけの他人だ。
 今はアイスクリームショップの列に一緒に並んでいるとはいえ、本来の彼は舞台の上できらめくようなメロディーを奏でる、少し気まぐれな芸術家なのだ。
 あと数分でお目当ての『ジェラテリア・チャオチャオ』に入れそうだが、そうなれば楽しいおしゃべりも終わる。アンジェロはメープルパークビレッジのレジデンスに住むと言っていたけれど、今後は会うこともないだろう。
 そう思うと、なぜかかすかに胸が疼いた。

(どうかしてるわ、私)

 千晶が気を取り直そうとして唇を引き結んだ時、アンジェロの声が聞こえてきた。

「そうか。順はリモーネのジェラートが好きなんだね。僕もだよ」
「違うよ、アンジェロ。レモンだってば」

 イタリア式の名称に、順は声を上げて笑う。気がつけばアンジェロも彼を呼び捨てにしていて、二人はすっかり打ち解けた様子だった。

「順のマンマはどのジェラートが好きなの?」
「えっ?」

 驚いたように目を見開く順を見て、アンジェロは千晶に視線を投げてみせた。

「やっぱりリモーネかな?」
「違うよ。ちあちゃんはママじゃないもん」
「マンマじゃ……ないの?」

 アンジェロは怪訝そうに順と千晶を見比べている。予想外の答えに戸惑っているようだ。

「あの、そのことですけど――」

 順と暮らしているいきさつはひとことで済むようなものではない。それでも千晶がなんとか説明しようとした時、「ボンジョルノ」と陽気な挨拶が聞こえた。

「お待たせしました。ジェラテリア・チャオチャオへようこそ……って、何だよ。アンジェロじゃないか」

 にこやかに声をかけてきたのは、感じのいい長身の青年だった。
すっきりした顔立ちで、短く刈り上げたヘアスタイルがよく似合っている。千晶が手にしているチケットにも同じ笑顔が印刷されているから、どうやらこの店のオーナーらしかった。
 いつの間にか三人は列の一番前に来ていたのだ。

「チャオ、啓一。開店おめでとう」
「水くさいぞ、アンジェロ。開店祝いのでっかい花ももらったし、律義に並ばなくてよかったのに。とにかく入れよ。あ、お客様もお入りください。さあさあ、どうぞ」
「あ、は、はい」
「当店のジェラートは本場イタリア仕込みです。どれもおすすめばかりですが、迷われるでしょうからご説明いたしますね」

 アンジェロと親しいらしいオーナーに促され、千晶たちはそのまま押し込まれるように店内へ入ったのだった。
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