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初恋の呪い

ミラ

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 当時、すでにジェラルドの父であるクイン家の当主には、正妻であるアルファ女性がいた。夫婦には息子が一人生まれたが、その時点で正妻は胎を痛めてそれ以上の子供は望めなくなってしまう。周囲からもう一人、二人男児を作るべきだという声が強く、当主は第二夫人としてオメガを迎えたのだが。

「ダンスパーティーで当主様は恋に落ちてしまわれたのです」

 ジェラルドの母――〝ミラ〟はオメガの中でも数が少ない女性体だった。男性オメガよりもなお花のようだと例えられる女性オメガはフェロモンも魅惑的で、当主はそれに誘引されてミラに群がるアルファたちを威圧で排し、翌日早朝には攫うように彼女を自邸に連れ帰ったという。
 クイン家にはアルファが多いため、当主はミラの発情期を待ち、番にしてから家人にお披露目となった。その際〝政略結婚で家に入った本妻と上手く関係が築けるか〟という辺りを心配されていたのだが、それは杞憂に終わる。

「奥様の方からミラ様の手を取り〝姉妹として仲良くしてちょうだい〟と歩み寄ったそうです」
「それはまた……人格者だな」
「ええ」

 緊張していたミラは優しく接してくれる本妻に安心し、彼女を姉と慕った。それから屋敷では二人仲良く過ごす姿が頻繁に目撃されたという。幼かった次代も、美しく可憐なミラに「大きくなったら結婚して」なんてことを言って周囲を沸かせていたらしい。上手くいきすぎるぐらい、クイン家の人々はミラに好意的だった。

「問題はミラ様が魅力的すぎた……ということでしょうか」
「まさか」
「奥様はアルファです。当主様と同じく、ミラ様に恋をしてらっしゃったのです」

 恋い焦がれ、思いつめた正妻はある日一線を越えてしまう。当主が外遊で家を空ける間に、ミラに『発情促進剤』が入ったお茶を飲ませて発情ヒートを起こさせ、襲い掛かってしまった。その知らせを受けた当主は即帰国し、夫婦で血を見る争いにまでなったらしい。
 それを悲しんだミラは家を出る事を決意したという。彼女自身、番である当主を愛していたし、姉のように慕っていた正妻も大切だった。

「しかし、当主は番なのだろう? 本能的に手放すのは難しくないか?」
「はい。本能の強い、五家のアルファですからね」
「……」

 話はだんだん悪い方向に転がっていく。出て行くというミラの希望を当主は認めるはずもなく〝出て行った〟ということにして別邸に軟禁した。聞いてしまって恐ろしくなったが、今暮らしているここがその別邸だそうだ。ジェラルドは生まれ育った場所であり、僅かにでも母との思い出があるここでの生活を望み、当主から譲り受けたのだそうだ。

「軟禁か」
「庭までは出る事を許されたのだとか。植えられている白バラはミラ様に捧げられたものだと」
「……」

 温室の外に視線をやれば、いつもジェラルドのイメージに合うと思っていたバラが見える。母子であるため印象が近いのかと納得した。

「ミラ様とジェラルド様と少数の使用人での生活だったそうです」

 敷地から出られないものの、穏やかだった母子の生活はある日突然終わってしまう。出産後、身体が弱っていたミラはジェラルドが八歳の時に入院を余儀なくされ、そこから一年後に亡くなってしまった。入院時に困ったのはジェラルドの存在だ。
 出て行ったことになっているミラの子供を本邸に連れて帰れば、ミラを囲っていた事実が正妻に知られてしまう。

「奥様は気付いていたと思いますけどね。しかし、ミラ様を不法に襲った事がある手前、何も言えなかったのでしょう。彼女に合わせる顔がないと、冷静になってから後悔なさったとも聞いています」
「悔やむくらいなら手を出さないで欲しかったな」
「恋は盲目にもなるし、判断も狂わせるんですよ」

 レオンはため息をついた。恋心はレオンも知る感情だが、相手を不幸にしてまでの行為は理解できない。レオンは不機嫌さをぶつけるようにバゲットサンドを噛みちぎる。

「ジェラルドは、それからどうなったんだ?」
「ミラ様のお兄様の家に預けられました」
「母方の家か」

 どこからこの件を聞きつけたのか分からないミラの兄は、ある日突然やって来て「大事にしていた妹の子をこんな家には置いておけない」と騒ぎ出した。ミラの兄は当主夫妻がどちらもミラに執心し、刃物を持ち出す騒ぎになったことを把握していた。

「ですが……だったようです。ジェラルド様の第二性判定の時期にその事実が発覚したそうで、保護された当時は可哀想なほど痩せていらっしゃったと」

 ミラの兄は多額の養育費を不正に着服することを目的としており、ジェラルドは適切な養育を受けられなかったそうだ。その事実が明るみに出てからミラの兄は罪に問われたが、公的な罪状は非常に軽いもので済まされる。

「それは……」
「元々クイン家が望むほどの罪にはならなかったので、軽くして早めに外に出したのです。あえて」
「……なるほど、そういうことか」

 レオンは大きく頷いた。五家序列一位の当主であり軍を指揮するアルファが、最愛の番が産んだ子を苦しめた人間を容赦するわけがない。私的に相応以上の裁きを下したのだろう。
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