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初恋の呪い
……私でよかったのか?
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ノアが運転する魔導車の助手席に座ったレオンは、手に嵌めた防護グローブの調子を確かめるように手を握っては開いてを繰り返した。その動作を視野で捉えていたのか、顔を前方に向けたままノアが声を掛けてくる。
「そんな軽装備で大丈夫ですか?」
「なかなか帰ってこない番を迎えに行くだけだからね」
「……モーリス卿のところへ寄られたのは、援護を求めるためかと思いました」
「大勢で乗り込むと事が大きくなるだろう? あくまで家族の問題にするつもりだから」
レオンは軽い調子で返事をした。
温室での話し合いの後、装備を調えてから二人は出発したが、一見して装備らしいものは見当たらない。ノアは暗器を身につけているため、服の下に収納されているのだろうし、レオンも防護用のインナーを身につけただけだ。派手な装備をして乗り込めば、襲撃者と誤解されて警戒される可能性があるから、剣の腕を持つレオンでも今回は武器を持たずにいる。相手が刃物を取り出してきたら、現地で調達すればいいのだ。
「ジェラルドへ通信を送っても返ってこないから、ペンダントを取り上げられているか、もしくは通信系の魔道具を遮断するなにかがなされているか……と思ってね。専門家のモーリスに、可能性とその対処を教わりたかったんだ」
「なるほど」
「あと、このグローブも出来上がったと連絡があったから回収も兼ねて」
これは一か月前にモーリスに発注し、仕立ててもらった服飾品であり、魔道具でもある。一見すると上品な手袋にしか見えないが、その実手指をしっかりと防護してくれる優れたアイテムである。足元にはいくらでも仕込みができるが、手はそうはいかない。貴族のような格好をして、手に徒手格闘用のグローブをはめているとバランスが悪くなる。
レオンはシートに背を預けて、車窓に流れる景色を眺めた。向かうのはジェラルドの私邸がある区画からセントラルパークを挟んで真逆の位置にある。こちらも郊外だ。
「どこに向かっているんだ?」
「昨日本邸から奥様の住む別邸へ大きな荷物の運び出しがあったと」
「なるほど。いかにもだな」
「はい。別邸にも仲間がいるので門は開けてもらえます」
「助かる」
仲間がいるなら、ジェラルドの身柄を彼らに頼めば……というのは間諜としては難しい話だ。彼らは潜伏して工作活動を行うために、長い時間をかけてその場に溶け込んでおり、不信感を抱かせないようにしている。彼らの身分は簡単に捨てることはできず、今回の場合は大規模な行動を取ることはできない。彼らが正体を明かすのは、主家の血を引く者が生命の危機に瀕した場合に限られる。
だからノアはレオンに動くよう働きかけてきた。
そして、間諜が正体を明かす、という意味にも思いを馳せる。
彼は〝取り立てていただいたので、次代様でしょうか〟と、立場をあいまいにしながら話していたが、間諜は仕える主にしか正体を明かさない。ノアを軍に引き抜いたという次代は、いわば主というよりも上司であるのだろう。要するに――。
(ノアは私を〝主〟に選んだのだな)
なぜレオンを選んだのかは分からない。クイン家の一員になる予定ではあるけれど、発情が来ないせいでまだジェラルドの番になれていないのに。
「……私でよかったのか?」
運転席に目を向けてそう問えば、言わんとする事をすぐに察したノアは、綺麗な横顔を緩めて笑った。
「貴方がよかったんです」
「そうか」
それから目的地まで、あまり会話はなかった。車が止まったのは王都の端、と言ってもいいほどの郊外であり、緑が豊かだった。その茂みに寄せるように駐めた車体に、ノアは『偽装』を掛けて隠した。一連の作業を後方で見ていたレオンは、車中での無言の時間に考えていたことを実行することに決め、ノアに声をかける。
「今、臣従礼を行いたいのだが、どうだろう? 礼もなく身体を張らせるわけにはいかない」
「はい」
「〝対等〟に行いたいから、立ったままでいい」
臣従礼とはその名の通り主従の誓いの儀式だ。
間諜として主に仕えるということは、ノアが彼自身の命を捧げることを意味し、通常、儀式では従となる者は武器を外して跪く、身を捧げるような姿勢をとる。そういった関係において〝従〟の立場の者が〝主〟に異常な信奉心を抱き、死を厭わずに命を捧げること自体に価値を見出すことがあるが、それはレオンが求める関係ではない。
なので〝対等〟であることを最初に強く主張する。
理想としては、このような状況に置かれた場合に、互いに並んで走れるような関係を築きたい。
(儀礼の場をきちんと選んであげたかったな……時間がないとはいえ)
そんなロマンチストの考えがよぎったが、敵地に向かう場であるなら、これこそが相応しいと思い直した。
空気が変わるように一陣の風が吹く。レオンの真正面に立つノアの目は、いつもの色っぽい甘さはなく鋭く輝いている。それはおそらく間諜としての表情であり、簡易とはいえ儀礼の場であるため、隠さずに晒しているのだ。
「ノア・キルナーはレオン・アイディールを臣と定め、従として忠義を捧げます」
組んだ両手を差し出され、それをレオンは包み込むように握る。これは心臓を捧げるという原始宗教由来の仕草であり、すでに形骸化したものである。しかし、レオンは自身の手の中にあるそれが彼の命であると感じていた。
「受け入れよう」
レオンは主としての宣言をし、そしてノアを腕の中にかかえ入れるように抱擁する。細身の身体は一見頼りなく見えるが、触れてみるとしなやかに鍛え上げられていた。レオンはノアの耳元に唇を寄せて囁く。
「きみの思いに応えられる主でいられるように、努めるよ」
「そんな軽装備で大丈夫ですか?」
「なかなか帰ってこない番を迎えに行くだけだからね」
「……モーリス卿のところへ寄られたのは、援護を求めるためかと思いました」
「大勢で乗り込むと事が大きくなるだろう? あくまで家族の問題にするつもりだから」
レオンは軽い調子で返事をした。
温室での話し合いの後、装備を調えてから二人は出発したが、一見して装備らしいものは見当たらない。ノアは暗器を身につけているため、服の下に収納されているのだろうし、レオンも防護用のインナーを身につけただけだ。派手な装備をして乗り込めば、襲撃者と誤解されて警戒される可能性があるから、剣の腕を持つレオンでも今回は武器を持たずにいる。相手が刃物を取り出してきたら、現地で調達すればいいのだ。
「ジェラルドへ通信を送っても返ってこないから、ペンダントを取り上げられているか、もしくは通信系の魔道具を遮断するなにかがなされているか……と思ってね。専門家のモーリスに、可能性とその対処を教わりたかったんだ」
「なるほど」
「あと、このグローブも出来上がったと連絡があったから回収も兼ねて」
これは一か月前にモーリスに発注し、仕立ててもらった服飾品であり、魔道具でもある。一見すると上品な手袋にしか見えないが、その実手指をしっかりと防護してくれる優れたアイテムである。足元にはいくらでも仕込みができるが、手はそうはいかない。貴族のような格好をして、手に徒手格闘用のグローブをはめているとバランスが悪くなる。
レオンはシートに背を預けて、車窓に流れる景色を眺めた。向かうのはジェラルドの私邸がある区画からセントラルパークを挟んで真逆の位置にある。こちらも郊外だ。
「どこに向かっているんだ?」
「昨日本邸から奥様の住む別邸へ大きな荷物の運び出しがあったと」
「なるほど。いかにもだな」
「はい。別邸にも仲間がいるので門は開けてもらえます」
「助かる」
仲間がいるなら、ジェラルドの身柄を彼らに頼めば……というのは間諜としては難しい話だ。彼らは潜伏して工作活動を行うために、長い時間をかけてその場に溶け込んでおり、不信感を抱かせないようにしている。彼らの身分は簡単に捨てることはできず、今回の場合は大規模な行動を取ることはできない。彼らが正体を明かすのは、主家の血を引く者が生命の危機に瀕した場合に限られる。
だからノアはレオンに動くよう働きかけてきた。
そして、間諜が正体を明かす、という意味にも思いを馳せる。
彼は〝取り立てていただいたので、次代様でしょうか〟と、立場をあいまいにしながら話していたが、間諜は仕える主にしか正体を明かさない。ノアを軍に引き抜いたという次代は、いわば主というよりも上司であるのだろう。要するに――。
(ノアは私を〝主〟に選んだのだな)
なぜレオンを選んだのかは分からない。クイン家の一員になる予定ではあるけれど、発情が来ないせいでまだジェラルドの番になれていないのに。
「……私でよかったのか?」
運転席に目を向けてそう問えば、言わんとする事をすぐに察したノアは、綺麗な横顔を緩めて笑った。
「貴方がよかったんです」
「そうか」
それから目的地まで、あまり会話はなかった。車が止まったのは王都の端、と言ってもいいほどの郊外であり、緑が豊かだった。その茂みに寄せるように駐めた車体に、ノアは『偽装』を掛けて隠した。一連の作業を後方で見ていたレオンは、車中での無言の時間に考えていたことを実行することに決め、ノアに声をかける。
「今、臣従礼を行いたいのだが、どうだろう? 礼もなく身体を張らせるわけにはいかない」
「はい」
「〝対等〟に行いたいから、立ったままでいい」
臣従礼とはその名の通り主従の誓いの儀式だ。
間諜として主に仕えるということは、ノアが彼自身の命を捧げることを意味し、通常、儀式では従となる者は武器を外して跪く、身を捧げるような姿勢をとる。そういった関係において〝従〟の立場の者が〝主〟に異常な信奉心を抱き、死を厭わずに命を捧げること自体に価値を見出すことがあるが、それはレオンが求める関係ではない。
なので〝対等〟であることを最初に強く主張する。
理想としては、このような状況に置かれた場合に、互いに並んで走れるような関係を築きたい。
(儀礼の場をきちんと選んであげたかったな……時間がないとはいえ)
そんなロマンチストの考えがよぎったが、敵地に向かう場であるなら、これこそが相応しいと思い直した。
空気が変わるように一陣の風が吹く。レオンの真正面に立つノアの目は、いつもの色っぽい甘さはなく鋭く輝いている。それはおそらく間諜としての表情であり、簡易とはいえ儀礼の場であるため、隠さずに晒しているのだ。
「ノア・キルナーはレオン・アイディールを臣と定め、従として忠義を捧げます」
組んだ両手を差し出され、それをレオンは包み込むように握る。これは心臓を捧げるという原始宗教由来の仕草であり、すでに形骸化したものである。しかし、レオンは自身の手の中にあるそれが彼の命であると感じていた。
「受け入れよう」
レオンは主としての宣言をし、そしてノアを腕の中にかかえ入れるように抱擁する。細身の身体は一見頼りなく見えるが、触れてみるとしなやかに鍛え上げられていた。レオンはノアの耳元に唇を寄せて囁く。
「きみの思いに応えられる主でいられるように、努めるよ」
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