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第一章 黒瑪瑙の陰陽師

《七》

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 時は訪れた。

 辺り一体は帳が落ち、隙間から漏れる光さえも遮断されている。
 その中で現れ至る偶像アイドル、目の前に展開される光景スクリーン

 映し出された少女こそ、彼らにとっての光だった。

『みんなー、お待たせー! メルヤッホー☆』
「メルヤッホウゥゥゥゥゥ!!」

 男たちは吠えた。

 彼らが信じる女神に向け、唯一残った光りを灯す。
 光りは赤、青、黄……様々な色彩を織りなし、少女を彩る。
 画面の前に立つ二人の男も、昂ぶる思いを光りに宿す。

『それじゃあ、最初は……いくよ……っ、なう、なう、ろーりん!』

 まるで号令。
 その声を聞いた途端、男二人はすぐ姿勢を変える。

 かの有名な武蔵坊弁慶。

 それを思わせる仁王立ちで大地に立ち、手に少女の髪の色と同じ淡い桃色の光りを宿す。
 刹那の静かさ、それと同時に高鳴る鼓動。

『ろーりん、おーけー?』
「オー、イエスッ!!」
『みんないくよ! 仮想開演げーむすたーと!』

 境界を超えての喝采、熱気が爆発的に広がる。
 煌びやかな曲調、リズム、そして少女の歌声にもはや画面という隔たりは存在しない。

『君のはーとに、くりてぃかる!』
「1、2、3、ヒット!!」

 男二人は少女に呼応するように両手に持った光りを高速で回転させ、高らかに拳を突き上げる。
 拳の先に灯っている光りはゆっくりと上がったと思えば、下に急落下。
 すぐに、腕を大きく動かし大胆に光が飛び交う。

 くるくる、と。
 回転する光は常に留まることを知らない。
 縦横無尽に飛び交い、男達はそれを巧みに操る。

 そんな、熱気に溢れた異次元を傍観する青年が一人。

「……魔界ですか?」
「ナウ、ナウ、ローリン!!」

 汗を流しながらペンライトを巧みに操る占田と鳥前には、桜下の声は届かない。
 桜下は自分が見たことも無い異次元の世界に戸惑うこともなく、黙って二人の姿を見届けていた。

『魔法にかけられ、きみは世界にはばたく……♪』

 画面の先で人々を魅了するアイドル、都柄メル。
 彼女は自身が立つ舞殿を中心に彼女が作り出す世界を展開させていく。

 舞殿にいる観客はもちろん、占田や鳥前のように画面越しでもその勢いは衰えさせない。
 音楽的センス、広がるカリスマ性、それら全てを自分の手で作り出す。

「……」

 彼女の容赦のない輝きに桜下は目を逸らした。
 音楽のセンスやアイドルを嫌うわけではないが、が良いものと共感出来ない。

 それから四曲、都柄メルは歌い続け、占田と鳥前、舞殿にいる観客たちに笑顔を振りまく。
 限られた時間で、彼女はたしかにその場をにした。

『みんなー! ありがとー!』
「メルメルー!」

 響き渡る歓声。

 楽しいときが過ぎるのはあっという間だった。
 占田と鳥前の表情は汗だくになりながらも、満足に満ちあふれた笑みを浮かべている。

 桜下は全てが共感出来るわけではない。
 けれど、占田と鳥前が彼女を全力で応援する姿勢に拍手を送っていた。

「さく……」
「さく氏……」

 息を整える二人は驚いたように拍手が鳴る方向に視線を動かす。
 黒い瞳は画面ではなく占田と鳥前を真っ直ぐ映している。

「かっこよかったですよ」
 桜下は都柄メルに賞賛すべき言葉が見つからず、桜下は目の前の二人に対して感想を素直に伝えていた。

 自分たちに拍手が贈られていることに気がつきながらも、占田と鳥前は同じように表情をぽかんとさせている。
 これは失敗だったかもしれない、と桜下が少し焦り始めた時だった。

「さく、俺たちじゃなくて、メルちゃんを見ろよ……」
 困ったように言う占田は笑みを浮かべ、
「俺、オタ芸をして褒められたの初めてかもしれない」
 早口で呟く鳥前はまだ唖然としている。

 まんざらでもない。

 そんな二人の心境に気がつかず、桜下の声が上ずる。

「え、私、変でしたか?」
「違う、違う。やっぱ、さくは視点が違って面白いや」

 戸惑い気味の桜下に占田は笑い返す。
 その光景を見た鳥前が間を挟むように声をかける。

「占田氏ぃ。あまりさく氏をからかうなー。変なところで真面目だから、真に受けられるぞー」
「そうだった。さくは、天然だからなぁ」

 笑いを堪える占田を見て鳥前を細めるもの、彼は表情筋を抑えるので手一杯だった。

「だから何ですか、それ」

 自分に言われたことを理解しきれず桜下は首を傾げる。
 どこかあどけない表情に、とうとう二人は笑いが堪えきれなくなった。

「いや、何でもない。何でも」
「ほんと、さく氏。そのままでいて……」

 釈然としない桜下をよそに、占田と鳥前はテント内の灯りを点け直す。
 二人にとっていっときの時間に終わりを告げ、端に寄せていた机と椅子を元通り中央に揃える。

 すると、画面は再び『しばらくお待ち下さい』の表示に切り替わった。
 机の隅には信野が鞄の中にしまい忘れた汗ふきシートが置かれている。

「ちょっと一枚拝借、拝借」
 占田が汗ふきシートを一枚取り出すと、釣られて鳥前もシートを取り額の汗を拭う。
 三人はそれぞれ椅子に座り、特に会話はなかったが居心地の悪い時間では無い。
 占田はテントに持ち込んだ炭酸飲料をがぶ飲みしながら斉天祭のパンフレットを読む。
 鳥前は電子端末のゲームを起動させ、架空の少女と戯れる。

 それぞれが時間を過ごす中、桜下は、ただじっと『しばらくお待ち下さい』の画面を見続けていた。

 画面を見つめる黒い瞳は、会ったことははずの少年の心配。
 昨年までは、阿部春明の父、阿部藤照あべふじてるが演目『斉天』を披露していた。

 この舞は、斉天祭の締めくくり。

 祭りの意義そのものであり、タイトルを冠するもの。
 舞殿で今まで披露されていたステージと比べると重要性、そして神聖性が明らかに異なっていた。

「……」
 その舞を、十六歳の少年が誰の手助けもなく一人で舞台に立つ。
 斉天祭に関心を持てない桜下ではあったが、これから毅然と舞台に立たなければいけない少年を想像し、身を前のめりにさせていた。

「分かる。分かるぞ、さく」
 桜下が視線を少し画面から逸らすと、占田が腕を組みながら深く頷いている。
 机にはパンフレットが置かれ、彼の好きな都柄メルではなく、阿部春明のページが開かれていた。

「分かるって……何のことですか?」
「何って、推しが出る前って、アドレナリンに引き金が掛かる感覚になるよな」
「本当に何ですかそれ」

 占田の発言に桜下は眉をひそめる。
 何度目か分からない疑問の感情に晒されると、鳥前が助け船を出す。

「要するに……落ち着かねぇよなぁ。心臓が張り裂けそうだ……! って、こと」
「鳥前さんもどうしたんですか?」
 声を上ずらせながら話す鳥前に、桜下の疑問が益々増えていく。

「鳥前はまだメルちゃんの余韻が残っているだけだよ。でも、さくは落ち着きすぎ。状況にもよるけどよ、好きなモノの前では少しぐらいはっちゃけてもいいけどなぁ。まあ、俺らを参考にはしない方がいいけど」

 ワハハ、と占田は大きく広げて笑い、それから少しだけ息を整えてから桜下と向き合う。
 先輩としてあくまで簡単なアドバイス。
 占田にとってはそれだけのつもりだった。

「さく。お前の場合、極端に恥ずかしがり過ぎだよ。人見知りっていう話しじゃなくて……あまり自分の好き好みを言わないのも、なんだか寂しいじゃん」
「……」

 桜下は自分について触れられることを自然に避けていた。
 会社の先輩たちを嫌うわけはなく、もちろん信頼をしている。
 ただ、彼らとは仕事上の関係のみで成立していると踏んでいた。
 結界整備師としての自分の情報、それ以外は彼らには必要ない。
 仕事の中で自分の断片が見え隠れした時もあっただろう。

 けれど、自分飾り立てる特色を自ら発言することに桜下は意味を見いだせない。

「占田氏、ステイ」
 鳥前はゲーム画面の電源を落とし、じっと占田を見つめていた。
「さく氏が固まってる」
「あっ、悪い! ちょっと先輩風吹かしすぎたか……」

 手を合わせる占田に、桜下は首を横に振って大丈夫だと伝える。
 その最中、ふと鳥前が桜下に視線を向け、目で相づちを打つ。

 ゴメン、と。
 長年付き合っている相方の失言に、鳥前も一緒に謝っているように桜下には見えた。

「あ、モニター切り替わった」

 鳥前が声を上げると、それに釣られ桜下と占田もモニターに視線を向ける。
 画面前方付近には多数の観客たちの後頭部が映し出される。
 時折彼ら彼女らが右から左、左から右へと横切るものもいたが、それも時間が経つにつれて収っていく。

『皆様、大変長らくお待たせ致しました』

 舞殿全体にアナウンスの声が響き渡る。
 男性のとも女性とも取れる中性的な歳若い人の声色。
 観客たちの空気も変わり、ざわざわと小声で話す雑音もピタリと止んだ。
 観客席は暗闇が覆われ、ところどころの灯りが一定間隔に点く。
 しかし、それは必要最低限の灯り、最も注目すべき舞台はまだ暗闇に覆われている。

『今年も舞殿では最高のエンターテインメントが繰り広げられていますが、名残惜しくも舞殿での演目も残り最後となりました』

 舞台の暗闇は徐々に明るくなっていき、輪郭を露わにする。
 朱色の高欄こうらんに覆われた、正方形の舞台。
 舞台の床は緑の敷物に覆われ、中心には陰陽寮が示す五芒星が刻まれている。

 都柄メルのライブから、景色が一転。
 周囲には和楽器を持った紙の面で顔を覆った異形のものたち、式神が陳列していた。

『今年で斉天祭は十一年目を迎え、私たち日本人にとって大きな節目の年を迎えました。あの大戦から十二年、未だ大きな戦地の跡、汚染土地の問題など残しています』

 床に刻まれた五芒星が紫色に淡く光り出す。
 暗く、閉ざされた空間にはそれが一番輝くものとなる。

『けれど、光は必ず私たちの手の内にある。斉天大聖が残した聖の光。かの隻腕の陰陽師が聖人と成った今日この日を憂い、座ったままで結構です、黙祷をお願いします』

 黙祷、とアナウンスの声が会場に響く。
 真っ暗な画面越しでは観客たちが黙祷をしているのか、桜下から見れば全く分からなかった。

 それよりも、隣で画面を見ていた占田と鳥前が真面目に手を合わせて目をつむっている姿をまじまじと見てしまう。

『お直り下さい』

 一分間の沈黙の後、合図と共に祈りは終わる。
 その最中、五芒星の光りは未だ誰かを待つように紫色の光りを放ち続けていた。

『光を絶やさないよう、いつまでも、守り、愛しみ、歩みを止めない限り、必ず明日はやってくる。その祭礼に習い、混天大聖のご子息、阿部春明様が演目『斉天』をお届け致します』

 アナウンスの声に呼応するように、紫色の光が強くなる。

 光りが一層強くなった途端紫の星の模様は消え、そこから一人少年が姿を現した。

 彼の象徴すべき緋色の髪は白の布のかぶりに影を潜め、白を基調とした鮮やか装束。


 しかし、何よりも人々の視線が向かったのは彼が顔を覆っている面だった。


 真っ黒な顔面に、あおくの縁取られた模様。
 外装の中で特に一番際立たせている。
 無機質な表情でありながらも、深い緑に塗られた眼球。
 目元の彫り込みは、長き時を経て今もなお戦っている猿を思わせた。

「……」

 桜下はそれが唯一、に見てしまう。

 平和になった世の中に、果たしてあの面の表情が属せるのか。
 懐疑的に、視線を向けていた。

『本年度『斉天祭』の最後を締める、演目『斉天』。この平和がいつまでも、続きますよう、心の中で祈りを唱えながら、ご覧下さい』

 客席に点々と並んでいた照明が消え、光はすべて、舞台に立つ舞師の少年に集中していく。


 笙の一節。
 最初の始まりの音が鳴り響き、物語の幕が開いた。
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