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第一章 黒瑪瑙の陰陽師
第8話 開演前
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「整いました、坊ちゃん」
「ん、ありがと」
斉天の舞が始まる一時間ほど前。
春明は風間の手助けをもらいながら、斉天の白い装束を身に纏う。
「きつい箇所、苦しいことはございませんか?」
「いや、それは大丈夫。寧ろよく動く舞だから、少しくらいきつくしてくれた方が良い」
鏡の前で姿を再確認し、衣装のズレがないかよく見回していく。
すると、鏡越しに紺色の軍服姿の青年と目が合った。
「なあ、お前」
「ファッツ、春明?」
春明は後ろを振り返り、シリウスに呼びかける。
何気ない、ただのやりとり。
だが、風間の目が鋭く光った。
それは怒りの感情ではなく、春明が呼び捨てにされても嫌悪を見せないことへの驚き。
この短時間で打ち解けた、彼らの友情に目を皿のように見開く。
そんな風間の心境をよそに、春明は両手を広げシリウスに衣装を見せる。
「この衣装、どう思う?」
「ウン! 格好いいけど、正直似合ってない!」
満面の笑顔で率直に物言うシリウス。
彼の態度に風間の表情が凍り付く。
懐のクナイに手にかけていたことさえ気づいていない。
それぐらいの衝撃だったが、
「だよなー、オレもそう思う。でも今の言い方イラッとしたから一発ぶん殴らせろ」
「ちょっと春明……イタタタ、分かったゴメンって! そんな叩かないで!」
春明の年相応の少年の笑みに、風間は懐のクナイを奥深くにしまい込んだ。
少年が検非違使の胸元をふざけながら叩く姿を、眼鏡をかけ直し見守っていく。
「ねえ春明、あのお面も付けるんだよね?」
叩く春明の腕をゆっくり払い除け、シリウスの視線の先が机の上にずれる。
そこには、一枚の漆黒の面が机の上に置かれていた。
「あれは今すぐに付けねぇよ。舞台に上がる直前に付ける」
「フーン。そうなんだ」
「だからこうして……」
春明は机に面の方へ向かっていき、自分の腰紐と面の紐を結び合わせる。
「坊ちゃん、俺が結びつけ致します」
「いいって、これくらい自分で出来る」
春明は風間の手伝いを借りず、慣れた手先で面の紐を結んでいく。
そして、腰位置でぶら下がった猿面に納得の息を漏らす。
「これで完成。舞面ってのは、役の顔だ。舞台の上でこそ堂々とあるべきものだけど、それ以外では見せびらかすものじゃねえんだ。だから今は……、こうやってぶら下げる」
石で作られた、硬く無機質な面立ち。
口は固く閉ざされ、黒塗く塗られた顔には深緑の模様が彫られている。
まるで人形のような表情。
しかし、瞳の色はハッキリとした強い意識を帯びていた。
「綺麗……」
碧々、と。
若葉が芽吹く緑がシリウスの心を掻き立てる。
見る角度を変えるごとに、深い緑から若緑色へ、コントラストが鮮やかに変化していく。
だが、宝石のように強調された美しさではない。
野原に咲く草木のような自然な佇まい。
無機質な黒の上に飾られた碧緑の瞳は、色褪せないよう懸命に藻掻く。
現実と向き合い、存在を示すような。
猿面の目には、強い意識が宿っていた。
「……いい表情だろ。舞面ってのは演目ごとにあったり無かったり、種類も色々とあるけど、この舞面は世界に一枚だけ、阿部家だけが所持している特別な物なんだ」
「これ、結構年代物のお面だよね……?」
シリウスの興味が舞面へと向かっていき、それに春明は胸を弾ませる。
「そうだ。オレの父さん、死んじまった爺さん、ずっとずっと前のご先祖の代から使われていた代物だぜ? それに結構頑丈なんだこれ」
春明は得意げな笑みで軽く拳で舞面を叩く。
「幾分頑丈には作られてはいますが、雅楽寮創設時よりあったと言われている舞面です。あまり乱雑にお使いになられては、歴代の当主様もお嘆きになられますよ」
「なんだよ、軽くコツいただけじゃねえか」
横からの風間の忠告に春明はムッと口をへの字に歪ませる。
対して風間は自分が言ったことに悪く思うことはなく、眼鏡をかけ直す。
ジトッとした睨みも、風間には全く効かず。
「ほら、年に一度のこの祭でしか拝めない代物だ。よく見ておけ」
やがて春明は睨みを諦め、シリウスに視線を移す。
シリウスは静かに黒い顔をした舞面を見つめていた。
もっとはしゃぐかと、思っていた。
想像と裏腹に、静かに鑑賞するシリウスの姿勢に春明は目を丸くした。
「……ん?」
すると、シリウスの視線が上に移動し、春明と目が合う。
じっと目を合わせること数秒、そしてまた舞面に。繰り返し、視線が行き来されている。
「なんだよ」
「いや、思ったんだけど……お面の方がサイズ大きくない?」
舞面のサイズと春明の顔の大きさの違い。
微々たる大きさの誤差をシリウスの眼は見逃さなかった。
「踊っている時にズレたりしないの?」
「詰め布を入れればなんとか。それは舞台に立つ直前に風間が手伝ってくれる。なあ、風間?」
シリウスの疑問になんでもないように春明は答える。
風間は二人のやりとりに一拍乗り遅れて頷く。
「はい。こちらで準備致しますので、坊ちゃんに御手を煩わせません」
風間の手には直前の準備に必要な道具一式が揃っている。
「ならバッチリだね」
「当たり前だ。何年坊ちゃんの傍にいると思っている」
ニカっと笑うシリウスに対抗するように、風間はまた眼鏡をかけ直す。
その様子に春明はため息を漏らした。
「ま、時々うるさいけどな」
「坊ちゃん、それは坊ちゃんのことを思ってですね……!」
「今日は特にうるさい」
「坊ちゃん!」
冷静さを保てず思わず大声になる風間。
春明はからかうように笑みを浮かべ、隣で見ている。
「そろそろ行くか」
もう緊張の中がむしゃらに踊っていた春明の姿はない。
これから自身の舞台に向かう一人の舞師の姿がそこにはあった。
○
舞殿は舞台を中心に、出演者フロア、観客フロア、VIPフロアの四つの区域に構成される。
舞台に入るためには、各フロアにある入場口から入らなければならない。
芸能著名人が使う、出演者用の入口。
観客が入るための入場口。
スタッフが出入りする、裏方通路。
そして、春明たちが利用するVIP専用入口は、
「おい! マジで何のいじめだよ!」
行く道中までが、途方もない迷路。
嘆く春明の声が響き渡る。
風景はどこもかしこも同じ。
白く汚れ一つないような通路が続き、どこかに入れるような部屋が見当たらない。
唯一、現在位置を把握出来るのは先頭に立つ風間のみ。
陰陽寮から支給された電子端末を頼りに、舞台を目指す。
「そうだよね。春明その衣装重そうだもん。おんぶしようか?」
「い、いらねぇ! 誰が頼むか!」
シリウスの提案に一瞬誘惑されそうになったが、春明は眉間に皺を寄せプライドを守る。
その姿に、前で先導しながら風間が得意げに頷く。
「流石、阿部家次期御当主になるお方。例えお疲れであっても、常に毅然とあらせられる。しかし、これから舞の本番という時にお力が出ないとはいけません。ささっ、であればこの風間の背中に、」
「だからいらねえって言ってるだろ、バーカ!」
白い廊下に春明の罵倒が響き渡る。
何度か春明が疲れた素振りを見せ、そのたびにシリウスと風間は気にかける。
しかし、春明は歩く足を止めようとはしない。
階段を上る時も、シリウスと風間の手を借りることはあったが、彼には自分で歩かないという選択肢はなかった。
「それより、入り口はまだかよ」
階段を上りきると、少し息を切らせながら春明は風間に尋ねる。
「もう少しです、この角を曲がれば……ご覧下さい、見えました」
彼らが向かう、直線上の先にはこのフロア唯一の部屋があった。
部屋の扉にセキュリティは施されていない。
そもそも、ここまでの道中が扉である為、その上で鍵など必要ない。
春明は風間の前に出てゆっくり進み、二枚左右対称に付けられた開き戸を両手いっぱいに広げた。
「すげ……」
そこは白亜の中枢。
霊術が織りなす、聖の成れの果て。
紫微の断片が隠れた機械が支配する空間は、舞殿内にあるすべてのテムイを管轄する中枢を担っていた。
空間の中心に設置されたテムイの中枢は時折紫の光りを帯び、白い地面に淡い波紋を広げていく。
シリウスは何も言わず風間と共に空間内に入る。
中心に佇む機械に警戒心を持ちながら視線を向け春明の後方を歩く。
「……ウン?」
すると、機械の後ろから現れる一つの影。
シリウスは現れた人物に眉を潜めた。
「何奴!」
すぐに風間も気配に気づき、懐のクナイを向ける。
しかし、物陰の人物はそれに怖じ気づくこともなく、寧ろこちらに気がつき歩み始めた。
まるで色彩が収束されたような華美なドレス。
自身に満ちた健全な足取りで、少女は桃色の髪を揺らしながら三人の前に立つ。
「ちょっとちょっとぉ、男子ぃ! そんな風に女の子をジロジロと見ちゃ……めっ、だぞっ☆」
バーンっ、と三回。
彼ら一人一人に向けて指で鉄砲を撃つような仕草をした後ウィンクを一つ落とす。
理想高く、常に怖じけない度胸を持ち、そしていつも人への愛嬌を忘れない。
夢と希望を歌う雅楽寮の姫。
彼女がいるその場は常に舞台となり、人を喝采の渦へ誘う。
「……都柄メル」
大手芸能事務所SIDAREプロダクション。
芸能界の戦陣を駆け抜ける歌姫の姿を春明が見間違えるはずがなかった。
「おお、噂に聞いた阿部家のご子息サマ? なるほど、ナルホドナー」
都柄メルの関心は春明に向かう。
興味津々に観察する眼差しに少年は警戒心を隠せない。
「都柄殿、武器を向けた無礼をお詫び致します」
申し訳ありませんと、風間が春明と都柄メルの間を割って入る。
風間の背の高い身体が、二人を隔たる壁となった。
「いいよー。ちゃんと謝ってくれるなら、メルはちゃらにしちゃうからねー」
対して都柄メルは、曇りの無い笑みで返す。
芸能界の最先端を駆けるアイドルにとって、この程度気にするほどでも無かった。
「むむっ」
すると、彼女は後ろにある気配に気がつく。
振り返れば、やりとりを見守っていたシリウスと目が合う。
「フ、ファッツ……?」
彼女の関心はすぐに移り変わる。
独特の疑問詞を零すシリウスに、都柄メルはぐっと近づいていく。
その眼差しは春明の時と比べものにならない、力が入っていた。
「おい、オレの護衛になんか用か?」
敵意を向ける春明に、彼女は気にする素振りを全く見せない。
引き締まった体格。
検非違使を象徴する紺の服装。
深く帽子を被った金色の髪型。
青い瞳の形。
そして、身につけている刀。
「アー……、ナイスファイト! ライブお疲れ様です!」
「ありがとう! いやー、検非違使ってもっと目がこーんなになっている人が多いけれど、君はそうじゃないんだね」
シリウスのテンポがぎこちない賞賛に、都柄メルは心から感謝を述べる。
彼女は嬉しそうに自分の目尻を指先で上げるが、全く威圧的には見えない。
寧ろ、彼女の外見からより可愛らしく引き立てていた。
「そうそう、キャプテンとかこーんな感じだよ」
脳裏で自分の上司の人相を思い浮かべながら、シリウスも同じように目尻に指を当てる。
それは俗に言う、変顔に近いものであった。
「アハハ、何それ! やっぱり君面白い!」
観客に振りまく笑みとはまったく別のもの。
破顔させながら、歯を見せ笑う仕草が少女の在り方に沿っていた。
「春明の舞も君に負けないぐらいうんと格好いいからさ。今、僕すごくワクワクしてるよ」
純粋で綺麗な期待。
都柄メルがいつも舞台から見ている風景と変わらなかった。
それが、自分ではなく奥に居る緋色の髪の少年に向けられている。
「何和んでるんだ! 行くぞ!」
春明は足をコツコツ地面に叩きながら声を上げ、シリウスははにかんだ。
「オーライ! 今行くよ。じゃあね」
爽やかな風のように都柄メルを横切る。
その流れに都柄メルは終始目を丸くさせていた。
彼女はその場に立ち、遠くからシリウスと春明のやりとりを眺めている。
「おい、ナンパしているんだ。しかも、相手は都柄メル。ファンにぶっ殺されても知らねえぞ」
「ファッツ!? ナンパじゃないよ、お疲れ様ですって挨拶しただけ! と、言うよりなに、僕殺されちゃうの?」
「さあなぁ、それこそ知らねえ」
ケラケラと春明の意地悪い笑みにシリウスは焦りに声が裏返っている。
その近くに居た風間はため息を零す。
なんて下品な笑い方なのだろう、と。
普段の風間ならそんな風に注意をしていただろう。だが、今はその言動は野暮に過ぎない。
年相応の少年青年のやりとりの最中、二人の視線が都柄メルに向かう。
急に視線が合い、都柄メルはなんだろうと首をかしげた。
「都柄メル!」
春明はシリウスの陽気な態度に触発され、彼女の名を叫ぶ。
「お前が雅楽寮を代表して芸能界を戦陣切っているのはオレもよく知っている。悔しいが、ファンの数には到底及ばない。すげえよやっぱ!」
礼節をわきまえている言葉選びにはほど遠く、けれど勢いと純粋な賞賛はすさまじいものだった。
シリウスは意気揚々になっていくに対し、反比例するように風間は肝を冷やしていく。
沸騰上昇と冷凍直下。
二人の内心事情には目もくれず、春明は胸を張る。
「だが忘れるな。最後にお前を越えて、超有名になるのはこのオレ、阿部春明だ。覚悟しておけ!」
ストン、と。
彼の言い放った言葉が都柄メルの胸に落ちる。
なんて無鉄砲で不躾で、我が儘なのだろうか。
他者が聞けば苛立ちが勝る一言。
しかし、とても世辞のない澄んだ響きで。
夕焼け色に染められた髪が美しく舞う姿に、都柄メルは興味を持つ。
「斉天の舞、頑張ってね」
少年の覚悟を聞き届け、アイドルは笑みを一つ零す。
そして、彼女は軽やかなステップ音でこの場を去っていく。
小春日和の風に似せた、台風。
春明は天下に名高いアイドルの出現に、心臓を高鳴らせていた。
すると、
「坊ちゃん!」
這い出た風間の表情に、思わず春明はギョッとする。
「う、うわぁ気持ち悪っ!」
鼻水と涙で濡れたくった風間の顔。
あまりにも酷い表情に、春明は罵倒しか出来ない。
「見ているだけで心臓が破裂しそうでしたよ!?」
「なんでミスター風間は泣いてるの?」
「そりゃあ……そりゃあ……」
シリウスが疑問に思い、風間に近づく。
風間は眼鏡を上げハンカチで涙を拭い、ポケットティッシュ鼻をかんでいた。
そして、手短に身なりを整える。
その間、僅か三秒。
式神を駆使し身なりを整える風間に、シリウスの視線が引き気味になっていた。
「あの都柄メルを前に物動じぬ態度。感服したいのは山々ですが……」
風間は眼鏡をかけ直し、主人である春明に強い口調で述べる。
「SIDAREプロダクションの重鎮でもある歌姫に啖呵を切るとは何事ですか!」
「え、勢いで言ったけど、オレどうなるの?」
風間の動揺の仕方に、春明は思わず訊ねてしまう。
風間はしばらく考え、また眼鏡を整える。
その動作は、彼の考え事中の癖として染みついていた。
「下手すりゃあ、世間的に消し飛んでましたよ」
聞かなきゃよかった。
春明はすぐ後悔と胸の内で不安が渦巻く。
「え?」
「反応からして彼女は嫌悪していないと思いますが、もうあのような振る舞いはお止め下さい」
深刻に忠告する風間の発言に、春明はキュっと唇を噛んだ。
真顔になり口を閉ざす表情は、端から見たら格好付かない姿。
しかし、本人はなりふり構わず真剣に悩んでいた。
「大丈夫、大丈夫。だってライブ頑張って言ってたじゃん」
春明にとってそれは救いの一言。
シリウスの爽やかな笑みがさっきまで憎たらしく見えたはずが、随分と頼もしく見える。
「……お前」
「だってあの人の笑み、悪巧みしているようには見えなかったよ。どっちかと言うと、パフォーマーとして正面からたたき潰すって感じがしたなぁ」
「なにそれ、物騒」
シリウスが続けた言葉に、少年はまた真顔で返答してしまう。
しかし、納得はしていた。
舞師としての実力を全力で出した上で負けるのであれば、彼は惜しむことはなかった。
「いいさ。その時は全力でやればいい」
春明は深く深呼吸をすると、腰位置に括り付けていた舞面に手を伸ばす。
「……そろそろ付けるか」
指先は震えていた。
それも含め自分の実力だと春明は痛感する。
「坊ちゃん」
長年見守り続けてきた厳しくも優しい従者の眼差し。
主人である緋色の髪の舞師に、従者は深々と頭を下げる。
「風間、付けるの手伝ってくれ」
「畏まりました」
二つ返事で風間は懐から一枚人型の小さな紙を取り出す。
それは、シリウスとの戦いでも使われた式神の呪符。
風間が呪符を宙に投げると人の形をした式神が現れた。
術が組み込まれた文様が紙の面に描かれ、表情が分からない。
いや、初めから表情など存在しない。
式神はただ術者の風間に従うだけ。
手のひらから詰め布を差し出すとあっさりと呪符の姿に戻る。
一方、春明は腰に付けていた舞面の紐を解く。
面を顔前に当て位置を調整し、自分が丁度良いと感じる最善の箇所に当て、少しずつ動かしていく。
「頬から入れていきますね」
風間は春明の指示をされた通り、面の下に滑り込ませるように詰め布を頬の位置に入れていく。
そして、額の位置にも詰め布を入れ、微々たる調整を行っていった。
「随分、大変な作業なんだね……」
シリウスには、衣装を着替えさせた時よりも風間の作業が大変そうに見えてしまう。
すると、春明は風間の裾を軽く引っ張る。
舞面を手で押さえながらも、何かを促すように。
その意図に気がつき、風間は詰め布を行いながら説明を始めた。
「詰め布自体は珍しくはない。本来ならば、舞面は決まった大きさの形になっていて、その分詰め布の分量もあまり気にしない程度で済む。斉天の舞面が変わっているんだ」
「変わっているって? なに、スペシャルマスクってこと?」
少し期待を込めシリウスが問いかけると、風間が真顔になる。
「毎年舞面の大きさを測るとサイズが変わっている」
「……マジ、リアリィ?」
本当にスペシャルマスク、怪談的な意味で。
髪が伸びる人形を祖父から聞き覚えがあるものの、顔の広さが大きくなる面など聞いたことない。
斉天の舞面の大きさが徐々に変化する様子を想像し、シリウスも風間と同じような真顔になってしまう。
「今は、良い方だ。大きくなり、昔より断然付けやすい」
「昔はどんな感じだったの?」
風間は頬に入れた詰め布を少し減らしながら答える。
「昔は、小さかった。子供が付けるくらいの大きさ……そうだな、その時の大きさの方が今の坊ちゃんも付けやすかったかもしれない」
けれど、付ける人物は春明ではなく当時の当主。
代々受け継がれる面の大きさは、子供が付けるものとそう変わりなく、サイズ感に苦悩が課せられる。
舞面に霊術、または式神たちを駆使し、滑稽な姿を晒さないよう工夫が施されていた。
「ソウナンダ……」
大変なんだなぁ、とシリウスは想像する中、風間は舞面の位置を慣れた手つきで整えていく。
「いつだったか……。たしか大戦が終結してから何年か経ったくらいか。面を取り出すと、大きさが一回り広くなって年々それが続いていった。最近になり変化は緩やかになり落ち着いているが……」
風間は現当主以前の舞面の大きさを知らないが、それでも毎年著しく変化していった舞面に自身なりの見解を得ていた。
「面の大きさと凹凸具合。今の舞面は俺が初めて見た舞面とは明らかにサイズが別物だ」
まるで成長しているように、毎年この次期に箱を開けると大きさが変わる面。
舞面の強固な材質、何故大きくなるのか、阿部家一族でさえ分かっていない。
ただ、この舞面は阿部家一族が守り継いでいる大切なモノ。
それだけは、変わらない事実であり、阿部家の誇りでもあった。
「驚きはした。だが、決して気味の悪いモノではない。この舞面は、死んでしまった斉天大聖、その人の代わりに成長し続けている。毎年、箱を開けるたびにそう思えるんだ。さあ、坊ちゃん整いました」
きつくは無いですか、と風間は春明に再度確認を取る。
春明は無言で舞面に手を当て、面の結び紐の位置や頭のかぶりを微妙に調整していく。
その最中でシリウスは、風間の話をかみしめていた。
成長し続けている猿面。
今はもう存在しないはずの聖人の影。
あの面がピッタリ合う人物が斉天大聖だと、シリウスの心がざわついた。
灰かぶり姫の絵物語のように。
だが、シリウスに王子となる資格はない。
猿面は阿部家の所有物。
――オレ自身が納得できる『斉天』を演じきって、皆を納得させる。
シリウスは春明の言葉を思い返し、黙って視線を前に向ける。
春明は舞面の調整を終え、最後に舞面に備わった式神術を起動させた。
ふわっ、と。
仄かな白い光が春明の髪を覆うように集まると、瞬時に上質な布に姿を形作る。
これは役を覆う為の必要な装飾品。
白いかぶりは燃えさかる緋色の髪を覆い隠し、斉天の風貌へ春明を染め上げる。
演目に向けての役が、これで完成された。
「春明!」
シリウスは声を張り上げ、そのままの勢いで思いの猛りをぶつけた。
「Have a nice time!」
無表情の猿面の裏では、少年が目を見開いていた。
すると、風間が初めてシリウスに対して申し訳ない表情を浮かべる。
「……気持ちは有り難いが、舞面を付けた舞師は必要以上に会話をしてはならない」
それは、舞師が古くから伝わる古くからの習わし。
舞面を付ければ自身は面をつけた、自身は役そのものであり、発する言葉は役の代弁となる。
それ即ち、役者が自分自身の言葉を発してはならない。
舞面を付ければ必要以上の話しをせず、簡単な内容なら身振りで伝える。
内容によっては式神を使うこともあるが、春明は一切話す素振りを見せず沈黙に徹していた。
「済まないが、言葉を返すことが、」
出来ない、と。
風間が言葉を続けたその時だった。
「……っ!」
緋色の髪の少年は、親指を上に立てそのまま手をシリウスに向ける。
その意味を、シリウスは充分理解していた。
「……ウン」
シリウスもまた同じように親指を上に立てる。
それだけで、彼らの意思疎通は十分。
すぐに春明は身を翻し、前に進む。
その後ろ姿を見て、風間は感動のあまり涙目になっていた。
「もしかして、また泣きそう?」
「くっ、貴様に見せるものではない!」
風間は素早く目元を拭い、ギッとシリウスを睨み付ける。
そんな中、シリウスの感心は別の方向に向いていた。
「それでさ。ここからどうやって舞台に行くの?」
「……あの紫に光る機械の下を見ろ」
「下?」
風間に言われ、この部屋の中央にそびえ立つ紫に光る白い機械の下に目を凝らす。
機械の下の床には紫色の五芒星が描かれ、春明が近づくと淡く光り出していた。
「日本各所にあるテムイは陰陽寮が持つ霊術演算装置が中枢となりネットワークを築いている」
ここは日本国を縮小し見立てた模型。
今、シリウスたちがが見ている白亜の装置は舞殿と大結界内に設置されているテムイの中枢を担っていた。
「これは坊ちゃんを舞殿へ移動させる、転位術の演算装置と考えればいい」
その説明は、実にシリウスにとって都合の悪いものだった。
だが、それを風間に述べてもどうしようも出来ない。
検非違使は言葉をグッと飲み干す。
「どうした?」
「ドントウォーリー。なんでもないよ。じゃあ、あの星の中に入ったら一気に舞台にひとっ飛びなんだね。いやー、すごいやー」
「坊ちゃんが舞をされている間は、我々はここで待機。そこのモニターで坊ちゃんの様子を見届ける」
装置の横にはタッチパネル式の操作盤が用意され、頭上には大きなモニターが用意されている。
舞台、客席、舞台周辺を警備している検非違使など。
モニターは複数画面に切り替わるように表示され、見えない箇所が言っても過言はなかった。
「万が一、非常の際は舞台にいらっしゃる坊ちゃんから救難信号を出して頂く。その際に限り、我々も転位術で舞台まで瞬時移動が可能だ。本来『VIP専用』は坊ちゃんや、都柄メル殿以外は使えない入り口だ。だから、承認を得ないといけない」
「承認って、具体的な方法は?」
「舞台上で名前を呼んで頂く」
名前を呼ばれた者は転位に承認され、舞台上に出現する。
真に信頼された者が、主の元に降り立つことが出来る仕組み。
「坊ちゃん、その際掟は関係ありません。何かあれば必ずこの風間めをお呼びに……、」
自分の名前を呼んで欲しいと、風間は自信満々高らかに伝える。
その途中で、
「……春明! いざっていう時は絶対にミスター風間の名前を呼んで!」
シリウスに言葉を遮られた。
風間は目くじらを立て、シリウスを睨む。
「当たり前だ。坊ちゃんに仕えているのは俺だ。お前が呼ばれるのは二の次だ」
風間の悪態に、シリウスは返事を返すことはなかった。
シリウスは心の中で春明を応援するものの、転位術の仕組みに不満の靄が晴れなかった。
舞師の事情を一切考えていない、移動の方法。
光に導かれるように、緋色の髪の少年は降り立った、その時。
シリウスは我に返り、ハッとした。
『雅楽寮、舞師、阿部春明様。認証致しました』
中性的な音。
幼い少年とも年若い女性とも取れる電子音は、人の声までも忠実に再現させる。
装置に春明の情報が一瞬で読み込まれ、転位の準備が完了された。
「坊ちゃんなら出来ます。ご自身を信じて下さい」
風間の脳裏に浮かぶのは春明のこれまでの軌跡。
斉天の舞に向け、春明はたくさんの苦難を積み重ねてきた。
振り付けを覚えるのに数ヶ月、それまで昼夜問わず練習に明け暮れた。
それでも、なんとか振本通りの身のこなしを覚え、風間は一安心をしていた。
だが、当の本人は疑問に苛まれる。
本当に聖人でいいのか、と。
振本通りに踊れるようになったことで、『斉天』と直面することになる。
それが春明にとって、一方的に聖人と押しつけているようにしか見えなかった。
迷いに迷う少年の挫折と苦悩。
そんな最中、一冊の漫画と出会う。
『最終段階、演算開始。十、九、……』
周囲の光の強さが増し、いよいよ、転位術の最終調整がされていく。
春明の心臓が高鳴り、緊張で手汗を湿らせる。
緊張も含めて、これが今の実力。
春明は自分の未熟さに呆れはてしまう。
それでも、彼は何も考えられないほど精神を追い詰められてはいなかった。
――いーじゃん、緊張したって。
あの時、シリウスの気軽な発言が無ければ、今の春明はあり得なかった。
後悔と、ほんの少しの感謝。
そんな気持ちを胸に、少年は十数メートル先にいる検非違使に視線を向ける。
『八、七、六、……、』
視線の先に、シリウスはいなかった。
……どこに行った?
春明の脳裏に疑問が駆け巡る。
風間はシリウスがいなくなったことに気がついていない。
『五、四、三……』
声は出せない。
カウントは刻一刻と進んでいく中、春明は風間に向けて手を伸ばし指さす。
「坊ちゃん?」
風間は指をさされ、後ろを振り向きようやく気がついた。
「なっ、居ないだと……!?」
風間にも疑問が脳内を占め、表情を強ばらせる。
これまでの適当な言動には目を瞑っていたが、護衛を放棄し忽然と姿を消す。
『二、一……、』
しかし、居なくなった原因が風間には分からない。
これから斉天の本番が始まる。
舞台の周囲にも警備の検非違使は配置されているが、彼らは舞台より数十メートル離れた位置に滞在している。
そのため、緊急時はすぐ春明の元に駆けつけられるVIP出演者用の入り口に護衛の者は滞在しなければならない。
モニター越しの警護となってしまうが、ここであれば転位術ですぐに春明がいる舞台に移動が出来る。
それをすべて、理解した上で検非違使はこの場から立ち去ってしまった。
「……っ」
風間がシリウスを思うほど、食い込んだ爪跡がより深くなっていった。
しかし、そう迷う時間も彼らにはない。
『紫微垣副端末。転位術、起動致します』
装置のアナウンスは空間に無慈悲に響き、春明を中心に大きな一重の円が空間に展開される。
まるで水面を広がる紫の波紋。
春明という対象を見定め、装置は広がった波紋を凝縮させた。
「坊ちゃん、どうか今は舞だけをお考え下さい……!」
風間は春明に向けて足掻きで言葉を振り絞る。
紫の光りは一瞬ほとばしると最後。
光の泡となって、春明の姿はいなくなった。
「坊ちゃん……」
残された風間は白い空間の中、モニターのあ
る場所に移動する。
風間一人残された空間はあまりにも広い。
春明の今の心境。そしてあの検非違使は姿を消した意図。
考えを巡らすたびに風間は頭を痛めていく。
その一方では、装置は落ち着きを取り戻す。
機体の隙間からは淡い紫色の光りが漏れて出ていた。
◉
とうとう、本番が来ちまった。
風間、何か叫んでたけど多分アイツのことだろうな。あれだけ言っておきながら、どこに消えた、あのアメリカン検非違使。まあいいさ、オレの舞を今ここで見なかったことを一生後悔させてやる。
……。
……。
……正直、もっと練習をしたかったなぁ。
それと情報を集めたかった。あの大結界のおっさん坊主、めっちゃ厳ついし何もしゃべってくれないし、ヤクザか! こちとら全然アテが無いんだよ、慈悲ぐらいくれ!
あとは……、そうだな……。
……もっと、役を練って、斉天大聖と向き合いたかった。
中途半端なまま演舞をしたくない。聖人としてじゃなくて、もっと別の側面を引き出して見に来た観客たちに思い知らせたい。
ヤツはお前らが思うほど、行儀の良いものじゃないってな!
……まあ。今のオレには役を練り上げる実力が無かったわけだが。
ちくしょう、今はお行儀良く『聖人』として振る舞ってやる。
けどな、いずれは聖人としてじゃない。
ヤツの信念、ヤツの生き様。ヤツが駆け抜けた軌跡。全部ひっくるめて『斉天』として舞台に立ってやるから、首を洗って待っていやがれ!
『本年度『斉天祭』の最後を締める、演目『斉天』。この平和がいつまでも、続きますよう、心の中で祈りを唱えながら、ご覧下さい』
オレは祈らねえぞ。お前らが妄想する何だか分からない聖人に祈りたくもねえ。てめえらで勝手にしろ。
けど、斉天大聖。お前のことはオレがいつか舞台に堂々と出させてやる。
だから、その時まであの世で見守っていてくれ。
まずは笙が鳴ったタイミングで足を……、
――は?
「ん、ありがと」
斉天の舞が始まる一時間ほど前。
春明は風間の手助けをもらいながら、斉天の白い装束を身に纏う。
「きつい箇所、苦しいことはございませんか?」
「いや、それは大丈夫。寧ろよく動く舞だから、少しくらいきつくしてくれた方が良い」
鏡の前で姿を再確認し、衣装のズレがないかよく見回していく。
すると、鏡越しに紺色の軍服姿の青年と目が合った。
「なあ、お前」
「ファッツ、春明?」
春明は後ろを振り返り、シリウスに呼びかける。
何気ない、ただのやりとり。
だが、風間の目が鋭く光った。
それは怒りの感情ではなく、春明が呼び捨てにされても嫌悪を見せないことへの驚き。
この短時間で打ち解けた、彼らの友情に目を皿のように見開く。
そんな風間の心境をよそに、春明は両手を広げシリウスに衣装を見せる。
「この衣装、どう思う?」
「ウン! 格好いいけど、正直似合ってない!」
満面の笑顔で率直に物言うシリウス。
彼の態度に風間の表情が凍り付く。
懐のクナイに手にかけていたことさえ気づいていない。
それぐらいの衝撃だったが、
「だよなー、オレもそう思う。でも今の言い方イラッとしたから一発ぶん殴らせろ」
「ちょっと春明……イタタタ、分かったゴメンって! そんな叩かないで!」
春明の年相応の少年の笑みに、風間は懐のクナイを奥深くにしまい込んだ。
少年が検非違使の胸元をふざけながら叩く姿を、眼鏡をかけ直し見守っていく。
「ねえ春明、あのお面も付けるんだよね?」
叩く春明の腕をゆっくり払い除け、シリウスの視線の先が机の上にずれる。
そこには、一枚の漆黒の面が机の上に置かれていた。
「あれは今すぐに付けねぇよ。舞台に上がる直前に付ける」
「フーン。そうなんだ」
「だからこうして……」
春明は机に面の方へ向かっていき、自分の腰紐と面の紐を結び合わせる。
「坊ちゃん、俺が結びつけ致します」
「いいって、これくらい自分で出来る」
春明は風間の手伝いを借りず、慣れた手先で面の紐を結んでいく。
そして、腰位置でぶら下がった猿面に納得の息を漏らす。
「これで完成。舞面ってのは、役の顔だ。舞台の上でこそ堂々とあるべきものだけど、それ以外では見せびらかすものじゃねえんだ。だから今は……、こうやってぶら下げる」
石で作られた、硬く無機質な面立ち。
口は固く閉ざされ、黒塗く塗られた顔には深緑の模様が彫られている。
まるで人形のような表情。
しかし、瞳の色はハッキリとした強い意識を帯びていた。
「綺麗……」
碧々、と。
若葉が芽吹く緑がシリウスの心を掻き立てる。
見る角度を変えるごとに、深い緑から若緑色へ、コントラストが鮮やかに変化していく。
だが、宝石のように強調された美しさではない。
野原に咲く草木のような自然な佇まい。
無機質な黒の上に飾られた碧緑の瞳は、色褪せないよう懸命に藻掻く。
現実と向き合い、存在を示すような。
猿面の目には、強い意識が宿っていた。
「……いい表情だろ。舞面ってのは演目ごとにあったり無かったり、種類も色々とあるけど、この舞面は世界に一枚だけ、阿部家だけが所持している特別な物なんだ」
「これ、結構年代物のお面だよね……?」
シリウスの興味が舞面へと向かっていき、それに春明は胸を弾ませる。
「そうだ。オレの父さん、死んじまった爺さん、ずっとずっと前のご先祖の代から使われていた代物だぜ? それに結構頑丈なんだこれ」
春明は得意げな笑みで軽く拳で舞面を叩く。
「幾分頑丈には作られてはいますが、雅楽寮創設時よりあったと言われている舞面です。あまり乱雑にお使いになられては、歴代の当主様もお嘆きになられますよ」
「なんだよ、軽くコツいただけじゃねえか」
横からの風間の忠告に春明はムッと口をへの字に歪ませる。
対して風間は自分が言ったことに悪く思うことはなく、眼鏡をかけ直す。
ジトッとした睨みも、風間には全く効かず。
「ほら、年に一度のこの祭でしか拝めない代物だ。よく見ておけ」
やがて春明は睨みを諦め、シリウスに視線を移す。
シリウスは静かに黒い顔をした舞面を見つめていた。
もっとはしゃぐかと、思っていた。
想像と裏腹に、静かに鑑賞するシリウスの姿勢に春明は目を丸くした。
「……ん?」
すると、シリウスの視線が上に移動し、春明と目が合う。
じっと目を合わせること数秒、そしてまた舞面に。繰り返し、視線が行き来されている。
「なんだよ」
「いや、思ったんだけど……お面の方がサイズ大きくない?」
舞面のサイズと春明の顔の大きさの違い。
微々たる大きさの誤差をシリウスの眼は見逃さなかった。
「踊っている時にズレたりしないの?」
「詰め布を入れればなんとか。それは舞台に立つ直前に風間が手伝ってくれる。なあ、風間?」
シリウスの疑問になんでもないように春明は答える。
風間は二人のやりとりに一拍乗り遅れて頷く。
「はい。こちらで準備致しますので、坊ちゃんに御手を煩わせません」
風間の手には直前の準備に必要な道具一式が揃っている。
「ならバッチリだね」
「当たり前だ。何年坊ちゃんの傍にいると思っている」
ニカっと笑うシリウスに対抗するように、風間はまた眼鏡をかけ直す。
その様子に春明はため息を漏らした。
「ま、時々うるさいけどな」
「坊ちゃん、それは坊ちゃんのことを思ってですね……!」
「今日は特にうるさい」
「坊ちゃん!」
冷静さを保てず思わず大声になる風間。
春明はからかうように笑みを浮かべ、隣で見ている。
「そろそろ行くか」
もう緊張の中がむしゃらに踊っていた春明の姿はない。
これから自身の舞台に向かう一人の舞師の姿がそこにはあった。
○
舞殿は舞台を中心に、出演者フロア、観客フロア、VIPフロアの四つの区域に構成される。
舞台に入るためには、各フロアにある入場口から入らなければならない。
芸能著名人が使う、出演者用の入口。
観客が入るための入場口。
スタッフが出入りする、裏方通路。
そして、春明たちが利用するVIP専用入口は、
「おい! マジで何のいじめだよ!」
行く道中までが、途方もない迷路。
嘆く春明の声が響き渡る。
風景はどこもかしこも同じ。
白く汚れ一つないような通路が続き、どこかに入れるような部屋が見当たらない。
唯一、現在位置を把握出来るのは先頭に立つ風間のみ。
陰陽寮から支給された電子端末を頼りに、舞台を目指す。
「そうだよね。春明その衣装重そうだもん。おんぶしようか?」
「い、いらねぇ! 誰が頼むか!」
シリウスの提案に一瞬誘惑されそうになったが、春明は眉間に皺を寄せプライドを守る。
その姿に、前で先導しながら風間が得意げに頷く。
「流石、阿部家次期御当主になるお方。例えお疲れであっても、常に毅然とあらせられる。しかし、これから舞の本番という時にお力が出ないとはいけません。ささっ、であればこの風間の背中に、」
「だからいらねえって言ってるだろ、バーカ!」
白い廊下に春明の罵倒が響き渡る。
何度か春明が疲れた素振りを見せ、そのたびにシリウスと風間は気にかける。
しかし、春明は歩く足を止めようとはしない。
階段を上る時も、シリウスと風間の手を借りることはあったが、彼には自分で歩かないという選択肢はなかった。
「それより、入り口はまだかよ」
階段を上りきると、少し息を切らせながら春明は風間に尋ねる。
「もう少しです、この角を曲がれば……ご覧下さい、見えました」
彼らが向かう、直線上の先にはこのフロア唯一の部屋があった。
部屋の扉にセキュリティは施されていない。
そもそも、ここまでの道中が扉である為、その上で鍵など必要ない。
春明は風間の前に出てゆっくり進み、二枚左右対称に付けられた開き戸を両手いっぱいに広げた。
「すげ……」
そこは白亜の中枢。
霊術が織りなす、聖の成れの果て。
紫微の断片が隠れた機械が支配する空間は、舞殿内にあるすべてのテムイを管轄する中枢を担っていた。
空間の中心に設置されたテムイの中枢は時折紫の光りを帯び、白い地面に淡い波紋を広げていく。
シリウスは何も言わず風間と共に空間内に入る。
中心に佇む機械に警戒心を持ちながら視線を向け春明の後方を歩く。
「……ウン?」
すると、機械の後ろから現れる一つの影。
シリウスは現れた人物に眉を潜めた。
「何奴!」
すぐに風間も気配に気づき、懐のクナイを向ける。
しかし、物陰の人物はそれに怖じ気づくこともなく、寧ろこちらに気がつき歩み始めた。
まるで色彩が収束されたような華美なドレス。
自身に満ちた健全な足取りで、少女は桃色の髪を揺らしながら三人の前に立つ。
「ちょっとちょっとぉ、男子ぃ! そんな風に女の子をジロジロと見ちゃ……めっ、だぞっ☆」
バーンっ、と三回。
彼ら一人一人に向けて指で鉄砲を撃つような仕草をした後ウィンクを一つ落とす。
理想高く、常に怖じけない度胸を持ち、そしていつも人への愛嬌を忘れない。
夢と希望を歌う雅楽寮の姫。
彼女がいるその場は常に舞台となり、人を喝采の渦へ誘う。
「……都柄メル」
大手芸能事務所SIDAREプロダクション。
芸能界の戦陣を駆け抜ける歌姫の姿を春明が見間違えるはずがなかった。
「おお、噂に聞いた阿部家のご子息サマ? なるほど、ナルホドナー」
都柄メルの関心は春明に向かう。
興味津々に観察する眼差しに少年は警戒心を隠せない。
「都柄殿、武器を向けた無礼をお詫び致します」
申し訳ありませんと、風間が春明と都柄メルの間を割って入る。
風間の背の高い身体が、二人を隔たる壁となった。
「いいよー。ちゃんと謝ってくれるなら、メルはちゃらにしちゃうからねー」
対して都柄メルは、曇りの無い笑みで返す。
芸能界の最先端を駆けるアイドルにとって、この程度気にするほどでも無かった。
「むむっ」
すると、彼女は後ろにある気配に気がつく。
振り返れば、やりとりを見守っていたシリウスと目が合う。
「フ、ファッツ……?」
彼女の関心はすぐに移り変わる。
独特の疑問詞を零すシリウスに、都柄メルはぐっと近づいていく。
その眼差しは春明の時と比べものにならない、力が入っていた。
「おい、オレの護衛になんか用か?」
敵意を向ける春明に、彼女は気にする素振りを全く見せない。
引き締まった体格。
検非違使を象徴する紺の服装。
深く帽子を被った金色の髪型。
青い瞳の形。
そして、身につけている刀。
「アー……、ナイスファイト! ライブお疲れ様です!」
「ありがとう! いやー、検非違使ってもっと目がこーんなになっている人が多いけれど、君はそうじゃないんだね」
シリウスのテンポがぎこちない賞賛に、都柄メルは心から感謝を述べる。
彼女は嬉しそうに自分の目尻を指先で上げるが、全く威圧的には見えない。
寧ろ、彼女の外見からより可愛らしく引き立てていた。
「そうそう、キャプテンとかこーんな感じだよ」
脳裏で自分の上司の人相を思い浮かべながら、シリウスも同じように目尻に指を当てる。
それは俗に言う、変顔に近いものであった。
「アハハ、何それ! やっぱり君面白い!」
観客に振りまく笑みとはまったく別のもの。
破顔させながら、歯を見せ笑う仕草が少女の在り方に沿っていた。
「春明の舞も君に負けないぐらいうんと格好いいからさ。今、僕すごくワクワクしてるよ」
純粋で綺麗な期待。
都柄メルがいつも舞台から見ている風景と変わらなかった。
それが、自分ではなく奥に居る緋色の髪の少年に向けられている。
「何和んでるんだ! 行くぞ!」
春明は足をコツコツ地面に叩きながら声を上げ、シリウスははにかんだ。
「オーライ! 今行くよ。じゃあね」
爽やかな風のように都柄メルを横切る。
その流れに都柄メルは終始目を丸くさせていた。
彼女はその場に立ち、遠くからシリウスと春明のやりとりを眺めている。
「おい、ナンパしているんだ。しかも、相手は都柄メル。ファンにぶっ殺されても知らねえぞ」
「ファッツ!? ナンパじゃないよ、お疲れ様ですって挨拶しただけ! と、言うよりなに、僕殺されちゃうの?」
「さあなぁ、それこそ知らねえ」
ケラケラと春明の意地悪い笑みにシリウスは焦りに声が裏返っている。
その近くに居た風間はため息を零す。
なんて下品な笑い方なのだろう、と。
普段の風間ならそんな風に注意をしていただろう。だが、今はその言動は野暮に過ぎない。
年相応の少年青年のやりとりの最中、二人の視線が都柄メルに向かう。
急に視線が合い、都柄メルはなんだろうと首をかしげた。
「都柄メル!」
春明はシリウスの陽気な態度に触発され、彼女の名を叫ぶ。
「お前が雅楽寮を代表して芸能界を戦陣切っているのはオレもよく知っている。悔しいが、ファンの数には到底及ばない。すげえよやっぱ!」
礼節をわきまえている言葉選びにはほど遠く、けれど勢いと純粋な賞賛はすさまじいものだった。
シリウスは意気揚々になっていくに対し、反比例するように風間は肝を冷やしていく。
沸騰上昇と冷凍直下。
二人の内心事情には目もくれず、春明は胸を張る。
「だが忘れるな。最後にお前を越えて、超有名になるのはこのオレ、阿部春明だ。覚悟しておけ!」
ストン、と。
彼の言い放った言葉が都柄メルの胸に落ちる。
なんて無鉄砲で不躾で、我が儘なのだろうか。
他者が聞けば苛立ちが勝る一言。
しかし、とても世辞のない澄んだ響きで。
夕焼け色に染められた髪が美しく舞う姿に、都柄メルは興味を持つ。
「斉天の舞、頑張ってね」
少年の覚悟を聞き届け、アイドルは笑みを一つ零す。
そして、彼女は軽やかなステップ音でこの場を去っていく。
小春日和の風に似せた、台風。
春明は天下に名高いアイドルの出現に、心臓を高鳴らせていた。
すると、
「坊ちゃん!」
這い出た風間の表情に、思わず春明はギョッとする。
「う、うわぁ気持ち悪っ!」
鼻水と涙で濡れたくった風間の顔。
あまりにも酷い表情に、春明は罵倒しか出来ない。
「見ているだけで心臓が破裂しそうでしたよ!?」
「なんでミスター風間は泣いてるの?」
「そりゃあ……そりゃあ……」
シリウスが疑問に思い、風間に近づく。
風間は眼鏡を上げハンカチで涙を拭い、ポケットティッシュ鼻をかんでいた。
そして、手短に身なりを整える。
その間、僅か三秒。
式神を駆使し身なりを整える風間に、シリウスの視線が引き気味になっていた。
「あの都柄メルを前に物動じぬ態度。感服したいのは山々ですが……」
風間は眼鏡をかけ直し、主人である春明に強い口調で述べる。
「SIDAREプロダクションの重鎮でもある歌姫に啖呵を切るとは何事ですか!」
「え、勢いで言ったけど、オレどうなるの?」
風間の動揺の仕方に、春明は思わず訊ねてしまう。
風間はしばらく考え、また眼鏡を整える。
その動作は、彼の考え事中の癖として染みついていた。
「下手すりゃあ、世間的に消し飛んでましたよ」
聞かなきゃよかった。
春明はすぐ後悔と胸の内で不安が渦巻く。
「え?」
「反応からして彼女は嫌悪していないと思いますが、もうあのような振る舞いはお止め下さい」
深刻に忠告する風間の発言に、春明はキュっと唇を噛んだ。
真顔になり口を閉ざす表情は、端から見たら格好付かない姿。
しかし、本人はなりふり構わず真剣に悩んでいた。
「大丈夫、大丈夫。だってライブ頑張って言ってたじゃん」
春明にとってそれは救いの一言。
シリウスの爽やかな笑みがさっきまで憎たらしく見えたはずが、随分と頼もしく見える。
「……お前」
「だってあの人の笑み、悪巧みしているようには見えなかったよ。どっちかと言うと、パフォーマーとして正面からたたき潰すって感じがしたなぁ」
「なにそれ、物騒」
シリウスが続けた言葉に、少年はまた真顔で返答してしまう。
しかし、納得はしていた。
舞師としての実力を全力で出した上で負けるのであれば、彼は惜しむことはなかった。
「いいさ。その時は全力でやればいい」
春明は深く深呼吸をすると、腰位置に括り付けていた舞面に手を伸ばす。
「……そろそろ付けるか」
指先は震えていた。
それも含め自分の実力だと春明は痛感する。
「坊ちゃん」
長年見守り続けてきた厳しくも優しい従者の眼差し。
主人である緋色の髪の舞師に、従者は深々と頭を下げる。
「風間、付けるの手伝ってくれ」
「畏まりました」
二つ返事で風間は懐から一枚人型の小さな紙を取り出す。
それは、シリウスとの戦いでも使われた式神の呪符。
風間が呪符を宙に投げると人の形をした式神が現れた。
術が組み込まれた文様が紙の面に描かれ、表情が分からない。
いや、初めから表情など存在しない。
式神はただ術者の風間に従うだけ。
手のひらから詰め布を差し出すとあっさりと呪符の姿に戻る。
一方、春明は腰に付けていた舞面の紐を解く。
面を顔前に当て位置を調整し、自分が丁度良いと感じる最善の箇所に当て、少しずつ動かしていく。
「頬から入れていきますね」
風間は春明の指示をされた通り、面の下に滑り込ませるように詰め布を頬の位置に入れていく。
そして、額の位置にも詰め布を入れ、微々たる調整を行っていった。
「随分、大変な作業なんだね……」
シリウスには、衣装を着替えさせた時よりも風間の作業が大変そうに見えてしまう。
すると、春明は風間の裾を軽く引っ張る。
舞面を手で押さえながらも、何かを促すように。
その意図に気がつき、風間は詰め布を行いながら説明を始めた。
「詰め布自体は珍しくはない。本来ならば、舞面は決まった大きさの形になっていて、その分詰め布の分量もあまり気にしない程度で済む。斉天の舞面が変わっているんだ」
「変わっているって? なに、スペシャルマスクってこと?」
少し期待を込めシリウスが問いかけると、風間が真顔になる。
「毎年舞面の大きさを測るとサイズが変わっている」
「……マジ、リアリィ?」
本当にスペシャルマスク、怪談的な意味で。
髪が伸びる人形を祖父から聞き覚えがあるものの、顔の広さが大きくなる面など聞いたことない。
斉天の舞面の大きさが徐々に変化する様子を想像し、シリウスも風間と同じような真顔になってしまう。
「今は、良い方だ。大きくなり、昔より断然付けやすい」
「昔はどんな感じだったの?」
風間は頬に入れた詰め布を少し減らしながら答える。
「昔は、小さかった。子供が付けるくらいの大きさ……そうだな、その時の大きさの方が今の坊ちゃんも付けやすかったかもしれない」
けれど、付ける人物は春明ではなく当時の当主。
代々受け継がれる面の大きさは、子供が付けるものとそう変わりなく、サイズ感に苦悩が課せられる。
舞面に霊術、または式神たちを駆使し、滑稽な姿を晒さないよう工夫が施されていた。
「ソウナンダ……」
大変なんだなぁ、とシリウスは想像する中、風間は舞面の位置を慣れた手つきで整えていく。
「いつだったか……。たしか大戦が終結してから何年か経ったくらいか。面を取り出すと、大きさが一回り広くなって年々それが続いていった。最近になり変化は緩やかになり落ち着いているが……」
風間は現当主以前の舞面の大きさを知らないが、それでも毎年著しく変化していった舞面に自身なりの見解を得ていた。
「面の大きさと凹凸具合。今の舞面は俺が初めて見た舞面とは明らかにサイズが別物だ」
まるで成長しているように、毎年この次期に箱を開けると大きさが変わる面。
舞面の強固な材質、何故大きくなるのか、阿部家一族でさえ分かっていない。
ただ、この舞面は阿部家一族が守り継いでいる大切なモノ。
それだけは、変わらない事実であり、阿部家の誇りでもあった。
「驚きはした。だが、決して気味の悪いモノではない。この舞面は、死んでしまった斉天大聖、その人の代わりに成長し続けている。毎年、箱を開けるたびにそう思えるんだ。さあ、坊ちゃん整いました」
きつくは無いですか、と風間は春明に再度確認を取る。
春明は無言で舞面に手を当て、面の結び紐の位置や頭のかぶりを微妙に調整していく。
その最中でシリウスは、風間の話をかみしめていた。
成長し続けている猿面。
今はもう存在しないはずの聖人の影。
あの面がピッタリ合う人物が斉天大聖だと、シリウスの心がざわついた。
灰かぶり姫の絵物語のように。
だが、シリウスに王子となる資格はない。
猿面は阿部家の所有物。
――オレ自身が納得できる『斉天』を演じきって、皆を納得させる。
シリウスは春明の言葉を思い返し、黙って視線を前に向ける。
春明は舞面の調整を終え、最後に舞面に備わった式神術を起動させた。
ふわっ、と。
仄かな白い光が春明の髪を覆うように集まると、瞬時に上質な布に姿を形作る。
これは役を覆う為の必要な装飾品。
白いかぶりは燃えさかる緋色の髪を覆い隠し、斉天の風貌へ春明を染め上げる。
演目に向けての役が、これで完成された。
「春明!」
シリウスは声を張り上げ、そのままの勢いで思いの猛りをぶつけた。
「Have a nice time!」
無表情の猿面の裏では、少年が目を見開いていた。
すると、風間が初めてシリウスに対して申し訳ない表情を浮かべる。
「……気持ちは有り難いが、舞面を付けた舞師は必要以上に会話をしてはならない」
それは、舞師が古くから伝わる古くからの習わし。
舞面を付ければ自身は面をつけた、自身は役そのものであり、発する言葉は役の代弁となる。
それ即ち、役者が自分自身の言葉を発してはならない。
舞面を付ければ必要以上の話しをせず、簡単な内容なら身振りで伝える。
内容によっては式神を使うこともあるが、春明は一切話す素振りを見せず沈黙に徹していた。
「済まないが、言葉を返すことが、」
出来ない、と。
風間が言葉を続けたその時だった。
「……っ!」
緋色の髪の少年は、親指を上に立てそのまま手をシリウスに向ける。
その意味を、シリウスは充分理解していた。
「……ウン」
シリウスもまた同じように親指を上に立てる。
それだけで、彼らの意思疎通は十分。
すぐに春明は身を翻し、前に進む。
その後ろ姿を見て、風間は感動のあまり涙目になっていた。
「もしかして、また泣きそう?」
「くっ、貴様に見せるものではない!」
風間は素早く目元を拭い、ギッとシリウスを睨み付ける。
そんな中、シリウスの感心は別の方向に向いていた。
「それでさ。ここからどうやって舞台に行くの?」
「……あの紫に光る機械の下を見ろ」
「下?」
風間に言われ、この部屋の中央にそびえ立つ紫に光る白い機械の下に目を凝らす。
機械の下の床には紫色の五芒星が描かれ、春明が近づくと淡く光り出していた。
「日本各所にあるテムイは陰陽寮が持つ霊術演算装置が中枢となりネットワークを築いている」
ここは日本国を縮小し見立てた模型。
今、シリウスたちがが見ている白亜の装置は舞殿と大結界内に設置されているテムイの中枢を担っていた。
「これは坊ちゃんを舞殿へ移動させる、転位術の演算装置と考えればいい」
その説明は、実にシリウスにとって都合の悪いものだった。
だが、それを風間に述べてもどうしようも出来ない。
検非違使は言葉をグッと飲み干す。
「どうした?」
「ドントウォーリー。なんでもないよ。じゃあ、あの星の中に入ったら一気に舞台にひとっ飛びなんだね。いやー、すごいやー」
「坊ちゃんが舞をされている間は、我々はここで待機。そこのモニターで坊ちゃんの様子を見届ける」
装置の横にはタッチパネル式の操作盤が用意され、頭上には大きなモニターが用意されている。
舞台、客席、舞台周辺を警備している検非違使など。
モニターは複数画面に切り替わるように表示され、見えない箇所が言っても過言はなかった。
「万が一、非常の際は舞台にいらっしゃる坊ちゃんから救難信号を出して頂く。その際に限り、我々も転位術で舞台まで瞬時移動が可能だ。本来『VIP専用』は坊ちゃんや、都柄メル殿以外は使えない入り口だ。だから、承認を得ないといけない」
「承認って、具体的な方法は?」
「舞台上で名前を呼んで頂く」
名前を呼ばれた者は転位に承認され、舞台上に出現する。
真に信頼された者が、主の元に降り立つことが出来る仕組み。
「坊ちゃん、その際掟は関係ありません。何かあれば必ずこの風間めをお呼びに……、」
自分の名前を呼んで欲しいと、風間は自信満々高らかに伝える。
その途中で、
「……春明! いざっていう時は絶対にミスター風間の名前を呼んで!」
シリウスに言葉を遮られた。
風間は目くじらを立て、シリウスを睨む。
「当たり前だ。坊ちゃんに仕えているのは俺だ。お前が呼ばれるのは二の次だ」
風間の悪態に、シリウスは返事を返すことはなかった。
シリウスは心の中で春明を応援するものの、転位術の仕組みに不満の靄が晴れなかった。
舞師の事情を一切考えていない、移動の方法。
光に導かれるように、緋色の髪の少年は降り立った、その時。
シリウスは我に返り、ハッとした。
『雅楽寮、舞師、阿部春明様。認証致しました』
中性的な音。
幼い少年とも年若い女性とも取れる電子音は、人の声までも忠実に再現させる。
装置に春明の情報が一瞬で読み込まれ、転位の準備が完了された。
「坊ちゃんなら出来ます。ご自身を信じて下さい」
風間の脳裏に浮かぶのは春明のこれまでの軌跡。
斉天の舞に向け、春明はたくさんの苦難を積み重ねてきた。
振り付けを覚えるのに数ヶ月、それまで昼夜問わず練習に明け暮れた。
それでも、なんとか振本通りの身のこなしを覚え、風間は一安心をしていた。
だが、当の本人は疑問に苛まれる。
本当に聖人でいいのか、と。
振本通りに踊れるようになったことで、『斉天』と直面することになる。
それが春明にとって、一方的に聖人と押しつけているようにしか見えなかった。
迷いに迷う少年の挫折と苦悩。
そんな最中、一冊の漫画と出会う。
『最終段階、演算開始。十、九、……』
周囲の光の強さが増し、いよいよ、転位術の最終調整がされていく。
春明の心臓が高鳴り、緊張で手汗を湿らせる。
緊張も含めて、これが今の実力。
春明は自分の未熟さに呆れはてしまう。
それでも、彼は何も考えられないほど精神を追い詰められてはいなかった。
――いーじゃん、緊張したって。
あの時、シリウスの気軽な発言が無ければ、今の春明はあり得なかった。
後悔と、ほんの少しの感謝。
そんな気持ちを胸に、少年は十数メートル先にいる検非違使に視線を向ける。
『八、七、六、……、』
視線の先に、シリウスはいなかった。
……どこに行った?
春明の脳裏に疑問が駆け巡る。
風間はシリウスがいなくなったことに気がついていない。
『五、四、三……』
声は出せない。
カウントは刻一刻と進んでいく中、春明は風間に向けて手を伸ばし指さす。
「坊ちゃん?」
風間は指をさされ、後ろを振り向きようやく気がついた。
「なっ、居ないだと……!?」
風間にも疑問が脳内を占め、表情を強ばらせる。
これまでの適当な言動には目を瞑っていたが、護衛を放棄し忽然と姿を消す。
『二、一……、』
しかし、居なくなった原因が風間には分からない。
これから斉天の本番が始まる。
舞台の周囲にも警備の検非違使は配置されているが、彼らは舞台より数十メートル離れた位置に滞在している。
そのため、緊急時はすぐ春明の元に駆けつけられるVIP出演者用の入り口に護衛の者は滞在しなければならない。
モニター越しの警護となってしまうが、ここであれば転位術ですぐに春明がいる舞台に移動が出来る。
それをすべて、理解した上で検非違使はこの場から立ち去ってしまった。
「……っ」
風間がシリウスを思うほど、食い込んだ爪跡がより深くなっていった。
しかし、そう迷う時間も彼らにはない。
『紫微垣副端末。転位術、起動致します』
装置のアナウンスは空間に無慈悲に響き、春明を中心に大きな一重の円が空間に展開される。
まるで水面を広がる紫の波紋。
春明という対象を見定め、装置は広がった波紋を凝縮させた。
「坊ちゃん、どうか今は舞だけをお考え下さい……!」
風間は春明に向けて足掻きで言葉を振り絞る。
紫の光りは一瞬ほとばしると最後。
光の泡となって、春明の姿はいなくなった。
「坊ちゃん……」
残された風間は白い空間の中、モニターのあ
る場所に移動する。
風間一人残された空間はあまりにも広い。
春明の今の心境。そしてあの検非違使は姿を消した意図。
考えを巡らすたびに風間は頭を痛めていく。
その一方では、装置は落ち着きを取り戻す。
機体の隙間からは淡い紫色の光りが漏れて出ていた。
◉
とうとう、本番が来ちまった。
風間、何か叫んでたけど多分アイツのことだろうな。あれだけ言っておきながら、どこに消えた、あのアメリカン検非違使。まあいいさ、オレの舞を今ここで見なかったことを一生後悔させてやる。
……。
……。
……正直、もっと練習をしたかったなぁ。
それと情報を集めたかった。あの大結界のおっさん坊主、めっちゃ厳ついし何もしゃべってくれないし、ヤクザか! こちとら全然アテが無いんだよ、慈悲ぐらいくれ!
あとは……、そうだな……。
……もっと、役を練って、斉天大聖と向き合いたかった。
中途半端なまま演舞をしたくない。聖人としてじゃなくて、もっと別の側面を引き出して見に来た観客たちに思い知らせたい。
ヤツはお前らが思うほど、行儀の良いものじゃないってな!
……まあ。今のオレには役を練り上げる実力が無かったわけだが。
ちくしょう、今はお行儀良く『聖人』として振る舞ってやる。
けどな、いずれは聖人としてじゃない。
ヤツの信念、ヤツの生き様。ヤツが駆け抜けた軌跡。全部ひっくるめて『斉天』として舞台に立ってやるから、首を洗って待っていやがれ!
『本年度『斉天祭』の最後を締める、演目『斉天』。この平和がいつまでも、続きますよう、心の中で祈りを唱えながら、ご覧下さい』
オレは祈らねえぞ。お前らが妄想する何だか分からない聖人に祈りたくもねえ。てめえらで勝手にしろ。
けど、斉天大聖。お前のことはオレがいつか舞台に堂々と出させてやる。
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まずは笙が鳴ったタイミングで足を……、
――は?
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