旦那様と僕~それから~

三冬月マヨ

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それぞれの絆

【旦】飛んで火に入ったのは

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「…いずれは癒える日も来るだろう。そうなった時に、討伐隊へ戻るかどうか考えると良い。お前はまだ若いんだからな」

 隊に与えられた一室で、努めて感情が乗らない様に、俺の目の前に佇む橘へとそれを告げた。
 唇を噛んで俯く橘の肩は震え、下げられた手は両方共に、痛いぐらいに握り締められているのが見えた。

 これは仕方の無い事だと己に言い聞かせる。
 橘が居ては、楠は戦えない。
 そんな二人を共に居させる訳には行かない。
 俺には隊員を守る責任がある。
 一人でも多くの隊員を、家族或いは恋人の元へと帰還させる責任がある。
 そこに、異分子が居てはいけないのだ。
 橘が負った心の傷は深い。
 そう簡単に消える物では無い。
 だから、俺は敢えて冷たく言い放った。

「…夏季休暇の間、良く考えて置け」

 と。

 ◇

 …しくしくと胃が痛い…。

 今日、橘に伝えた言葉は、かつて雪緒とすれ違った時を彷彿とさせた。
 地方から幼馴染みと出て来て、心細いだろうに、それを引き離す事になるかも知れんとは…。…それをするのが、俺だとは…。

「…ゆかり様? 食が進まない様ですが、お疲れですか?」

 箸が止まった俺の耳に、雪緒ゆきおの心配そうな声が届く。
 いかん。つい先日に、橘の事を雪緒に話したばかりだ。これ以上心配を掛けさせる訳にはいかん。
 …いかんのだが…どうにも箸が進まん…。

「…すまん…」

 雪緒には申し訳無いが、これ以上は無理だと、俺は箸を箸置きへと置いた。
 では、晩酌の支度をと立ち上がり掛けた雪緒を制して、風呂へ入り、その後は眠ると告げて、茶の間を後にした。

 …これしきで胃が痛くなってどうするのだ。
 これは仕事なのだ。私情を挟むな。悩むな。
 そうしなければ、誰かが死ぬかも知れないのだ。
 それは橘本人かも知れないし、楠かも知れないし、隊員の誰かかも知れん。
 ともかく、不安要素は取り除かなければならない。
 と、云うのにだ。

「…てて…」

 …胃が痛い…。

 しくしくと痛む胃を抱えながら風呂を済ませ、部屋へと行けば、既に布団が敷いてあり、心の中で雪緒に感謝して、そこへと潜り込んだ。

「…ああ…」

 陽の匂いがする…。
 ふわふわとした、温かな匂いだ…じんわりと優しくて…それは、まるで…雪緒の様な…。
 ぽかぽかだとせいが言う、そんな…。

 その匂いに誘われて、うとうととしていた時。

「…紫様…宜しいですか…?」

 と、障子の向こうから静かな雪緒の声が聞こえた。

「…ん? ああ…構わん」

 こんな時分…でも無いか…。
 しかし…寝ると告げたのに、部屋を訪れるとは珍しい事もあるものだ…。…いや、それだけ…俺が心配を掛けたと云う事か…眠れるのかどうか様子を見に来たのだろう…。

 身体を起こして、静かに開けられて行く障子を見る。
 障子の向こうから現れた雪緒は風呂上がりなのか、僅かに髪が湿っている様に見えた。この時期だからまだ良いが、時期が時期なら良く乾かせと口にしている処だな。

「お休みの邪魔をしてしまい申し訳ありません。ですが、僕にも譲れないものがあります」

 …ん?

 開けた時と同じ様に静かに障子を閉めて、俺が居る布団の横できちんと足を揃えて正座して雪緒が放った言葉に俺は僅かに首を傾げた。
 俺を真っ直ぐと見詰める丸みを帯びた瞳には、強い意思の光が見えた。

 …何だ…?
 …これは、小言が始まるのか?
 先日、ああ言われたのにも関わらず、また気を揉ませた事への恨み言か?

「紫様は僕の大切なお方です。紫様のお辛さを肩代わりする事は出来ませんが、少しでも和らげたいと思うのです。僕と共に居る事で、それを和らげる事は出来ますでしょうか?」

 ……む?

 俺は傾げた首を軽く捻った。
 何だ? 小言ではないのか? いや、小言なのか?
 僅かに頬を上気させて、瞬きもせず俺を見詰めるさまは何かを堪えている様な?
 膝の上で重ねられた手は、僅かに震えている様な?

「…僕がここにこうして居られるのは紫様が居るからです。紫様が居なければ、僕は人の温もりを、熱を知らずに居たでしょう」

「…雪緒…?」

 瞳を熱っぽく潤ませて語る雪緒に俺は目を瞠る。
 …何だこれは…?
 これは…小言ではなくて…これではまるで…。

「僕はその熱を一時いっときたりとも忘れたくはありません。ずっとこの胸に刻んでおきたいのです」

 そして、雪緒は胸に片手をあてて、真摯な目で俺を見て言ったのだ。

「…今宵、共に居る事をお許し戴けますか?」

 ずんっと、一気に身体が熱を持つのが解った。
 しくしくとした胃の痛みは、何時の間にやら消えており、今は心臓がドクドクと早鐘を打っていた。
 いや、落ち着け。
 相手は雪緒だ。
 雪緒なのだ。
 人の予想を遥かに超えて行く、あの雪緒なのだ。
 言葉通りに受け取るな。
 例え、その頬が赤くとも、その目が潤んでいても、その唇が何かに期待する様に、悩まし気に薄く開かれていたとしても、その身体が小さく震えていたとしても、浴衣の衿の合わせ目から僅かに見える肌が、薄く色付いて見えていたとしても、その言葉がそう云う意味にしか受け取れなくとも、今、俺の目の前に居るのは、ある意味人類を超越した存在雪緒なのだ。
 落ち着け、落ち着くんだ、紫。

「…は…? 雪緒? 何て?」

 俺はゆっくりと確かめる様に口を開いた。

「はい。ですから、御一緒に就寝しても宜しいでしょうか?」

 そうすれば雪緒は三つ指を付いて頭を下げて、回りくどいと思ったのか、何とも真っ直ぐな言葉を投げて来た。

「…は…、あ、いや…」

 知らず緩みそうな口元を、慌てて片手で覆う。自然と視線も揺らいでしまう。
 有り得ないと思う。
 雪緒が自らこの様な事を口にする等。
 何時も誘うのは俺の方だ。
 そんな俺に、雪緒は恥ずかしそうに頬を染め、目を伏せて、小さく頷くのだ。
 そんな雪緒が自分から等と有り得ない。
 落ち着け、考えろ。
 俺が情けなく醜態を晒しているから、それを叱咤し、鼓舞させようとしている…そうだな…?
 就寝は、本当にそのままの意味で、それ以上の意味は無い。そうだな? しかし、ならば、それより以前の言葉の意味は?
 考えれば考える程に、馬鹿な身体は勝手に熱を上げて行く。

「僕なら大丈夫です。解っています」

 惑う俺に、雪緒は更なる追撃を掛けて来た。
 こいつ、俺を殺す気か!

「…どうなっても知らんぞ」

「覚悟の上です」

 ぐっ、と喉を詰まらせた後でそう口にすれば、雪緒は力強く頷いたのだった。
 そうなれば、もう、俺に考える余裕等ある筈も無く。
 差し出された手を払う事等、誰が出来よう?
 畳の上に置かれた雪緒の手を掴み、身体を引き寄せ、この胸に抱え込む。
 小さく震えるこの存在を、どうしようもなく愛しいと思う。
 柄にも無い事をして、俺を励まそうとする、その献身がどうしようもなく嬉しい。

「…俺は生きる…生きて必ずお前の元へ帰って来る…」

 …ああ、そうだ。
 悩むな、迷うな。
 俺には皆を無事に帰す責任がある。
 その中には当然、俺自身も含まれるのだ。
 悩むな、迷うな、鬼になれ。
 僅かでも危険な芽の可能性があるのならば、それは早々に摘み取るべきなのだ。
 それで、恨まれる事になろうとも、この愛しい存在の為に、俺は幾らでも鬼になろう。

「…紫様…」

 胸の中で、静かに小さく雪緒が頷く。
 その声音は涙で濡れている様だった。
 僅かに身体を離し、その頬をなぞり顎に指を掛ければ、雪緒は僅かに身体を揺らしたが、そっと静かに微笑んで瞳を閉じたのだった。

 ◇

 だが、しかし。

「…お元気そうだと云うのは解りましたが…死の縁に立たされますと、子孫を残そうとする本能から勃起をすると云う話があります」

 とは、どう云う事だ?
 真面目くさった顔で、俺の腕の中でこいつは何を言っている?
 誰か教えてくれ、頼む。
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