静かな春

三冬月マヨ

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静かな春

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 雪が降っていた。
 せっかく咲いた桜が凍えてしまう程に。
 それは、なごり雪と言うには、余りにもあまりな雪だった。
 そんな雪の降る中に、一人の男が居た。
 積もった雪を掘り返し、そこにある筈の物を手に入れる為に。
 早く早くと心は逸る。
 
(急がなければ、あいつが死んじまう)

 こんこんと咳き込みながら、纏った蓑から腕を出し、その腕に雪が積もって行こうとも気にせずに。ただ、それだけを探していた。

 ◇

「…ま、もっ、いい加減にしてくれ!」

 釣瓶落としの陽に照らされた茶色い藁の屋根の家の中から、男の切羽詰まった様な声が聞こえた。
 丁度、その家の前を通り掛かった老婆は『また、やってる』と、軽く肩を竦めて微笑み、軽く腰を叩きながら通り過ぎて行った。
 季節は実りの秋だ。
 今年は豊作で、飢える事なく冬を越せる予定だ。
 山間にあるこの村は小さく、訪れる者と云えば行商人ぐらいしか居ない。二桁の人数の村の皆が食えるだけの田畑があるだけで、収入源はその畑の一角で育てられている花だ。春先から夏口まで咲く白い花の根は、万病に効くとの話だ。その真偽が如何ほどの物かは謎だが。だが、村はその花で金銭を手に入れ、それで月に一度来る行商人から、村には無い物を手に入れていた。年寄りが多い村だ。と云うか、年寄りしか居ない。変化を望む若者は、皆、出て行った。

 ――――――――ここは、この村は、ゆるゆると死んで行く村だ。

 しかし、それでも、奇特な者は居る。
 この村と心中しても良いと思う者が。
 それが、老婆が通り過ぎた家に住む二人の男だ。
 二人共、歳は三十の半ば頃だろうか。未だ若いと言っても良い。平均年齢が六十のこの村では。
 五年程前にふらりと訪れて、そして、何が気に入ったのか、この村の住人となった。『物好きな』と誰もが思ったし、当人達も『そうかもな』と、悪びれも無く笑っていた。その笑顔に悪意は無く、何処か寂しそうにも見えた。遥か都の事等知らないが、何かしらあったのだろう。俗世を嫌う様な事が。働き盛りの若手が居るのは良い事だと、村人達は二人を快く受け入れた。襤褸だが、空き家はあるからと。好きに修繕して使えば良いと。
 実際、二人は良く働いた。
 自分達も若い頃はあれよりも動けたと、一人の男が張り切り腰を痛めた時は、背中に担いで運んだりしてくれた。皆、笑い、手を叩いた。都は賑やかだが、こんな小さな笑いで十分だと、二人が満足そうに笑うから、村人達はまた笑った。
 どこぞの誰かが涅槃へと旅立てば、二人は腕を捲り、送る穴を掘った。一人、一人と旅立って行くが、それでもこの村には笑顔が溢れていた。
 そんな、村だった。
 きらびやかな物も、涙を誘う様な美しい景色も無いが、それでも笑顔の絶えない村だった。
 緩やかに静かに、笑いながら死を待つ村。
 そんな、村だった。
 そんな村の一角で。
 到底静かにそれを待つとは言えない声を上げたのは誰か?
 陽は傾き、山にある木々の影を長く長く伸ばしている。
 伸びた影は村を包み、宵闇の中へと誘う。
 灯りなど必要無い。暗くなり、目が効かなくなれば人々は眠るだけだ。
 夕暮れは夜の安息の為の準備の時間であり、それ以外の何物でもない。
 ないが、この村に住み着いた若手二人は違う様だった。
 
「…なんでぇ、もう終いか?」

 暗い室内の中で、じっとりとした汗を掻く男が二人。
 秋の陽が暮れかけ、外では徐々に体温を奪う風が吹き始め、隙間からひやりとした空気が入って来るが少々、いや、多少の運動をこなした二人にそれは気にならなかった。

「もう、では無い。とっくに終いだ! 退け!」

『へいへい』と、四角い顔に顎髭を生やした体格の良い方の男が名残惜しそうに、俯せに組み敷いた細い身体の男からゆるりと腰を離して行けば、高く掲げられた男の尻穴から濁った白い物がどろりと溢れ出す。

「…っ…」

 さして柔らかくも無い布団に顔を押し付けて、組み敷かれた男が熱い息を零せば、髭を生やした男が分厚い舌で己の唇をぺろりと舐めた。

「ほら、よ!」

「ぅあ…っ…! こ、の、底無しが…っ…!!」

 引き抜かれるかと思った男根が再び己の中に戻って来て、細い男が背中まで伸ばした艶やかな黒髪を乱して悪態を吐く。
 これが二人の日常だ。
 いや、毎日まぐわっている訳では無いが。

「お褒めに預かり、至極光栄」

 髭の男が口の端だけで笑いながら腰を動かす。細い男の腕は身体を支える力等とうになくなり、腰を掴まれていなければ、布団に突っ伏していただろう。
 悪態を吐きながらも、細い男は髭の男を愛していたし、髭の男も同じだ。
 だが、それは忌避される物だった。人の溢れる都で暮らしていたが、二人の関係は受け入れられず、何処へ行っても好奇や忌避の目で見られ、二人はとうとう我慢出来ずに都を飛び出した。木を隠すなら森の中と云うが、そうも行かなかったのだ。人の居ない処、人の居ない処と渡り歩いて、二人はこの村に辿り着いた。静かで穏やかな村だった。思い切って二人の関係を話せば『都ではそれが流行りなのか』と、目を丸くされたが『ここで子が生まれても苦労するだけだ』と、村人達は頷きあった。ゆるゆると死んで行く村に、新しい命は要らないと言う事なのだろう。それでも、村人達の眼差しは穏やかで優しく、二人は久しぶりにゆったりとした息を吐く事が出来た。

 ◇

 都では質の悪い風邪が流行っていると、月に一度訪れる行商人が話した。

「余所者には気を付けろよ。持ち込まれたら、こんな村あっと言う間に終わりだ」

 行商人が真面目な顔で言えば、村人達が『んじゃ、出てけ』と手を振る。行商人が『そりゃないぜ!』と慌てれば、村人達は皆『冗談だ。お前さんには感謝しとる』と笑う。都から遠く離れた村だ。行商人が居なければ、反物も針も糸も手に入らない。行商人もここに咲く花が目当てだからお互い様だと笑う。

「なあに、この花があればそんな風邪なんか屁の河童だ。飲み過ぎは良くねえが、風邪を引いたら根を煎じて飲むんだぞ」

 行商人の言葉に、村人達は頷く。しかし、それを口にする事は無いだろう。
 万病に効くと言われているが、村人達は飲んだ事は無い。ただ自然に生きて死ぬだけだ。

 やがて冬が来て。風邪は人を渡り歩いて、死病と呼ばれる物になったと口元を布で覆った行商人が話した。自分は何とも無いが、念の為だと行商人は笑う。布で見えないが、何時もの様に大口を開いて笑っているのだろう。村人達は何時もの様に、塩漬け肉や砂糖や塩、その他必要な物を買った。
 雪が降って積もる様になり、若手二人は雪掻きに追われる様になった。白い息を吐きながらも、身体にはじっとりとした汗が浮かんでいた。村人達が手を出せば『腰を痛めるぞ』と笑い、窘める。毎年の恒例だ。

 とさとさと音を立てて、屋根に積もった雪が溶けて落ちる様になった。
 今は降って積もっても、屋根を潰す程の降りでは無い。春も近い。先日来た行商人が都は相変わらずだと、人も大分減ったとこんこんと咳をしながら話していた。口は相変わらず布で隠している。『来月には花が咲くだろう? また稼がせてもらうよ』と笑っていた。『でも、花は役に立っていないんじゃないのかい?』と村人の誰かが言えば『早い内に飲んだ奴は元気だ』と行商人は笑う。『そうかい』と村人達も笑う。彼らは知らない。それは富裕層だけなのだと。この花を元にした薬はとても高価なのだ。だから、買えない者が『死病』で倒れて行く。行商人も行商人で、金の成る花だからと、自分の分は確保せずに全て薬屋に卸していた。全て。

 木々や草草が青さを取り戻しつつある中、一人、また一人と村人達が土に還って行った。
 最初は、こんこんとした咳だった。だが、それはやがて激しくなり、肺を傷付ける様になった。
 静かで穏やかな村だった。
 都の喧騒など届かない村だった。
 静かで穏やかな村だったのだ。
 しかし、そんな優しく静かで穏やかな笑顔が一つ、また一つと土に埋もれて行く。優しい静けさの中にあった村が、寂しい静けさに包まれて行く。
 もう、後は二人の内のどちらがどちらを先に埋める事になるのだろうかとなった時、細い方の男が倒れた。村人達は頑なに薬を飲まなかった。『神の定めに逆らう事はせん』と、笑って薬を飲まなかった。『お前さん達は若いから』と、風邪を引いたら飲む様にと勧められた。
 保存していた花の根をすり鉢ですり潰して、細い男に飲ませた。しかし、男の容態は悪くなる一方だった。出て行けと、細い男が言う。しかし、髭の男はそれを拒んだ。

「やっと、自由に生きれる場所に来たんだ! まだ、これからだろう!」

 腹の底から叫んだ。
 薄い布団に横たわる男の細い身体に縋る様に抱き着いて叫んだ。
 髭の男は思った。
 薬の量が少ないのだと。
 今日は風が強く冷えるが、今の季節は春だ。花が咲いている筈だと。待っていろと外へと飛び出せば、そんな男を嘲笑うかの様に、雪が渦を巻いて男の身体を殴った。
 なごり雪と言うには、余りにも凄まじい降りに、男は天を恨んだ。何も、今、この時に、と。
 布団の中の男が『止めておけと天が言っているんだ。大人しくしておけ』と、咽ぶ合間から声を出し、苦しいながらも笑顔を浮かべるのを見て、髭の男は箕を纏い、外へと出た。止める声が聞こえたが、髭の男は止まらなかった。

 雪を掘り、土を掘り、髭の男はそれを手に入れた。幾つも幾つも掘り起こした。

『飲み過ぎは良くねえが』

 行商人の言葉を思い出したのは、愛した男が動かなくなってからだ。
 もう、彼が己の名を呼ぶ事も無い。
 もう、彼が己を見て笑う事も無い。
 もう、何も無いのだ。
 あるのは、まだ幾つも残った花の根だけ。
 
 ◇

 静かな春だった。
 積もった雪は穏やかな陽射しに、ゆるゆると融けて大地に吸い込まれて行った。
 春の名残りに咲いた大山桜が散り、陽射しも強くなり新緑が眩しい中、鳥が舞う。高く高く、青い青い空へと吸い込まれる様に。そんな青空の下にある村では、羽蟲が無数に飛び交っていた。一つ屋根の下、藁の屋根の小さな家の窓から、それは無数に飛び交って行った。
 今は、誰も動く者の居ない村で。
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