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ころがって
【九】旦那様は胃が痛い
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「…旦那様を…父とはお呼びしたくは無いのです…」
障子の開け放たれた雪緒の部屋から漏れて聞こえて来る声に、俺は身を固くした。
◇
「お帰り、ダンナ。朝言ってた通り、早くに上がって来たんだ」
「毎度言うが、その呼び方は何とかならないのか?」
仕事を早めに終えて…天野に押し付けて来たとも言う…帰宅した俺を玄関で待って居たのは、雪緒の事を頼んでいたみくだった。
昨日は休暇を取ったが、そう何日も休む訳にも行かない。だから、天野に頼んで、今日は朝からみくに来て貰っていた。何だかんだで、雪緒はみくに懐いているし。いや、伊達巻きが目当てなのかも知れないが。みくも、雪緒の前では、借りてきた猫の様だからな。
「何でさ? 間違っちゃいないだろ?」
「…まあ、良い。雪緒の様子は? 大人しくしていたか?」
唇を軽く尖らせるみくに、俺は軽く手を振って雪緒の様子を聞いた。
「ああ、静かなもんだったよ。今は、お友達が来ているから、起きてるけどさ。…アイツ、あんなガキだったんだ…」
その言葉に、増えていた見慣れぬ草履が星の物だと気付く。
妖は、その気配で人か仲間か解ると、みくが言っていた。
だから、姿は違えど、星があの時の泥棒だと解ったのだろう。
「あの時はごめんだってさ。調子狂うよ、全く。ああ、そろそろ飲み物のお代わりを持って行こうと思ってたんだ。ダンナ、代わりに行くかい?」
頭を掻きながら苦笑するみくに、俺は頷いた。
「じゃあ、アタイは晩御飯の支度をするかな。昼は雑炊をぺろりと食べたから、大分食欲が出て来たみたいだし…何が良いかねえ…」
顎に指をあてながら、みくは台所へと向かった。
その後に続いて、盆に乗った飲み物を受け取り、雪緒の部屋へと向かう。
今日も暑いからか、縁側の戸は開けられていて、雪緒の部屋の障子も開いていた。
内容は良く聞き取れないが、会話が弾んでいる様だ。
病み上がりで疲れたりしてはいないだろうか?
疲れている様ならば、星には帰って貰った方が良いだろう。
そんな事を考えながら、あと三歩と云う処で、それが聞こえて来た。
……………父とは呼びたくない………。
それは、幾度となく考えていた事だった。
想像していた事だ。
だが、実際に雪緒のその澄んだ声で言われてしまえば、身体が強張ってしまった。
その声は、何時もと変わりなく聞こえた気がする。だが、表情は? 雪緒は、どんな顔でそれを口にした? どんな流れでそうなった?
俺は今、どんな表情をしている?
「ゆきお、便所行きたい! あ!」
星の溌剌とした声に、意識を呼び戻されると同時に、その声の主が部屋から出て来た。
「はい、厠でしたら、そのまま真っ直ぐ突き当たり…あ、旦那様お帰りなさいませ」
その後に雪緒が出て来て、俺を見て眉を下げて笑った。
「あ、ああ、ただいま」
何だ、その顔は?
何時も、こんな感じで笑っていただろうか?
「お帰り、おじさん! って、便所! 後で!」
「お早いお帰りですね?」
…何か含みがある様に聞こえるのは、俺の気のせいだろうか?
「あ、あ。お前が大人しくしているのか気になってな」
「大人しくしていましたよ。簀巻きは嫌ですから。お疑いなのでしたら、みくちゃん様に聞いて下さい」
「ああ、いや、みくから話は聞いてある」
そうやって僅かに拗ねて見せるのも、何時もと変わらない様だが。
…簀巻きは言い過ぎたか? いや、それぐらい言わなければ、こいつは大人しくしていないだろう。俺は悪く無い筈だ。しかし、それが原因で、あの父発言に至ったのか? 常に思っていた事が、あれで爆発したのか? 確かに、俺は父に簀巻きにされた事は無いが。いや、だが、まさか、本気で俺が簀巻きにすると思ったのか? 今更だが、お前の目に、俺はどう映っているんだ?
…ああ…。
何か腹が…いや、胃が痛くなって来た…。
「あー、すっきりした! おじさんが来ればいいって言ってくれたから、来たらゆきおに会えたよ! ありがとう! あと、きらきらの箱直してくれてありがとう! 前のより、すっごいきらきらしてぽかぽかになってた! すごいな!」
しくしくと痛み出した胃を、空いていた右手で押さえようとした時、更に胃が痛くなる事を星がやってくれた。
「星!!」
「へ? …あっ!! あわわわ、おいらが壊したの秘密だったっ!!」
「こっ、の、大馬鹿がっ!!」
「あだっ!!」
「ふえっ!?」
思わず、星の脳天に拳を落とす俺を、雪緒が目を丸くして見ていた。
◇
「…ええと…星様が実は元妖で、あの泥棒さんと同じで…みくちゃん様も、元妖でした、と。そう云う事で宜しいのでしょうか?」
「…宜しいです…」
「うん…ごめん…」
「そうです…ごめんね、雪緒君…」
雪緒の部屋で、俺達は正座をして項垂れていた。
雪緒は、布団の上で正座をして俺達を見ている。
俺達の気分は、罪人そのものだ。
何故か、丁寧な喋りになってしまったのも、致し方が無いと言えよう。
みくが居るのは箱が壊れた原因が、こいつにもあるからで。俺の怒鳴り声を聞いて、すっ飛んで来て話を聞いて、それなら自分も打ち明けたいと言って来たからだ。
「…はあ…あの、驚きはしましたが、何故、皆様肩を落としているのでしょうか?」
「いや、その、お前は妖に襲われた事があるから…怖い思いをした当時の事を思い出させたくなくてだな…」
「…黙ってろって、言われてたのに、ばらしちゃった…」
「…妖だって話したら嫌われるかも…って…」
皆一様に神妙な面持ちで、きょとんとする雪緒に告げるが、若干二名、何か違わないか?
「ええと…星様も、みくちゃん様も、とてもお優しいですし、玉子焼きも伊達巻きも美味しかったですし、僕は好きですよ?」
待て。それは食い物が好きなのか、こいつらが好きなのか、どっちだ?
「ゆきお…! おいらが怖くないのか!?」
「雪緒君…! 私が怖くないの!?」
しかし、この二人には、それは気にならない様だ。
「怖くはないですよ? 妖に襲われた時は、食べられたら痛いのでしょうね、と、それしか頭に無かったですし…それから…」
そこで雪緒は一旦言葉を区切って、俺の方を真っ直ぐと見て来た。
「…思い出すな等と言わないで下さい。あの日は、僕にとってとても大切な日なのです。妖に襲われていなければ、天野様に助けて戴く事はありませんでした。…そして、それが無ければ、僕は旦那様にお会いする事はなかったでしょう。…こうして、僕がここに居るのは、あの日があったからです」
「…雪緒…」
曇りの無い瞳で俺を見て語る雪緒に、胸がじわりと熱くなって来るのを感じる。
お前はあの日の事を、そう思っていたのか。
ずっと、嫌な記憶だとばかり思っていた。
目を伏せて、そうか、と呟こうとした時。
「星様の玉子焼きを食べられたのも、みくちゃん様の伊達巻きを食べる事が出来たのも、全部、あの日があったからです」
それ、今、言う事か!?
それ、今、必要か!?
「ありがとう、ゆきお! 箱壊してごめん! おいら、玉子焼きまた作る!」
「私もありがとう! いっぱい伊達巻き作るからね!」
お前らも待て!!
頭を押さえる俺を他所に、星が「おひさまのかくれんぼって、知ってるか? りんたろから聞いたんだけど、ゆきおは覚えてないかも?」と云う話をしだして、雪緒もみくも興味津々と行った風情で聞いていた。
それを聞きながら、雪緒が俺を嫌っている訳では無いと安堵しつつ、それならば、あの父発言は何だったんだ? と、しくしくと痛む胃を押さえながら、頭を悩ませていた。
障子の開け放たれた雪緒の部屋から漏れて聞こえて来る声に、俺は身を固くした。
◇
「お帰り、ダンナ。朝言ってた通り、早くに上がって来たんだ」
「毎度言うが、その呼び方は何とかならないのか?」
仕事を早めに終えて…天野に押し付けて来たとも言う…帰宅した俺を玄関で待って居たのは、雪緒の事を頼んでいたみくだった。
昨日は休暇を取ったが、そう何日も休む訳にも行かない。だから、天野に頼んで、今日は朝からみくに来て貰っていた。何だかんだで、雪緒はみくに懐いているし。いや、伊達巻きが目当てなのかも知れないが。みくも、雪緒の前では、借りてきた猫の様だからな。
「何でさ? 間違っちゃいないだろ?」
「…まあ、良い。雪緒の様子は? 大人しくしていたか?」
唇を軽く尖らせるみくに、俺は軽く手を振って雪緒の様子を聞いた。
「ああ、静かなもんだったよ。今は、お友達が来ているから、起きてるけどさ。…アイツ、あんなガキだったんだ…」
その言葉に、増えていた見慣れぬ草履が星の物だと気付く。
妖は、その気配で人か仲間か解ると、みくが言っていた。
だから、姿は違えど、星があの時の泥棒だと解ったのだろう。
「あの時はごめんだってさ。調子狂うよ、全く。ああ、そろそろ飲み物のお代わりを持って行こうと思ってたんだ。ダンナ、代わりに行くかい?」
頭を掻きながら苦笑するみくに、俺は頷いた。
「じゃあ、アタイは晩御飯の支度をするかな。昼は雑炊をぺろりと食べたから、大分食欲が出て来たみたいだし…何が良いかねえ…」
顎に指をあてながら、みくは台所へと向かった。
その後に続いて、盆に乗った飲み物を受け取り、雪緒の部屋へと向かう。
今日も暑いからか、縁側の戸は開けられていて、雪緒の部屋の障子も開いていた。
内容は良く聞き取れないが、会話が弾んでいる様だ。
病み上がりで疲れたりしてはいないだろうか?
疲れている様ならば、星には帰って貰った方が良いだろう。
そんな事を考えながら、あと三歩と云う処で、それが聞こえて来た。
……………父とは呼びたくない………。
それは、幾度となく考えていた事だった。
想像していた事だ。
だが、実際に雪緒のその澄んだ声で言われてしまえば、身体が強張ってしまった。
その声は、何時もと変わりなく聞こえた気がする。だが、表情は? 雪緒は、どんな顔でそれを口にした? どんな流れでそうなった?
俺は今、どんな表情をしている?
「ゆきお、便所行きたい! あ!」
星の溌剌とした声に、意識を呼び戻されると同時に、その声の主が部屋から出て来た。
「はい、厠でしたら、そのまま真っ直ぐ突き当たり…あ、旦那様お帰りなさいませ」
その後に雪緒が出て来て、俺を見て眉を下げて笑った。
「あ、ああ、ただいま」
何だ、その顔は?
何時も、こんな感じで笑っていただろうか?
「お帰り、おじさん! って、便所! 後で!」
「お早いお帰りですね?」
…何か含みがある様に聞こえるのは、俺の気のせいだろうか?
「あ、あ。お前が大人しくしているのか気になってな」
「大人しくしていましたよ。簀巻きは嫌ですから。お疑いなのでしたら、みくちゃん様に聞いて下さい」
「ああ、いや、みくから話は聞いてある」
そうやって僅かに拗ねて見せるのも、何時もと変わらない様だが。
…簀巻きは言い過ぎたか? いや、それぐらい言わなければ、こいつは大人しくしていないだろう。俺は悪く無い筈だ。しかし、それが原因で、あの父発言に至ったのか? 常に思っていた事が、あれで爆発したのか? 確かに、俺は父に簀巻きにされた事は無いが。いや、だが、まさか、本気で俺が簀巻きにすると思ったのか? 今更だが、お前の目に、俺はどう映っているんだ?
…ああ…。
何か腹が…いや、胃が痛くなって来た…。
「あー、すっきりした! おじさんが来ればいいって言ってくれたから、来たらゆきおに会えたよ! ありがとう! あと、きらきらの箱直してくれてありがとう! 前のより、すっごいきらきらしてぽかぽかになってた! すごいな!」
しくしくと痛み出した胃を、空いていた右手で押さえようとした時、更に胃が痛くなる事を星がやってくれた。
「星!!」
「へ? …あっ!! あわわわ、おいらが壊したの秘密だったっ!!」
「こっ、の、大馬鹿がっ!!」
「あだっ!!」
「ふえっ!?」
思わず、星の脳天に拳を落とす俺を、雪緒が目を丸くして見ていた。
◇
「…ええと…星様が実は元妖で、あの泥棒さんと同じで…みくちゃん様も、元妖でした、と。そう云う事で宜しいのでしょうか?」
「…宜しいです…」
「うん…ごめん…」
「そうです…ごめんね、雪緒君…」
雪緒の部屋で、俺達は正座をして項垂れていた。
雪緒は、布団の上で正座をして俺達を見ている。
俺達の気分は、罪人そのものだ。
何故か、丁寧な喋りになってしまったのも、致し方が無いと言えよう。
みくが居るのは箱が壊れた原因が、こいつにもあるからで。俺の怒鳴り声を聞いて、すっ飛んで来て話を聞いて、それなら自分も打ち明けたいと言って来たからだ。
「…はあ…あの、驚きはしましたが、何故、皆様肩を落としているのでしょうか?」
「いや、その、お前は妖に襲われた事があるから…怖い思いをした当時の事を思い出させたくなくてだな…」
「…黙ってろって、言われてたのに、ばらしちゃった…」
「…妖だって話したら嫌われるかも…って…」
皆一様に神妙な面持ちで、きょとんとする雪緒に告げるが、若干二名、何か違わないか?
「ええと…星様も、みくちゃん様も、とてもお優しいですし、玉子焼きも伊達巻きも美味しかったですし、僕は好きですよ?」
待て。それは食い物が好きなのか、こいつらが好きなのか、どっちだ?
「ゆきお…! おいらが怖くないのか!?」
「雪緒君…! 私が怖くないの!?」
しかし、この二人には、それは気にならない様だ。
「怖くはないですよ? 妖に襲われた時は、食べられたら痛いのでしょうね、と、それしか頭に無かったですし…それから…」
そこで雪緒は一旦言葉を区切って、俺の方を真っ直ぐと見て来た。
「…思い出すな等と言わないで下さい。あの日は、僕にとってとても大切な日なのです。妖に襲われていなければ、天野様に助けて戴く事はありませんでした。…そして、それが無ければ、僕は旦那様にお会いする事はなかったでしょう。…こうして、僕がここに居るのは、あの日があったからです」
「…雪緒…」
曇りの無い瞳で俺を見て語る雪緒に、胸がじわりと熱くなって来るのを感じる。
お前はあの日の事を、そう思っていたのか。
ずっと、嫌な記憶だとばかり思っていた。
目を伏せて、そうか、と呟こうとした時。
「星様の玉子焼きを食べられたのも、みくちゃん様の伊達巻きを食べる事が出来たのも、全部、あの日があったからです」
それ、今、言う事か!?
それ、今、必要か!?
「ありがとう、ゆきお! 箱壊してごめん! おいら、玉子焼きまた作る!」
「私もありがとう! いっぱい伊達巻き作るからね!」
お前らも待て!!
頭を押さえる俺を他所に、星が「おひさまのかくれんぼって、知ってるか? りんたろから聞いたんだけど、ゆきおは覚えてないかも?」と云う話をしだして、雪緒もみくも興味津々と行った風情で聞いていた。
それを聞きながら、雪緒が俺を嫌っている訳では無いと安堵しつつ、それならば、あの父発言は何だったんだ? と、しくしくと痛む胃を押さえながら、頭を悩ませていた。
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