旦那様と僕

三冬月マヨ

文字の大きさ
28 / 86
ころがって

【十】旦那様と呼ばせて

しおりを挟む
「じゃあ、行って来るから大人しくしてる様に。みく、頼んだぞ」

「はい。任せて下さい」

「…はい。行ってらっしゃいませ」

 お布団の中で、旦那様を見上げながら僕は言いました。
 お勤めに出られる旦那様を、こうして送り出すのは変な感じがします。
 けれど、仕方がありません。
 送り出そうとして起き上がろうとした僕を、お布団の上から、みくちゃん様が押さえ付けて来たのです。酷いです。
 今日はお勤めに行くからと、旦那様が昨夜の内に天野様へと連絡を入れたそうで、こうして朝からみくちゃん様が来て下さいました。
 天野様やみくちゃん様のお手まで煩わせてしまいました。
 もう、朝から水浴びをするのは止めます。
 次からは、気温の高い真昼に致しましょう。

「ごめんね、雪緒ゆきお君。私も好きでやってる訳じゃないの。解ってね?」

 旦那様の御姿が見えなくなった後に、みくちゃん様が身体を起こしてそう言いました。

「はい。僕に信用が無いのがいけないのです。みくちゃん様のお手を煩わせてしまって申し訳無いです」

 そうなのです。
 昨日の朝、調子が良いからと台所に立ってしまったのが行けないのです。お布団に逆戻りした後に、熱が出てしまったのです。『そら見た事か!』と、怒られました。もう、僕は小さくなるしかありませんでした。熱が出たお蔭で、簀巻きにされる心配は無くなりましたが。
 そうして、もう、動くまいと決心したお蔭か、薬のお蔭か。無事に夕方には熱が下がりました。ですが、流石に僕は学びましたので、大人しくしていました。今日だって、大人しくしているつもりでした。ですのに、今、ここにはみくちゃん様が居ます。僕は、そんなに信用がならないのでしょうか? 落ち込んでしまいます。

「だーいじょうぶよ、気にしないで。雪緒君の役に立てて嬉しいんだから。朝はお粥で良いかしら?」

「…はい」

 みくちゃん様は、お優しい方です。
 僕に気を遣わせない様に、何でも無いと笑って下さいます。
 極稀に、低いお声を出される様な時がありますが、直ぐに『何かあったのかしら?』と、云う様なお顔をされますので、あれはきっと僕の気のせいなのでしょうね。
 旦那様からお許しが出ましたら、みくちゃん様と天野様にも、御迷惑をお掛けしたお詫びを考えないといけませんね。お二人に喜んで戴ける物…何が良いでしょうか? みくちゃん様も、天野様もお酒がお好きですから、そちらを御用意しましょう。ああ、でしたらお酒の肴も必要ですね? 何が良いでしょうか? 悩みますね。ああ、こうやって頭を使うなとも言われましたね。うぅん、大人しくって難しいです。

 ◇

「ゆきお! だいじょぶか?」

せい様、こんにちは」

 十五時過ぎ頃に、星様が来て下さいました。
 僕の友達が来たら通して良いと、みくちゃん様が旦那様から言付かっていたそうです。
 昨日の件で無理かと思っていましたが…やはり、旦那様はお優しいです。

「それじゃあ、雪緒君、あまり無理しない様にね」

 みくちゃん様がそう言って、冷たい麦茶を置いて出て行かれました。

「この様な姿で申し訳ありません」

「んー、気にするな! 親父殿に病人に無理はさせるな、って言われたから、ゆきおの目がくっつきそうになったら帰るな!」

 お布団の上で身体を起こして頭を下げた僕に、星様は胸の前で手を振って笑って下さいました。

「あ。そうです。玉子焼きご馳走様でした。とても美味しかったですよ。あと、僕を倫太郎様とお二人で医務室まで運んで下さったのですよね? お手数をお掛けしました」

「美味かったのか! 良かった! 親父殿に教えて貰ったんだ、帰ったら褒められたって、言お。あと、運んだのは気にするな。困った時はお互い様って言うんだろ?」

「…そうですね」

 頭の後ろで腕を組んで笑う星様に釣られて、僕も口元が綻びます。
 星様は僕の事をぽかぽかと言って下さいましたが、それは星様の方だと僕は思います。
 おひさまの様に明るくて、とても力強い方だと思います。

「りんたろとるりこも来たがったけど、あまり人数居ると気を遣うからやめとくって言ってた。あ! それ!」

「え?」

 不意に星様がお声を上げられて、僕の後ろを指差しました。

「きらきらのぽかぽか、綺麗だな」

 きらきらのぽかぽか?

 軽く首を傾げて、後ろにある箪笥へと目を向けます。
 箪笥の上には、時計と…。

「その、青い箱、すごくきらきらでぽかぽかだ。…触ってもいいか?」

「はい、どうぞ」

 目を輝かせて、首を傾げながら聞いて来ます星様に、僕は立ち上がって箱を手に取って、そっとお渡ししました。

「…うん、すっごく、綺麗だ…」

 お布団の上に座りまして、僕は星様を見詰めます。
 少々、不格好になってしまった箱ですが、それを星様は壊れ物を扱うかの様に、優しく持って、眩しい物を見るかの様に、その丸い目を細めて眺めていてくれています。
 その御様子に、何故だか胸の奥がほわりと温かくなります。

「…僕の宝物なのです…。…以前、壊れてしまったのですが、旦那様が直して下さいました…」

 あの時も、旦那様や相楽さがら様、みくちゃん様にご迷惑をお掛けしてしまいましたね…。
 みくちゃん様は、新しい物をと言って下さいましたが…旦那様は、何も言わずにこの箱を、こうして直して下さいました。
 それが、どれ程嬉しかった事でしょう。

「…………そ、っか……。けど、良かったな…こうして、また…いっぱいきらきらのぽかぽかにして貰えて」

「はい。旦那様のお蔭です」

 目を伏せて、軽く指で撫でてから、そっと星様が差し出して来ました箱を、僕もそっと受け取って、同じ様に指で撫でてから箪笥の上へと戻しました。

 …きらきらのぽかぽか…。

 …そうですね、ここへ来てからの日々は正にその様な感じなのでしょう。
 毎日が、本当に温かく輝いていた気がします。
 悲しい事もありましたけれど。
 それでも。
 そして、それはこれからも続いて行くのだと思います。

「ところで、旦那様って何?」

 星様が首を傾げて聞いて来ました。
 あ。
 お屋敷の中ですから、と、気を抜いてしまいました。
 人前では『父』とお呼びしなければなりませんのに。
 そうしなければなりませんのに。

「…失礼しました…。旦那様とは、僕の養父…父上様の事でして…」

「…うん? 何か、ゆきお変だぞ? 眉毛、ぎゅうって、なってる」

「ふえっ!?」

 星様が、自分の眉間を指で摘まむのを見まして、僕は慌てて両手で眉毛を押さえました。

「ん~? ゆきおはおじさんの事、嫌いなのか?」

「とんでもございませんっ! 旦那様は、とてもお優しくて、お強くて、御立派な方ですっ!!」

 再び首を傾げました星様に、僕は眉毛を押さえたまま、声を強くして力説してしまいました。

「お、おお…? なら、何で、そんな"父上"って言った時、嫌そうだったんだ?」

「…ふえぇ…」

 目を瞬かせて訊ねて来ます星様に、情けない声が出ました。

「ふえぇ…ぼ…僕は…罰当たりなのです…」

 …きっと、この様な事は口にするべきではないのでしょう…。

「うん?」

 …ですが…何故でしょう…?

「…こんなにも…良くして戴いて…養子にも迎えて戴いて…その御恩に報いねばなりませんのに…」

 …何故か…星様には、お話しても良い様な気がします…。
 星様も養子だからと、初めて学び舎に来られた時に伺ったからでしょうか…。

「…僕は…どうしようもなく、我儘で…馬鹿で…恩知らずなのです…。…旦那様を父とは思いたくない…思えないのです…旦那様には…旦那様で居て欲しいのです…」

 …そうなのです…。
 旦那様のお言葉通りに、お望みのままに、"父"と呼べたのなら、どれだけ良いのでしょう。
 旦那様は、きっと喜んで下さいます。
 ですが、僕は嫌なのです…。
 僕が、それでは嫌なのです…。
 …何故なのでしょう…?
 理由は解りません…。
 …解りませんが…それでも、僕は…。

「…旦那様を…父とはお呼びしたくは無いのです…」

「…そっか…」

 何故か苦しくなった胸を押さえて俯いてしまった僕の頭を、ぽんぽんと軽く星様が叩いて下さいました。
 その手のひらは、とても優しく、とても暖かくて、何故だか、ほっとしました。

「嫌いじゃないなら、いいと思う。あのきらきらでぽかぽか、ゆきおとおじさんのだ。すごいな」

 …僕と、旦那様のきらきらでぽかぽか?

 星様のお言葉に、後ろを振り返り、箪笥の上にあります箱を見上げます。青いお空に、お星様が散らばった宝の箱を。
 奥様から戴いて、旦那様が直された箱を。

 …奥様と…僕と…旦那様の想いがあると…そう言いたいのでしょうか…? 
 …きらきらで…ぽかぽかした…。
 …何故でしょう…?
 何故か、胸が無性に熱くなって来ました…。
 何故か、泣きたくなる様な…。

 そんな僕を気遣って下さったのかは解りませんが、星様が厠と言い出しました。
 お部屋を出ようとする星様の後を追えば、直ぐそこにお飲み物を持った旦那様が居ました。
 何故だか、気恥ずかしくて、少々拗ねた様な物言いになってしまいました。反省しなければいけませんね。

 それから。厠から戻って来ました星様が、何やら問題発言を致しましたが、それは全くといって、気になる様な物ではありませんでした。
 …それは…その後の旦那様の、あの日の事を思うな、と云うお言葉が胸に痛かったからです。
 あの日は、本当に僕にとって、とても大切な日なのです。
 忘れろと言われても、絶対に忘れたくない大切な日なのです。
 ですから、その様に悲しくなる様な事は二度と言わないで下さい。

 …そして、どうか…旦那様を旦那様とお呼びし続ける事を…お許し下さい…。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

星降る夜に ~これは大人の純愛なのか。臆病者の足踏みか。~

大波小波
BL
 鳴滝 和正(なるたき かずまさ)は、イベント会社に勤めるサラリーマンだ。  彼はある日、打ち合わせ先の空き時間を過ごしたプラネタリウムで、寝入ってしまう。  和正を優しく起こしてくれたのは、そこのナレーターを務める青年・清水 祐也(しみず ゆうや)だった。  祐也を気に入った和正は、頻繁にプラネタリウムに通うようになる。  夕食も共にするほど、親しくなった二人。  しかし祐也は夜のバイトが忙しく、なかなかデートの時間が取れなかった。  それでも彼と過ごした後は、心が晴れる和正だ。  浮かれ気分のまま、彼はボーイズ・バーに立ち寄った。  そしてスタッフメニューの中に、祐也の姿を見つけてしまう。  彼の夜の顔は、風俗店で働く男娼だったのだ……。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

【完結】君の穿ったインソムニア

古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。 純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。 「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」 陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。

しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。 基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。 一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。 それでも宜しければどうぞ。

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(2024.10.21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

処理中です...