旦那様と僕

三冬月マヨ

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ころがって

【十一】旦那様とかくれんぼ

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『おひさまのかくれんぼ』と、学友がラジオで聞いた話だと、せいが語ったのは先月の事だった。
 その話を俺は今、思い出していた。
 その『かくれんぼ』の中で。

 暗闇の中で、赤い光が散って行く。

「くそっ…!!」

 もう、何体目になるか解らない。
 それを斬り付けて、舌打ちをした後で天野の叫ぶ様な声が聞こえて来た。

「…高梨っ! ここは俺に任せて先へ行け! 早く雪坊とせい坊の処へっ!!」

「すまん!!」

 あやかし二体と対峙する天野に短く礼を返し、俺は刀を手に走り出した。

 それは、突然だった。
 昼を過ぎた頃から、空が徐々に暗くなって行った。

 八月になり、盆の頃になった。
 日々の暑さも、これが過ぎれば和らいで行くのだろうと云う、そんな頃だ。
 一般的な職場や、学び舎も夏季休暇と呼ばれる、長い休みに入った。
 だが、休みとは云え、学び舎の門戸は開かれている。
 学びたければ、来れば良い。
 雪緒ゆきおは講師からそう言われて、土日の休みの日以外は、ほぼ毎日通っていた。驚いた事に星も一緒だと云う。
 雪緒も星も、学ぶ事が楽しくて嬉しいのだそうだ。
 知らない事を知って行くのが、楽しく面白いのだと嬉しそうに口にしていた。

 そして、そんな二人は、今日、今も学び舎に居る。
 この、真昼なのに、夜の様な闇の中で。

『おひさまのかくれんぼ』

 と、星は言った。

『おひさまが隠れてしまったら、夜になりますよね?』

 と、雪緒が言った。

 俺は、その会話を聞いていたのに。

 時期が悪いとしか、言い様が無い。
 夏の、この暑い盛りは電力の供給が不安定になる。
 その中で、太陽が翳り辺りが薄暗くなって行く。
 各家庭が明かりを点けて行く。
 普段は、こんな真昼に明かりを灯す事は無い。
 だが、普段ならば、仕事に行っている者達が家に居る。
 それらが、一斉に明かりを灯した結果が、これだ。
 大規模な停電。
 今、この街は闇の中に在る。
 ただ、それだけならば、何の問題も無い。
 それだけならば、大人しく復旧を待てば良いだけの話だ。
 だが。
 陽が翳るに連れて、妖が街へと入り込んで来た。
 何処にこんなに居たのだと、言いたくなる程の。
 混乱する人々を、篝火が焚かれた避難場所へと仲間達が誘導しているのが見える。
 警察も動き出している。
 この混乱に紛れて犯罪に走る者も居るからだ。
 明かりを求めて点けた蝋燭が原因で、火災も発生している様だ。
 こんな状況の中では、電力の復旧作業もままならない。
 はっきり言って最悪だった。

 俺は暗い空を見上げた。
 黒い影が太陽を徐々に隠して行き、今もそれは続いている。

 ――――――――日蝕――――――――。

 その存在を知らなかった訳では無い。
 無いが、こんな物は知らない。
 俺が知っている日蝕とは、太陽の一部が隠れる物だ。
 それが、今は太陽の殆どを隠そうとしている。
 時間が経てば日蝕は終わるが、それまでどれぐらい掛かるのか。
 それまでに、どれ程の妖が入り込んで来るのか。
 それまでに、どれ程の犠牲が出るのか。

「…無事で居てくれ…っ…!!」

 額から流れる汗を拭いながら、時には妖を斬りながら、俺は雪緒と星の居る学び舎へと急いだ。

 ◇

 学び舎の門を抜け、建物へと近付けば、幾つかの割られた窓があり、硝子が散乱していた。窓枠は無残にも変形していて妖の仕業だと見てとれた。
 そこから、建物の内部へと足を踏み入れると、真っ二つに折れたモップ、形の変わった机や椅子が転がっていた。

「…っ…あ、す、ざく隊の方…です、か…?」

 その中で蹲っていた一人の男が声を掛けて来た。
 その人物を俺は知っていた。

「…高梨です、菅原先生」

「…あ、あ。雪緒君の…ご職業は…お伺いして…いましたが…その姿ですと、変わり、ますね…」

 今の俺は、黒の隊服に鍔の付いた帽子を被っているから、直ぐには俺だとは解らなかったのだろう。
 名乗れば、合点が行ったのか頷いて見せた。

「菅原先生だけですか? 子供達は…その足は、妖が?」

 傍へ寄り、目を凝らしてその身体を見れば、菅原先生の片足は膝から下が無かった。
 その部分には、自分で処置をしたのだろう、破られたシャツが巻かれて縛られてあった。
 この壊れたモップに机や椅子で妖と応戦したのだろうか?
 確か俺よりは年上だった筈だが…大した人だ。

「は、い。突然でした…暗くなって来て…明かりを付けたら…停電して…子供達は…教員室へと…マッチがあるから…それで、何でも…良いから、火を点けろと…」

 獣と同じく、殆どの妖も火を恐れる。
 それは、的確な指示と言えよう。
 問題は、それをどう扱うかだ。

「…解りました。今、仲間に連絡して治療にあたる者を呼びます。それまでどうかご辛抱を」

「…あり、がとうございます…子供達を…ど、うか…」

 その言葉に俺は頷いて、届く距離に仲間が居る事を願いながら、肩にある無線の釦を押した。
 治療隊と応援を要請しながら、暗い学び舎の中を駆ける。
 雪緒が通う前に、手続きに一度。その後、雪緒が通い始める日に一度。計二回しか来ていないが、教員室の場所は覚えていた。
 駐屯地にある庁舎と比べたら狭い建物だ。
 そこを目指して駆ければ、廊下に響く鉄板の仕込まれた長靴ちょうかの音に導かれる様に妖が我先にと、俺に近付いて来る。
 それを斬りながら、目的の場所へと近付けば。

「もおお、キリがないーっ!!」

 星の苛立った声が聞こえて来た。

「頑張りましょう! きっと、お役人様が来て下さいます!」

 それを励ます様な雪緒の声も聞こえて来て、俺は安堵の息を吐いた。
 二人共、無事だった。
 だが、まだ声だけだ。
 もしかしたら、怪我を負っているのかも知れん。
 壊された教員室の戸を跨ぎ、中へと入れば妖が三体見えた。
 その先、窓からは離れた部屋の角にあるロッカーを背にして立つ小さな二人が見える。
 一人は松明らしき物を手にしている。
 一人は、モップを手にしていた。
 雪緒と星だ。

「雪緒! 星! 無事かっ!!」

「旦那様!?」

「おじさん!?」

 二人の驚く声と同時に、その二人を囲っていた妖達が俺の方へと襲い掛かって来た。

「…みくびってくれるなよ…」

 これまでに、どれだけの妖を斬って来たと思っているのか。

「旦那様っ!!」

「おじさんっ!!」

 二人の叫ぶ声が聞こえるが、心配は不要だ。
 俺は腰を軽く落とし、姿勢を低くして、飛び掛かって来た妖の腹を斬り裂き、返す刀で次に来た一体を払い、左手で腰に残っていた脇差しを抜き、残る一体の眉間に突き刺した。

「…旦那様…」

「…はや…」

 軽く息を吐いて、ロッカーの前で佇む二人を見る。外傷は何処にも無い様だ。
 二人の無事を確認した後、倒れた妖達の目に刀を突き付けた。

「二人とも、無事だな。その松明は雪緒が作ったのか?」

「あ、はい。椅子を星様が壊しまして、まっちを探してましたら、まっちの他に何かの油を見つけましたので、このろっかあの中にありました雑巾に染み込ませて…」

 雪緒が持つ松明を見ながら言えば、雪緒は頷き、どう作ったのか説明をして来た。

「そうか、上出来だ」

 そう口元を緩めて、雪緒の頭を撫でてやろうと、脇差しを収めて左手を伸ばした時だ。

『アアアアアアァッ!!』

「……ぐ……っ……!!」

「旦那様っ!!」

「おじさんっ!!」

 焼ける様な痛みが背中に走ったが、それを無視して振り返りざまに右手に持っていた刀を振る。

「…っち…!」

 だが、痛みで鈍った動きではそいつの腹を掠めただけで、妖は俺から距離を置いて、爪に付着した俺の血と僅かな肉を舐めていた。

 まだ居たのか…!!
 いや、新たに入り込んで来たのか!?

 脂汗の滲む顔で出入口を見れば、そこには幾つもの赤い光が見えた。
 それらが、ゆらりゆらりと室内へと入って来る。闇の中でも光る赤いまなこを輝かせて。

「…雪緒、松明を寄越せ。そして、そのロッカーの中に星と二人で入れ。お前達二人なら余裕だろう」

 二人に背中を向けたまま、妖から目を逸らさぬまま、俺は言った。松明はあるが、中には火を恐れぬ個体も居る。それが、この中に居ないとは限らない。それに飛び掛かられた時に、二人が別々の方向へと逃げでもしたら、目も当てられない。なら、二人には悪いがロッカーの中に入っていて貰った方が良い。裸同然で居るよりは、まだマシだろう。

「旦那様!?」

「おじさん!?」

「お前達に下手に動かれたら、邪魔でしかならない。その中で大人しくしてろ。俺が良いと言うまで出て来るな、いいな?」

 慌てた様子の二人に目を向けぬまま、浅く早くなりそうな呼吸を押さえ付けながら、俺は言った。

「嫌です! 旦那様、お手当てを!!」

「おいらだって、やっつける!!」

「この状況で、そんな余裕があるか。雪緒、松明を。星、モップを、捨てろ」

 しかし、二人は退かない。
 額から流れる汗が頬を伝い、顎から滴り落ちて行くのが、気持ち悪い。

「嫌です!!」

「いやだ!!」

「男にもならないガキはすっこんでろっ!! お前達は、必ず俺が守るっ!!」

 聞き分けない二人に、腹の底から声を出して恫喝すれば、二人が息を飲み、周りを囲む妖達が僅かに後退した。

「………解りました………」

「……………わかんないけど…」

 それぞれ返事をしながら、雪緒は後ろ手に回した俺の手に松明を握らせ、星はモップを床に置いたのだろう、小さくコトリとした音が聞こえた。
 その後に、ロッカーの扉を開ける音と同時に。

「…ご無事で…」

 雪緒の震える小さな声が聞こえて来て、ロッカーの扉の閉まる音だけが響いた。

 …正念場、だな。
 日蝕が終わるよりは、呼んだ応援が到着する方が早いだろう。
 いや、その前に天野が来るか?
 どちらにせよ、それらが来るまでだ。
 それまで、ここを死守すれば良い。
 背中は変わらず熱く、じくじくとした痛みがあるが、そんな物に構って等居られない。
 今は、ただ、ここを守る事に意識を向ける。
 二人を…雪緒を守る為に。
 守りたい者の為に…。

『高梨っ! 間もなくそちらに到着する! 状況はっ!?』

 …間の悪い奴めっ!!

 しかし、天野からの通信に僅かでも意識を奪われた俺の隙を、妖は見逃さなかった。
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