旦那様と僕

三冬月マヨ

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ころがって

【十二】旦那様と暴れん坊

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 それは突然でした。

 世間は一部を除いて夏季休暇と云うお休みに入りました。
 今、僕とせい様が居ます学び舎もお休みなのですが、担当の菅原先生が『休みと云っても暇だし、これまでの事を復習するかい?』と、言って下さいましたので、僕はそのお言葉に頷きました。そうしましたら、星様も『おいらも!』と、言いましたので、二人で学び舎に来て居ます。倫太郎りんたろう様や瑠璃子るりこ様、他の方々には『物好きな』と、若干引き攣った笑顔で言われてしまいましたが。
 学ぶ時間は普段と違い、十時から十二時までと短く、お弁当を食べた後は雑談をして過ごします。

 この日も、お弁当を食べながら、三人で雑談をしていました。
 星様がご自分で作られたと言いますおむらいすを一口戴いたのですが、卵がふわふわのとろとろでとても美味しく、菅原先生も『店が開ける』と、唸っていました。『親父殿に教わったんだ!』と、にっこりと笑う星様は、本当に嬉しそうです。その笑顔を見ますと、僕も嬉しくなって自然と笑顔になります。星様は、本当に不思議なお方です。
 星様はご自分の事を、元あやかしだと言いましたが、僕には信じられません。
 みくちゃん様も、そうです。
 お二人共、とてもお優しいです。
 お二人が作って下さるお料理はとても美味しく、とてもお優しいお味がします。
 何故なのでしょう? と、お聞きましたらお二人して『ゆきお、雪緒君の為に作ったから』と、眩しく、優しく笑って下さいました。
 それが、何故だか気恥ずかしくて、また、嬉しくて、僕は胸を押さえて『ありがとうございます』と、むにゃむにゃと俯いてしまいました。
 星様の、きらきらのぽかぽかと言って下さったお言葉が、ずっと胸にあります。
 ぽかぽかとした、陽だまりの様な温かいお言葉が。
 きっと、ずっと、何年先も、僕はそのお言葉を忘れる事は無いでしょう。

「…暗くなって来た…雷雨でも来るのかな?」

 ふと菅原先生が、窓の外を見て言いました。
 確かに、先程から辺りが薄暗くなって来ていましたね。

「降り出す前に、お開きにするか」

「はい」

「ん。でも、雨に濡れるの気持ちいいけどな!」

 菅原先生のお言葉に頷いて、机の上に置いていたお弁当箱等を片付け始めましたら。

「…待って…嫌な感じがする…」

 ぽつりと、星様がお弁当箱を包む手を止めて窓の外を見て言いました。

「え? もう、降りそうな感じなのかい? それなら…え…?」

 星様のお言葉に、菅原先生が窓へと歩いて行き、その枠へと手を置いてお空を見上げて固まってしまいました。
 どうされたのでしょうか?
 僕と星様も窓へと寄り、お空を見上げます。

「…ふえ…?」

「…おひさまが…」

 はい。お空にありますおひさまの一部が、黒い影に隠れていました。
 その影は、少しずつ動いているようです。

「あ、そうか。そう云えば何時だったか、日蝕がどうとかラジオで聞いたなあ。すっかり忘れていた…けど…僕が知っているのとは違うなあ…?」

 菅原先生が首を傾げながら、『にっしょく』と呼びましたそれを見ています。
 影は、まだまだ動いています。
 このままですと、おひさまが全部隠れてしまいますね。
 …あ。

「…おひさまのかくれんぼ…」

 星様が、ぽつりと呟きました。

 そう、それです。
 僕が寝込んでしまった時に、お見舞いに来て下さった星様が倫太郎様からお聞きしたと教えて下さったのでした。
 熱を出した日の学び舎にて、倫太郎様がお話しして下さったそうですが、申し訳無い事に熱を出した日の事は記憶が曖昧でしたから、またそのお話しをして戴いて、嬉しかったのを覚えています。

「日蝕の事をそう呼んでいるのかい? 可愛くて良いね。雷雨ではなさそうだけど、日蝕が終わってから帰るかい? 日蝕は、滅多に見られる物では無いからね。確か、前回は何年前だったかなあ~…高梨達は生まれていたかなあ~?」

 菅原先生が目を細めて『にっしょく』を見ながら、顎に手をあてて考えています。
 確か、十何年に一回とか何十年かに一回とか、その様な事も話されていましたね。
 でしたら、僕達は、今、とても貴重な時間の中に居るのですね。
 不思議な物です。
 この様な瞬間が来るだなんて思ってもみませんでした。
 こんな時を迎える事が出来たのも、あの日のお蔭です。
 旦那様も『にっしょく』を、見ていますでしょうか?
 どの様なお気持ちで見られているのでしょう?
 また見られる機会があるのでしたら、その時は旦那様と二人で見てみたいものです。
 そう考えていましたら、何故だか胸がむずむずして来ましたので、胸元を押さえた時です。

「…近付いてる…」

 小さく呟いた星様が、僕の袖を掴み引っ張って、窓から…いいえ、菅原先生から離したのでしょう。

「…妖が…来てる…」

「…え…?」

 それは、小さな呟きでしたが、確かに僕の耳に聞こえました。

「…真昼ですのに…?」

「…ゆきお…言ったろ…"おひさまが隠れたら夜になる"って、おいらも、そう思った…」

「…はい…。今、正に、夜になりつつありますが…」

 こうしている今も、辺りは暗くなっていっていますが。ですが、暗くなりましたら明かりを点ければ良いだけです。夜は何時もそうしています。そうして眠りに付く時には、明かりを消すのです。
 それは、何時もの事の筈です。
 それなのに、何故、星様は厳しいお顔をされているのでしょうか?

「凄いなあ、もう半分近くも隠れてしまったよ。ああ、流石に暗いね、明かりを点けようか」

 菅原先生がそう言いながら、窓から離れまして、明かりの電源を入れに教室の出入口の方へと歩いて行きます。

「…来てる…おいらにはわかる…話したろ? 気配がわかるって…あいつら…たくさん…もう…居る…」

 そう云えば、妖の気配が判るとお見舞いに来て下さった日に教えて戴きましたね。みくちゃん様も、それがお判りになると…。

「で、ですが…夜が来るのは何時もの事で…街の中は安全で…それは…旦那様達が、夜も交代で守って下さっているからで…点けていた明かりを消しても安心して眠れるのは、それがあるからでして…」

 そうです。
 旦那様達がそうして下さっているから、僕も、この街の皆様も笑って過ごして行けるのです。
 それですのに…星様のお顔は晴れません。何が、そんなに不安なのでしょう?

「…こうしていたら駄目だ…っ…!! 何か、何かないのか!?」

「どうした杜川もりかわ? 喧嘩か? 仲が良い二人が珍しい。するなとは言わないが、ほどほどにしなさい」

 お声を大きくしました星様に、菅原先生が肩を竦めた様に見えました。
 ああ、本当にもうかなり暗くなってしまいましたね。
 ですが、今、明かりが点けば星様も落ち着く筈です。

「点けるぞー」

 菅原先生のお声と共に、室内が明るくなり、ほっと息を吐きましたら、それは直ぐに消えてしまいました。

「ふえ?」

 僕は思わず目を瞬かせてしまいました。

「あれ? おかしいなあ? うーん…もしかして停電したのか? またあの百貨店のせいだな。空調設備だったか、冷房だったかな? 電気を使い過ぎだよな、もう。扇風機で良いのに。復旧するまでは、このままだね。日蝕が終わるのとどっちが早いかな?」

 そう頭を掻きながら、菅原先生が再び窓の方へと歩いて行きます。

「…っ…先生!!」

「おわっ!?」

 その時です。
 星様が、先生に飛び付いて床に押し倒しました。

「星様、な…」

 何をしているのですか、と、上げそうになった声は途中で途切れてしまいました。
 開けられていた窓の向こう、そこには、暗闇の中に浮かぶ無数の赤い光があったのです。
 それらがゆらゆらと蠢いています。
 こちらへ近付いて来る物、違う方向へと行く物。
 光る赤い色は赤い目、です。
 どこもかしこも黒い四肢の中で、異様に輝く赤い目。
 それを持つ物は、妖だけです。

「来た…っ…!! 何か…っ…!!」

「杜川!? 一体何が…は…?」

 星様が、教室の角にありますろっかあ…掃除用具入れに飛び付きました。
 菅原先生が起き上がりながら、星様にお声を掛けようとして、それに気が付いたようです。

「…妖…っ…!? こんな真昼…って、暗いからか!?」

「先生、火は!? 何か燃やせる物!!」

 星様がもっぷを手に、そう叫びます。

「あ、そうか! 妖は火が苦手だった。教員室に、冬にストーブを点ける時に使うマッチがある筈だ、行こう!」

 そうして、皆が窓に背を向けて、教室の出入口へと歩き出した時です。
 ばきっとした音と同時に、がしゃっと硝子の割れる音が響きました。

「…っ…!! 走れ…っ!!」

 その大きな音に振り返りましたら、一体の妖が室内へと入り込んでいまして、咄嗟に菅原先生が掴んだのでしょう、両手で椅子を持って伸びて来た妖の前脚を押し返していました。菅原先生の身長と同じぐらいの大きさの妖です。真っ黒なお犬さんの様に見えます。その開かれた口からは、赤い濡れた舌が見えました。恐らく、僕が襲われた時と同じ様に涎を垂らしている物と思われます。

「菅原先生!!」

「こんにゃろっ!!」

 驚いてしまい、立ち止まって動けずに、ただ声を出す事しか出来ない僕とは違い、星様がもっぷを両手で持ちまして駆け出し、その柄を妖の目へと突き刺しました。

『ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ァ"ッ"!!』

 身の毛がよだつとは、この事なのでしょうか? その声を聞いた瞬間、鳥肌が立ってしまいました。
 おぞましい絶叫の後に、妖の身体が闇に溶けて消える様に崩れて行きました。
 妖が居たその場所には、何もありません。
 暗くて良くは解りませんが。

「こいつらの弱いとこは目だ」

「助かったよ、杜川、ありがとう。早く教員室へ…」

 しかし、先程の絶叫を聞き付けたのでしょう。
 また一体、室内へと入って来ました。

「…杜川、モップを貸してくれ。二人は教員室へ急いで、火を。椅子でも机でも、何でも構わないから燃やしてしまいなさい」

「で、でも、菅原先生…!」

「わかった、行こう、ゆきお!」

 星様が菅原先生にモップを渡したかと思いましたら、僕の手を引いて走り出しました。

「頼んだぞー!」

 菅原先生のお声を背に廊下へと走り出まして、そのまま駆けて行きます。

「だ、駄目です、星様! 菅原先生が…」

「それじゃ駄目だ。まだ、あいつら居る。火を点けておっぱらう。…たまに…火を怖がらないのがいるけど…でも、早く燃やした方がいいっ!」

「…はい…」

 星様の仰る事はもっともです。
 ただただ、来る妖を相手にしているだけでは駄目なのです。
『にっしょく』が終わるまで、または明かりが復旧するまで、それまでを、どうにかして耐えなければなりません。

 菅原先生…どうか、ご無事で…。

 ◇

 教員室までは、何事も無く辿り着きました。
 星様はまず、教室にあるよりは大きめの掃除用具入れから、もっぷを取り出しました。
 そうして、教員室にあります木製の椅子を、床に打ち付けて壊し始めました。
 凄いです。何の迷いも見受けられません。
 がんがんと、ばきぼきと響く音を聞きながら、僕は目に付いた棚の扉を開けて、中を探ります。もう殆ど暗くて良くは解りませんが、四角い箱がありましたので、それを手に取ります。穴が開いていましたので、その中に手をいれますと細い物がたくさん入っていました。一本を取り出して、試しに箱の横に擦り付けて見ます。

「ありましたよ、星様!」

 火の付いたまっちを手に、星様にお声を掛けました。星様の元へ行こうとして、"おいる"と書かれた手のひらよりも大きめの缶がある事に気付きました。おいるとは、油の事ですよね? 火を燃やすのに役立ちますね。あ、そうです。これで松明を作りましょう。
 星様に、松明を作るとお話ししましたら、壊した椅子の脚を一本下さいました。それに、掃除用具入れの中にありました雑巾を撒き付けます。まっちと同じ棚に麻の紐がありましたので、それで縛ります。そして、その布に油を掛けて行きます。未だ、この街へと来る前に、篝火を焚くお手伝いをした事がありました。篝火の火を移す時は松明を使うのですよね。本当は松の木が良いのですが、贅沢は言えません。この油が良い働きをして下されば良いのですが。
 そうして、松明に火を点けた時。

「…来る…っ…!」

 星様が短く叫んで、もっぷを握り締めました。
 と、同時に、出入口の戸を壊して一体の妖が入って来ました。何故、壊すのでしょう? 戸は開いていたのですから、壊す事は無いと思うのですが。

「おいらがやっつけるから、ゆきおは壊した椅子に火を点けて、窓から外へ出して!」

「解りました!」

 星様のお言葉に僕は壊れた椅子の脚を手に取り、松明の火を近付けていきますが、なかなか上手く点いてくれません。油は全部使ってしまいました。早く、早くと、気持ちは焦るばかりです。そうこうしていましたら、窓を壊して、また一体妖が入って来ました。

「ゆきお! おいらの後ろに!!」

「は、はいっ!!」

 先の妖を倒しました星様が僕を呼びましたので、火を点けるのもそこそこに、星様の後ろへと慌てて行きました。
 妖は、グルグルと喉を鳴らして一定距離からは近付いて来ません。
 松明のせいでしょうか?

「まだ来る!」

 星様のお言葉通りに、また妖が窓を壊して入って来ました。
 だから、何故、もう既に壊れている箇所から入って来ないのでしょう。
 どうして壊してしまうのでしょう。悲しくなります。
 妖は暴れん坊さんですね。

 ◇

 そうこうしていましたら、旦那様が来て下さいまして、僕と星様は、今二人で掃除用具入れの中に居ます。
 旦那様は大丈夫なのでしょうか?
 お背中の怪我のお手当てをしたいです。
 こうして、隠れる事しか出来ないなんて、もどかしいです。
 僕も星様の様に動く事が出来ましたのなら、この様な場所でやきもきしないで済んだのでしょうか?
 ああ、でも星様もこの中に居るのでした。
 大人にならないと駄目なのでしょうか?
 でしたら、早く大人になりたいです。
 早く大人になって、旦那様のお隣に並べる様になりたいです。
 こんな風に、ただ隠れて待つだけだなんて、嫌です。
 自分が情けなくて、それなのに涙が滲んで来て、唇を噛み締めた時でした。

「ぐあっ!!」

 旦那様の苦悶のお声と、ごんっと云う、強い音と共に掃除用具入れに何かが当たりました。

「旦那様!?」

「出るなっ!!」

「駄目、ゆきお!!」

 思わず声を荒げて、扉に手を伸ばそうとしましたら、旦那様には声で止められ、星様には身体を抱き締められてしまいました。

「駄目、我慢! おじさん、ゆきお守る言った! 今、出て行ったら、あいつらに殺される!」

「…は、なして下さい…! 先程よりも強い血の匂いがします! 旦那様が、また何処かお怪我をなされたに違いありません! 手当をしませんと…っ…!!」

 僕を行かせまいと、きつく抱き締める星様の胸を叩いて僕は叫びまして、はっとしました。
 今の、この状況…これに似た事を、僕は知っています…。
 そうです…これは…熱を出して寝込んだ時に見た夢と同じです…。
 あの夢の中で、旦那様は…――――――――。

「…嫌…です…」

 喉が痛くて、胸が痛くて、唇が震えます。

「…ゆきお…」

 星様のお着物をきつく握り締めて、僕は言います。
 何故か、頬が濡れている気がします。

「…旦那様が…居なくなる…のは…こ、わい…です…」

 …それは、とても怖いです…。

「ゆきお…だいじょぶだ…。おじさん、守る言ったから。男は約束を守るもんだって、親父殿が言ってた。だから、おじさんは約束を守る」

「…旦那様が…居なくなるのなら…守られなくて…良いです…」

 星様の普段とは違う静かなお声に、僕は小さくかぶりを振りました。

 この掃除用具入れの向こうでは、旦那様がお一人で妖を相手にしているのでしょう。
 また、数が増えたのでしょうか。
 激しい音が聞こえます。
 僕を守るのが旦那様なら、旦那様をお守りするのは誰なのでしょう?
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