旦那様と僕

三冬月マヨ

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やがて

【十五】旦那様の帰る場所

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「うん? 食事の途中だったのかね? それとも晩酌の途中だったのかな?」

 そう口にしながら、司令は片手には桶を片手には小皿等が乗った盆を持って縁側へと戻って来た。
 廊下に置かれた桶を見れば、その中には水と氷と徳利があった。

「まあ、では、花見をしながら晩酌と行こうではないか」

 そのまま廊下に胡坐を掻き、いそいそと風呂敷包みを解いて行く、そのゴツゴツとした手元を見れば、その中からは三段重ねの重箱が出て来た。
 くらくらと目眩がして、思わず額に手が伸びた。

「…いや…あの…花見とは…? 私はそんな気分では無いのですが…あと…その…」

 膝の上に置いた青い箱を俺は見る。

 雪緒ゆきおはどうしている?
 飯は食ったのか?
 まだ泣いているのか?
 また、泣き疲れて眠ったりしていないか?

 それを聞く前に、司令が庭へと目をやる。

「桜だけが、花では無いだろう? ここには、桜よりも綺麗な花が咲いているではないか。まるで、鞠子まりこ君の様な強い花が」

「…鞠子の様な…」

 その言葉に、俺は月の光に照らされた向日葵を見た。

「…私はね、君には感謝しているのだよ」

「…は…?」

 …感謝…?

 静かにそう言って、盃に酒を注ぎ俺に渡して来る。
 その細められた目は、受け取らなければ殺すと語っている様で、俺は渋々ながらも受け取った。
 俺が受け取ったのを見てから、司令は自分の分も盃へと注いだ。
 そして、顔の高さまで上げると。

「あの家から鞠子君を救い出してくれてありがとう。鞠子君に幸せを教えてくれてありがとう。いや、中々、気恥ずかしくて言葉に出来なくてな」

 穏やかに笑って、ぐいっと盃を呷った。

『幸せでした』

 静かに儚く、それでも鞠子はそう言った。
 …だが…。
 あんな風に雪緒を泣かせる俺が、本当にそう出来たのか?

「…………鞠子は…本当に幸せだったのでしょうか……」

 ぽつりと零して盃に口を付ければ。

「勿論だとも。自信が無いのであれば、鞠子君からの文を見せても良いが?」

 司令は軽く口角を上げてそう言った。

「ぶほっ!?」

 文っ!?

 酒を噴き出した俺を見て司令が、意地の悪い顔をして笑う。

「ふんふ~ん。知らなかったのかね? 知らなかったよね? 私と鞠子君は、文通をしていたのだよ。その中には、必ず私は今幸せですと、書かれていてね」

 文通!?

「ごほっごほっ!!」

「特に雪緒君が来てからは、筆が乗って来てね。嫁が来た。嫁は可愛い。嫁は遠慮しがち。嫁は夏場は食べない。嫁の事をあれこれ考え…」

「ちょ、待っ、待って下さい! 鞠子は貴方にも、雪緒が嫁だと!?」

 まさか鞠子の奴、俺の知り合い全部に雪緒は嫁だと言っていたのではないだろうな!?

「うん。文には雪緒君=嫁だと、毎回注意書きがされていてね。明日にでも、家に来た時に見せてあげよう」

「は?」

「何故、疑問なのかね? 雪緒君を迎えに行かないのかね?」

 思わず呆けた声を出した俺の顔を司令がひたりと見据えて来る。

「…ぐ…っ…。…ゆ…きおは…私に愛想を尽かして出て行ったんです…。…私が迎えに行った処で、帰っては…」

 その視線から逃れようと、俺は目を伏せた。

「…何故、そう思うのかね? 雪緒君が、そう言ったのかね?」

 司令の目が細められ、声も幾分か低くなった気がする。

「…馬鹿だと言われました…。…実際…その通りなので…どの面下げて…」

 そうだ。
 どの面下げて会いに行けると云うのだ。
 あんな一方的に雪緒を責めたのだ。
 雪緒の話を聞きもせずに、ただ言いたい事だけを言った。
 全くどちらが子供なのか。

「…ふ…。…百聞は一見に如かずと云う言葉を知っているかね?」

「…は?」

 いきなり何だ?

「ま、ぐだぐだ言わずに、明日家へ来なさい。…そうだね。君が迎えに来て、雪緒君が帰りたくないと言うのであれば、新たに私が雪緒君を養子にしても構わない。幸いせいと仲が良いからね。星も喜ぶだろう」

「…養子…?」

「雪緒君は未だ未成年だ。保護者が必要だ」

「いや、それは私が…」

 雪緒が俺の元へ帰りたくないと云うのであれば、それはそれで構わない。
 だが、司令の云う通りに保護者は必要だ。
 だから…そうだな…相楽さがらなり、天野の処にでも下宿をさせて貰って、その為に掛かる費用は俺が出せば良い。
 …この親父の世話になるのは、正直癪に障る。

「…ねえ…? 何か、良からぬ事を考えていない? 私、そんなに信用ならない? 昔の君は、目をキラッキラさせて私を見て来たのに? 私、悲しいっ!!」

「ちょ…っ…!!」

 袖を目頭にあてて、おいおい泣き出した司令に俺は慌てた。

 まさか、もう酔ったのか?
 そして、泣き上戸!?
 傍迷惑なっ!!
 おい、泣くなっ!!
 泣きたいのは俺の方だっ!!
 それにキラッキラとは何だ!?
 そりゃあ、昔助けて貰った時は感謝したし、憧れもした。
 だが、今はそんな気持ちは一切無い!

「あれは確かに恋する乙女の目だった…」

 止めろっ!!
 恐ろしい事を言うな!

「司令! お注ぎします!!」

 これ以上何かを言われてたまるか。
 俺は徳利を取り、司令の盃へと注いだ。

「ん。ありがとね。…まあ、それは今は雪緒君に向かっている訳だけどね。もうね、あの日蝕の時の二人を見ちゃったらね、星の淡い初恋を応援したいけど、出来ないよね。恋を知ると同時に失恋だなんて、パパ悲しくてね。だからね、友達以上の好きで、それは親友と云う物で、まぶだちだって訂正したんだけどっ!! でもでもっ!! それからも恋とはと、聞かれたりしてねっ!!」

 しかし、司令の言葉は止まらない。
 ただ、余計に饒舌にしただけだった。

「…は…?」

 雪緒に…?
 日蝕の時…?
 初恋…?

「まあ、君も雪緒君も覚えてはいないだろうけどね。君は出血多量で意識が朦朧としてたし、雪緒君もいっぱいいっぱいだったからね、うん。もうね、あれはね、解っちゃうよね、嫌でもね!」

 …何が解ると…?
 あの日…天野や司令が来て…それから…?
 雪緒が出て来て…。
 俺の血に塗れた手を取ってくれて…俺が傷付く事が…俺が居なくなる事が怖いと…だから…守るな…と。
 それから…俺が親なのが嫌だと、子が嫌なのだと…。
 それから…? 何かを言っていた様な気がするが…。

「また鼻を摘まんで欲しいとか、また頭を撫でて欲しいとか、次は自分が守るとか、泣きながらね。血で汚れるのも構わずに君の手に頬を摺り寄せて…。…君が担架に乗せられて運ばれるまで、ずっとそうしていたね」

「…雪緒が…」

 盃から手を離して、そっと膝の上にある青い箱をそっと撫でる。
 あれからも…泣いていたのか…。

「…君もね、親だ、子だとか言ってないで、いい加減に素直になったらどうだね? 君は雪緒君を連れて来た。雪緒君の手を取ったのは君だ。これまでも君は、妖に親を殺され、孤児となった子を見て来た。だが、その中で連れて帰って来たのは雪緒君だけだ。何故かね? 何故、雪緒君だけだったのかね?」

 相楽にも問われた事を、今度は司令から問われるとは…。

「…それは…」

 …それは…雪緒が誰よりも弱く…死にそうに見えたから…いや、実際そうだったのだが…。
 …傍で見て居ないと不安だったから…。
 …傍で…その成長を見て居たいと…。
 …誰かに任せて置けないと…。

「…俺は…」

 …今まで通りに、そう言えば良いのに…。
 …今、ここに、雪緒が居ないから…。

「…ただ…」

 …ただ…俺が…その手を…離したくなかった…。
 …ただ…俺が…離れたくなかった…。
 …ただ…俺が…傍に居たかった…。

「…参ったな…」

 …居なくなってから、離れてから気付くだなんて…。
 それも、寄りにもよって、この親父に気付かされるだなんて。
 左手で顔を半分隠し、司令を見る。

「うん? そんな怖い顔で見ないで貰えるかな? まあね、色々と世間の声もあるだろうがね。そんな物で気持ちを殺すだなんてね、馬鹿げた事だと私は思うよ。気持ちは、心は自由であるべきだ。世間の声がそんなに大事な物かね? 自分達の気持ちより? それは不幸でしか無いと思うがね?」

 …不幸、か…。
 相楽にも言われたな…。
 俺が不幸になって雪緒が喜ぶのかと…。
 何故、雪緒の幸せの中に俺が含まれないのかと…。
 …俺が雪緒の幸せの障害になってはいけない…。
 雪緒の幸せの邪魔をする者が居るのならば、切り捨てる…。

 ……切り捨てられるのは…俺か…――――――――。

「…そう…ですね…」

 軽く目を伏せて自嘲気味に笑い、息を吐く。
 ここまで言われて漸く気付くとはな、本当に我ながら呆れる。

 …雪緒の手を取ったのは俺だ…。
 …その手を…離されてしまったその手を、また取っても良いのだろうか…?
 許されるのならば…その時は…もう離さない…。
 …離して堪る物か…。

「…それで、君を守るとか! もう、可愛いよね! 雪緒君は、もう、とっくに君を守っているのにねっ! 君が帰って来る場所をさっ! 君は本当に、本っ当に、雪緒君に感謝するべきだよ! あ、空だ。お替り!」

 空の盃を目の前に出されて、言われるままに注いで行く。

「ああ、はい…」

 …守る…か…。
 …帰る場所…。
 …そうだな…俺はここへ帰って来た…。
 だが、それは…。

「まあ、一番可愛いのは星なんだけどっ!!」

 …それは…。
 …雪緒が居るから…。
 ここに、雪緒が居たから…。
 …雪緒が…ここを守ってくれていたから…。
 …そんなここが、俺の帰る場所だからだ…。

「あれだよね! 星を見てたらさ! あやかしの幼体って、皆、ああなのかって思うよね! 君も、そう思うよね!? だからね! 私は思ったね!」

 それから俺は、ただひたすらに司令のとりとめのない話を聞く事になった。
 月の光は優しく、向日葵を照らしていた。
 その向日葵に盃を向けて、軽く苦笑を浮かべれば、何処かで鞠子の笑う声が聞こえた気がした。

 …明日…。
 明日、雪緒を迎えに行こう。

 気付きつけとばかりに、俺は盃を一気に呷った。

 そして、迎えに行けば、雪緒は俺の顔を見た途端に逃げ出してくれたのだった。
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