旦那様と僕

三冬月マヨ

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向日葵―奇跡の時間―

向日葵の想い【十九】

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 初めて見たゆき君の涙は、とても温かく優しい涙でした。
 ご両親が健在だった頃は、もっと自由に泣けていたと思うのだけれど…久しぶりの涙が、痛みや辛さからでは無くて…おたえさんとの別れから来た物だけれど…それでも、苦しい物でなくて良かったわ。笑ってお妙さんを送る事が出来たのだから。
 …まあ…そのきっかけが鼻摘まみと云うのが、何とも言えないのだけれど…。
 だけれど、きっと優しい記憶として残る事でしょう。
 この日を思い出した時に、きっとゆき君は笑うと思うわ。
 はにかむ様に、きっと。

 あれから季節は過ぎて夏になり、庭に咲く向日葵とゆき君は日々背比べをしているみたいです。
 その姿がやはり可愛らしくて、私はこっそりと写真機の釦を押します。
 あの日、涙を流したせいでしょうか?
 ゆき君の表情が益々豊かになった気がします。
 基本は、やはり真面目なお澄ましさんなのですけれどね?
 ふとした瞬間に、そっと微笑んだりしてくれて、それがとても可愛らしくて、また嬉しくて。
 ああ、それと。
 あの日、鼻を摘ままれて騒いだせいなのでしょうか? あれからゆき君はゆかり様に鼻を摘ままれると『痛いです!』と、言う様になりました。その声も、表情も、全然痛そうに聞こえませんし、見えたりもしないのですけどね? 何処か嬉しそうに見えるのは私の気のせいなのかしら? 最初は直ぐに手を離していた紫様でしたが、今では慣れた物で楽しそうに鼻を摘まんでいます。

 …良いのかしら、これで?

 と、思わなくもないのだけれど…楽しそうだから良いのよね?

 お妙さんが居なくなって、一人で食べるのは寂しいでしょうと、食卓にゆき君を誘ったのだけれど、そこは頑なに断られてしまいました。
 今は夏。私達の食卓には普通に数々の品が並んでいますが、ゆき君はどうなのかしら?

「…痛いですー! 朝はしっかりと食べていますーっ!! 夜はもう寝るだけですから、これで良いのですーっ!」

 首を傾げていたら、遠くからそんな声が聞こえて来まして、私は思わず額に手をあててしまいます。
 …ええ、気になっているのは紫様も同じで、こっそりとゆき君の様子を見に行ったのですけれど…こっそりとは何なのかしら?
 まあ、お茶の時に紫様が買って来て下さるチョコレートを食べたり、みくちゃんが伊達巻きを持って来てくれたりしてくれているから、食べたい時には食べて、食欲が無い時は無理に食べなくても良いのかしら? とも思ってしまうのよね。

 そんな風にして夏が過ぎて秋が来て、また落ち葉で焼き芋を堪能して。
 ゆき君のお誕生日には、みくちゃん、猛様、柚子様を招いて騒いで。騒ぎ過ぎてゆき君は困ってしまうし、紫様は怒り出してしまうし…まあ、これも良い思い出になる事でしょう。
 大晦日には、ゆき君がお妙さんに教わったとお蕎麦を打ってくれて、それを戴きながら静かに破魔の鐘の音を聞いて。
 雪が降って積もれば、ゆき君と紫様が雪かきをしてかまくらを作ったり、雪だるまを作ったりして私を楽しませてくれました。

「青空の下で見る雪は、本当にとても綺麗ですね」

 と、目を輝かせて笑ったゆき君の顔は忘れられません。
 きらきらとぽかぽかと、とても眩しくて。
 ここへ来て、初めて雪を見た時のあの表情が、本当に嘘の様です。
 ずっと、この時間が続きます様に。
 穏やかで温かく、優しい世界がゆき君を包んでくれます様に。
 これから先に出逢う人々が、優しくあります様に。

 ◇

「…鞠子まりこ、起きているか…?」

 ベッドでうとうととしていましたら、静かな紫様の声が障子の向こうから聞こえて来ました。

「…はい…。…少し夢を見ていましたわ…。…どうぞ、お入りになって下さいな」

 身体を起こして答えれば、静かに障子が開けられて、気まずそうな顔をした紫様が入って来ました。
 ここの処体調が芳しくなくて寝込んでばかりだから、心労を掛けてしまっているのね、申し訳ないわ。

「…すまんな…。…その…お前の両親が見舞いに来て居るのだが…」

 そんな私のベッドの傍まで紫様が来て、済まなそうに頭を下げました。

「…え…? あ、ゆき君は?」

「茶を出して貰った後、買い物に行かせた」

 思わず眉を顰めてしまった私の問いに、紫様も渋い表情を浮かべています。
 あの親がゆき君に何も言っていないと良いのだけれど…。

「…そうですか…。…まあ、来てしまった物は仕方がありませんわね…」

 …あの親が素直に私の心配をするとは思えませんけどね…。
 ここの処、不調で叔父様に文を送れていませんし…きっと、叔父様があの家に連絡をしたのでしょうね…。ああ…もう少し体調が良くなるまでは、ゆき君のお嫁さん談義はお預けですわね…。

「…すまん。長居しそうなら、遠慮なく追い出すから辛抱してくれ」

「あらあら、怖いわ」

 むすりと唇を結んで部屋を出て行く紫様の背中を見詰めながら、私はそっと息を吐きました。
 鬼が出るのか、蛇が出るのか…どちらにしても良い物ではありませんわよね…。
 …叔父様、お気遣いは嬉しいのですけれど…恨みますわよ…。
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