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1.顔合わせ

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「えっ……BLドラマ、ですか?」
「うん」
 高永ヒナキは、引き攣った笑みを浮かべた。それでも、相良マネージャーの表情はひとつも変わらない。ただ、ロボットみたいな顔で頷くばかりだ。
「せっかく最近人気が出始めているだろう。わざわざ原作者が君を指名してきたんだ。こんなチャンス、滅多にもらえない。ここで名前を売るべきだ」
「いや、話は分かりますけど……でも」
「嫌なのか? ヒナキ君」
 嫌なのか? なんて、聞かれても答えられるはずがない。まだまだ若輩であるヒナキは、仕事を断る権限などないのだ。それでも、よりにもよって初主演ドラマがボーイズラブの……しかも、受け役なんて。
 尻込みするヒナキの肩を、相良が優しく掴む。彼の目は、いつだって威圧的だ。
「相手役は、あのURANOSのJUNだ。女性ファンだらけの彼と主演をるということは、最初から視聴率は約束されたも同然。またとないチャンスなんだぞ」
——待てよ。URANOSのJUNだって!?
 ヒナキは思わず瞠目した。URANOSとは、一年前にメジャーデビューを果たし、すぐに人気が爆発した新進気鋭の4人組ロックバンドだ。JUNは、19歳にしてずば抜けた歌唱力と美貌で多くの女性ファンを虜にしているURANOSのボーカルなのである。
 ヒナキの動揺を察したように、相良は首を縦に振った。
「ビジュアルスペックの高い彼が、初めて俳優業に挑戦するんだ。話題性は言わずもがなだろう」
「えっ……あの、や、やります!」
「そうか、やるか!」
 相良はようやく破顔して、ヒナキの肩を叩いた。
「よく言った、ヒナキ君。そうと決まれば早速スケジュールの調整だ。これから忙しくなるぞ」
「はい!」
 相良は随分嬉しそうな様子だったが、ヒナキはそれどころではなかった。忙しいとか、話題性とか、どうでもいい。
——URANOSのJUN……URANOSのJUN……彼と一緒に仕事ができるなんて! 俳優やってて良かった! こんなに芸能界に感謝したのは人生で初めてだ!

 高永ヒナキは、JUNの熱狂的なファンだったのだ。




 BLドラマ「ラヴァーズ・イン・チェインズ」の仕事は、ものの数ヶ月後に始まった。今日は初日の顔合わせだ。
「おはようございます!」
 元気よく挨拶をして、ヒナキは会議室に足を踏み入れた。すでに集まっていたスタッフたち一人一人に挨拶をして、自分の席へと向かう。主演俳優の席は、上座側だ。
「原作者の樟葉レイです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします! お話をいただけて光栄でした。この度はありがとうございます」
 この人が原作者。ヒナキは目の前の小柄な女性に向かって、深々と頭を下げた。この女性が、ヒナキとJUNを巡り合わせてくれたのだ。
「樟葉先生の漫画、何度も拝読させていただきました。僕がアオイ君を演じられるなんて、夢みたいです!」
 本当に夢みたいです。あのJUNと共演できるなんて……。ヒナキはうっとりしながら、内心そう続けた。樟葉レイも、ヒナキの言葉にはご満悦なようだった。
 程なくして、会議の開始時刻十分前となった。スタッフは概ね揃い、会議室の席がほとんど埋まり始める。
——JUN、早く来ないかな。
 ヒナキは初主演の緊張よりも、JUNに会える期待で胸を膨らませていた。これまで、ステージ上の彼しか見たことがなかったのだ。今朝も、ここに来るまでずっとURANOSの曲を聴いていた。準備はバッチリだ。
——なんて言って挨拶しよう。いきなりファンですって言ったら引かれちゃうかな? まずは第一印象を……。
 ヒナキが考え事に耽っていると、ガチャリと扉の開く音がした。はっとして、顔を上げる。ざわついていた会議室内が、一瞬にして静まり返った。全員の視線が、入り口の方へと向く。
「おはようございます。URANOSのJUNです。よろしくお願いします」
 すらりと背の高い、この世のものとは思えないほど整った顔立ちの男性が、そこにいた。ウルフカットの黒髪に、透き通るような白い肌。特徴的な涙ボクロ。ヒナキは、息を吸うことも忘れていた。
——じゅ、JUN……!
 黙ったまま立ち上がり、会釈をする。ついさっきまでは挨拶の言葉を考えていたはずなのに、ヒナキの頭は真っ白になっていた。間も無く、隣の席へとJUNがやってくる。
——いい匂いがする。やばい、近い。
「高永さん、はじめまして。演技は初めてですが頑張ります。ご指導のほどよろしくお願いいたします」
 JUNはそう言って、頭を下げた。長い髪がさらさらと揺れ、肩から落ちる。彼の顔を直視することはできなかった。
「は、はい……! こちらこそ、よろしくお願いします! じゅ、JUNくん」
——ダメだ、刺激が強すぎる!
 動揺するヒナキをよそに、JUNは澄ました顔で席についた。間も無く、周囲の話し声が戻ってくる。
「それじゃあ、みんな揃ったことだしそろそろ顔合わせ始めましょうか」
 監督の声が響く。それからどうやって顔合わせが進んだのか、いつ終わったのか、ヒナキは何も覚えていない。






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