上 下
27 / 50
6.豚バラと里芋の煮物

疑惑のタイムカード

しおりを挟む
 昼休み、予想通り実久に呼ばれたので喫煙所に向かった。

 彼女は難しい顔をしながらベンチに座っていた。私は、その隣に腰を下ろした。実久がふーーっと大きく煙を吐き出して、ぽつぽつと語り出す。

製造部うちにいる加賀谷って知ってる? 彼女の件で呼ばれたんだよね。出勤時のタイムカードの押し忘れがやたら多いって湯田に指摘されてさ」

 加賀谷というのは、五年ほど前に入社してきた女性スタッフだ。年齢は、おそらく四十代半ばくらいだと思う。おしゃれで派手好きな印象だった。

 部署が違うこともあり、ほとんど話をしたことはない。

「顔と名前は分かりますけど……。押し忘れが多いから、注意しろってことですか? まぁ、大事ですよねタイムカードの打刻は」

 ちなみに、我が社は印字式のアナログなタイムカードを使用している。ボタンを押してタイムカードを入れると、ジジッという音と共に時間が打刻される、あのタイプだ。

 こじんまりした会社とはいえ、そろそろクラウド上で管理するようにしても良いのでは? という声をときどき社内で耳にする。

「手書きで時間を書いて、私のハンコを押してるから社内ルール上は問題はないけど、ちょっと多すぎるってチクチク言われたんだよね」

 実久が難しい顔をしながら、足を組み替える。

 タイムカードは、まれにインクが滲んで時間が不明瞭になることがある。出勤時に押し忘れる社員も少なからずいる。その場合、上長に確認して正しい時間を手書きしてもらい、印鑑をもらうことになっている。

 加賀谷のタイムカードには、実久の印鑑が多数押されているのだろう。

「印鑑押し過ぎだと、逆に何が何だかって感じですよね」

 印鑑だらけで真っ赤になったタイムカードを想像しながら、呑気に笑う私とは反対に、実久はぜんぜん笑っていない。

「私さ、押した記憶ないんだよね」

「はい?」

 押した記憶が、ない……? 一瞬、頭の中が「?」だらけになる。

「そりゃ確かに、過去に一度や二度は、彼女のタイムカードにハンコを押したことはあったと思うよ。加賀谷が入社してから、もう数年は経ってるし。それこそ、出勤時に押し忘れましたって声を掛けられたりとか。でも」

 一度、言葉を区切って大きく煙を吐く。

「最近は押してない」

「えっと、それは……。加賀谷さんが、勝手に主任のハンコを押したってことですか?」

「……分からない」

 実久の眉根が、ぎゅうっと寄る。

「盗まれてはなかった。今日もいつもの場所に私のハンコはあったし。持ち出してるのかも……」

「普段、印鑑はどこに置いてるんですか」

「事務所の自分のデスク。上から二番目の引き出しの中」

 あの、散らかったデスクか……。ファイルやら資料やらがてんこもりになった惨状を思い出して、なんともいえない気分になる。

「……だとしたら、持ち出してるんじゃなくて、勝手に「宮野」の印鑑を作って押してるかもですね」

「なんでそう思うの」

「他人からするとですね。あのデスクから探し物を見つけるのは至難の業ですよ」

 実久から資料を確認して、と言われて探したことがあるけれど、見つけるのは容易ではなかった。

 それで以前、片付けたいと申し出たのだ。

「とりあえず、真実を突き止めるわ」

 そう言って、思いっきり吸引して肺に煙を入れる。

「真実って?」

「総務部の湯田には、言ってないんだよね。私がハンコ押してないこと」

「へ?」

 それってマズいのでは?

製造部うちの問題は、私が責任を持ってカタを付ける」

 そ、そんな……。任侠の世界じゃあるまいし。

 きちんと湯田に相談し、社内の問題として解決したほうがいいのではないだろうか。しかし、実久はかなり頑固だ。説得できる気がしないけれども、なんとか意見しようと口を開きかけた瞬間、史哉が現れた。

 煙草に火を付けながら、しれっと「その加賀谷さんってひとが事務所から出てくるの、何回か見ましたよ」と言う。

「それっていつ!? 何日? 時間は?」

 実久が矢継ぎ早に質問する。

 史哉は、かつての指導係に臆した様子はなく、自分のペースで煙草を吸っている。

「何日とか覚えてないですけど。何回かありました。たいてい朝の8時を少し過ぎたくらいです。俺はいつも早めに来て、ここで一服してるんで」

 喫煙所からは、事務所の出入り口がよく見える。

 史哉の言葉は、ほとんど核心をついているような気がした。

 私たち事務方の始業時間は9時なのだけど、製造部は8時から仕事を始めているのだ。

「遅刻した際は、タイムカードを押さずに自分で時間を書いて、それで事務所へ行って……?」

 8時過ぎなら事務所はまだ無人の状態だし、施錠しているわけではない。こっそり入室することは可能なはず。運悪く、史哉に目撃されてしまっていたけれども。

 私の言葉に、実久が頷く。

「勝手にデスクを漁って、私のハンコを押してるんだと思うわ。それだと遅刻はしていないことになるし、社内ルールにも違反していない」

 実久は厳しい顔つきで腕を組んでいる。その隣で、特に何とも思っていなさそうな顔で史哉が煙草を消した。

「ハズレましたね」

 私に向かって、史哉がボソッと言う。

「なにが?」

「清家主任の説。印鑑偽造説」

 切れ長の目元をわずかに細めている。初めて笑った顔を見た。まぁ、これを笑顔といっていいのかは疑問だ。鼻で笑われた感もあるし。

 それにしても、まったく。どこから話を立ち聞きしていたのだ。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ジョーク集

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:10

妹に全てを奪われた伯爵令嬢は遠い国で愛を知る

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:2,344pt お気に入り:55

許してもらえるだなんて本気で思っているのですか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,122pt お気に入り:3,562

異世界に転移したので国民全員の胃袋を掴みます

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:322

異世界の赤髪騎士殿は、じゃじゃ馬な妻を追いかける

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:55

処理中です...