妖艶幽玄絵巻

樹々

文字の大きさ
上 下
66 / 114
第三巻

巻ノ二十四『心の奥底へ』

しおりを挟む


「良いか。前にも言うたとおり、珠の力を体に巡らせ、身体能力を上げる。さすれば人並み以上の足で走れよう」 

「簡単に言うんじゃないよ。あたしと三郎は封印の珠なんだよ。逆に走れなくなっちまうさね」 

「お主は私が背負う。三郎は喜一が背負え。七乃助は松田だ。良いな?」 

 悪鬼の気が漂う位置はだいたい把握している。その付近までは馬で行き、その後は能力を上げて走っていく。屋根伝いに走り、飛べば無駄な争いをしなくても済む。 

 松田と喜一は破壊の珠を持っている。体の中にあるならば、私と同様、能力を上げることはできるはずだ。試しに彼らに促せば、軽く蹴っただけで高く飛んでいる。 

「なるほど。この様な使い方もあるのですな。これは便利」 

「うむ。これ、喜一。どうした。まだふてくされておるのか?」 

「俺、お七ちゃんが良い」 

 朝の事を気にしているのか、喜一が三郎にそっぽを向いている。あれだけ世話になっておきながら何と我がままな。恋人関係でもないのに。 

「我がままは許さぬ。だいたい、お主とて私や七乃助に色目をつこうておろう。三郎が松田に抱かれたいと言うたくらいで臍を曲げるでない」 

「そこじゃない! 余ってる者同士ってのが気に食わない!」 

 腕を組み、完全に臍を曲げてしまった。どさりと尻を落として地面に座り込んでしまった。一刻も早く出発したいというのに、この男は。 

「これ、立たぬか!」 

「嫌だ!」 

 思いきり頬が膨らんだ。まるで不機嫌な時の七乃助だった。三郎が自分のせいかとオロオロし、なんとか宥めようと肩に触れても、振り払われてしまった。 

 庭で揉めている私達に、孝明が遠慮がちに馬の準備ができたと知らせてくる。頷き、尻をひっぱたいてでも言うことを聞かせようとしたけれど。 

 静かに松田が歩み寄っていく。一発、殴るつもりかと皆が緊張した中で、膝を付いた彼は喜一の頬に手を触れさせた。

「そう、ごねるでない」 

「……嫌だ」 

「まったく。焼き餅を焼く時は、俺に直接焼けと言うておったであろう?」 

 喜一の顔を引いた松田は、そのまま唇を合わせてしまった。 

 私も、美祢も、七乃助も、そして三郎も。 

 孝明も、その手伝いの者も、皆が一様に固まった。 

「ん……ぅん……旦那……もっと……!」 

 スルリと、喜一の腕が松田の首に回された。応えるように腰を抱き、引き寄せている。膝立ちになった二人は熱い口付けを交わし合う。 

 しがみついた喜一は、その手を震わせている。松田の舌が喜一の唇を通っては、中を掻き回した。 

「……ん……ここ、までだ」 

「……旦那」 

「何を言い合ったかは知らぬが、お主を余らせた覚えはない」 

「……はい」 

 うっとりと、松田を見上げた喜一の細目が潤んでいる。彼から松田に口付けた。 

 その松田が吹き込んでいく。小さな七乃助の、渾身の蹴りが松田の顔を捕らえていた。 

「この破廉恥霊媒師!! あなたと言うお方はどうしてそうなのです!!」 

「これ、痛いぞ、七乃助!」 

「三郎殿だけでなく喜一殿にまで……!!」 

「皆それぞれの魅力がある故、味見をしたくなるのは仕方がないではないか」 

「……ぬけぬけとようも言いましたな!!」 

 尻餅をついた松田に七乃助が飛び乗った。小さな手で松田を叩き回っている。三郎が止めに入ろうとしたけれど、七乃助に睨まれ怯んだ。渾身の力を込めて叩いている。 

 二人が争い、喚き合っている側で喜一が立ち上がっている。緩めに止めていた着物の帯紐をきつく結び直し、濡れていた唇に指で触れている。頭を掻いた彼は溜息を一つ、零した。 

「やれやれ……ってね」 

 そう、呟いたように見えたけれど、定かではなかった。喚く七乃助の声が煩くて、良く聞き取れなかったからだ。

「いい加減にせぬか!」 

「いい加減になさるのは松田殿です!」 

「それほど焼き餅を焼くのなら、いっそ俺の物になると誓いを立てよ! さすれば俺も、喜一達には手を出さぬと誓ってやろう!」 

「…………!」 

 七乃助の小さな手を握り締めた松田は、グッと顔を近づけた。先ほど喜一に口付けた名残がまだ、残っている。濡れた唇を七乃助の頬に当てた。 

「ほれ、誓いを立てることはできまい? 俺の物になれぬ者が、俺を束縛するでない」 

「……某……は!」 

「俺を束縛するということは、俺が抱きたいと思うた時に常に尻を出すと言うことだ。いかなる時もだ!」 

 七乃助を引き離し、立ち上がった松田は着物に付着した砂を払っている。 

「お前の事は好いておる。だがそれだけだ。俺が誰に口付けようが、抱こうが、お前が口を出すことではない」 

「……酷い男だの、お主。清次郎ならばその様なこと、決して言わぬ」 

 見かねて口を出せば、肩を竦めてかわされた。 

「そうだ。こんな男に、本気で惚れてはならんぞ」 

 背を向けた松田は、喜一の腰を抱いてみせた。彼らは何か、囁き合っている。 

 尻餅をついたまま、動けない七乃助に美祢が寄り添った。豊かな胸に七乃助を抱いている。 

「……困ったね~。ああ言われたって、好きなもんは好きなんだよ」 

「……某は……!」 

「やっぱり真ちゃん、あんた置いて行きたいんだね」 

 囁いた美祢の言葉に顔を上げている。私も側にしゃがむと首を傾げた。 

「連れて行くつもりで、散々抱いたのであろう?」 

「どれだけ力注いでも、不安なんだよ。この子は珠を持ってないからね。ああやって嫌われて、自分から残ると言わせたいのさ」 

 小さな頭を撫でてやっている。フルフル震えた七乃助は唇を噛み締めた。ますます豊かな胸に埋もれていく。

「真ちゃん、本気であんたに惚れてるんだよ」 

「……その……ようなことは……」 

「試してみるかい?」 

 美祢が微笑んだ。真っ赤になった七乃助の顔を両手で挟むように包んでいる。 

 上向きになった七乃助の小さな唇に、紅を引いた美祢の唇が重なった。 


*せ、清次郎!? どうなっておる!? 

*俺にも分かりかねますが……美祢様には考えがあるご様子。しばし見守りましょう。 

*う、うむ。 


 戸惑う私と清次郎の目の前で、美祢は七乃助の唇を優しく吸っている。抵抗するように肩を押していた七乃助は、柔らかく触れる唇と、女の香りに目眩を起こしたようにぼうっとなっていく。 

「ふふ……可愛い子」 

「ずるいですよ、美祢様。僕だって七乃助様とは一度、してみたいと思っていたのに」 

「なら、あんたも混ざる?」 

「はい」 

 三郎も微笑むと、何とも言えない色気が出てきた。ざわっと騒ぐ周りに目もくれず、二人は七乃助で遊び始めてしまった。 

 じりっと、私は離れた。この輪に入ることはできない。孝明の側まで寄ると、困ったように首を傾げ合った。 

 いつになったら出発できるのか。 

 七乃助の背中を美祢が抱き、弾力のある胸に押し付けている。空いた唇には三郎が重ねた。微笑みながら口付け、時に舌を絡め、七乃助はもう、崩れ落ちてされるがままだった。 

「ねぇ、七乃助様? 僕の中に入ってみたくはありませんか?」 

「……それ……がしは……」 

「松田様では抱かれるばかり。男であるならば、一度は中に入ってみたいとは思いませんか?」 

「そうだよ。真ちゃんだって好きに生きてんだ。あんたも好きにしなよ」 

 耳たぶを口に含まれ、七乃助の体がヒクついた。縮むように丸まり、体が震えている。 

 三郎の手が袴に伸びた時、その手を大きな手が掴んで引き離した。 

 美祢の胸に埋もれていた七乃助を大きな手が抱き上げている。

「……からかうな」 

「真ちゃんが自由に生きるなら、その子も自由なはずだよ。嫌じゃなかっただろう? ねぇ、おチビちゃん」 

 美祢の言葉に、七乃助は松田にしがみ付いている。顔を上げた七乃助は、松田の目を見つめた。 

「……何を言われても、付いて行きまする。松田殿が某を抱きたくないのであれば、三郎殿や美祢殿がおられます」 

「七乃助……」 

「松田殿がどなたを抱こうと、もう……止めはしませぬ。故に……! 某を離すことだけは、お止め下され……!」 

 美祢の紅が移った唇で、松田の唇を覆った七乃助は、自分から舌を伸ばした。頭にしがみつき、懸命に触れている。 

 強張っていた松田の表情が少しだけ緩む。小さな体を強く抱いて受け止めた。 

「……いや~、本気で抱いてみたくなったね」 

 喜一の手が、袴の上から七乃助の尻を揉んだ。 

 その手が音を立てて振り払われる。松田のきつい一発が、喜一の手の甲をひっぱたいていた。 

「……俺には厳しくないですかい?」 

「お主は真に、下心があるからだ」 

「そりゃ、旦那にしこまれてますからね」 

「ずいぶん前の話だ」 

 七乃助を抱えたまま、松田はそっと笑っている。肩を竦めた喜一は、三郎のもとまで歩いていくと、ひょいっと背中に背負っている。 

「ん、軽い上に良い肌具合だ。決まりだね」 

「余ってる者同士、仕方ありませんよね?」 

「そうだね~」 

 笑った喜一は、三郎を降ろして私を振り返る。 

「あんたでも良いぜ?」 

「ご免被る」 

「ちぇっ」 

 天を仰いだ喜一に、美祢が笑った。三郎も笑い、私も少し笑う。 


*あれでなかなか、気を使うようですね。 

*視線は気持ち悪いがの。 

*紫藤様がお美しい故、やはり気になるようですね。 

*お……おおぅ! お主から美しいと褒められると抱かれたくなるぞ! 

*それはお控え下され。 


 清次郎も笑い、皆の笑い声が重なった。 

 その中で七乃助を抱いた松田は、大事な者を守るように目を伏せ、腕に力を込めて抱き締めていた。



*** 



 痴話喧嘩は終わり、予定より少し時間が過ぎていたけれど、馬の背に乗った私達はいざ、江戸城へ向けて出発することになった。 

 馬上から兄である孝明を見下ろした清次郎は、青い瞳で笑っている。 

【「行って参ります。お世話になりました」】 

「気にするな。それよりも無事に帰って来るのだぞ? お前の体は私が必ず守る」 

【「ありがたき幸せにございます」】 

 丁寧に頭を下げた清次郎。万が一のために、孝明の屋敷には悪霊避けの札を貼り付けている。悪鬼に効くかは定かではないが、無いよりは良いだろう。邪気のある者は通れないようにしている。通れるのは純粋な魂だけだ。 

【「ではご免!」】 

 馬の首を返した清次郎は、屋敷を後にした。私は馬には乗れないので、清次郎に操ってもらっている。気合いを入れるため、髪は後ろの高い位置で結んでいた。 

 その背中には美祢も居た。豊かな胸がしきりに背中に当たっている。 

「これ、美祢。あまり胸を押し付けるでないぞ! 清次郎はおなごを知らぬのだからな!」 

「え、そうなの? 清ちゃん、女抱いたことないの?」 

「もちろんだ! のう、清次郎?」 

 満面の笑みを浮かべ、自信満々に応えた私に、清次郎の反応は鈍かった。言葉を濁すように、返事を躊躇っている。 

 笑んでいた顔が強張った。 

 あり得ない、清次郎に限ってそれはないと思っていたのに。 



 まさか。 



 まさか……! 



「おお、お、お主……おなごを抱いたことがあるのか!?」 

 叫び、震えた。手綱を操る手が大きく揺れてしまう。 

【「お、落ち着かれて下さいませ!」】 

「ええい、はっきりせぬか!!」 

【「紫藤様! 馬が驚きます!」】 

「驚いておるのは私の方だ!!」 

 私達の後からは松田が続き、そのすぐ後ろを七乃助が続いている。三郎がその後を行き、しんがりは喜一が勤めていた。

 言い争う私達に何事かと松田が馬を寄せてくる。 

「どうなされたのです」 

「清次郎がおなごを知っておったのだ!!」 

「はあ、まあ、そうでしょうな。お二人が出会うまでに清次郎殿とて男、それなりに興味はありましょう」 

「しかしだな! しかし……!!」 

 フルフル、フルフル、手が震えてしまう。 

 今思えば、男を抱くことに関して戸惑いはあっても、肌を重ねることに関しては慣れていたように思う。愛撫も手慣れていた……ような気がする。 

 何もかもが初めてであった私を優しく抱いてくれたのは、経験があったからか。 

 何と言うことだ。私を抱く時に微笑むように見つめていた視線も、肌を労るように滑る手も、熱い口付けも! 他の誰かが知っているということか。 

 私以外の体に、夢中になっていた頃があったのか。 

 女を愛しいと、思っていた頃があったのか。 

 彼が愛したのは私だけだと思っていたのに。 

 涙が盛り上がってくる。 

「……ううぅ……私だけの清次郎が……!!」 

「ま、まあまあ。気にしなさんなって。今はあんた一筋なんだし」 

「しかしだな……!」 


*紫藤様。 


 中から声が掛かる。ふんっとそっぽを向いたところで、清次郎と共にしている体。意味は無かった。 


*黙っていたこと、申し訳ありませぬ。言えばきっと、気になさるだろうと思うて言えませなんだ。 

*……色香のあるお主を他にも知っておる者が居ようとは……! これほど切ないことはないぞ! 

*申し訳ありませぬ。されど……。 


 馬を操りながら、清次郎はそっと微笑んでいる。美祢が抱き付きながら見上げても、真っ直ぐに向いた視線は外さなかった。 


*ほんに男に抱かれた事はありませぬ。故に、俺の初めての相手は…………蘭丸様です。 


 囁く清次郎の低い声が、頭の中に幾重にも響いていく。 

 清次郎の初めての相手は私、蘭丸。 



 初めての相手は、蘭丸。 



 初めての……。 



「……おおおおぉぅぅ……!!」 

「な、なんだい!? 急に叫ぶんじゃないよ!」 

 手綱はしっかりと操りながら、叫ぶ私に美祢が呆れている。

「ふふふふふ……」 

「ちょっと、本当に気持ち悪いよ! 何があったのさ?」 

「秘密だ! ふふ、そうかそうか、清次郎!」 

「……もう、ずるいよ」 

 美祢に腰を抓られても教えなかった。 

 そうだ、清次郎を初めて抱くのは私だ。きっと扇情的で、この世の者とは思えないほど色香があるに違いない。 

 その姿を知っているのは私だけ。 

 蘭丸と、呼んでもらおう。 

 必死になってしがみ付く清次郎を優しく、優しく抱こう。 

 張りのある胸を愛撫し、引き締まった腰を掴み、彼の中へと入っていく。 

 想像するだけで鼻息が荒くなった。 

「待っていよ、清次郎! お主のことはこの紫藤蘭丸がきっと男にしてみせるからな!」 

【「……あまり声に出さないで下さいませ」】 

「うむ!」 

 元気良く頷いた私に、美祢がポフポフお腹を叩いてくる。 

「清ちゃん、蘭々宥めるの上手いね」 

 クスクス笑った美祢は、殊更胸を押し付けた。 

 まあ、良い。今の清次郎は私のものだ。清次郎が女を好いていたのは昔の事。若さ故の興味に惹かれて抱いたのだろう。心底惚れているのはこの私のはずだから。 

 胸を見ても反応は無かったし、美祢に心変わりすることはないだろう。 

 恐らくは……。 


*清次郎。胸は好きか? 


 とりあえずの確認は必要だ。清次郎を信じているけれど、どれほど私が美しかろうと、胸は膨らまないから。もしかしたら、膨らんだ胸が好きかもしれないし。 

 もしそうなら、体内の珠を使って、どうにか膨らませなければ。これからの清次郎にはずっと、私を好きでいてもらいたい。そのための努力は惜しまない。 

 中で聞けば噴き出している。 


*そうですな。硬くしなやかな胸を、一番好いております。 


「清次郎……!!」 


*声には出さないで下さいませ! 


 叫びそうになった私を素早く押しとどめた清次郎。ヘラヘラ笑った私に美祢が大きな溜息を零した。 

 様子を伺っていた松田が笑いながら馬の速度を落としていく。七乃助に並び、共に走っている。 

 砂埃を上げながら馬を操った私達は、一路江戸城を目指した。 

 太陽はもう、天高く昇っていた。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界日帰りごはん【料理で王国の胃袋を掴みます!】

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7,122pt お気に入り:2,218

転生少女は異世界でお店を始めたい

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:4,434pt お気に入り:1,711

夏の終わりに、きみを見失って

BL / 連載中 24h.ポイント:305pt お気に入り:3

無自覚に幸運の使徒やってます

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:122

孤独な王弟は初めての愛を救済の聖者に注がれる

BL / 完結 24h.ポイント:1,365pt お気に入り:690

氷の公爵はお人形がお気に入り~少女は公爵の溺愛に気づかない~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:603pt お気に入り:1,595

中の御所奮闘記~大賢者が異世界転生

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:177pt お気に入り:3,134

処理中です...