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第三巻
巻ノ二十四『心の奥底へ』
しおりを挟む「良いか。前にも言うたとおり、珠の力を体に巡らせ、身体能力を上げる。さすれば人並み以上の足で走れよう」
「簡単に言うんじゃないよ。あたしと三郎は封印の珠なんだよ。逆に走れなくなっちまうさね」
「お主は私が背負う。三郎は喜一が背負え。七乃助は松田だ。良いな?」
悪鬼の気が漂う位置はだいたい把握している。その付近までは馬で行き、その後は能力を上げて走っていく。屋根伝いに走り、飛べば無駄な争いをしなくても済む。
松田と喜一は破壊の珠を持っている。体の中にあるならば、私と同様、能力を上げることはできるはずだ。試しに彼らに促せば、軽く蹴っただけで高く飛んでいる。
「なるほど。この様な使い方もあるのですな。これは便利」
「うむ。これ、喜一。どうした。まだふてくされておるのか?」
「俺、お七ちゃんが良い」
朝の事を気にしているのか、喜一が三郎にそっぽを向いている。あれだけ世話になっておきながら何と我がままな。恋人関係でもないのに。
「我がままは許さぬ。だいたい、お主とて私や七乃助に色目をつこうておろう。三郎が松田に抱かれたいと言うたくらいで臍を曲げるでない」
「そこじゃない! 余ってる者同士ってのが気に食わない!」
腕を組み、完全に臍を曲げてしまった。どさりと尻を落として地面に座り込んでしまった。一刻も早く出発したいというのに、この男は。
「これ、立たぬか!」
「嫌だ!」
思いきり頬が膨らんだ。まるで不機嫌な時の七乃助だった。三郎が自分のせいかとオロオロし、なんとか宥めようと肩に触れても、振り払われてしまった。
庭で揉めている私達に、孝明が遠慮がちに馬の準備ができたと知らせてくる。頷き、尻をひっぱたいてでも言うことを聞かせようとしたけれど。
静かに松田が歩み寄っていく。一発、殴るつもりかと皆が緊張した中で、膝を付いた彼は喜一の頬に手を触れさせた。
「そう、ごねるでない」
「……嫌だ」
「まったく。焼き餅を焼く時は、俺に直接焼けと言うておったであろう?」
喜一の顔を引いた松田は、そのまま唇を合わせてしまった。
私も、美祢も、七乃助も、そして三郎も。
孝明も、その手伝いの者も、皆が一様に固まった。
「ん……ぅん……旦那……もっと……!」
スルリと、喜一の腕が松田の首に回された。応えるように腰を抱き、引き寄せている。膝立ちになった二人は熱い口付けを交わし合う。
しがみついた喜一は、その手を震わせている。松田の舌が喜一の唇を通っては、中を掻き回した。
「……ん……ここ、までだ」
「……旦那」
「何を言い合ったかは知らぬが、お主を余らせた覚えはない」
「……はい」
うっとりと、松田を見上げた喜一の細目が潤んでいる。彼から松田に口付けた。
その松田が吹き込んでいく。小さな七乃助の、渾身の蹴りが松田の顔を捕らえていた。
「この破廉恥霊媒師!! あなたと言うお方はどうしてそうなのです!!」
「これ、痛いぞ、七乃助!」
「三郎殿だけでなく喜一殿にまで……!!」
「皆それぞれの魅力がある故、味見をしたくなるのは仕方がないではないか」
「……ぬけぬけとようも言いましたな!!」
尻餅をついた松田に七乃助が飛び乗った。小さな手で松田を叩き回っている。三郎が止めに入ろうとしたけれど、七乃助に睨まれ怯んだ。渾身の力を込めて叩いている。
二人が争い、喚き合っている側で喜一が立ち上がっている。緩めに止めていた着物の帯紐をきつく結び直し、濡れていた唇に指で触れている。頭を掻いた彼は溜息を一つ、零した。
「やれやれ……ってね」
そう、呟いたように見えたけれど、定かではなかった。喚く七乃助の声が煩くて、良く聞き取れなかったからだ。
「いい加減にせぬか!」
「いい加減になさるのは松田殿です!」
「それほど焼き餅を焼くのなら、いっそ俺の物になると誓いを立てよ! さすれば俺も、喜一達には手を出さぬと誓ってやろう!」
「…………!」
七乃助の小さな手を握り締めた松田は、グッと顔を近づけた。先ほど喜一に口付けた名残がまだ、残っている。濡れた唇を七乃助の頬に当てた。
「ほれ、誓いを立てることはできまい? 俺の物になれぬ者が、俺を束縛するでない」
「……某……は!」
「俺を束縛するということは、俺が抱きたいと思うた時に常に尻を出すと言うことだ。いかなる時もだ!」
七乃助を引き離し、立ち上がった松田は着物に付着した砂を払っている。
「お前の事は好いておる。だがそれだけだ。俺が誰に口付けようが、抱こうが、お前が口を出すことではない」
「……酷い男だの、お主。清次郎ならばその様なこと、決して言わぬ」
見かねて口を出せば、肩を竦めてかわされた。
「そうだ。こんな男に、本気で惚れてはならんぞ」
背を向けた松田は、喜一の腰を抱いてみせた。彼らは何か、囁き合っている。
尻餅をついたまま、動けない七乃助に美祢が寄り添った。豊かな胸に七乃助を抱いている。
「……困ったね~。ああ言われたって、好きなもんは好きなんだよ」
「……某は……!」
「やっぱり真ちゃん、あんた置いて行きたいんだね」
囁いた美祢の言葉に顔を上げている。私も側にしゃがむと首を傾げた。
「連れて行くつもりで、散々抱いたのであろう?」
「どれだけ力注いでも、不安なんだよ。この子は珠を持ってないからね。ああやって嫌われて、自分から残ると言わせたいのさ」
小さな頭を撫でてやっている。フルフル震えた七乃助は唇を噛み締めた。ますます豊かな胸に埋もれていく。
「真ちゃん、本気であんたに惚れてるんだよ」
「……その……ようなことは……」
「試してみるかい?」
美祢が微笑んだ。真っ赤になった七乃助の顔を両手で挟むように包んでいる。
上向きになった七乃助の小さな唇に、紅を引いた美祢の唇が重なった。
*せ、清次郎!? どうなっておる!?
*俺にも分かりかねますが……美祢様には考えがあるご様子。しばし見守りましょう。
*う、うむ。
戸惑う私と清次郎の目の前で、美祢は七乃助の唇を優しく吸っている。抵抗するように肩を押していた七乃助は、柔らかく触れる唇と、女の香りに目眩を起こしたようにぼうっとなっていく。
「ふふ……可愛い子」
「ずるいですよ、美祢様。僕だって七乃助様とは一度、してみたいと思っていたのに」
「なら、あんたも混ざる?」
「はい」
三郎も微笑むと、何とも言えない色気が出てきた。ざわっと騒ぐ周りに目もくれず、二人は七乃助で遊び始めてしまった。
じりっと、私は離れた。この輪に入ることはできない。孝明の側まで寄ると、困ったように首を傾げ合った。
いつになったら出発できるのか。
七乃助の背中を美祢が抱き、弾力のある胸に押し付けている。空いた唇には三郎が重ねた。微笑みながら口付け、時に舌を絡め、七乃助はもう、崩れ落ちてされるがままだった。
「ねぇ、七乃助様? 僕の中に入ってみたくはありませんか?」
「……それ……がしは……」
「松田様では抱かれるばかり。男であるならば、一度は中に入ってみたいとは思いませんか?」
「そうだよ。真ちゃんだって好きに生きてんだ。あんたも好きにしなよ」
耳たぶを口に含まれ、七乃助の体がヒクついた。縮むように丸まり、体が震えている。
三郎の手が袴に伸びた時、その手を大きな手が掴んで引き離した。
美祢の胸に埋もれていた七乃助を大きな手が抱き上げている。
「……からかうな」
「真ちゃんが自由に生きるなら、その子も自由なはずだよ。嫌じゃなかっただろう? ねぇ、おチビちゃん」
美祢の言葉に、七乃助は松田にしがみ付いている。顔を上げた七乃助は、松田の目を見つめた。
「……何を言われても、付いて行きまする。松田殿が某を抱きたくないのであれば、三郎殿や美祢殿がおられます」
「七乃助……」
「松田殿がどなたを抱こうと、もう……止めはしませぬ。故に……! 某を離すことだけは、お止め下され……!」
美祢の紅が移った唇で、松田の唇を覆った七乃助は、自分から舌を伸ばした。頭にしがみつき、懸命に触れている。
強張っていた松田の表情が少しだけ緩む。小さな体を強く抱いて受け止めた。
「……いや~、本気で抱いてみたくなったね」
喜一の手が、袴の上から七乃助の尻を揉んだ。
その手が音を立てて振り払われる。松田のきつい一発が、喜一の手の甲をひっぱたいていた。
「……俺には厳しくないですかい?」
「お主は真に、下心があるからだ」
「そりゃ、旦那にしこまれてますからね」
「ずいぶん前の話だ」
七乃助を抱えたまま、松田はそっと笑っている。肩を竦めた喜一は、三郎のもとまで歩いていくと、ひょいっと背中に背負っている。
「ん、軽い上に良い肌具合だ。決まりだね」
「余ってる者同士、仕方ありませんよね?」
「そうだね~」
笑った喜一は、三郎を降ろして私を振り返る。
「あんたでも良いぜ?」
「ご免被る」
「ちぇっ」
天を仰いだ喜一に、美祢が笑った。三郎も笑い、私も少し笑う。
*あれでなかなか、気を使うようですね。
*視線は気持ち悪いがの。
*紫藤様がお美しい故、やはり気になるようですね。
*お……おおぅ! お主から美しいと褒められると抱かれたくなるぞ!
*それはお控え下され。
清次郎も笑い、皆の笑い声が重なった。
その中で七乃助を抱いた松田は、大事な者を守るように目を伏せ、腕に力を込めて抱き締めていた。
***
痴話喧嘩は終わり、予定より少し時間が過ぎていたけれど、馬の背に乗った私達はいざ、江戸城へ向けて出発することになった。
馬上から兄である孝明を見下ろした清次郎は、青い瞳で笑っている。
【「行って参ります。お世話になりました」】
「気にするな。それよりも無事に帰って来るのだぞ? お前の体は私が必ず守る」
【「ありがたき幸せにございます」】
丁寧に頭を下げた清次郎。万が一のために、孝明の屋敷には悪霊避けの札を貼り付けている。悪鬼に効くかは定かではないが、無いよりは良いだろう。邪気のある者は通れないようにしている。通れるのは純粋な魂だけだ。
【「ではご免!」】
馬の首を返した清次郎は、屋敷を後にした。私は馬には乗れないので、清次郎に操ってもらっている。気合いを入れるため、髪は後ろの高い位置で結んでいた。
その背中には美祢も居た。豊かな胸がしきりに背中に当たっている。
「これ、美祢。あまり胸を押し付けるでないぞ! 清次郎はおなごを知らぬのだからな!」
「え、そうなの? 清ちゃん、女抱いたことないの?」
「もちろんだ! のう、清次郎?」
満面の笑みを浮かべ、自信満々に応えた私に、清次郎の反応は鈍かった。言葉を濁すように、返事を躊躇っている。
笑んでいた顔が強張った。
あり得ない、清次郎に限ってそれはないと思っていたのに。
まさか。
まさか……!
「おお、お、お主……おなごを抱いたことがあるのか!?」
叫び、震えた。手綱を操る手が大きく揺れてしまう。
【「お、落ち着かれて下さいませ!」】
「ええい、はっきりせぬか!!」
【「紫藤様! 馬が驚きます!」】
「驚いておるのは私の方だ!!」
私達の後からは松田が続き、そのすぐ後ろを七乃助が続いている。三郎がその後を行き、しんがりは喜一が勤めていた。
言い争う私達に何事かと松田が馬を寄せてくる。
「どうなされたのです」
「清次郎がおなごを知っておったのだ!!」
「はあ、まあ、そうでしょうな。お二人が出会うまでに清次郎殿とて男、それなりに興味はありましょう」
「しかしだな! しかし……!!」
フルフル、フルフル、手が震えてしまう。
今思えば、男を抱くことに関して戸惑いはあっても、肌を重ねることに関しては慣れていたように思う。愛撫も手慣れていた……ような気がする。
何もかもが初めてであった私を優しく抱いてくれたのは、経験があったからか。
何と言うことだ。私を抱く時に微笑むように見つめていた視線も、肌を労るように滑る手も、熱い口付けも! 他の誰かが知っているということか。
私以外の体に、夢中になっていた頃があったのか。
女を愛しいと、思っていた頃があったのか。
彼が愛したのは私だけだと思っていたのに。
涙が盛り上がってくる。
「……ううぅ……私だけの清次郎が……!!」
「ま、まあまあ。気にしなさんなって。今はあんた一筋なんだし」
「しかしだな……!」
*紫藤様。
中から声が掛かる。ふんっとそっぽを向いたところで、清次郎と共にしている体。意味は無かった。
*黙っていたこと、申し訳ありませぬ。言えばきっと、気になさるだろうと思うて言えませなんだ。
*……色香のあるお主を他にも知っておる者が居ようとは……! これほど切ないことはないぞ!
*申し訳ありませぬ。されど……。
馬を操りながら、清次郎はそっと微笑んでいる。美祢が抱き付きながら見上げても、真っ直ぐに向いた視線は外さなかった。
*ほんに男に抱かれた事はありませぬ。故に、俺の初めての相手は…………蘭丸様です。
囁く清次郎の低い声が、頭の中に幾重にも響いていく。
清次郎の初めての相手は私、蘭丸。
初めての相手は、蘭丸。
初めての……。
「……おおおおぉぅぅ……!!」
「な、なんだい!? 急に叫ぶんじゃないよ!」
手綱はしっかりと操りながら、叫ぶ私に美祢が呆れている。
「ふふふふふ……」
「ちょっと、本当に気持ち悪いよ! 何があったのさ?」
「秘密だ! ふふ、そうかそうか、清次郎!」
「……もう、ずるいよ」
美祢に腰を抓られても教えなかった。
そうだ、清次郎を初めて抱くのは私だ。きっと扇情的で、この世の者とは思えないほど色香があるに違いない。
その姿を知っているのは私だけ。
蘭丸と、呼んでもらおう。
必死になってしがみ付く清次郎を優しく、優しく抱こう。
張りのある胸を愛撫し、引き締まった腰を掴み、彼の中へと入っていく。
想像するだけで鼻息が荒くなった。
「待っていよ、清次郎! お主のことはこの紫藤蘭丸がきっと男にしてみせるからな!」
【「……あまり声に出さないで下さいませ」】
「うむ!」
元気良く頷いた私に、美祢がポフポフお腹を叩いてくる。
「清ちゃん、蘭々宥めるの上手いね」
クスクス笑った美祢は、殊更胸を押し付けた。
まあ、良い。今の清次郎は私のものだ。清次郎が女を好いていたのは昔の事。若さ故の興味に惹かれて抱いたのだろう。心底惚れているのはこの私のはずだから。
胸を見ても反応は無かったし、美祢に心変わりすることはないだろう。
恐らくは……。
*清次郎。胸は好きか?
とりあえずの確認は必要だ。清次郎を信じているけれど、どれほど私が美しかろうと、胸は膨らまないから。もしかしたら、膨らんだ胸が好きかもしれないし。
もしそうなら、体内の珠を使って、どうにか膨らませなければ。これからの清次郎にはずっと、私を好きでいてもらいたい。そのための努力は惜しまない。
中で聞けば噴き出している。
*そうですな。硬くしなやかな胸を、一番好いております。
「清次郎……!!」
*声には出さないで下さいませ!
叫びそうになった私を素早く押しとどめた清次郎。ヘラヘラ笑った私に美祢が大きな溜息を零した。
様子を伺っていた松田が笑いながら馬の速度を落としていく。七乃助に並び、共に走っている。
砂埃を上げながら馬を操った私達は、一路江戸城を目指した。
太陽はもう、天高く昇っていた。
応援ありがとうございます!
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