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本編
11.不思議なほどに安心感を覚える主治医
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少しではあるけれど、リリィの記憶が戻ってきた。
そんな知らせは、ルヴェール家に希望をもたらしていた。
デイビッドが父親であること、クリスティーが母親であること、アンドリューが兄であること、後はほんの少しの断片的な記憶だけではあるけれど。
「恐らく、毒が弱まってきたのだろう」
とは、ジュードの言葉だ。
「毒……」
彼曰く、飲まされていたスープにそういった効力がある毒が入っていたらしい。通りであのスープは不味かったわけだ。
排出や分解されて、弱まってきたということらしい。
「直に全てを思い出すさ」
「それなら、いいんですけど……」
自分のことを知っているらしい彼のことも、いずれ思い出すことが出来るのだろうか。
「ところでジュード様、今日もお休みになられなくていいんですか?」
昼下がり、今二人はルヴェール邸の広い庭を歩いていた。
いつもなら、彼が客室で休んでいる間に読書や散歩をしている時間で。時間が経って少しずつ歩けるようになってきたから、自分の足で中庭まで来るようにしていたのだけれど。その頃から、一緒に過ごす相手がシンシアや家族達からジュードへと変わっていた。
「今は公爵様に言われて、夜は自分の屋敷に帰っているから気にするな」
「そう、ですか……」
確かに今は、彼の姿を見る時間が少なくなっている気がする。心配になるくらい毎日のように姿を見かけていたから、安心と言えば安心なのだけれど。ただ少し寂しく感じるのは、そんな時間が減ったからだろうか。
「っ、と……」
考え事をしながら歩いていたら、元々おぼつかない足取りで歩いていたのもあって石畳の隙間で躓いてしまう。
ぐらりと傾く体は、すぐにジュードの腕によって支えられた。
「大丈夫か?」
「あ……」
抱き寄せられるような体勢に、リリィは思わず固まってしまう。
彼はいつも……なんというか、距離が近いのだ。地下室に閉じ込められていた時を思い出してその恐怖からパニックになりかければ、抱き締めて落ち着かせてくれる。今のように転びそうになったら、こうして抱き留めてくれて。
(お医者様って、ここまで世話をするものだっけ……)
完全に思い出したわけではないけれど、そうではないような覚えはある。医師ごとにやり方はあるのかもしれないけれど。
とにかく、ジュードの言動はいちいち心臓に悪い。
「……疲れているか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「無理をするな。少し休もう」
そうして彼は歩き始めた。リリィの肩を抱きながら、だ。
(これは介護……これは介護……これは介護……)
そうしないと、彼女の方が照れて恥ずかしくなってしまう。彼の方は顔色一つ変えないから、こういうことには手慣れているのだろう。
照れてしまうのはやはり、こうした接触が少なかったからだろうか。どうしても、家族以外に丁寧に接せられた記憶がない……失っているだけかもしれないけれど……から、免疫というものがない。
「ここに座れ」
東屋まで連れていかれ椅子に座らせられたところでようやく体が離れ、リリィはほっと息を吐いた。
「やはり疲れていたんじゃないか」
「……そうかもしれません」
今のひと息はそういう意味ではないけれど、そういうことにしてしまおう。
わざとジュードから視線を外し、庭の方へと向けた。丁寧に手入れがされた庭には、たくさんの花が咲いている。
自分が発見されここに帰ってこられたのが冬の終わり頃だったと知ったのは、四ヶ月経って春真っ只中なこの景色を見てからだ。ベッドに寝たきりだったから、全くと言っていいくらいにはわからなかった。この地方は雪が降らないからだろうか。
「お前の記憶についてだが」
庭を眺めながら気持ちを落ち着けていれば、やがてジュードが口を開いた。
「定期的に毒を飲まされていた影響で、恐らくあの屋敷での記憶も消えているだろう」
「確かに……あの家族の名前も、全く覚えていないですね……」
今思えば、どうして気が付かなかったんだろう。彼らの名前は、よくあの男が名前を呼んでいた娘のジュスティーヌしか覚えていない。
あとは……
───マイン
「ぁ……」
あの彼のことを思い出して、また心臓が嫌な音を立てた。
「……リリィ」
彼女の変化に気付いたのだろう。ジュードは間髪入れずに声をかけ、そっと抱き締めた。
「大丈夫だ」
「じゅう、ど、さま……」
嗚呼、やっぱり。彼の声を聞いて、彼の手に頭を撫でられて、彼の心音を聞いて……そうすれば、だんだんと恐怖が和らいでくる。
「俺の声だけを聞いていろ。辛い記憶の中の声には、耳を傾けるな」
その優しい声は、あの彼の声を聞こうとする耳を塞いでくれるのだ。そして、自分の首に伸びてこようとするあの冷たい手を払い除けてくれる。
トラウマからくるその発作がおさまるのに、そう長い時間はかからなかった。
発作がおさまっても、ジュードの体が離れていくことはない。またリリィも、彼の体から逃れようとはしなかった。
「毒が抜ければ、リリィの記憶と共に〝マイン〟と呼ばれていた時期の記憶も蘇ってくるだろう」
「ああ、それは……」
嫌だな。出来れば、思い出したくはない。きっとろくでもない記憶ばかりだ。
「辛くなったら、いつでも俺を頼ればいい。絶対に助けてやる」
「……絶対、ですよ?」
どうしてだろうか。彼の言葉には、絶対的な信頼感や安心感があった。やっぱり、その理由はわからない。記憶が戻れば、どうしてだかわかるだろうか。彼のことも思い出せるだろうか。
これから思い出してしまうであろう恐怖から逃れたくて、リリィはジュードの服を握った。その手に添えられた彼の手は、やっぱり温かい。
~*~*~*~
どこそこの侯爵子息が婚約者と喧嘩したらしい。
一方で、あの男爵子息は相変わらず婚約者との惚気がうるさい。
別のところでは、浮気が原因で子爵子息の婚約が破棄されたらしい。
貴族の男達の間でも、そんなスキャンダルの話題が耐えない。
彼の行く舞踏会でも必ずそんな話題が出た。
うんざりしていたけれど、最近彼にもそんな会話に混ざる話題が出来てしまったのだ。
「僕もね、四ヶ月前、婚約者に逃げられてしまったんだよ」
あの男爵が王国の警察隊に捕まってから四ヶ月。混乱に乗じて彼女を連れ出せないかとは思ったけれど、思った以上に早く彼らは屋敷を捜査し始めてしまって。おかげで彼女は、どこかに連れ去られてしまったのだ。
……いや、彼女の居場所はとうにわかっている。
───八年間行方不明だったルヴェール家の宝石令嬢が、悪徳男爵の屋敷で発見された。
今の社交界はそのこととその後の展開についての話題で、定期的に持ち切りとなるのだ。
(〝リリィ〟だなんて、ふざけた名前で彼女を呼ばないでもらおうか……)
舞踏会が終わり家に帰った彼は、部屋の引き出しに大切にしまっておいた袋を取り出す。開ければ、大量の宝石が窓から差し込む月明かりでキラキラと輝いていた。
傷が付いていたり、欠けていたり、色がくすんでいたり……どれも美しい。しかし、彼女自身の美しさに比べればまだまだだろう。
「マイン……絶対、そこから連れ出してあげるからね」
絶対に連れ戻して、今度こそ自分のものにして、誰にも奪われないように閉じ込めて……
「ああ、マイン。君は、僕のものだ」
彼は恍惚な表情をしながら、彼女が流した宝石達を抱き締めた。
そんな知らせは、ルヴェール家に希望をもたらしていた。
デイビッドが父親であること、クリスティーが母親であること、アンドリューが兄であること、後はほんの少しの断片的な記憶だけではあるけれど。
「恐らく、毒が弱まってきたのだろう」
とは、ジュードの言葉だ。
「毒……」
彼曰く、飲まされていたスープにそういった効力がある毒が入っていたらしい。通りであのスープは不味かったわけだ。
排出や分解されて、弱まってきたということらしい。
「直に全てを思い出すさ」
「それなら、いいんですけど……」
自分のことを知っているらしい彼のことも、いずれ思い出すことが出来るのだろうか。
「ところでジュード様、今日もお休みになられなくていいんですか?」
昼下がり、今二人はルヴェール邸の広い庭を歩いていた。
いつもなら、彼が客室で休んでいる間に読書や散歩をしている時間で。時間が経って少しずつ歩けるようになってきたから、自分の足で中庭まで来るようにしていたのだけれど。その頃から、一緒に過ごす相手がシンシアや家族達からジュードへと変わっていた。
「今は公爵様に言われて、夜は自分の屋敷に帰っているから気にするな」
「そう、ですか……」
確かに今は、彼の姿を見る時間が少なくなっている気がする。心配になるくらい毎日のように姿を見かけていたから、安心と言えば安心なのだけれど。ただ少し寂しく感じるのは、そんな時間が減ったからだろうか。
「っ、と……」
考え事をしながら歩いていたら、元々おぼつかない足取りで歩いていたのもあって石畳の隙間で躓いてしまう。
ぐらりと傾く体は、すぐにジュードの腕によって支えられた。
「大丈夫か?」
「あ……」
抱き寄せられるような体勢に、リリィは思わず固まってしまう。
彼はいつも……なんというか、距離が近いのだ。地下室に閉じ込められていた時を思い出してその恐怖からパニックになりかければ、抱き締めて落ち着かせてくれる。今のように転びそうになったら、こうして抱き留めてくれて。
(お医者様って、ここまで世話をするものだっけ……)
完全に思い出したわけではないけれど、そうではないような覚えはある。医師ごとにやり方はあるのかもしれないけれど。
とにかく、ジュードの言動はいちいち心臓に悪い。
「……疲れているか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「無理をするな。少し休もう」
そうして彼は歩き始めた。リリィの肩を抱きながら、だ。
(これは介護……これは介護……これは介護……)
そうしないと、彼女の方が照れて恥ずかしくなってしまう。彼の方は顔色一つ変えないから、こういうことには手慣れているのだろう。
照れてしまうのはやはり、こうした接触が少なかったからだろうか。どうしても、家族以外に丁寧に接せられた記憶がない……失っているだけかもしれないけれど……から、免疫というものがない。
「ここに座れ」
東屋まで連れていかれ椅子に座らせられたところでようやく体が離れ、リリィはほっと息を吐いた。
「やはり疲れていたんじゃないか」
「……そうかもしれません」
今のひと息はそういう意味ではないけれど、そういうことにしてしまおう。
わざとジュードから視線を外し、庭の方へと向けた。丁寧に手入れがされた庭には、たくさんの花が咲いている。
自分が発見されここに帰ってこられたのが冬の終わり頃だったと知ったのは、四ヶ月経って春真っ只中なこの景色を見てからだ。ベッドに寝たきりだったから、全くと言っていいくらいにはわからなかった。この地方は雪が降らないからだろうか。
「お前の記憶についてだが」
庭を眺めながら気持ちを落ち着けていれば、やがてジュードが口を開いた。
「定期的に毒を飲まされていた影響で、恐らくあの屋敷での記憶も消えているだろう」
「確かに……あの家族の名前も、全く覚えていないですね……」
今思えば、どうして気が付かなかったんだろう。彼らの名前は、よくあの男が名前を呼んでいた娘のジュスティーヌしか覚えていない。
あとは……
───マイン
「ぁ……」
あの彼のことを思い出して、また心臓が嫌な音を立てた。
「……リリィ」
彼女の変化に気付いたのだろう。ジュードは間髪入れずに声をかけ、そっと抱き締めた。
「大丈夫だ」
「じゅう、ど、さま……」
嗚呼、やっぱり。彼の声を聞いて、彼の手に頭を撫でられて、彼の心音を聞いて……そうすれば、だんだんと恐怖が和らいでくる。
「俺の声だけを聞いていろ。辛い記憶の中の声には、耳を傾けるな」
その優しい声は、あの彼の声を聞こうとする耳を塞いでくれるのだ。そして、自分の首に伸びてこようとするあの冷たい手を払い除けてくれる。
トラウマからくるその発作がおさまるのに、そう長い時間はかからなかった。
発作がおさまっても、ジュードの体が離れていくことはない。またリリィも、彼の体から逃れようとはしなかった。
「毒が抜ければ、リリィの記憶と共に〝マイン〟と呼ばれていた時期の記憶も蘇ってくるだろう」
「ああ、それは……」
嫌だな。出来れば、思い出したくはない。きっとろくでもない記憶ばかりだ。
「辛くなったら、いつでも俺を頼ればいい。絶対に助けてやる」
「……絶対、ですよ?」
どうしてだろうか。彼の言葉には、絶対的な信頼感や安心感があった。やっぱり、その理由はわからない。記憶が戻れば、どうしてだかわかるだろうか。彼のことも思い出せるだろうか。
これから思い出してしまうであろう恐怖から逃れたくて、リリィはジュードの服を握った。その手に添えられた彼の手は、やっぱり温かい。
~*~*~*~
どこそこの侯爵子息が婚約者と喧嘩したらしい。
一方で、あの男爵子息は相変わらず婚約者との惚気がうるさい。
別のところでは、浮気が原因で子爵子息の婚約が破棄されたらしい。
貴族の男達の間でも、そんなスキャンダルの話題が耐えない。
彼の行く舞踏会でも必ずそんな話題が出た。
うんざりしていたけれど、最近彼にもそんな会話に混ざる話題が出来てしまったのだ。
「僕もね、四ヶ月前、婚約者に逃げられてしまったんだよ」
あの男爵が王国の警察隊に捕まってから四ヶ月。混乱に乗じて彼女を連れ出せないかとは思ったけれど、思った以上に早く彼らは屋敷を捜査し始めてしまって。おかげで彼女は、どこかに連れ去られてしまったのだ。
……いや、彼女の居場所はとうにわかっている。
───八年間行方不明だったルヴェール家の宝石令嬢が、悪徳男爵の屋敷で発見された。
今の社交界はそのこととその後の展開についての話題で、定期的に持ち切りとなるのだ。
(〝リリィ〟だなんて、ふざけた名前で彼女を呼ばないでもらおうか……)
舞踏会が終わり家に帰った彼は、部屋の引き出しに大切にしまっておいた袋を取り出す。開ければ、大量の宝石が窓から差し込む月明かりでキラキラと輝いていた。
傷が付いていたり、欠けていたり、色がくすんでいたり……どれも美しい。しかし、彼女自身の美しさに比べればまだまだだろう。
「マイン……絶対、そこから連れ出してあげるからね」
絶対に連れ戻して、今度こそ自分のものにして、誰にも奪われないように閉じ込めて……
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