【完結】虐げられてきた白百合が、その一途な溺愛に気付くまで

五蕾 明日花

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本編

19.離れてほしくないと思える主治医

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 「出来損ない」

 そんな罵詈雑言と共に振るわれる鞭や箒や色々なもの。
 彼らは零れ落ちていく宝石に夢中で、傷付き床に倒れ伏す彼女に手を差し伸べる者なんていない。それどころか、向けられるのは蔑みや嘲笑で。

 「こんな形で役に立たせる場を設けてやっているんだ、むしろ感謝してほしいね」

 なんて、傷付き涙を流す彼女に向けて吐き捨てる。
 そんな恐怖や痛みや苦痛を与えられる暗い暗い地下室。そんな中でも、特に彼は常軌を逸していた。


 「可愛い」
 「綺麗だよ」
 「愛しているんだ、マイン」


 そんな、他の人間達に向けられるものとは違う甘い言葉。しかしその手から与えられるものは、ある意味では一番の苦しみだったか。
 細い指が彼女の首を締め付けた。それに伴って感じる苦しさも、首を締め付ける指の強さや太さも、彼が成長するにつれて大きく強く太くなる。

 「マイン」

 その日も。組み敷かれた彼女の首に、彼のその手が……


 ~*~*~*~


 「リリィ」
 「ッ、は……ぁ……」

 目を閉じて終わらない苦しさに怯えていれば、耳元から優しく名前を呼ばれる。目を開ければ、そこにはジュードがいて。

 「たす、け……」

 上手く息が出来ない苦しさに手を伸ばせば、その手が強く握られた。

 「大丈夫だ」

 背中を彼の手が撫でる。優しさと温かさに包まれ、少しずつ呼吸は正常なものへと導かれて。それと同時に首を締め付ける手の感覚も、段々と薄れて消えていく。

 「落ち着いたか?」
 「……ごめんなさい、いつも」

 ジュスティーヌに襲われたあの日から、リリィの体調はまた不安定になっていて。再び、ジュードのつきっきりの看病を受けるまでとなってしまっていた。

 思い出す記憶も、ルヴェール家で過ごした幼少期の記憶から、あの地下室で過ごした八年間の記憶ばかりとなっていて。
 今だってまた悪夢にうなされて、ジュードの腕の中で守ってもらっていたらしい。部屋の中も窓の外もまだ暗く、朝日が昇るのはだいぶん先の時間帯のようで。

 「謝るな。お前が悪いわけじゃない」

 どんな時だってそう言ってくれる彼の優しさに縋って、その服をぎゅうと握る。そうすれば優しく抱き寄せられて、耳元でとくとくと彼の心音が聞こえた。

 甘えてしまうのだ。こうしてもらえば、恐怖心が薄れ安心するから。
 ジュードの手が、リリィの膝やシーツに散らばる涙の宝石を拾い上げてベッドサイドチェストの上へと置く。


───高値は付きませんよ、それ……


 少し前、同じことをした彼にそう言ったことがある。彼に利用されるならそれでも……なんてそんな気持ちで言ったのだけれど。


───馬鹿を言え。


 彼は珍しく、リリィに僅かな怒りを向けながらそう言った。驚きで固まるリリィを見て我に返ったジュードは、その表情を幾分か和らげて。


───そのままだと眠りづらいだろう?


 硬い宝石がベッドに散らばったままでは、寝られるものも寝られないだろう。
 そうして綺麗に整えたベッドにリリィの体を戻すのが、悪夢にうなされているここ最近のルーティンだった。

 「眠れそうか……?」
 「……どうでしょう」

 今夜も彼の手から離れベッドに戻される。
 目を閉じれば、またあの八年の悪夢が自分に襲ってくるような気がして。
 不安の色を滲ませたリリィの頬をジュードの手が撫でる。

 「少し空けろ」
 「……ん」

 彼に言われベッドの端へ寄った。
 大きなベッドの、一人分空いたスペース。そこにジュードが体を滑り込ませてくる。リリィはそんな彼の体に身を寄せて。

 最近はいつもそうだ。提案したのはジュードの方で。彼がそこまでする必要はないなんて思いながらも、弱ってしまった心にその優しさは嬉しかった。

 「ジュード様……」
 「何も気にするな、眠れ。もう何も怖いことは起こらないから」

 やっぱり彼は優し過ぎると思う。ただの主治医と患者の関係でしかない自分に、彼がここまでする必要はない。それは、八年間地下室に閉じ込められていたがために外の世界を知らないリリィにもわかることで。

 でも今は、その優しさに身を寄せたかった。
 その腕の中ですがり服を握れば、ジュードは何も言わずに抱き締めてくれる。それでまた、安心感が広がって。リリィの瞼は、また自然と下がっていく。


 ~*~*~*~


 ただでさえ普段から人が多いマルシェは、豊穣祭に伴って出店されていた特別な露店や普段はいない貴族や平民達によってごった返していた。
 屋敷の中で過ごしているリリィにとって、その人混みは無駄に体力を消耗させるものでしかなくて。

 「ここで休もう」

 彼に手を引かれ、人のあまりいない公園のベンチで座って休む。頭に響いていた喧騒が少し遠くなり、気分も楽になっていって。

 「ちょっとはしゃぎ過ぎたかも」

 ほとんど屋敷から出ないで過ごしていた分体力もあまりない。そのクセ目に見えるもの全てが新鮮だから、そんな体力の少なさも忘れてついつい色々なものに魅入ってしまう。

 「そんなことだろうと思った」

 呆れながら笑う彼の肩に、そっと肩をもたげて。

 「馬車に戻るか?」
 「……ううん。まだもう少しここにいる」

 せっかく二人で外出する機会を手に入れたのだ。もう少しだけこうして一緒にいたい、なんて。
 そう暗に伝えて手を握ったリリィを、彼は拒絶しなかった。

 「仕方ないな」

 そう言って、呆れたように笑いながらも手を握り返してくれて。
 嬉しくて恥ずかしくて照れくさい……そんな時間を過ごしていた時だ。にわかに、群衆の方がざわめく。豊穣祭を楽しんでいるのとはまた違う、戸惑いやら驚きやらに染まった声で。

 「何かあったのかな」
 「……らしいな」

 二人の声も、その声達に引っ張られて固くなる。
 耳をそばだてていれば、ノイズでしかなかった喧騒を作り上げる声の、そのひとつひとつが鮮明に聞こえるようになって。「人が倒れたぞ!」とか、「誰か医者はいないか!」とか、そんな声がざわめく声の中で聞こえてきた。

 「あ……」

 彼もそれを聞き取ったのだろう。その手が緩んで。

 「行ってきなよ」

 だからリリィは、彼にそう言った。

 「しかし……」

 一瞬彼の目が泳ぐ。何が理由で迷っているのかすぐにわかったから、リリィは手を離してその背中を押した。

 「少しくらい一人で待てるから、行って。必要とされてる時に行かないなんて、お医者さんのタマゴ失格だよ」

 自分と誰かの命を天秤にかけられた時、自分の方に傾けてほしくはなかったのだ。

 「……わかった、行ってくる。ここで待っていてくれ」
 「うん。行ってらっしゃい」

 齢十歳ではあるけれど、立派な医者の顔へと変わった彼の背中を見送る。
 彼ならきっと大丈夫だと思えるのは、一度彼に命を救ってもらったことがあるからだろうか。彼ならきっと、将来立派な医者になるだろう。

 彼の背中が消えていった群衆の方をボーッと見つめ、その帰りを待つ。信頼してはいるものの、やっぱり帰ってくるのが遅いと心配になるもので。
 倒れたらしい人は大丈夫かな、とか。彼は上手く出来ているかな、とか。そんなことを思いながらハラハラと群衆の方を見つめて。

 そんなリリィに向かって歩いてくる足音が一つ、その耳に聞こえた。

 (誰だろう)

 静かな場所とはいえ全く人がいないわけではない。勘違いかとも思ったけれど、しかしその足音は確実にリリィの方へと向かっていた。耳をそばだてながら近付いてくる人物の動向を探って。その足音が、自分の座っているベンチのすぐ近くで止まった。

 「ルヴェール公爵家の、リリィお嬢様でございますか?」

 聞こえてきたのは男の声だった。
 その質問に素直に答えてはいけないと、本能的にそう思って。

 「……ううん、違うよ? おじさん、だぁれ?」

 年相応で無邪気な少女を装ってそう答える。
 ランタンのない暗い中、ベール付きの帽子を被っているから向こうからは鮮明に顔が見えないはずだ。何とか誤魔化せるかもしれないと思ったけれど、男のケラケラとした下品な笑い声が聞こえて。

 「依頼主が御所望なんだ。悪いが来てもらおう」

 どうやら向こうは最初からわかっていて声をかけていたらしい。
 こちらに一歩踏み出した男の足音が聞こえ、リリィはベンチを飛び降りて走り出す。

 (逃げなきゃ……!)

 人混みの中に紛れ込めば上手く逃げられるだろうか。そう思って走るものの、十歳の子供の足が大の大人の足に敵うわけがない。後ろから太い腕が伸びてきて掴み上げられる。

 「離して……!」
 「おっと。暴れんなよ、じょーちゃん」
 「イヤ! 離してよ!」

 どれだけもがこうと逃れるわけがなくて。助けを求める声も、喧騒の中に消えてしまう。

 「助けて、ジ───」

 それでも彼の名前を呼ぼうとして、そんなリリィの声を遮るように口が布で覆われた。いきなりのことで息を止めることも出来ず、甘い香りの何かを思い切り吸い込んでしまって。

 「ん……ぅッ……」

 頭がジンと痺れ、抵抗することすら出来ないほどに体が動かなくなっていく。やがて視界がぼやけて、嫌に喧騒が遠く聞こえた。





 「リリィッ!!」

 遠くで自分を呼ぶ彼の声が聞こえて、重い瞼を開ける。
 はっきりしない視界の中で、しかし彼の姿だけは鮮明にわかって。

 『たすけて』

 声は出ずとも、辛うじてそう唇は動かせた。

 「おい、あのガキはどうするんだ」
 「気にすんな。どうせ馬には追い付けっこねぇよ」

 すぐ近くで誰かの話す声が聞こえる。自分が今どこにいるかわからないけれど、この後起こるのは自分にとってよくないことなのはわかる。

 焦る心とは裏腹に、体は全くと言っていいほど動いてはくれない。そんなリリィの目の前が、ばさりと、カーテンがかかったように暗くなって。馬の嘶きが聞こえた途端、ガタガタと辺りが揺れだした。

 「リリィ!!」

 彼の声が、だんだんと遠くになっていくのが聞こえて。

 (イヤ、だ……)

 また意識が遠くなっていく。
 そこから先にある記憶は、あの暗い地下室での記憶だけだった。
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