【完結】虐げられてきた白百合が、その一途な溺愛に気付くまで

五蕾 明日花

文字の大きさ
20 / 50
本編

20.主治医から見る、白百合の誘拐事件

しおりを挟む
 倒れた、と騒がれていた人の介抱はそう難しいことではなかった。
 人酔いと、それが引き金となった過呼吸を起こした女性。静かな場所に移動させて落ち着かせていれば、すぐにその症状は落ち着いて。しばらく休めばもう大丈夫だと判断したジュードは、御礼の挨拶も簡単に受け流してその場から駆け出した。一人残してきたリリィが心配だったからだ。

 人混みを掻き分けながら、半ば走るようにリリィが待つ場所へ急いで。しかしそこに、彼女の姿はなかった。

 「リリィ……?」

 自分が場所を間違えたのかと思ったけれど、見回していた物陰に彼女が被っていたベール付きの帽子が落ちているのに気が付いて。

 「なんで……」

 自分が帰ってくるのを待たず、彼女自らの意思でどこかへ行ってしまったのだろうか? 帽子が落ちたことにも気付かず?
 そんなの有り得ない、なんてジュードが一番よく知っているじゃないか。全身から血の気が引き、背筋がスッと冷たくなっていく。

 「リリィッ! どこだ!」

 彼女の名前を叫びながら、ジュードは駆け出した。
 マルシェの方? いや、違う。仮に誘拐だったとして、子供一人を連れていれば目立つはずだ。それに何より、ジュードが気付かないわけがないのだ。

 マルシェとは反対側、人気のない方へと走る。少しの手掛かりも見逃さないよう、注意深く辺りを見回して。
 ……すると、見付けた。
 人気のない道の端に停まっている、一台の荷馬車。そこに、ぐったりと動かないリリィが身も知らぬ男達によって乗せられようとしているのを。

 「リリィ!!」

 叫び、名前を呼ぶ。けれど彼女が反応を示すような様子もなく、また男達が気にする様子もなかった。
 無情にも、リリィを乗せた馬は走り出してしまう。

 「待てッ!」

 そう叫んだところで、馬車が止まる様子はない。

 「リリィッ!!」

 遠くへ行ってしまう馬車を走って追いかけるけれど、人の足が馬の足に敵うわけがない。馬車はどんどんと遠くへ行ってしまう。
 ふと、リリィが僅かに動いた気がした。うっすらとその瞼が開いたように見えるのは、決して気のせいではない。

 『たすけて』

 声は聞こえない。でも確かに彼女のその唇は、そう動いた。それは間違いなく、ジュードに対してのSOSで。
 焦る気持ちとは裏腹に、馬車との距離はどんどんと開いていってしまう。
 二人を切り裂くように、荷馬車に幕が下ろされてしまって。

 「リリィ!!」

 諦めたら、一生彼女に逢えなくなってしまうような気がする。だから一生懸命走り続けて。
 しかし、高い嘶きがひとつ聞こえた途端馬車は物凄いスピードで走り去って、目の前から消えてしまった。
 その時の絶望は、今でも忘れられない。





 あれから長い月日が経ったのに、今でも鮮明に覚えている。

 「ぅ……あ……」

 そんな出来事をうとうととした意識の中で夢に見ていれば、腕の中から苦しそうな声が聞こえて目を覚ました。

 「……リリィ?」

 ジュードの声に、リリィが答えることはない。悪夢にうなされている声のようで、起きたわけではないようだ。

 「た、す……け……」

 苦しそうに助けを求めている寝言に、ジュードは唇を噛み締めた。

 「大丈夫だ……ここにいる……」

 抱き締めて、夢の中でさえ安らげる場がない彼女に言い聞かせる。

 「すまなかった……俺が、無力だったから……」

 あの時馬車に追いついていれば。そもそも、あの時彼女を一人にしなければ。長い間怖く苦しい思いもさせず、傷付いたりもしなかっただろうに。

 「強くなったんだ、俺だって……俺はそのために、ここまで這い上がってきた」

 もう二度と、彼女を傷付けさせないために。
 次は自分の手で彼女を守れるように。


~*~*~*~


 「知ってるかい、坊っちゃん? 例の男爵令嬢の尋問、中々に凄いらしくてさァ。何せルヴェール家の御子息殿の逆鱗に触れちまったらしくて、それはもう酷いこと酷いこと」

 あれから三週間程経って、リリィの精神状態も安定し始めた頃だ。
所用があり自分の屋敷に戻った頃合を見計らい話しかけてきたライマーが、何が面白いのかそんな話題を悪趣味な笑顔で振ってきた。

 「……俺は、そんなことを探ってくれと言った覚えはない」

 彼に命じたのは、リリィに害をなそうとしている存在の調査だったはずだ。
 ジュードはライマーを冷たく睨み付けたけれど、彼はケラケラと笑うばかりで動じている様子も、怯んでいる様子もない。

 「まァまァ、話を最後まで聞いてくださいよ」

 ニヤニヤと可笑しさを隠し切れていないその笑顔は、やはり悪趣味だ。

 「今はもう舌を抜かれちまって喋れねェんだが、まだ騒ぎ立てられてた時に興味深いことを言っていたんだと」

 この男は、その笑顔が似合う程にはいい性格をしている。それは雇い主であるジュード相手にもそうだ。更にタチの悪いことに、その笑顔をする時は大抵ジュードにとって有益な情報を掴んだ時で。

 「……で?」

 それがわかっているから、ジュードも冷たく見据えるだけでその先を促す。まあ、不機嫌さは隠せていないのだけれど。

 「〝どうして皆、私ではなくあの出来損ないにばかり気にかけるの? ルヴェール公爵家も、あのお方も〟って、とある伯爵家子息の名前を言っていたらしい」
 「伯爵家子息……?」
 「そうそう。そんでさァ、社交界でもうひとつ妙なことを言っている男がいるらしいって話を聞いたんですよ」

 ライマーは、立てた人差し指の指先をクルクルと回しながら楽しそうに口を開いた。

 「奪われた婚約者を取り戻そうとしてるって周りに吹聴してる、伯爵家子息の話。坊っちゃんも聞きたいでしょ?」
 「……床に額でも擦り付けて教えてくれと頼み込んだら、それで満足か?」
 「それもそれで面白そうだが、後でとんでもない目に遭わされそうだ」

 ハハハッと、何が面白いのかわからないけれど愉快そうに笑う。

 「アルバート・フォークナー……坊ちゃん、その名前を御存知?」

 ライマーが口にしたその名前には、ジュードには覚えがあった。
 リリィがまだ見付かる前、舞踏会やらパーティやらに参加した際、ことある毎に話しかけてきた男だ。


───まだ、リリィ・ルヴェール様は見付かっていないそうで、なんと言ったらいいか……
───無事見付かることを祈っているよ。


 そんなことを過去に言われた覚えがある。それは丁度、リリィが連れ去られてから一年が経とうとしていた時のパーティだったか。こちらを慰めるような口調でいて、しかしその言葉の裏に何かしらの意味が隠されているのは、まだ子供で未熟者なジュードでも何かしら気付いてはいたけれど。

 「アルバート・フォークナーがあの男爵家と繋がりがあったのは間違いねェってさ。時々あの男爵家の屋敷の裏に、地味だが立派な馬車が停まってた目撃だってある。それにねェ、着々と捕らえられてる使用人達の一部から名前が上がってるって話もありやがる」
 「……そうか」

 ライマーがそういうのならそうなのだろう。彼自身は信用ならないけれど、彼の掴んできた情報には信頼出来るだけの経験はしてきた。

 「アルバート・フォークナーについて探れ。リリィ誘拐に関わっている確かな証拠を持ってこい」

 その情報が確かなら、これについてだって何かしらの成果をあげてくるはずだ。

 「はいよ」

 まだ確証はないことについての、ほぼ無謀とも取れる指示にだってライマーは余裕綽々と頷く。それだけの自信があるらしい。

 「にしてもだね、坊っちゃん。本当にアルバート・フォークナーが関与していたとしたら、アンタはあの男をどうする気です?」

 ケケケ、と悪趣味な笑いを浮かべながら彼はそう目を細めた。

 「……それをお前が知ってどうする?」
 「なァに、ちょっとした興味本位の質問ですよ。このままだとオレァ、暗殺の指示を貰うことになりそうですからねェ」

 ここにいるのがジュードでなければ、この男は無礼者として何かしらの処罰を受けていたことだろう。
 ジュードはニタニタと笑うライマーを一瞥し、ふっ、と大きな息を吐く。

 「その心配には及ばない。簡単に殺してしまっては、自分が犯した事の重大さに気付くことすら出来ないだろうからな」
 「おおっと、こりゃ失礼致しました」

 微塵も申し訳なさそうに思っていないであろう謝罪の後で、彼はより一層趣味の悪い笑顔をジュードへと向けた。

 「ルヴェール公爵家の人間でもないのにそこまで躍起になんのは、リリィ・ルヴェール嬢を助けられなかったことへの罪滅ぼしですかい? それとも───」


───愛する婚約者、リリィ・ルヴェール嬢のため……とか?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

婚約破棄歴八年、すっかり飲んだくれになった私をシスコン義弟が宰相に成り上がって迎えにきた

鳥羽ミワ
恋愛
ロゼ=ローラン、二十四歳。十六歳の頃に最初の婚約が破棄されて以来、数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいの婚約破棄を経験している。 幸い両親であるローラン伯爵夫妻はありあまる愛情でロゼを受け入れてくれているし、お酒はおいしいけれど、このままではかわいい義弟のエドガーの婚姻に支障が出てしまうかもしれない。彼はもう二十を過ぎているのに、いまだ縁談のひとつも来ていないのだ。 焦ったロゼはどこでもいいから嫁ごうとするものの、行く先々にエドガーが現れる。 このままでは義弟が姉離れできないと強い危機感を覚えるロゼに、男として迫るエドガー。気づかないロゼ。構わず迫るエドガー。 エドガーはありとあらゆるギリギリ世間の許容範囲(の外)の方法で外堀を埋めていく。 「パーティーのパートナーは俺だけだよ。俺以外の男の手を取るなんて許さない」 「お茶会に行くんだったら、ロゼはこのドレスを着てね。古いのは全部処分しておいたから」 「アクセサリー選びは任せて。俺の瞳の色だけで綺麗に飾ってあげるし、もちろん俺のネクタイもロゼの瞳の色だよ」 ちょっと抜けてる真面目酒カス令嬢が、シスコン義弟に溺愛される話。 ※この話はカクヨム様、アルファポリス様、エブリスタ様にも掲載されています。 ※レーティングをつけるほどではないと判断しましたが、作中性的ないやがらせ、暴行の描写、ないしはそれらを想起させる描写があります。

婚約破棄された公爵令嬢マレーネは、音楽会で出会った聖女様とそっくりさんだった。え?私たち双子なの。だから、入れ替わってまだ見ぬ母に会いに行く

山田 バルス
恋愛
 ベルサイユ学院の卒業式。煌びやかなシャンデリアが吊るされた大広間に、王都中から集まった貴族の若者たちが並んでいた。  その中央で、思いもよらぬ宣告が響き渡った。 「公爵令嬢マレーネ=シュタイン! 今日をもって、君との婚約を破棄する!」  声の主は侯爵家の三男、ルドルフ=フォン=グランデル。茶色の髪をきれいに整え、堂々とした表情で言い放った。場内がざわつく。誰もが驚きを隠せなかった。  婚約破棄。しかも公爵家令嬢に対して、式典の場で。 「……は?」  マレーネは澄んだ青い瞳を瞬かせた。腰まで流れる金髪が揺れる。十五歳、誰もが憧れる学院一の美少女。その彼女の唇が、震えることなく開かれた。 「理由を、聞かせてもらえるかしら」  ルドルフは胸を張って答えた。 「君が、男爵令嬢アーガリーをいじめたからだ!」  場にいた生徒たちが、一斉にアーガリーのほうを見た。桃色の髪を揺らし、潤んだ瞳を伏せる小柄な少女。両手を胸の前で組み、か弱いふりをしている。 「ルドルフ様……わたくし、耐えられなくて……」  その姿に、マレーネはふっと鼻で笑った。 「ふざけないで」  場の空気が一瞬で変わった。マレーネの声は、冷たく、鋭かった。 「私がいじめた? そんな事実はないわ。ただ、この女がぶりっ子して、あなたたちの前で涙を浮かべているだけでしょう」  アーガリーの顔から血の気が引く。だが、ルドルフは必死に彼女を庇った。 「嘘をつくな! 彼女は泣きながら訴えていたんだ! 君が陰で冷たく突き放したと!」 「突き放した? そうね、無意味にまとわりつかれるのは迷惑だったわ。だから一度距離を置いただけ。あれを“いじめ”と呼ぶのなら、この場の誰もが罪人になるんじゃなくて?」 会場に小さな笑いが起きた。何人かの生徒はうなずいている。アーガリーが日頃から小芝居が多いのは、皆も知っていたのだ。  ルドルフの顔に焦りが浮かぶ。しかし、彼は引き下がらない。 「と、とにかく! 君の性格の悪さは明らかだ! そんな女とは婚約を続けられない!」 「……そう」 マレーネの笑顔がふっと消え、青い瞳が鋭く光った。その瞬間、周囲の空気がピリピリと震える。  彼女の体から、圧倒的な魔力があふれ出したのだ。 「な、なに……っ」  ルドルフとアーガリーが同時に後ずさる。床がビリビリと振動し、会場の壁が一部、音を立てて崩れ落ちた。魔力の衝撃にシャンデリアが揺れ、悲鳴が飛び交う。    

処理中です...