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余談2.人間不信の兄が、妹離れを決意するまで
1.兄から見る、守るべき妹
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妹と初めて会った時のことは、今でもよく覚えている。
「ほらアンドリュー、私達の新しい家族だ。挨拶してあげて」
五歳の頃、デイビッドに連れられて入ったクリスティーの部屋。彼女の腕に抱かれていたその小さな存在に、アンドリューは心を踊らせた。
「貴方の妹よ。名前は、リリィ」
「リリィ……」
産まれたばかりの妹は、目を輝かせて覗き込んでくる兄を不思議そうに見上げていて。きょとんとした表情で小首を傾げているその仕草が微笑ましく思えた。
「僕はアンドリュー。君のお兄ちゃんだよ。よろしくね、リリィ」
手を差し出せば、不思議そうに首を傾げた彼女の小さな手が人差し指を握る。そんな仕草さえ、愛らしく思えた。
その日の夕方だったか。リリィが、特異体質を持っていると聞かされたのは。
「流す涙が宝石へと変わってしまうそうなんだ」
そう説明するデイビッドの手には、ころころとした小さな宝石が数粒乗っていて。それが転がる度、光を反射してキラキラと輝いていた。
「きれい……」
今思い返せば、そんな呟きに彼が安堵したような表情をしていて。きっと、アンドリューがリリィの特異体質を拒絶してしまうかもしれないと、そんな心配をしていたのだろう。そんなこと、するわけがないのに。
「将来この体質を理由に、この子を蔑む者や利用しようとする者が出てくるかもしれない。その時は私達が守ってあげなければ。協力してくれるかな、アンドリュー」
「もちろんです、父上」
アンドリューは、そんなデイビッドの言葉に迷いなく頷いた。
でも。そんなことは起こり得ないと思っていたのだ、アンドリューは。だってリリィは、屋敷中の誰からも愛されていたから。まだ屋敷の中が自分の世界の全てだった彼は、そう信じて疑わなかった。
それに、リリィが虐げられてしまう理由を見付けることが出来なかったのだ。
成長していくにつれ、愛らしさの中に両親に似た美しさも垣間見えてきて。天真爛漫で心優しい妹が、どうして他人からマイナスな感情を向けられるのだろう。アンドリューは、本気でそう思っていた。
自分や家族や屋敷の人間達が彼女を愛しているように、他の人もきっと彼女を愛するだろうと。そう、信じて疑わなかった。
だから。リリィが四歳になった頃に二人で招待されて行ったお茶会で、少し目を離した隙に彼女が泣いているのを見付けた時は本当にわけがわからなかった。
「リリィ……!? 一体何が……」
「……おにいさま」
よく見れば綺麗にセットされていた髪が乱れ、ドレスが汚れている。ぽろぽろと零れる涙の宝石は、彼女の心を表すように傷付いていた。
「誰にやられたんだい……?」
「…………」
リリィは何も答えず、ただアンドリューにしがみついて泣くだけで。
そんな彼女の様子に、そして零れる傷だらけの宝石に、その時はただショックを受けるだけで何も出来なかった。
「怖かったね……傍にいられなくてごめんね、リリィ……」
そうやって声をかけながら手を握って。帰りの馬車の中で、泣き続けるリリィを抱き締める手は震えていた。
その後、ルヴェール邸では大きな騒ぎになって。この日以降、お茶会や夜会ではなるべくリリィを一人にしないように誰かが傍にいると、そう決められた。それでもどうしたって傍を離れなければいけないこともあったから、その隙を狙った誰かにリリィは虐められてしまって。その度に泣いていた。
この頃からだ。リリィがあまり笑わなくなってしまったのは。
塞ぎ込むように屋敷に引きこもり、書斎で本ばかり読むようになっていた。
「リリィ、今日はこの本を読んであげるね」
「あ……ありがとうございます、お兄様」
家族や屋敷の人間達には笑顔を向けてくれるだけ、まだ救いがあるだろうか。それでも、その笑顔は以前に比べたら弱々しいもので。
リリィの笑顔を取り戻したくて、アンドリューは幼い頭を働かせた。
「それなら、何かをプレゼントするのはどうかしら?」
そんな提案を受けたのは、悩みに悩んだ末に相談したクリスティーからで。
「でも、何を贈ればいいかわからなくて……」
「そうね……お守り代わりに身に付けられるものがいいと思うわ。例えば、貴方がお茶会や夜会の時ここに付けているブローチ───」
彼女の指先が、アンドリューの左の胸元へと触れる。彼女の言う通りそこにはいつも、ブローチを付けていた。
「あれはね、私とデイビッド様から貴方への贈り物よ。私達が傍にいられない間、代わりに貴方を守ってくれますようにって願いを込めた」
「そう、だったんですね……」
知らず知らずのうちに守られていたのだと知り、心の奥が温かくなる。だからこそリリィにも同じように……なんて、そう思って。
「私達からリリィにはオルゴールを贈ったの。あの子の心の支えになるように。アンドリューも、あの子に何か贈ってみる?」
「はい、そうします。ありがとうございます、母上」
「いいのよ。私も、デイビッド様も、リリィがどうしたら笑顔になってくれるか考えているところだったから……あの子のことを考えてくれてありがとう、アンドリュー」
クリスティーの手が、優しくアンドリューの頭を撫でる。
両親がリリィのために色々奔走しているのは知っていた。リリィは自分を虐めてくる子供達の名前や家名を覚えていないけれど、その特徴は覚えているから、ルヴェール家が主催するお茶会等に関しては該当の子息令嬢は招待することを控えて。数人は虐めていた子供を特定しているようで。まだまだリリィを虐める子供達はいるけれど、しかしそれでも少しずつ頻度は減ってきていた。
「また何かあったらいつでも相談してちょうだいね」
そんな優しいクリスティーの言葉に背中を押されながら、アンドリューはまた思案の日々に戻る。
どうすればリリィは喜んでくれるだろう。どうすれば、あの笑顔を取り戻せるだろう。
考えて考えて……考え抜いた先で思い浮かんだのは、カメオのブローチだった。ルヴェール家が懇意にしている彫刻家に頼んで、青いメノウに百合の花を彫ってもらったカメオ。それと、リリィの流した涙の宝石。
「これはね、リリィが産まれてきた時に初めて流した涙なの」
クリスティーから渡された、小さくてキラキラとした宝石をひとつ貰って台座に埋め込んで。台座の裏に、〝I wish you happiness.〟の文字とアンドリューのイニシャルを小さく刻印した。そんな、世界で一つだけのブローチ。
「リリィ。僕からは、これをあげる」
それをリリィに贈ったのは、彼女が五歳になった誕生日のことで。
「あ……ありがとうございます、お兄様……!」
受け取ってくれた時に帰ってきた笑顔は、アンドリューが思い浮かべていた通りのもので、そして一番欲しいものだった。
この笑顔のためだったら、なんでも出来る。だってその笑顔は、彼女が流す涙の宝石よりも綺麗で愛らしいものだったから。リリィには涙を流すよりも、笑っていてほしい。次はどうやって、その笑顔を取り戻そう。
……なんて、そう思っていたのに。
あるお茶会。いなくなってしまったリリィを、なかなか見付けることが出来なかったのだ。その時点で嫌な予感はしていたのだけれど。
植え込みの陰に隠れるようにうずくまっていた彼女の姿を見付けた瞬間から、アンドリューの胸は酷く痛んでいた。
「リリィ……リリィ、どうしたんだい?」
「っ……おにい、さま……? あ……」
アンドリューの姿を見たリリィは、駆け寄ってくるどころか怯えたように逃げようとして。
「待って……!」
「っ……」
慌てて腕を掴んで引き止めたけれど、彼女は胸元を隠すように体を隠すように体を縮こませた。それで嫌な予感は確信に変わって。傷だらけの宝石をぽろぽろと零すリリィを、そっと抱き締めた。
「大丈夫……大丈夫だよ、リリィ」
悔しさで視界がぼやけ、声が震えそうになるのを抑えながら小さなその背中を撫でる。
「お兄様、ごめんなさい……ごめんなさい……」
震える手が、アンドリューの服を掴んだ。
「お兄様から貰ったブローチ……他の子に、盗られて……しまって……」
嗚呼どうして、神様はこの子から笑顔を奪っていくのだろう。
アンドリューは、悔しさで拳を強く握った。
「ほらアンドリュー、私達の新しい家族だ。挨拶してあげて」
五歳の頃、デイビッドに連れられて入ったクリスティーの部屋。彼女の腕に抱かれていたその小さな存在に、アンドリューは心を踊らせた。
「貴方の妹よ。名前は、リリィ」
「リリィ……」
産まれたばかりの妹は、目を輝かせて覗き込んでくる兄を不思議そうに見上げていて。きょとんとした表情で小首を傾げているその仕草が微笑ましく思えた。
「僕はアンドリュー。君のお兄ちゃんだよ。よろしくね、リリィ」
手を差し出せば、不思議そうに首を傾げた彼女の小さな手が人差し指を握る。そんな仕草さえ、愛らしく思えた。
その日の夕方だったか。リリィが、特異体質を持っていると聞かされたのは。
「流す涙が宝石へと変わってしまうそうなんだ」
そう説明するデイビッドの手には、ころころとした小さな宝石が数粒乗っていて。それが転がる度、光を反射してキラキラと輝いていた。
「きれい……」
今思い返せば、そんな呟きに彼が安堵したような表情をしていて。きっと、アンドリューがリリィの特異体質を拒絶してしまうかもしれないと、そんな心配をしていたのだろう。そんなこと、するわけがないのに。
「将来この体質を理由に、この子を蔑む者や利用しようとする者が出てくるかもしれない。その時は私達が守ってあげなければ。協力してくれるかな、アンドリュー」
「もちろんです、父上」
アンドリューは、そんなデイビッドの言葉に迷いなく頷いた。
でも。そんなことは起こり得ないと思っていたのだ、アンドリューは。だってリリィは、屋敷中の誰からも愛されていたから。まだ屋敷の中が自分の世界の全てだった彼は、そう信じて疑わなかった。
それに、リリィが虐げられてしまう理由を見付けることが出来なかったのだ。
成長していくにつれ、愛らしさの中に両親に似た美しさも垣間見えてきて。天真爛漫で心優しい妹が、どうして他人からマイナスな感情を向けられるのだろう。アンドリューは、本気でそう思っていた。
自分や家族や屋敷の人間達が彼女を愛しているように、他の人もきっと彼女を愛するだろうと。そう、信じて疑わなかった。
だから。リリィが四歳になった頃に二人で招待されて行ったお茶会で、少し目を離した隙に彼女が泣いているのを見付けた時は本当にわけがわからなかった。
「リリィ……!? 一体何が……」
「……おにいさま」
よく見れば綺麗にセットされていた髪が乱れ、ドレスが汚れている。ぽろぽろと零れる涙の宝石は、彼女の心を表すように傷付いていた。
「誰にやられたんだい……?」
「…………」
リリィは何も答えず、ただアンドリューにしがみついて泣くだけで。
そんな彼女の様子に、そして零れる傷だらけの宝石に、その時はただショックを受けるだけで何も出来なかった。
「怖かったね……傍にいられなくてごめんね、リリィ……」
そうやって声をかけながら手を握って。帰りの馬車の中で、泣き続けるリリィを抱き締める手は震えていた。
その後、ルヴェール邸では大きな騒ぎになって。この日以降、お茶会や夜会ではなるべくリリィを一人にしないように誰かが傍にいると、そう決められた。それでもどうしたって傍を離れなければいけないこともあったから、その隙を狙った誰かにリリィは虐められてしまって。その度に泣いていた。
この頃からだ。リリィがあまり笑わなくなってしまったのは。
塞ぎ込むように屋敷に引きこもり、書斎で本ばかり読むようになっていた。
「リリィ、今日はこの本を読んであげるね」
「あ……ありがとうございます、お兄様」
家族や屋敷の人間達には笑顔を向けてくれるだけ、まだ救いがあるだろうか。それでも、その笑顔は以前に比べたら弱々しいもので。
リリィの笑顔を取り戻したくて、アンドリューは幼い頭を働かせた。
「それなら、何かをプレゼントするのはどうかしら?」
そんな提案を受けたのは、悩みに悩んだ末に相談したクリスティーからで。
「でも、何を贈ればいいかわからなくて……」
「そうね……お守り代わりに身に付けられるものがいいと思うわ。例えば、貴方がお茶会や夜会の時ここに付けているブローチ───」
彼女の指先が、アンドリューの左の胸元へと触れる。彼女の言う通りそこにはいつも、ブローチを付けていた。
「あれはね、私とデイビッド様から貴方への贈り物よ。私達が傍にいられない間、代わりに貴方を守ってくれますようにって願いを込めた」
「そう、だったんですね……」
知らず知らずのうちに守られていたのだと知り、心の奥が温かくなる。だからこそリリィにも同じように……なんて、そう思って。
「私達からリリィにはオルゴールを贈ったの。あの子の心の支えになるように。アンドリューも、あの子に何か贈ってみる?」
「はい、そうします。ありがとうございます、母上」
「いいのよ。私も、デイビッド様も、リリィがどうしたら笑顔になってくれるか考えているところだったから……あの子のことを考えてくれてありがとう、アンドリュー」
クリスティーの手が、優しくアンドリューの頭を撫でる。
両親がリリィのために色々奔走しているのは知っていた。リリィは自分を虐めてくる子供達の名前や家名を覚えていないけれど、その特徴は覚えているから、ルヴェール家が主催するお茶会等に関しては該当の子息令嬢は招待することを控えて。数人は虐めていた子供を特定しているようで。まだまだリリィを虐める子供達はいるけれど、しかしそれでも少しずつ頻度は減ってきていた。
「また何かあったらいつでも相談してちょうだいね」
そんな優しいクリスティーの言葉に背中を押されながら、アンドリューはまた思案の日々に戻る。
どうすればリリィは喜んでくれるだろう。どうすれば、あの笑顔を取り戻せるだろう。
考えて考えて……考え抜いた先で思い浮かんだのは、カメオのブローチだった。ルヴェール家が懇意にしている彫刻家に頼んで、青いメノウに百合の花を彫ってもらったカメオ。それと、リリィの流した涙の宝石。
「これはね、リリィが産まれてきた時に初めて流した涙なの」
クリスティーから渡された、小さくてキラキラとした宝石をひとつ貰って台座に埋め込んで。台座の裏に、〝I wish you happiness.〟の文字とアンドリューのイニシャルを小さく刻印した。そんな、世界で一つだけのブローチ。
「リリィ。僕からは、これをあげる」
それをリリィに贈ったのは、彼女が五歳になった誕生日のことで。
「あ……ありがとうございます、お兄様……!」
受け取ってくれた時に帰ってきた笑顔は、アンドリューが思い浮かべていた通りのもので、そして一番欲しいものだった。
この笑顔のためだったら、なんでも出来る。だってその笑顔は、彼女が流す涙の宝石よりも綺麗で愛らしいものだったから。リリィには涙を流すよりも、笑っていてほしい。次はどうやって、その笑顔を取り戻そう。
……なんて、そう思っていたのに。
あるお茶会。いなくなってしまったリリィを、なかなか見付けることが出来なかったのだ。その時点で嫌な予感はしていたのだけれど。
植え込みの陰に隠れるようにうずくまっていた彼女の姿を見付けた瞬間から、アンドリューの胸は酷く痛んでいた。
「リリィ……リリィ、どうしたんだい?」
「っ……おにい、さま……? あ……」
アンドリューの姿を見たリリィは、駆け寄ってくるどころか怯えたように逃げようとして。
「待って……!」
「っ……」
慌てて腕を掴んで引き止めたけれど、彼女は胸元を隠すように体を隠すように体を縮こませた。それで嫌な予感は確信に変わって。傷だらけの宝石をぽろぽろと零すリリィを、そっと抱き締めた。
「大丈夫……大丈夫だよ、リリィ」
悔しさで視界がぼやけ、声が震えそうになるのを抑えながら小さなその背中を撫でる。
「お兄様、ごめんなさい……ごめんなさい……」
震える手が、アンドリューの服を掴んだ。
「お兄様から貰ったブローチ……他の子に、盗られて……しまって……」
嗚呼どうして、神様はこの子から笑顔を奪っていくのだろう。
アンドリューは、悔しさで拳を強く握った。
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