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完結章『片恋編』
243「一つ聞かせてください」
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それから尚人は天候に関わらず、毎日専門学校に現れるようになった。
しかも、佐々木の授業の邪魔はせず、終わるまでずっと門に立っているのだ。「呼んできましょうか?」と学生が声をかけても、終わるまでここで待つので、それはしなくていいと断られると言う。
つまり、何時間でも門で待つのだ。そして佐々木が出てくれば、
『姫を愛する気持ちは変わらぬ』
『姫は唯一、私が愛する者』
『姫が近くにおらねば、私が生きる意味などない』
などなど、とにかく姫木を愛していると強い思いだけ語り、帰っていく。しかも驚くほど清々しい笑顔と、幸せそうな顔で。
いつしか佐々木は、尚人は本当に姫木を愛しているのだと思うようになっていた。
その日は朝から雨。
紺の傘をさして立つ尚人に、佐々木は「少し話をしませんか?」と、初めて自分から声をかけた。
雨が降っているので車中でと言われたが、佐々木はそれを断り、近くの公園へと歩く。
立ち止まっていたら目立つと思い、歩きながら話をした。
「本当に姫木君を愛しているんですね」
クスッと思わず笑みを零して声をかけてしまった。毎日、毎日、一日も欠かさず学校の門で佐々木が出てくるのを何時間でも待って、たった一言だけで帰っていく。そこまで出来るなんで、本物だよねって、姫木が少し羨ましいとさえ口にした。
「空よりも高く、深淵よりも深く、私は姫だけを愛しておる」
「姫木君しか見えてないみたい」
「私の瞳には、姫しか映ってはおらぬ」
真っすぐに答えられた言葉に、佐々木は今度こそ噴き出した。真剣にそんなこと言う人がいるんだって、なんだか可笑しくなった。
「一つ聞かせてください」
初めてカフェで話をしたときに、違和感があったのを思い出して、佐々木は足を止めて、傘を少し上げると、尚人の傘を覗き込む。
「なんでも聞くがよい」
「どうして連絡しなかったんですか?」
一年ほどアメリカに勉強に言っていたと話してくれたが、その間、どうして姫木に連絡をしなかったのか? そこだけがどうしても引っかかっていた。恋人同士だったというなら、電話やメールくらい出来たんじゃないのかと、それをしなかったのはなぜなのか? 佐々木は素直にそれを聞く。
そうすれば、爽やかだった尚人の表情が曇った。
原因はすべてそこにある。連絡さえ取れていれば、このような事態にはならなかった。それを沈痛しているのは尚人本人であるから、表情に影が落ちる。
「……契約だったのだ」
「契約?」
「私が無事試練を乗り越えれば、姫と一緒になってもよいと約束しておったのだ」
それまでは全てを絶てと約束させられたと話す。しかもその契約はアメリカに経ってから告げられ、その時点で姫木と連絡が取れなくなったと奥歯を噛む。
父親ならば、連絡を取った時点ですぐに痕跡を見つける。よって、はがき一通送ることが出来なかったと、正直に話した。
「姫木君はそれを……」
「知らぬ」
話してはいないと口にした。そのような契約は、姫木の知らぬところで交わされたものであり、同意がない約束ごとであるから、言えなかったのだと尚人は顔を伏せる。一緒になるのに契約など必要ではなく、互いの気持ちがあればよいのだと言う。
ただ、尚人は家族に認めてもらう必要はあると、父親の説得をそのような形にしたまでだと話した。あくまでも約束を交わしたのは、父親と自分なのだと、強く言った。
「自業自得」
佐々木は落ち込む尚人に、そう声をかけた。
「その意図はなんであるか?」
「たぶん、姫木君は天王寺さんに捨てられたって思ったんじゃないかな」
恋人から一切の連絡がなくなったら、普通そう思うでしょと、佐々木は尚人をじっと見つめる。こんなに愛してくれる人から連絡が途絶えたら、誰だって、終わったのかなって不安になるし、新しい恋をしようと思うでしょと、佐々木は正直に言ってあげた。
だから、姫木君は私と付き合ってくれたんでしょうと、正論をぶつける。
尚人との恋は終わり、姫木は新しい恋をしたんだと佐々木に言われ、ようやくすべてが繋がった。なぜ自分が捨てられたのか? それは、姫木が尚人に捨てられたと勘違いして、いや、勘違いさせてしまったからなのだと、ここにきて、真相を知ることになった。
「佐々木殿、感謝する。……私が間違っておったのだな」
きちんと話すべきであったのだと、今更後悔をする。
「姫木君、天王寺さんの写真をみて泣いたんです」
「姫が?」
「あの時は、分からなかったけど、今ならわかります」
雑誌の記事を見たときに、いきなり泣き出した姫木は、きっと今でも尚人のことが好きだったから。必死に言い訳みたいにいろいろ話してくれたけど、学生の頃の思い出話でそこまで泣けないよねって、佐々木も今になってあの涙の意味を知ることになった。
「姫木君を、絶対に幸せにしてくれますか?」
傘を背中に傾けて、佐々木は尚人の正面に立った。
「……佐々木殿?」
「絶対に不幸にしないって、誓えますか?」
にっこりと微笑んだ佐々木は、尚人にそれを問う。
「誓う。私は姫を不幸などにはせぬ。もう二度と離しはせぬ」
生涯唯一愛する者と神にも死神にさえ、誓うと強く光を見せる。そして、濡れた足音が去り、尚人はそのまま傘を地面に落下させた。
雨が全身に降り注ぎ、溢れる涙を雫とともに攫う。
「心から感謝、……する」
口元を手で覆って、駆けて行った佐々木の背に尚人はそう嗚咽を吐き出した。
『姫木君を幸せにしてください。私はもっと素敵な人見つけます』
しかも、佐々木の授業の邪魔はせず、終わるまでずっと門に立っているのだ。「呼んできましょうか?」と学生が声をかけても、終わるまでここで待つので、それはしなくていいと断られると言う。
つまり、何時間でも門で待つのだ。そして佐々木が出てくれば、
『姫を愛する気持ちは変わらぬ』
『姫は唯一、私が愛する者』
『姫が近くにおらねば、私が生きる意味などない』
などなど、とにかく姫木を愛していると強い思いだけ語り、帰っていく。しかも驚くほど清々しい笑顔と、幸せそうな顔で。
いつしか佐々木は、尚人は本当に姫木を愛しているのだと思うようになっていた。
その日は朝から雨。
紺の傘をさして立つ尚人に、佐々木は「少し話をしませんか?」と、初めて自分から声をかけた。
雨が降っているので車中でと言われたが、佐々木はそれを断り、近くの公園へと歩く。
立ち止まっていたら目立つと思い、歩きながら話をした。
「本当に姫木君を愛しているんですね」
クスッと思わず笑みを零して声をかけてしまった。毎日、毎日、一日も欠かさず学校の門で佐々木が出てくるのを何時間でも待って、たった一言だけで帰っていく。そこまで出来るなんで、本物だよねって、姫木が少し羨ましいとさえ口にした。
「空よりも高く、深淵よりも深く、私は姫だけを愛しておる」
「姫木君しか見えてないみたい」
「私の瞳には、姫しか映ってはおらぬ」
真っすぐに答えられた言葉に、佐々木は今度こそ噴き出した。真剣にそんなこと言う人がいるんだって、なんだか可笑しくなった。
「一つ聞かせてください」
初めてカフェで話をしたときに、違和感があったのを思い出して、佐々木は足を止めて、傘を少し上げると、尚人の傘を覗き込む。
「なんでも聞くがよい」
「どうして連絡しなかったんですか?」
一年ほどアメリカに勉強に言っていたと話してくれたが、その間、どうして姫木に連絡をしなかったのか? そこだけがどうしても引っかかっていた。恋人同士だったというなら、電話やメールくらい出来たんじゃないのかと、それをしなかったのはなぜなのか? 佐々木は素直にそれを聞く。
そうすれば、爽やかだった尚人の表情が曇った。
原因はすべてそこにある。連絡さえ取れていれば、このような事態にはならなかった。それを沈痛しているのは尚人本人であるから、表情に影が落ちる。
「……契約だったのだ」
「契約?」
「私が無事試練を乗り越えれば、姫と一緒になってもよいと約束しておったのだ」
それまでは全てを絶てと約束させられたと話す。しかもその契約はアメリカに経ってから告げられ、その時点で姫木と連絡が取れなくなったと奥歯を噛む。
父親ならば、連絡を取った時点ですぐに痕跡を見つける。よって、はがき一通送ることが出来なかったと、正直に話した。
「姫木君はそれを……」
「知らぬ」
話してはいないと口にした。そのような契約は、姫木の知らぬところで交わされたものであり、同意がない約束ごとであるから、言えなかったのだと尚人は顔を伏せる。一緒になるのに契約など必要ではなく、互いの気持ちがあればよいのだと言う。
ただ、尚人は家族に認めてもらう必要はあると、父親の説得をそのような形にしたまでだと話した。あくまでも約束を交わしたのは、父親と自分なのだと、強く言った。
「自業自得」
佐々木は落ち込む尚人に、そう声をかけた。
「その意図はなんであるか?」
「たぶん、姫木君は天王寺さんに捨てられたって思ったんじゃないかな」
恋人から一切の連絡がなくなったら、普通そう思うでしょと、佐々木は尚人をじっと見つめる。こんなに愛してくれる人から連絡が途絶えたら、誰だって、終わったのかなって不安になるし、新しい恋をしようと思うでしょと、佐々木は正直に言ってあげた。
だから、姫木君は私と付き合ってくれたんでしょうと、正論をぶつける。
尚人との恋は終わり、姫木は新しい恋をしたんだと佐々木に言われ、ようやくすべてが繋がった。なぜ自分が捨てられたのか? それは、姫木が尚人に捨てられたと勘違いして、いや、勘違いさせてしまったからなのだと、ここにきて、真相を知ることになった。
「佐々木殿、感謝する。……私が間違っておったのだな」
きちんと話すべきであったのだと、今更後悔をする。
「姫木君、天王寺さんの写真をみて泣いたんです」
「姫が?」
「あの時は、分からなかったけど、今ならわかります」
雑誌の記事を見たときに、いきなり泣き出した姫木は、きっと今でも尚人のことが好きだったから。必死に言い訳みたいにいろいろ話してくれたけど、学生の頃の思い出話でそこまで泣けないよねって、佐々木も今になってあの涙の意味を知ることになった。
「姫木君を、絶対に幸せにしてくれますか?」
傘を背中に傾けて、佐々木は尚人の正面に立った。
「……佐々木殿?」
「絶対に不幸にしないって、誓えますか?」
にっこりと微笑んだ佐々木は、尚人にそれを問う。
「誓う。私は姫を不幸などにはせぬ。もう二度と離しはせぬ」
生涯唯一愛する者と神にも死神にさえ、誓うと強く光を見せる。そして、濡れた足音が去り、尚人はそのまま傘を地面に落下させた。
雨が全身に降り注ぎ、溢れる涙を雫とともに攫う。
「心から感謝、……する」
口元を手で覆って、駆けて行った佐々木の背に尚人はそう嗚咽を吐き出した。
『姫木君を幸せにしてください。私はもっと素敵な人見つけます』
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