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第10話 煙

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   火葬場で母の頭蓋骨の白く無機質でもろい欠片を見て、母はこの世界にはいなくなったのだと7才にして、死を理解した。


    心でなく頭で。


    喪服を着た父親の大きな手をぎゅっと消えるまいとするかのように握る力を義雄は、今でも覚えている。




  「お母さんは、どこに行ったの?会いたいよ」
まだ自分は幼く体が失くなってしまった【死】と言う概念はなかった。


   ひたすら母親が死んだと言う事実のみが心に滑り込んでは、体を通りすぎる。


  火葬場の外で、煙となって昇っていく母をひたすら見ていた。


  何も答えてくれない普段から無口な父親が、義雄の手を強く握りしめ、煙を何一つ見逃すまいとする横顔が、何より怖かった。


   当時はシングルファザーなんて言う言葉も世間からの理解も皆無。


   母親の葬式の次の日から、義雄は父方の両親に預けられ仕事に出ていく父親の背中を見た。


  「お母さんは、どこに行ったの?」
  心細くて、祖父母の前で泣いたが、今思えば母親を苦手としていた祖父母がそのたびに嫌な顔をするので、言葉にはしなくなっていった。


  祖父母が、昼間リビングでひそひそと話している声を聞いたのを今でも忘れない。

  
   「本当に由紀子さんは、一義も孫もおいて死ぬなんて酷い人ですよ、だから結婚の時に私は反対したんですよ、体の弱そうな女性だから辞めときなさいって」
   今は亡き祖母の冷たい声と言葉に、まだ七才の義雄は、何も言い返す言葉はなかった。


   「仕方ないだろ、一義が家との縁を切ってまで一緒になりたい女だったんだから」
   祖父の吐き捨てるような【女】と言う言葉が、まるで自分の母を愚弄しているようで悔しく、義雄の瞳からポロポロと涙が溢れだした。


  大人になってから分かった事は、父親は長男で、弟一人がいたが病で幼い頃になくなり祖父母にとっては、父親は大切な跡取り息子。


  母親は、そんな父親を家から連れ出してしまった悪妻にされていた。


  しかし母親は、父方の家に行くたびに笑顔だった。嫌がらせのように無視する祖父母の前でも母親は動じない。


  まるで煙のように、母親をいないように扱う両親の家から帰宅するたびに父親は母親に謝っていた。


   そのたびに母親は、困った顔をする。
「私は一義さんと義雄を私と出会わせてくれた義父母に感謝しているんです。親戚がいない私に家族をくれたご両親ですもの」


  母親の両親は、義雄が自我が目覚める時にはすでになくなっており、親戚も煙のようにうっすらと影があるものの、一人として見たことはない。


  母親が身内で苦労した事は、大人になってから薄々は気がついていたが、父親には聞けないまま認知症になってしまった。


   母親が亡くなり、義雄が小学生になってから二人暮らしになった時に父親は、ポツリと言った。


   「母さんは、どこに行ったんだろうね。大人の父さんにも分からないんだ。でも義雄、母さんがいなくなって寂しいのは、父さんと一緒だよ、一人だと思う事はないんだ」
   その言葉に、母親を亡くしてから初めて声をあげて泣いたのを覚えている。



   その後、父親がぽつりと独り言を言った。


   「母さんは、煙になっても綺麗だったな」


   煙のような白くて、誰にも知られないまま消えてしまうような言葉だった。


  

  
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