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プロローグ

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「…さ、……様!」
「…お嬢様!」

突然輪ゴムが弾かれたように、アナスタシアは真っ暗な闇の中から覚醒した。

随分と魂が抜けたような状態にあったようで、立ち尽くしていたアナスタシアを、困惑の色を載せた侍女が鏡越しに顔色を窺っていた。
突然知らない場所にほりだされたアナスタシアは状況がわからずに混乱した様子で鏡越しの自分を見つめていた。

「あっ、」
何かを言おうとしてアナスタシアは口ごもった。
口をついた一言から何を言えばいいのかわからず、かと言って取り繕う余裕もないアナスタシアは、結局ぎこちなく笑ってその場をごまかそうとした。

次々とアナスタシアを襲う記憶の波に飲まれそうになりながら、アナスタシアはその波が収まるのをじっとまった。
いままで時分はどうやって過ごしていたのか、今なんと返事をすれば良いのか。
己の中へと封じられていた記憶が同時再生され、すさまじい早さで勝手に再生される。
その記憶は全てアナスタシアが死ぬとそこで途切れてしまった。
頭の中で早送りされたドラマがいくつも回って少しずつ複数のドラマ達がそれぞれ交じり合い、ひとつの物語として頭の中に収まった。
とたん、真っ暗な視界から引き戻されるように頭の中がクリアになっていく感覚を感じてアナスタシアは今日がまた訪れた事に絶望した。

…また、戻ったのね。

「ご気分がすぐれないのでしょうか?」
アナスタシアの傍でブラシを持ったまま困惑と心配とをないまぜにした表情で侍女に問われ、アナスタシアは緩く笑みを浮かべて答えた。

「問題ないわ、準備を続けてちょうだい」
侍女にそう告げてからアナスタシアは鏡の中にいる自分とふたたび向き直った。
果たして、自分はこんな幼い顔だっただろうか。
そうひとりで尋ねるような疑問を抱いて、鏡に映る長いまつ毛に縁取られた目尻にそっと指を乗せた。
赤い虹彩の瞳は見慣れている筈なのに、見た事がない気がして何度もアナスタシアは瞬きをした。
大粒のガーネットを嵌めたような瞳と目が合って、またこの日に戻ってきたことをアナスタシアは嫌でも思い知らされた。

潤いに溢れて傷ひとつない白く美しい肌。
小さいながら高さのある鼻筋。
艶々と弾けるような瑞々しさの血色のいい唇。
緩くウェーブのかかった腰まである髪は光を弾いて蜂蜜色に輝いていた。

だれがどこから見ても美しいと称賛しそうな勝気さを携えた顔は見慣れたようでもあり、自分ではないような気持ちを一層抱かせて不思議な気持ちでアナスタシアは鏡越しに自分を見つめていた。

今ここに誰もいなければ、今すぐ叫んで暴れ回ってしまいたい。
そんな気持ちを両手を祈るように組んでぐっと抑え支度が整うのを待つ。

「本日のお支度が整いました。」
二人の侍女が両手を重ね、頭を下げたまま告げる。
自分達の使える主人からの返事を待っているのだとアナスタシアが気が付いたのは少したってからだった。
さっきまで1人で過ごしていたせいで、侍女との距離感をすっかり忘れてしまっていた。

「ありがとう、下がっていいわよ」
記憶をなぞる様に一言告げると侍女はすぐに立ち去り、部屋には彼女一人が取り残される。

…一体、どうしたらこのループから抜けられるのだろう。

今日を迎えたのはこれでおそらく3回目だ。
1度目に死んでからなぜかアナスタシアは、再びアナスタシアとしての人生を歩むべく戻されていた。
戻される日はいつも同じだった。

王子と初めて面会をする前日であるアナスタシアの15歳の誕生日。

この後、何があるのかも、これがまだ悪夢の始まりに過ぎない事もアナスタシアは知っていた。
迫り来る死を回避する度に恐ろしい角度で働く軌道修正の力を思い出して、アナスタシアはひとりでその恐ろしさに震えた。
乱立される死亡フラグは回避しきれずにアナスタシアは毎度、死ぬ事を余儀なくされ、命を落としては今日に戻る事をアナスタシアは何度も繰り返していた。

一体だれが、なんの目的でこんな事をさせるのか。
一切何もわからない状況下でアナスタシアはまたこの日に戻された現実に打ち震えた身体を慰めようと自分自身を抱きしめた。
誕生日パーティーが終わる今日までがアナスタシアにとって楽しい時間で、後はいつ死ぬかわからない恐怖に怯えて過ごす日々が再び始まる。
夢を見ているのかと考えた事もあったが、夢にしてはあまりにも長く続く地獄にアナスタシアはこれが本当に何かの影響で繰り返されているループ現象だと思い知らされた。

どうしてアナスタシアだけがループするのか。
その謎を追うには時間はいくらあっても足りない。
それなのに時間は常にアナスタシアを殺そうと働いていた。

まずは生き残らなくては始まらない。
アナスタシアは震える身体を叱咤して、再び訪れた今日に立ち向かうため奮い立った。

誰もアナスタシアを助けてはくれない。
この世界で、アナスタシア・ヴィンターバルトは必ず死んでしまう運命を定められた王太子の婚約者という役目をもつ悪役公爵令嬢という存在なのだから。
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