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第一章:レト・サアレ

【03:二人の師匠(1)】

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俺は走っていた。
見知らぬ森を、走っていた。

何度、落ち葉に足を滑らそうとも。
何度、木の幹に足を取られようとも。
何度、足がもつれ地面に倒れようとも。

自分の背丈よりも高い草を掻き分け、縄の様な蔦を避けながら。

俺は走っていた。
息は既に上がり、浅い呼吸と共に血の味が広がる。

警察学校の連帯責任でどんどん周回数が増えていった地獄の校内ランを思い出した。
あの時は十数人がマーライオン状態だった。
それでも全員完走する為に、マーライオンを背中に背負って走り続けた。

あれは正に、地獄絵図だったな。


「もう鬼ごっこは終わりか?」


チンピラの台詞が、何故か上品に聞こえるのは気のせいではない。
透き通った泉に波紋が広がる様な…澄み切った凛とした声が、チンピラの台詞を払拭している。

とんでもない男だ。

ゆっくりと背後から歩いてくる男は、俺が倒れるの待っている。
どんどん距離が縮まってくるのが足音でわかる。

もう足が進まない。
もつれた足が、動かない。
最後に引っかかった木の幹の側で、俺は倒れ込んだ。


「その根性は、認めましょう」


何処に隠れていたのか、別の男が楽しそうに笑った。

俺は何とか起きあがろうと地面に両手を付いた。
ゴホッ、と咳き込むと血の塊が地面に落ちる。
視線を上げると、目の前で剣の鋒が光り、剣に聖力が流し込まれていた。

追ってきた男の顔を見上げれば、口元がニコリと歪んだ。


「恨むなら、自分の軽率さを恨むんだな」


単刀直入に言おう。

安全など、何処にもなかった。
今はまだ、安全だろう…と高を括った自分が恨めしい。

聖騎士団先代団長、デル・エスコラ。
同じく聖騎士団先代副団長、ヴァジーム・モンクトン。

この二人に出会った日、俺は本気で後悔しながら意識を手放した。





ーーーーーあの日から、四年の月日が流れた。





俺は7歳になり、弟のロレールは4歳になっていた。


「パパー!もりからかえったよー!つぎはしんでん!」


バタン、ガタガタガタ…。
ドン、ドン、ドン…ドン!


木造の家は少しの衝撃でも良く響く。
ワンルームマンションで隣の扉の開閉音が響くのと似ている。

俺はいつもの騒がしさに、ようやく意識を取り戻した。
目を覚まそうとするが、身体中が痛い上に瞼が重すぎて開けない。
昨日の稽古の疲れが、思っていた以上に残っていた。

微かに聞こえる家族の声が、頭に響く。


「お帰り、ロレール。お兄ちゃんは寝ているから少し静かにね。へレートもお帰り」
「ただいま、ティオレ。レトはまだ起きてこないのか?」
「聖力も魔力も全部、体力に変換して使い切ってしまったそうだからね」
「パパ!しんでん!しんでんいこ!」


ロレールが騒ぎ立てている。
4歳になったロレールは活発だ。
自由に動き回れる様になってから、ロレールは森と神殿の往復をかかさなかった。
森へは母親のヘレートと、神殿には父親のティオレが付き添っている。
何かお目当てのものがあるのか聞いた時には、行かないといけないから行ってるだけだと言われてしまった。

意外とクールな面がある。


「そうだなロレール。パパは支度をしてくるよ」
「ロレール。ママはパパを手伝ってくるから、お兄ちゃんに森で分けてもらった薬草を持って行って」
「はーい。ママ」


ドタバタと騒がしさが増す。
窓からの日差しが眩しく眉を寄せていると、バタバタと足音が駆けてきた。
なんとか瞼を開こうと唸っていると、ベッドで寝ている俺の上に…ドスンと何かが乗り上げた。


「にいに!やくそーだよ!にいに!」


無邪気な声を発しながら、ドシン、ドシンと俺の腹の上でロレールが飛び跳ねる。
衝撃で瞼は開いたが、何もかも出そうだった。
ガハハハハと子供特有の笑い声が可愛いと言えば可愛いのだけれど、実際している事は拷問である。


「ちょっ、ロレール!起きた!起きたよ!」
「にーに。おきた?」
「うん、起きた。おはよっ…ぐっぶ」
「やくそー、いっぱいたべてね!」


満面の笑みで、ロレールはグイグイと両手一杯の薬草を俺の口に詰め込んでいく。
効能の違う三種類の薬草が口の中で混ざり合う。
んー…?今日のはやけに甘く感じるな…薬草にも旬の季節とかあるのか。

モゴモゴと、どうにか口を動かしながら俺はロレールを捕まえた。


「パパとママは?」
「パパはおでかけのよーいしてる。ママはおてつだいしてる」


ロレールの話を聞いて、俺は頭を抱えた。
どうせまた、イチャイチャベロチューしているんだろうな、と思う。
もしかしたら、それ以上かもしれない……。

流石は18禁BLゲームと言うべきなのか、二人の情交は激しい。
最初の頃は腐男子としての血が騒いで仕方がなかったけれど、4年も経てばゲームのキャラクターとして割り切れなくなってくる。

一言で言うと、思春期の息子の気持ちだ。

親の営み事情なんて知りたくないだろ?
防音や姿隠し効果のある魔法でも使用しているのか、明らかな場面に遭遇した事はないけれど事後の空気が凄いからまるわかりである。

可能な限り、事後直後には顔を合わせたくない。

呼びに来るまでは、このまま部屋にいようと俺は心に決めた。
腕の中にしっかりとロレールと抱き抱える。
暖かい日差しと、ロレールの体温で再び船を漕ぎそうなった。

だめだ、だめだ。


「パパとママが呼びにくるまで待っていような」


何気なくロレールの顔を覗き込むと、不満気な顔で俺を見ていた。
そんなに早く神殿に行きたいのか?


「…にーに。なんできしになりたいの?あぶないよ」


絞り出す様な声に、いつもの無邪気さを感じられずに俺は困惑した。
俺の服をギューっと握りしめたロレールの小さな手は、少し震えていた。


「俺が騎士になったら、ロレールを守れるだろう?」


小さいながらも心配してくれているのだろう。
安心させる様に笑ってから、俺はロレールの頭を撫でた。


「にーに、むりしないでね」
「わかってるよ。ありがとう、ロレール」


ギューっと背中に回された小さな腕に応える様に、俺もロレールの体を抱きしめる。
先ほどの薬草の効果なのか、徐々にポカポカと体の中から暖かくなる感覚に子供が抗えるはずもなく…。

俺は緩やかに船を漕ぎ始めた。


「レトー!稽古の時間だろーが!早く出て来い!」


どのくらい眠ってしまったのか、師匠であるデル・エスコラの声で俺は目を覚ました。
腕の中ではロレールがスヤスヤと寝息を立てている。


「レトー!早く出て来いと言っているだろうが!」
「はいー!いま、今行きますー!!」


苛立ったデルの声に両肩が震えた。
メチャクチャ怒っている。

規律を守らない騎士はクズだ、と頭の中で最初に言われた言葉がグルグルと回る。

仕方なく、ロレールに布団をかけて寝かせておく。
ベットサイドのメモ紙に稽古に行ってきますと走り書きを残して、俺は慌てて窓から外へと飛び出した。




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