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春
第15話:待望の時間_6
しおりを挟むお風呂から出てきた司は、キラキラした瞳でこちらを見ていた。機嫌も良く、いつもなら嫌がるお風呂上がりの保湿も、着替えが嫌になってすぐに転がってしまうのも、今日はなかったのだ。いつもこうなら嬉しいのに。そう思いながら、くすぐったがりながらもおとなしくしている司に笑いかけた。
父がお風呂から出た後、買っておいたイチゴとキウイを切って出した。すると父は、イチゴの品種や成長について、キウイの料理への使い方にその歴史などを、生前のように語り始めた。そんなところまで、やっぱり父は父だった。うんうん頷き、途中で質問を挟みながら話を聞いている俊君は、そういえば父が生きていた時も、こうやって話を聞いていたっけと思い出させてくれた。
あっという間にイチゴとキウイはなくなり、大人はお茶をすすりながらダイニングテーブルに座っていた。
「しまった、長居してしまったね。おとうさんはそろそろ帰るよ」
「まだ居ても良いのに」
膝に抱っこされた司は、相変わらずご機嫌に歯固めを噛んでいる。時々、バタバタと足を動かしては、まるで父に高い高いをせがんでいるようだった。
「おとうさん、明日宮内さんと会う約束をしているんだ」
「ホテル用意してくれた人?」
「そうそう。それでね、宮内さんの通っている大学に、ちょっとお邪魔させてもらうことになってね」
「え、不審者扱いにならない? 大丈夫?」
「ランチやお茶くらいいいだろう? 大学に行くのはおとうさんの夢だったからね。たとえ授業を受けられなくとも、覗いてみたいんだよ」
「……あ、そういえばそうだっけ」
父は大学へは行かなかった。色々な都合からだと聞いている。定年を迎えて、病気に罹らなければ、大学へ通う予定をしていた。……と、亡くなってから母から聞いた。
「だからね、万全の状態で明日を迎えたいんだよ。無理……というか、一日中動き回っていてもいいのかわからないけど、今この身体を失いたくないからね、あくまでも普通に過ごさないとね」
「何か手伝えることがあったら言ってよ。やり残したこととか、行きたかった場所とか」
「ありがとう。その時はお願いするよ。……じゃあ、そろそろお暇しようかな。司君、じぃじはおうちに帰るよ」
そのまま司を抱き上げて、プレイマットの上へと置く。ジッと父を見つめた司は、ヒラヒラと手を振る父の意図を知ってか知らずか、唇に力を入れて眉毛を八の字にし、ううぇと泣く準備を始めていた。
「あらあら。司はじぃじが好きなのね」
「これはじぃじ冥利に尽きるなぁ」
「下まで送っていくよ。司も行こうか、雪は?」
「いく!」
テーブルの上で絵を描いていた雪は、画用紙をクルクルと巻いて椅子から降りた。
家族総出でのお見送りである。
「忘れるところだった。これ、おとうさんの連絡先。スマホ契約してもかまわないって言われたから、早速契約してきちゃったよ。宮内さんって、太っ腹だなぁ」
「……多分それ、命を助けられたからだと思うよ」
「そりゃ放っておけないよ」
「あれ、ガラケーじゃないの?」
「おとうさん、新しい物にチャレンジしてみることにした」
父はあまりパソコンや携帯の類は得意ではなかった。電話をしてメールを送るまではできるが、ネットを見ることもしていなくて、何か登録が必要な時は、私やコウが対応していた。生きている時は、スマホではなくガラケーを持っていたっけ。そんな父がスマホを持つ時がくるなんて。
「じゃあ、私の番号を」
父の携帯を受け取り、自分のスマホへ番号を打つ。そして、父の携帯を鳴らすと携帯を戻した。
「アドレスは?」
「どうやって出すかわからん」
「あー……じゃあ、お父さんkiccaって知ってる?」
「チャットみたいなヤツだろ? 名前は知ってるぞ、名前は」
「うん。アレはやらないの?」
「今度、ショップで講習会に参加するんだ。覚えたら教えるな」
「うん、よろしく」
「じゃあ、そろそろ……」
「じぃじ、まって!」
雪が父を引き留める。
「これね、じぃじをかいたの。うまくなった?」
「そうかそうか、これはじぃじか。部屋に飾っておくよ。ありがとう」
雪の手から渡ったその絵には、一生懸命描いただろう父が描かれていた。
「雪、これって……」
「ばぁばのおうちにいったでしょ? そのときにみたんだよ。ちゃんとてもあわせたよ!」
今の父は帽子を被っていないのに、絵の父はなぜか帽子が被せられていた。多分これは、闘病中の父がその時被っていたもので、実家の仏壇に置いてある写真立ての写真と同じものだ。
「このぼうしね、じぃじとーってもにあってたよ?」
ゆっくりと雪の頭を撫でた父は『そうか』と一言呟くと、私たちに手を振った。
「連絡してくれ。おとうさんからも、連絡するから」
「わかった。気を付けて帰ってね」
「あぁ。それじゃ」
「うん。またね」
夜道に消える父の背中を、私たちは見えなくなるまで目で追いかけた。
何をしたわけでもない。だが、どっと疲れが押し寄せてきたように感じた私は、お風呂に入り司の授乳を済ませるとすぐに布団に潜り込み、ぐっすり眠ってくれた司とともに朝まで目を覚まさなかった。
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