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28.ふたりきりの夜 前
しおりを挟む公爵から結婚式の日程が決まったと教えられたあと、ドリーや他の使用人から、ここまでのスピードで式の準備をしたことはないと言われるほど、式までの期間は短かった。
ドレスやアクセサリーはとっくに手配されていて、軽い手直しだけだったため、オリヴィアとしては今までの夜会とあまり変わらなかった。
準備期間を減らすことで、日程を合わせられない貴族が参加を見合わせることを想定したそうだ。式の前に目通しした、瞳の穏やかな王太子から聞いた。
公爵は、オリヴィアの希望をできる限り叶えようとしてくれた。実現できなかったとしても、それを知れたことで緊張が少し解れた。
オリヴィアが初めて対面した王太子妃は妊娠中で、もう臨月に入り体調の急変も予想できるため、式には立てないことを謝られた。オリヴィアはとっさに頭を下げ、公爵はその身体を気遣っていた。
(閣下が、私の気持ちを待つと言われなければ、ご出席なされたのでは……? 王太子妃殿下が、義弟の閣下を蔑ろにするようには見えなかった。生まれてからでは、この結婚は邪魔になってしまうし……)
公爵とオリヴィアの結婚は表向き、旧プレスコット侯爵領を正式にオーウェン公爵領とするためのものだ。罪人が治めていた土地を新しい領主に引き渡す手続きで、新婦のオリヴィアは罪人の娘だ。
たとえ公爵がそう思っていなくても、国民から良いイメージは持たれない。
これから生まれてくる後の王子の誕生に、何か陰りがあるようなことは残すべきではない。やましい理由のある事柄は、たとえ慶事であっても先に済ませてしまうほうがいい。
王家に子が生まれたあとは、しばらく国の行事として夜会や晩餐会、茶会が続く。誕生後に結婚式があれば、それが誕生後初の、王太子夫妻出席の公式の場になってしまう可能性もあった。
だから、このタイミングで、多少無理にも感じられる日程での結婚式を設定したのだろう。
結局は元王族の挙式で、静かに少人数で済ませることなどできなかった。オルブライト王家に媚びを売るため、どうにか日程調整をつけた貴族が思いのほか多かったらしい。
結婚式で、初めて唇を重ねられた。今日はずっと、鋭い瞳で過ごすと分かっていたから、目を合わせることはなく、必要であれば鼻先を見ることにしていた。
今まで身体が近づくことはたくさんあっても、キスをされるのは額や眉間、鼻先、頬、それから手の甲や指先だった。公爵が、唇を合わせることを避けていることには、気付いていた。
式を終えても、休む暇なく人に囲まれていたが、公爵はずっと隣にいてくれた。
個人で呼びかけられても、オリヴィアを連れて行ってくれた。オリヴィア目当てに近付いてくる男性に、ひとりでは対応させてくれなかった。
公爵が来てから数多く出席した夜会で、その視線にはだいぶ慣れたとはいえ、ひとりで話すことにまだ不安はある。すぐそばにいてくれるのは、とても心強かった。相手は不快そうだったが、公爵は終始、あの鋭い威圧の瞳に笑みを浮かべていた。
◇
公爵とすでに一夜を過ごしたことがあるのを知っているマーサに、ベッドには入らず待つように言われた。結婚式が終わった当日の夜、いわゆる初夜だからだ。
仮面舞踏会に行ったときのような、王族の鋭さとはまた違った、行為を意識したようなひりついた雰囲気は式の最中も感じられなかったが、この薄い夜着を着せられると想像してしまう。
(閣下は、どう思っていらっしゃるの……?)
ひとりベッドの縁に座って待っていると、扉がノックされる。返事をすると、公爵が入ってきた。意味ありげにゆっくりと進んできて、オリヴィアの隣に腰を下ろした。
夜着姿の公爵を見るのは初めてで、いつも以上に瞳を見るしかなかった。カーテンはしっかりと閉められていてランプが灯されているが、その瞳の濃さを掴めないうちに抱え込まれてしまい、表情すら見えなくなった。
「オリヴィア、疲れただろう? 横にならなくて平気?」
「お気遣いありがとうございます。今のところは大丈夫です」
「そう、明日はゆっくり休むといいよ、僕も休みにしてあるし」
「それは……」
「っ、違う、そういう意味で言ってない。ごめん、この状況じゃそう取るよね、ごめん」
「いえ、あの、ありがとうございます」
公爵も明日、執務を休めるのであれば、その気なのかと思ったが、焦り具合からしても本当に違ったらしい。
こういうときの公爵は、瞳を隠すためにオリヴィアを抱き締める。触れる肌が、いつもより熱い気がする。きっとオリヴィアも、普段より体温が高い。
「……急いでるわけじゃないんだ。僕は、オリヴィアの気持ちが整うまで待ちたい。式は待てなかったけど、初夜はちゃんとやり直したい」
「もう経験はあるのに、しないのですか?」
「うん」
マーサにすら、明言できていないのだ。公爵に上手く伝えられる言葉が見つからない。
「……いつになるか、分かりません」
「それが正しいんだよ。感情はよく分からないもので、すぐに変わったりもするし、身体に影響を出したりもする」
目を伏せたままの公爵が、オリヴィアの手をそっと取って、胸に当てた。速い鼓動が、熱を持った手から伝わってきて、少しのけぞってしまった。
「僕にオリヴィアを、待たせてほしい」
「……どうしてでしょう?」
「『どうして』か……、『愛してる』なんて言葉は、オリヴィアには通じないよね」
(あ……)
元婚約者から、ふたりきりのときにたくさん言われた。「愛している」から「脱がせなければセーフ」と言われ、そういうものかと従っていた。
思い出すのは公爵に対して申し訳ないと思うものの、オリヴィアには呪いのようにも聞こえ、あまり聞きたい言葉ではなかった。
公爵が、オリヴィアの手を引いて身体を近づけたあと、また腕に力を込めて抱き締めてくる。
オリヴィアが見せてもらえる瞳の色は、淡く薄い水色で、強い感情を持っていないときだ。
今日は、感情が強く出てしまう瞳を、ずっと見ていない。この暗さではよく分からないから、オリヴィアを引き寄せるその行動で、濃い色をしているのだと確信できてしまう。
(見せてもらっても、私は怖くないのに。威圧する場所としない場所、使い分けていらっしゃるの、知ってるから)
「……本当に、君だけなんだ、オリヴィア。あの夜会の日、女性としては可愛いと言われたいかもしれないけど、堂々としててかっこよかった。前もって聞いていた令嬢じゃなかった。次にどこかへ嫁ぐとしても邪魔な騒ぎになってしまったし、それなら僕が欲しいと思った。調べるたびに、勝手に親近感を持って、ずっと君を手に入れるために動いてきたんだ。だから、これからも君を待っていたい」
公爵が優しく気遣ってくれることには、気付いていた。
今はもう会うことすらない父と兄、それから元婚約者からは得られなかったもので、公爵に触れられるたび、心地いいあたたかさを感じていた。
それでも元王族の公爵が、学院も出ておらずすぐに臥せてしまうオリヴィアを妻にしたいと本気で考えていることに、自惚れはしなかった。とても、受け入れていい立場にいるとは思えなかった。
(私が罪人の娘で、良く思われていないのは、今日の式でも十分感じたもの)
「……閣下はそれで、本当に?」
「オリヴィア、これからはハンフリーと、名前を呼んでほしい。もうオリヴィアは、公式に僕の妻だ」
「しかし……」
「僕が呼んでほしいんだ。ふたりのときだけでもいい」
それが公爵の希望なら、叶えるべきだ。オリヴィアの一家は貴族から除籍になっていて、オリヴィアがここに居られる理由は、公爵が望んでくれるからでしかない。
いっそのこと、オリヴィアの気持ちなど待ってもらわずに、力尽くで奪われるほうが楽かもしれない。公爵に襲われたとしても、抵抗する気はない。元から、威圧も激怒もされないし、不快感もない。
(それがあるから、隣にいても心地良くて、私室に入られるのも嫌じゃないの)
「……ハンフリー様」
「うん、敬称も要らないくらいだけど、呼んでくれてありがとう、オリヴィア」
さらに、ぎゅっと抱き締められる。明らかにいつもより強く、何かを隠しているのではないかと思えるほど、不自然だ。
何と言っても今夜は初夜で、ふたりとも専用の夜着を着ている。オリヴィアにも、その熱に思い当たる節はある。
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