ふたりで居たい理由-Side M-

垣崎 奏

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M-35.買い物と報告 1

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☆☆☆


今日のバイトにも、妃菜ちゃんが見学でカウンター席に座ってる。何やら準備してきたらしく、店長の説明を聞きながらメモを取っている。

たぶん、一度覚えてしまえばメモは要らなくなるだろうし、むしろ話しかけてもらえる意味で、分からない方がいいとも思ってしまうオレは、シューペに貢献したいのかしたくないのか、自分で自分に問う羽目になった。





ランチの営業が終わって、ざっとホールを片付ける合間に、妃菜ちゃんを見る。本当に、自分でも驚くくらい、普通に仕事ができる。妃菜ちゃんは、オレに期待するような目を向けないからだろう。実力以上の物を出そうとする必要がない。

メモを見たまま難しい表情の妃菜ちゃんの、グラスを取って、水を汲んで返す。その動作でやっと顔を上げた妃菜ちゃんは、初めてフロイデで見た時みたく、少しきりっとしてた。

店長から、今日のランチで人気のなかった鮭のクリームパスタをもらう。


「本当にいいんですか」
「もうバイトするの決めてんじゃないの」
「決まってますね」
「次の土日からは立ってもらうが?」
「はい」


結局、店長は自分から聞かなかった。メモを持ってきたことも含めて、確認のきっかけを作ったのは妃菜ちゃんだ。言わせてるのがちょっと気に食わないけど、これで来週から一緒に働くのは決まった。確定した。

火照りまではしないけど、軽く赤くなってるんじゃないかと、一口水を飲む。知ってか知らずか、店長が話しかけてくる。


「基樹も、次のステップだな」
「次?」
「後輩に仕事を教えて引き継いで、基樹自身は新しい、次の仕事をする。新しいといっても、見たことはあるはずだがな。ずっと同じは飽きるだろ?」
「飽きてはないですけど」
「ま、とりあえずは長谷川さんの教育で。美保みたいにしばらくはついてくれたらいい」
「はい」


美保さんに仕事を教わっていた時は、とにかく横について見てた。メモは後から、賄いを食べながら復習させてくれたから、とにかく美保さんの動きを真似てたような。

妃菜ちゃんも、今日メモを取ってるし、ある程度シューペの接客もシステムも分かったんじゃないか。なんとなく、上手く動けない妃菜ちゃんは想像できないし、オレが新しい仕事に進む日も近いんじゃないかと思った。





シューペに自転車を置いておくには、父さんの店《ミルト》は遠い。あえて中央駅から離れたところに店舗を構えたのは、確かある程度の在庫が置けるようにだったはず。店をオープンする時に少しだけ、搬入を手伝ったけど、当時は興味もなくて、深いところまでは聞かなかった。

母さんは、父さんにどう伝えたんだろう。去年、オレが保健室登校をしていた時期にはたくさん話したけど、元々父さんと話す機会は母さんほど多くない。だから、父さんに会うと少し緊張するし、過保護に感じるんだと思う。

妃菜ちゃんと駅前に行った時とはまた別の、動悸がしてくる。発作に繋がることはない、気まずさから来るものだ。父さんはいないにしても、長く勤めている店員さんはオレを知ってる可能性がある。あまり、いじられないといいけど。

水色の背景に青の文字で《mildミルト》と書かれた看板は、パッと見では何のお店なのか分からない。それが、父さんのこだわりらしい。あえて駅から離れたところに店舗を構えているのも、オンラインで見て実店舗に来る人だけをターゲットにしてるからだと、母さんが言ってた。不便なところなのが、むしろいいんだとか。

決められた自転車置き場はなく、店の花壇の前に、歩道の邪魔にならないように停める。市立大が近いから、大学生らしき格好の人はよく通る。バイト帰りの今日、妃菜ちゃんとオレはどう見えてるんだろう。

ガラス張りの扉を開けると、「いらっしゃいませ」と挨拶される。その人には見覚えがあったけど、名前は分からない。会釈されたから、返した。それ以上何も言われることはなく、「ごゆっくりお過ごしください」と言われただけだった。

妃菜ちゃんは、今のコーディネートを店員さんと決めたって言ってた。それなら、オレが合わせても着てくれるんだろうか。

(ただの、欲なんだけど…)


「服屋さん、行かないって言ってたよね」
「うん、綺麗目買ったのも先週が初めて」
「選んでもいい?」
「え、うん」


当然、少し戸惑った様子を見せた妃菜ちゃん。近くにあったハンガーに掛かったままの、似合いそうな服を手に取って渡すと、すぐに肩に合わせてくれる。


「どう?」
「うん、後で着てみて」


父さんの店の服を知ってるわけじゃない。ただ、母さんが着てるのは父さんのものだし、見慣れているだけだ。妃菜ちゃんが綺麗目でカッコいい感じが好きなのも、店の雰囲気に合っている気がするし、そもそも妃菜ちゃんは何を着ても似合うはず。

試着室に入る妃菜ちゃんに、「これも」と何着か渡して、外で待っていると、店員さんが話しかけてくる。


「基樹くん、久しぶりね」
「お久しぶりです」


全く名前が思い出せないけど、ロッケンウィックラー美容院のオーナーさんと一緒で、滅多に会うことがないから、たぶん聞き返さなくても問題ない。


「楽しそうだから、口は挟まないでおくわね。サイズは用意できるから」
「ありがとうございます」


会話の切れ目を待っていたのか、カーテンから妃菜ちゃんの顔だけが見える。近寄ると、全身を見せてくれた。しかも、回ってもくれた。

(クールに、見えるんだけどな…)


「どう?」
「うん、似合ってる」


間違いなく、浮くこともなく着こなせていると思う。スカートとか履いてもらえたら、きっと裾が広がって綺麗だろう。でも普段の移動は自転車だし、今までデニムだった妃菜ちゃんはあんまり好きじゃないかもと思って、選択肢からは外していた。

その後も何着か、妃菜ちゃんには着てもらった。結局、オレが選んだ服の数は十着を超えて、妃菜ちゃんが迷う羽目になった。


「ごめんね、調子乗って」
「いや、助かったよ。お店中からこれを選ぶのも、ひとりじゃ厳しいから」
「そう?」


試着室の床に、妃菜ちゃんが着終わって軽く畳んだ服を並べて、どれを買うか決めようとしてる。予算とか、先に聞いておけばよかった。


「妃菜ちゃん、お金気にするなら、優待で二割引きにはなるよ」
「え」
「父さんの店だしね。他に、気になる事ある?」
「ううん、でもちょっと時間欲しい」
「うん」


(あ、そうか…)

どこかで見たことがある光景だと思い出したのは、初めてデートした時のランチ選びだ。妃菜ちゃんは、ずばっと決めていきそうなのに、意外と優柔不断で決められないところがある。

待っている間に店内を見回して、あれもこれも妃菜ちゃんに似合いそうだと思ってしまったのは、黙っておいた。せっかく選ぼうとしてるのに、さらに選択肢をあげて困らせる事はしたくなかった。





最終的に妃菜ちゃんが選んだのは、モノトーンでチェック柄やワンポイントが入ったブラウスと、着回しやすそうな無地で色違いのテーパードパンツ。カジュアルな妃菜ちゃんもカッコよかったし、見られなくなると思うと少し寂しいけど、一緒にバイトするなら、シューペの雰囲気に合う服を持っていて欲しい。


「優待券、使ってよかったの?」
「うん、オレが払ったわけでもないし」
「そうだけど…」
「父さんも何も言わないよ、むしろモデル頼みたいくらいじゃないかな」
「え」
「分かんないけどね」


笑い返すと、少し困ったような顔をされた。今日の妃菜ちゃんは、戸惑ってる場面が多い。慣れない服屋さんに、オレと来てるから、当然と言えば当然かもしれない。


「フロイデでゆっくりしても?」
「うん」


店員さんから紙袋を受け取って、そのままミルトを出て、オレの自転車のカゴに載せた。妃菜ちゃんは財布を片付けながら、何か言いたげでも、無言でついて来てくれた。

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