妖からの守り方

垣崎 奏

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第一篇

31.蒼玉宮の二番手・君影 1

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 まだ暁もいない時間帯に、翠月は食堂に下りていた。天月が翠玉宮に朝から来る時は、梯子を上がる前に春霖・秋霖に声を掛けて、朝食を運ぶように頼んでくれるけど、今日はいつもの頃になっても来なかった。きっと、昨日の見世に疲れて休んでいるのだろう。泊まり客で朝まで一緒だったのかもしれない。

 自分の都合で誰かを呼んで物を頼むことに、翠月は未だに慣れていなかった。見世の間なら御客の前でもあり、まだ世話係の梓に声を掛けられるが、自分の世話をしてくれる侍女の春霖・秋霖に対しては難しかった。

(それが彼女たちの仕事なことも、言葉では分かってはいるけど)

 見習いとして座敷にも出るようになって、回数も重ねた。ひとりで動きたいと、思ってしまった。早朝の今ならまだ、食堂に下りてきている妖も少ない。

 盆を取りおかずの乗った皿をいくつかもらい、四人掛けの座卓で、壁を正面に手を合わせた。

(見習いが朝ご飯を取りに来てる音がする。この感じは紅玉かな)

 鋭い悪意のある目線を背中に感じつつ食べ進めていると、紺色の着物を着た、見慣れない灰褐色の髪を持つ、細い線の男が目の前に来た。壁際の端の座卓に座っていた翠月のところへ、わざわざやってきたのだ。

「ここ、いいかな」
「はい…?」
「有名だね、人間ニンゲンって」
「……」
「紅玉の視線って、なんでこうも怖いんだろうね」

 手を合わせた後、綺麗な所作で食べ始めながら、天月のように華奢で水色の瞳をした男は話しかけてくる。

「ああ、僕は君影きみかげ。これでも蒼玉の二番手だよ。御座敷の着物じゃないから、食事番とか近侍に見えてたかな」
「そういうわけでは…」

 近侍や働き手であれば、この時間に食堂を使わないことは翠月も知っている。翠月自身も食事中で、なかなか言葉を挟めずにいたのがバレたのだろうか。天月や緑翠には表情が読めないと言われるから、気のせいかもしれない。

「天月は、いいやつだから。おんなじ芸者として入った新しい人間ニンゲンが、いいやつだったらいいなと思って」
「ありがとうございます、気に掛けていただいて」

 君影からの視線が刺さる。紅玉宮の見習いのような敵意のある目線ではないけれど、御客から所作を評価されているのと同じ気分だ。

「…普通、だね」
「本当ですか?」
「え、うん。そんなに驚くところかな?」

 普通と言われたことが嬉しくて、前のめりになってしまった。謝って姿勢を戻すと、君影が続けてくれる。

「まだこっちへ来て三月みつきくらいなんでしょ? 所作も落ち着いてて、見習いでも黄玉の一番手の御客から同席の指名もあるって聞いてる。だから紅玉の下位からこんな視線を受けるんだ。僕じゃ牽制にもならないけど」

 翠月の後ろに向けて、目を細めながら君影が言った。蒼玉宮の二番手である君影は、当然上位芸者だから、そんな目を向けられたら見習いや下位芸者は縮みあがるはずだけど、蒼玉宮は下に見られがちだ。天月は人間で余計に下に見られるし、いくら深碧館の売上を支えていても、男色は異質扱いを受ける。

「それでも、深碧館は僕たちが気楽に居られる場所だよ。公表しても受け入れられるんだから」
「そう、ですか」
人間ニンゲンの世界も、似たようなものなんでしょ? 天月が言ってた」
「似たようなというか、より酷いというか…」
「まあ、分からない者には分からない趣向だからね」

 君影が皿を空にして、手を合わせる。すぐに立ち上がるかと思えば、そうではなく、まだゆっくり話せるらしい。

「天月ほど忙しくないからね、僕は」
「……」
「あいつは見世が好きすぎる。僕も嫌いじゃないけどさ。そうやって稼ぐのがここでは普通だし」

 見世に出て、御客を喜ばせるのが、仕事として普通の世界だ。

 翠月は、深碧館の外の妖の世界を知らない。だから、深碧館で起こることが全て。その中でできることと言えば、やはり見世だ。「言いたくなければいいけど」と前置きした上で、聞かれた。

「翠月は、『普通』になりたかった?」
「え?」
「さっき、普通って言葉に反応してたから。男色の僕たちみたく、認められたかったのかなって」

(認められたかった…)

 きっと、そうだっただろう。緑の瞳を持つことですでに他とは異なっていたし、両親の仕事や翠月自身の知識も、向こうの世界の中学生が持ち合わせているものではなかった。

「普通に、なりたかったので」
「うん?」
「人間の世界だと、みんながみんな、崩し文字を書けたり琴を弾けたりしないので…、私は異質だったんです」

「ここでは特技だね」
「向こうで役に立たなかったことが、全部役に立ってます。御座敷での所作もそうです」
「そうだね、天月にも教えてやって。いつまでも経ってもできないから」
「天月に?」

 天月と対面で食べる時のことを思い出す。回数を重ねるごとに天月の所作に慣れてしまって、翠月は気にならなくなっていた。

「深く考えなくていいよ、一緒に食べる時に崩れてたら、指摘してやって」
「それなら」
「うん、頼んだよ」
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